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探偵コナン・ドイル
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探偵コナン・ドイルの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.71pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全7件 1~7 1/1ページ
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ロンドンの切り裂きジャック事件に関わるドイルたちの捜査の物語。 前半はすでに起きた事件について、あらためて証言を聞いて回るので、ただのルポを読んでいるような感じがして、ちょっと退屈でもあった。その間に、ドイルがベルを一層尊敬するようになったり、もう一人の”彼女”に対して感情が動いたりする。 (ベル博士はホームズのモデルであるけど、この小説ではホームズよりもずっと性格の良い聖人だ。) ずっとこの調子なのかと思っていたら、後半からドイルに危険が迫り、犯人が挑発してサスペンス感が増してくる。 残酷な事件ではあったが、読み終わって心地よい感じがあり、また、上手く実際の事件にフィクションを組み込ませたものだなあと感心した。 以前、あるハヤカワミステリーで初めに残虐な事件現場を読んで、そこから先を読む気が失せたことがあった。でもこの本の場合は、主人公がドイルであることと、時代が19世紀ヴィクトリア朝ということで、あんまり生々しくは感じなくて、またハードボイルドタッチでもなくて、落ち着いて読むことができたのだと思う。 なお、この小説はホームズ物のパスティーシュではありません。(そう思って否定的な評価をしてる人もいるけど) | ||||
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ホームズファンで、ある程度のコレクター以外には全く勧められない駄作。 あの、カササギ殺人事件のホロヴィッツも、ドイル財団公認ホームズパスティーユを二作書いてますが、駄作。コレクター向き。 | ||||
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Kindle本のサンプルを読んで、続きが気になりそのままほしいものリストに入れ、Amazonに移動して購入。アカウントが同一なのだから、DL直後にサンプルの続きページにとんでくれると楽なのですが、それは横着すぎますかね。 私としては非常に好みの本です。「ミステリ好き」と名乗れるほどミステリは読みませんが、小学生のころからシャーロッキアンを自認していました。そして中学・高校になると、ミステリを開拓する方向より、イギリス文学を好む方向に向かうのですが...本書は、私の好きなホームズ、ワトスンの精神、この時代の倫理観の弱点と、それを越えようとする個人の誠意のようなものが、アーサー・コナン・ドイルその人として描かれているのですから。 本書の登場人物としてのドイルにしても、彼の師ベル博士にしても、ルネッサンス的な自由人でもコスモポリタンでもありません。彼らの思考回路は、あくまでヴィクトリア朝イギリスの、アッパーミドル小市民としてのバックグラウンドに依拠しています。が、時に先入観や偏見があったとしても、それが「差別」にはつながらない。相手が誰であっても理解しリスペクトしようとする--この誠実さこそが、シャーロック・ホームズ譚の魅力であったし、本書の主人公であるドイルの魅力であるのです。 また切り裂きジャック以外の登場人物に本当の悪人や、嫌な奴がいないのも、ヴィクトリア朝的だといえましょう。 この、先入観は致し方ないが差別はしない、という姿勢は、2020年6月の我々にとっても、倫理的な指標として十分役に立つと思います。 一方で、このような考えには限界が生じます。本書の最後の決着の付け方は、現代人としてはちょっと疑問を感じてしかるべきものであり...作者ブラッドリー・ハーパー自身がこの解決策に与していると考えたくはないです。そうではなく、ヴィクトリア朝時代の階級と社会構造に縛られた登場人物にとっての、その制約の中での解決であった、と考えるならば、この結末も納得して読むことができるのです。 ホームズ譚からミステリマニアの方向に向かった方はどう読まれるのでしょう。私としては大きな収穫でした。 | ||||
