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流れは、いつか海へと
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流れは、いつか海へとの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.86pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全7件 1~7 1/1ページ
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アマゾン出品の中古品は商品としては とても信頼できる。 出品者評価の通りで安心して利用できる。 | ||||
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登場人物がやたら多く、把握しにくかった。(小生の年のせいか?) 展開のテンポの良い『フロスト 始末』を読了した後だったので退屈だった。 政治色も少し出てて、著者が左よりというのは明らか。 やたら黒人の女性の肢体の素晴らしさを、これ見よがし的表現にも辟易した。 | ||||
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ハニートラップに掛かった元警官の私立探偵って設定自体は悪くないし、娘とのじゃえらいも微笑ましい。だけど、とある人物をとあるところから運び出す下りが安直すぎて・・つか、相棒になった男が凄腕過ぎて実在感に欠ける。全体的に正義は誰のものかで変わるしグレーなものが多いし弱みを握られたらしょうがないよねって「根底部分」は納得できるだけに、もうちょっと何とかならなかったかなあ。受賞しているし高評価がつけられているしで、申し訳ないんだが。 | ||||
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ジョー・キング・オリバーはニューヨーク市警の最高捜査官。しかし、ある日彼は車泥棒の逮捕に派遣され、その捜査でオリバーは冒してもいない罪で告発されてしまいます。ニューヨーク市警を敵に回し、敵に暴行の濡れ衣を着せられたオリバーは、ライカーズ島の独房に閉じ込められることになってしまいました。それから10年後、私立探偵として生計を立てているオリバーの姿がありました。長年の獄中で受けた残忍な行為と孤独な生活の中に心を痛めたオリバーにとって、唯一の光となっているのは、仕事とティーンエイジャーの少女アジャ-デニスの存在です。濡れ衣に対して正義の探求を続けるオリバー。それと並行して、スラムで麻薬を乱用していた2人の当番の警察官を殺害したとして告発された黒人のジャーナリストの事件を操作することになるのですが・・・。 「濡れ衣への復讐のために耐え忍ぶ」という主人公の境遇から、デュマのモンテクリスト伯を彷彿とさせられる本書。作者のウォルター・モズリーは、本作に限らずギャング、ヘロイン中毒者、傷ついた魂、そして不屈の精神など、大都市ニューヨークのサバイバルをテーマとした作品をリリースしています。一連の作品でモチーフとなるのは、不正や腐敗の歴史を認めようとしない警察の暗部で、いずれも説得力のある物語は期待を裏切らない出来でした。今回も主人公のオリバーが自身に仕組まれた陰謀に翻弄されつつ、並行して発生した別の事件も交錯するという風に、いい話が展開されます。ですが、今作で私が一番興味を持ったのはストーリーそのものではありません。それはオリバーの世界観と作者の描写の仕方にあります。例えば、主人公のジョー・オリバーが新しい人に会うときには、肌の色だけでなく、その人が何を着ているのか?など、かなり細かい説明をするんですよね。このようにして、大都市ニューヨークの暗部を露にするような世界観の描写のディテールも本作の大きな魅力です。 | ||||
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国産ミステリーの犯罪のほとんどが、極めて個人的な犯罪を扱うのに比して、世界の賞を獲るような作品は必ずと言っていいほど、国家レベルの犯罪、あるいは政府機関の犯罪、もしくは制度の生み出す社会悪が生み出す犯罪を描くものが多い。単なる謎解き小説にとどまらず、犯罪を小説の題材として描くことで、何らかの社会的メッセージを描くもの、そうではなくても高位なレベルで行われる犯罪に、個人として立ち向かわねばならない状況を小説の背骨に据えているものが多いと思う。 国産小説にそれが皆無とは言えないけれど、あくまでそうした部類の読み物とは一線を画し面白さだけを追求して、家族や男女間の愛憎のもつれ、ちっぽけな利権の殺意などを題材にした、後に残らないその場しのぎの作品が作家の名を忘れられないためだけに年に何冊という勢いで続々出版されてしまう。それがまた、当面の面白さやゲーム性だけを求める読者に受け入れられるという現象や、そうした図書文化のスケールの小ささにぼくはいつも愕然とする。良い小説とは、ぼくらが生きる時代や社会背景に、物語の中で密接に関わらなければいけないと思う。その時代の碑としての軌跡を残すべきものでなければならないと思う。ミステリーとしての伏線やトリックなど技法がすべてではないということだ。いわゆる小説としての成熟度。そして試されるべきはむしろ読者の成熟度であろう。 さて、本書を読んでいて思ったのは、主人公の黒人探偵の「原罪」そして「贖罪」である。それを克服しなくては生き続けることができないほどの主人公の生への枯渇である。