探偵コナン・ドイル
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探偵コナン・ドイルの総合評価:
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ロンドンの切り裂きジャック事件に関わるドイルたちの捜査の物語。 前半はすでに起きた事件について、あらためて証言を聞いて回るので、ただのルポを読んでいるような感じがして、ちょっと退屈でもあった。その間に、ドイルがベルを一層尊敬するようになったり、もう一人の”彼女”に対して感情が動いたりする。 (ベル博士はホームズのモデルであるけど、この小説ではホームズよりもずっと性格の良い聖人だ。) ずっとこの調子なのかと思っていたら、後半からドイルに危険が迫り、犯人が挑発してサスペンス感が増してくる。 残酷な事件ではあったが、読み終わって心地よい感じがあり、また、上手く実際の事件にフィクションを組み込ませたものだなあと感心した。 以前、あるハヤカワミステリーで初めに残虐な事件現場を読んで、そこから先を読む気が失せたことがあった。でもこの本の場合は、主人公がドイルであることと、時代が19世紀ヴィクトリア朝ということで、あんまり生々しくは感じなくて、またハードボイルドタッチでもなくて、落ち着いて読むことができたのだと思う。 なお、この小説はホームズ物のパスティーシュではありません。(そう思って否定的な評価をしてる人もいるけど) | ||||
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ホームズファンで、ある程度のコレクター以外には全く勧められない駄作。 あの、カササギ殺人事件のホロヴィッツも、ドイル財団公認ホームズパスティーユを二作書いてますが、駄作。コレクター向き。 | ||||
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Kindle本のサンプルを読んで、続きが気になりそのままほしいものリストに入れ、Amazonに移動して購入。アカウントが同一なのだから、DL直後にサンプルの続きページにとんでくれると楽なのですが、それは横着すぎますかね。 私としては非常に好みの本です。「ミステリ好き」と名乗れるほどミステリは読みませんが、小学生のころからシャーロッキアンを自認していました。そして中学・高校になると、ミステリを開拓する方向より、イギリス文学を好む方向に向かうのですが...本書は、私の好きなホームズ、ワトスンの精神、この時代の倫理観の弱点と、それを越えようとする個人の誠意のようなものが、アーサー・コナン・ドイルその人として描かれているのですから。 本書の登場人物としてのドイルにしても、彼の師ベル博士にしても、ルネッサンス的な自由人でもコスモポリタンでもありません。彼らの思考回路は、あくまでヴィクトリア朝イギリスの、アッパーミドル小市民としてのバックグラウンドに依拠しています。が、時に先入観や偏見があったとしても、それが「差別」にはつながらない。相手が誰であっても理解しリスペクトしようとする--この誠実さこそが、シャーロック・ホームズ譚の魅力であったし、本書の主人公であるドイルの魅力であるのです。 また切り裂きジャック以外の登場人物に本当の悪人や、嫌な奴がいないのも、ヴィクトリア朝的だといえましょう。 この、先入観は致し方ないが差別はしない、という姿勢は、2020年6月の我々にとっても、倫理的な指標として十分役に立つと思います。 一方で、このような考えには限界が生じます。本書の最後の決着の付け方は、現代人としてはちょっと疑問を感じてしかるべきものであり...作者ブラッドリー・ハーパー自身がこの解決策に与していると考えたくはないです。そうではなく、ヴィクトリア朝時代の階級と社会構造に縛られた登場人物にとっての、その制約の中での解決であった、と考えるならば、この結末も納得して読むことができるのです。 ホームズ譚からミステリマニアの方向に向かった方はどう読まれるのでしょう。私としては大きな収穫でした。 | ||||
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コナン・ドイルが『緋色の研究』を発表したのが1888年。実際の執筆は1886年3月~4月であったといわれています。この小説はなかなか出版社が見つからず10月になってウォード・ロック社に買い取られますが、これが25ポンドという短編並みの安値だったそうです。掲載は翌87年の『ビートンのクリスマス年鑑』で、88年というのは単行本化された年です。一方ロンドンのイースト・エンドでいわゆる「切り裂きジャック事件」が起こったのが88年のことで、もちろん大騒ぎになったのですが、この年だけで何故か収束しています。ドイルが次回作『四つの署名』を発表したのが90年のことで、この間に実はドイルが師であるジョゼフ・ベルと組んで「切り裂きジャック事件」の解決に奔走していたのだというのが、本書の基本構想です。 実際のドイルは89年から『白衣の騎士団』を執筆し始めるのですが、ちょうどこの頃アメリカの『リビンコッツ』社からあたらしいホームズものの執筆を依頼されます。これにはオスカー・ワイルドの推薦があったのではないかなど諸説があります。これには『緋色の研究』はアメリカではかなり話題になったのですが、本国イギリスでは鳴かず飛ばずで、結局第2作の依頼はアメリカから来たという事情があります。世の中にはシャーロッキアンと呼ばれる人たちは沢山いるので、これ以上生意気な解説は控えますが、とにかくドイルにとって88年という年が(本業の医師の方はともかくとして)空白の年であることは事実で、この事実をうまく利用して書かれた巧みなパスティーシュという訳です。申し添えれば(これも余計といわれそうですが)ドイルはあれほど世間を騒がせた事件だったにも拘わらず何故かホームズものの中で切り裂きジャック事件に言及したことは一切ありません。この辺のところもいろいろと創作の余地が入る下地になっている訳です。さらにこの作品がドイルの一人称でかかれており、しかも1920年代の晩年になってから昔を思い出しながら書いているという体裁をとっているのが面白い工夫です(ちなみにドイルは1930年没)。 さて、本来ですとここで作品そのものについていろいろと書き込むところなのですが、作品の性格からいって「ネタバレ」になってしまうため、書けません。そこで感想だけ書き込ませていただきますが、事件そのものの性格からいって後味のいいものになりっこないことは分かっているのですが、当時のイギリスの中上流階級のひとたちのものの考え方としては違和感があるというのが正直なところです。敢えていえばこの最後はアメリカ西部劇の感覚とでもいうのでしょうか。また現在でこそ有名ですが、当時は無名に近かったドイルやベル博士(博士は学会では一目置かれる存在でしたが)に何故挑戦してきたのかという必然性も考えてみるとはっきりしませんよね。現在のわたしたちにとって両氏はあまりにも有名ですから違和感がなく思ってしまうのですが、当時としてはおかしな話である訳です。 という訳で、作品そのものとしてはやはり数あるパスティーシュのひとつとして位置づける以外ないというのが率直な感想なのですが、小説としての完成度はかなり高いことは述べておかなればならないと思います。本書の解説によると今度は本書で脇役をつとめたマーガレット・ハークネスを主人公にした小説を執筆し、これがなかなか売れているということですが、そういった路線から抜けて自分の世界を早く作ってほしいなというのが追加的な感想です。歴史上の人物をちょっといじって活躍させるというような小説で終わってしまうには惜しい才能だと思うからです。 | ||||
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期待した程は面白く無かった。 コナン・ドイルが探偵と言うので期待したけど。 | ||||
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