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コナン・ドイルが『緋色の研究』を発表したのが1888年。実際の執筆は1886年3月~4月であったといわれています。この小説はなかなか出版社が見つからず10月になってウォード・ロック社に買い取られますが、これが25ポンドという短編並みの安値だったそうです。掲載は翌87年の『ビートンのクリスマス年鑑』で、88年というのは単行本化された年です。一方ロンドンのイースト・エンドでいわゆる「切り裂きジャック事件」が起こったのが88年のことで、もちろん大騒ぎになったのですが、この年だけで何故か収束しています。ドイルが次回作『四つの署名』を発表したのが90年のことで、この間に実はドイルが師であるジョゼフ・ベルと組んで「切り裂きジャック事件」の解決に奔走していたのだというのが、本書の基本構想です。 実際のドイルは89年から『白衣の騎士団』を執筆し始めるのですが、ちょうどこの頃アメリカの『リビンコッツ』社からあたらしいホームズものの執筆を依頼されます。これにはオスカー・ワイルドの推薦があったのではないかなど諸説があります。これには『緋色の研究』はアメリカではかなり話題になったのですが、本国イギリスでは鳴かず飛ばずで、結局第2作の依頼はアメリカから来たという事情があります。世の中にはシャーロッキアンと呼ばれる人たちは沢山いるので、これ以上生意気な解説は控えますが、とにかくドイルにとって88年という年が(本業の医師の方はともかくとして)空白の年であることは事実で、この事実をうまく利用して書かれた巧みなパスティーシュという訳です。申し添えれば(これも余計といわれそうですが)ドイルはあれほど世間を騒がせた事件だったにも拘わらず何故かホームズものの中で切り裂きジャック事件に言及したことは一切ありません。この辺のところもいろいろと創作の余地が入る下地になっている訳です。さらにこの作品がドイルの一人称でかかれており、しかも1920年代の晩年になってから昔を思い出しながら書いているという体裁をとっているのが面白い工夫です(ちなみにドイルは1930年没)。 さて、本来ですとここで作品そのものについていろいろと書き込むところなのですが、作品の性格からいって「ネタバレ」になってしまうため、書けません。そこで感想だけ書き込ませていただきますが、事件そのものの性格からいって後味のいいものになりっこないことは分かっているのですが、当時のイギリスの中上流階級のひとたちのものの考え方としては違和感があるというのが正直なところです。敢えていえばこの最後はアメリカ西部劇の感覚とでもいうのでしょうか。また現在でこそ有名ですが、当時は無名に近かったドイルやベル博士(博士は学会では一目置かれる存在でしたが)に何故挑戦してきたのかという必然性も考えてみるとはっきりしませんよね。現在のわたしたちにとって両氏はあまりにも有名ですから違和感がなく思ってしまうのですが、当時としてはおかしな話である訳です。 という訳で、作品そのものとしてはやはり数あるパスティーシュのひとつとして位置づける以外ないというのが率直な感想なのですが、小説としての完成度はかなり高いことは述べておかなればならないと思います。本書の解説によると今度は本書で脇役をつとめたマーガレット・ハークネスを主人公にした小説を執筆し、これがなかなか売れているということですが、そういった路線から抜けて自分の世界を早く作ってほしいなというのが追加的な感想です。歴史上の人物をちょっといじって活躍させるというような小説で終わってしまうには惜しい才能だと思うからです。 | ||||
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期待した程は面白く無かった。 コナン・ドイルが探偵と言うので期待したけど。 | ||||
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コナン・ドイルの『緋色の研究』によるデビューが1886年。ホームズの第二作『四つの署名』が1890年。その間の四年間、ドイルはホームズは一作書いただけの鳴かず飛ばずなので、英国内乱の歴史小説を書いている。そして本業の医師の仕事についている。プライベートには1988年に妻ルイーズが妊娠。その頃、切り裂きジャックが血まみれのナイフ片手に、霧の町ロンドンの夜を震え上がらせている。 そんな時系列を抑えておく。つまり本書の作者は、ホームズ作品の難産作品二作目を産み出すモチーフとして、四年間の空白の中間部に勃発する切り裂きジャックの事件を配置。ドイルは、ホームズのモデルとなった恩師である医師ベルと共同で事件の謎に挑むことで、その後のホームズ像を確立させるモチーフとしたという収まりの良い設定を見せてくれる。その意味ではある意味、本書は快挙と言える。 しかし、それだけでは本書の魅力は語り切れない。むしろ影の主人公たる男装の女流作家マーガレット・ハークネスがチームに加わり、三銃士のトライアングルを形成することで、捜査チームは完成する。作品に血が通い、躍動する。男性二人に女性一人。『俺たちに明日はない』の如く。『明日に向かって撃て』の如く。 マーガレットは、切り裂きジャックの徘徊したロンドン・イーストエンドにマッチ工場で燐による顎骨癌を患い死と向かい合う女性とともに住んでいる。界隈は貧しく治安の悪い場所のため、外出時には男装し、小型銃デリンジャーをポケットに忍ばせる。男性の服はポケットが沢山あるから便利、というのは彼女のセリフである。 そしてベル博士はエジンバラで教鞭を取りながら、名医として知られるが、患者を一目見て職業や状況を当ててしまう観察力でも知られている。