そして彼を追い込んだのは、ちまちました犯罪ではなく、社会的問題として断罪されてもよい種類の組織悪による圧倒的権力と社会構造なのである。それも警察という名の。 こうしたことはニューヨークを舞台にしたこの作品だけではなく、多くの映画にしても小説にしても、世界の娯楽小説の軸に使われることが欧米エンターテインメントの圧倒的主流である。国の悪に対し、己の身を守る。自分のために、家族のために。そして何よりも生きる意味を問うとき、沸騰せざるを得ない己れの尊厳のために。 そう、あのウォルター・モズリイが約30年ぶりに帰って来たのである。色のついたタイトルのイージー・ローリンズを主役とする戦後1940年代のLAを舞台にしたシリーズではなく、現代のニューヨークで。P287に、作者がしかけたオマージュには、モズリイ・ファンとしてはにやりとしてしまう。そしてイージーとは異なる現代のNYならではの生活スタイル、時代や場所が変わっても一向に変わらぬ男たちの持つべき尊厳と生き様。イージーの無法で無謀でコントロール不能な相棒マウスを覚えているだろうか? 彼を想起させる、強烈にアウトローなイメージを噴出させる重要助っ人メルの存在もがある。時代は変われど、ハードボイルドにはアウトローも欠かせない存在である。 新主人公の課せられた宿命や不運、それを乗り越える一途さや、周辺人物の魅力的な個性がものを言い、火を噴く怒りをどう収めるのか? この許されざる強烈な悪党どもを、どうやってぶちのめすことができるのか? 不安と緊張の中にも期待がうずく緊張の各ぺージ。 ハードボイルドとは、時代を変えては、その時代を映す鏡になり得る。面白さの中に、驚くほどの時代描写・社会への嗅覚が見られる事実と、そこへの参画意識、そして何よりも闘志というところにこそ、ハードボイルドのコアな部分が潜んでいるように思う。是非そんなポイントをこの作品の中に捜し当てて頂き、現代の小説というものの可能性に、改めてご注目願いたい。 | ||||
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あまり 期待していなかった ので モウケもの だつた。 こういう のがあると 北欧ものには 無いアメリカ もの の良さが めだって こころ強い! | ||||
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「ブルー・ドレスの女」からだいぶ時が経過しました(読みましたが、よく覚えていません(笑))。 2019年のアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞受賞作「流れは、いつか海へと "Down the River Unto the Sea"」(ウォルター・モズリイ 早川書房)を読了しました。 舞台はニューヨーク。主人公は、「女性に問題がある」を自称するジョー・キング。ニューヨーク市警の刑事からドロップ・アウトした褐色の私立探偵です。ある女性からの一通の手紙によって刑事を辞めざるを得なくなった「過去」の事件が現在に浮かび上がる一方、探偵は弁護士事務所に勤務する女性から「警官殺し」によって収監されている黒人の無実を証明してほしいとの依頼を受けます。 二つの事件は交差するのか?スリラーですから、詳細を書くことができません。 前半はオーセンティックな「私立探偵小説」であり、おとなしいシリーズ第一作のような面持ちでしたが、まるで違っていました。理性のかけらも持たない狂犬の血、赤い鳥に導かれて冥界の河を渡るプライベート・アイとその相棒の時計職人でもあるクリミナル。後半は「私立探偵小説」から一転、ノワールのような、よくできた「犯罪小説」へと変貌を遂げます。そして胸倉を捕まれるような「反転」も用意されています。 登場人物たちがとても魅力的です。よきものをもたらす親友の刑事、恩義を忘れない元娼婦、恋する祖母(笑)、その祖母を愛する大富豪(笑)、そしてバディでもある「悪党」メルカルト。いつの世の私立探偵たちも一人では何もできません。スペンサーには、セラピスト・スーザンと「クリミナル」ホークが寄り添い、パトリックにはアンジーと「サイコパス」ブッバという強い味方がいたように、ジョー・キングには元娼婦・エフィーと「悪党」メルカルトが超法規的な助力を惜しみません。恐れを知らない「ガーディアン・エンジェル」のように。 瑕疵はあります。<敵>の強さが「ある一人」を除いて見えてきません。まあ、ジョー・キングとそのバディ・メルカルトのコンビが少し強すぎるのかもしれません(笑) そして、ジョー・キングの一人娘・エイジアの存在がこの物語を支えているのだと思います。娘でありながら、母でもあり、恋人でもあり、妻でもあるそのすべての「正しさ」を内に秘めた女性。それは、どうしようもない「弱い子」でもある男たちの「憧れ」でもあります。 余談ですが(笑)同じように一人娘に囚われ、ジャズを愛し、「荒野のおおかみ」を読むロスアンジェルスのボッシュ同様、この物語の主人公もセロニアス・モンクを聞き、ヘルマン・ヘッセを語ります。もしかするとその3つのファクターの中にある「小宇宙」の中に<現在>の米国探偵小説のエッセンスが隠れているのかもしれません。 「法」の内側にいたはずの者たち、「更生」したはずのクリミナルたちは、所詮その圏外でしか己が「埋め合わせ」を実現できない。にもかかわらず「弱い子」たちの災厄に身をよせるものたちの眼差しはいつだって限りなく暖かい。 | ||||
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