そうドイルはベル博士からシャーロック・ホームズの、今ではメンタリストという職業でも使われている才能、観察力と推理力を借用したのだ。 かように三人ともに個性的極まる実在の人物であり、嬉しいことに巻末に彼らのプロフィルと写真があるので、姿かたちまで物語という想像のスクリーンの上で動かすことができるのだ。 ミステリー小説としては多くの制限がありすぎるかもしれない。史実と資料に縛られた実在の事件であること。事件の捜査に実在の人間たちが参加するシチュエーションを構築すること。でもその辺りを当時の風物や町の情景を活写しながら描き切っている筆力には注目すべきである。そしてこの時代、ロンドンに流入する異人種、貧民、犯罪者などの掃き溜めのように扱われ差別の横行するイーストエンドのホワイト・チャペル界隈。貧富の差のリアル感。まだ鉄道も電話も十分に整備されていないゆえの馬車やメッセンジャーによる移動、及び通信手段。 ホームズものは日本では松岡圭介が『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』という怪作を残している通り、コナンドイルの生きた時代は明治維新の時代である。 なお『わが名は切り裂きジャック』でのスティーヴン・ハンターの本事件への取り組みも見ものである。この作品と本書とで、ぼくは二度ホワイト・チャペル界隈のリアリティと事件のあまりの残酷さとを想像体感させて頂いているわけだ。 本書でのドイルがホームズ像をより具体的に心に描いてゆく過程、家庭に妊婦を置いていながらマーガレットに惹かれてゆく気持ち、など含めて繊細かつ大胆な骨格の名作が出来上がったように思う。なお、続編ではマーガレットがベルともどもヴィクトリア朝ミステリという形で活躍することになるらしい。気になるヒロインとの再会への期待が膨らむばかりである。 | ||||
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「切り裂きジャック」については、多くの小説、書物が出版されています。最近では、スティーブン・ハンターの「我が名は切り裂きジャック」がありましたが、印象は薄かった。シャーロック・ホームズのパスティーシュで言えば、ニコラス・メイヤーの「シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険」、「ウエスト・エンドの恐怖」(1977年 立風書房)が忘れ難い。うろ覚えですが、特に後者は、著名な作家たちが何人も顔を出していました。その中の一人が、今回さりげなく、とても重要な役割を背負ってカメオ出演しています。「----・---の肖像」のように(笑) 「探偵コナン・ドイル "A Knife In The Fog"」(ブラッドリー・ハーパー 早川書房)を読み終えました。 1888年、ロンドン。「緋色の研究」をリリースしたばかりのコナン・ドイルが前英国首相から「連続殺人事件」を解決してほしいとの依頼を受け、シャーロック・ホームズのモデルと言われるベル博士をエディンバラから呼び寄せ、貧民窟であり、その当時の「コンバット・ゾーン」イーストエンドに居を構える男装の麗人?マーガレット・ハークネスの協力を得て、その連続殺人犯を探り、追い詰めていきます。そして、その連続殺人犯は未解決なまま多くのクリエイターたちの創造を未だに刺激し続けている「切り裂きジャック事件」として姿を現します。パズラーですから、ストーリーはここまでですね(笑) 今回の探偵役は、そのコナン・ドイル本人ですが、むしろ三人の<アンサンブル>がこのパズラーをユニークな心躍る物語に仕立て上げています。また、その当時の「ロンドン」の雰囲気がよく醸し出されていて、ロンドン市警察とスコットランド・ヤードの関係、妖しげでありながら魅惑的なイーストエンドが丁寧に繰り返し描写されています。時代考証については、私の力量では確かめようがありませんが(笑) 主役は、実は麗人「マーガレット・ハークネス」ですね。女性参政権成立前、エメリン・パンクハースト登場前の「自立」を目指す女性の眼差しをその時代にフォーカスさせることによって、この物語に洞察力のある、ある膨らみを与えているのだと思います。 私は、米国西海岸の<ディティクティブ・ストーリー>の読み手ですので、シャーロック・ホームズへの思い入れが深くありません(笑)よって、パズラーとしての評価も含めて(ミスディレクションがありやなしや)、<シャーロッキアン>によるトリヴィアルな視点によるレビューをお聞かせ願えればと切に思います。 原題は、結末を暗示しながらとてもシンボリックで印象深い。 そして、ジョン・ダンのある有名な詩の一節の引用と共に、 「結局のところ、気高さとは社会的地位の産物ではないのだと思った。気高さは誰でも手に入れられるものだが、それを自分に与えられるのは自分自身だけなのだ」という一文が、この物語を産み出した「ホームズを敬う」作者への大いなる<信頼>を深めているのだと感じます。 | ||||
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