果てしなき輝きの果てに
- 警察小説 (526)
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全1件 1~1 1/1ページ
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悲壮感漂う感もありますが、人間ドラマと思って読んでゆくと、主人公に共鳴している自分がいました。 | ||||
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素晴らしい小説です。フィラデルフィア市警の主人公、ミッキーの日常生活がほんとうに丁寧に、丹念に、描かれています(そのぶん長くなります)。舞台となるフィラデルフィアについてはユージン・オーマンディ率いるフィラデルフィア管弦楽団の華麗なるサウンドくらいしか思い浮かびませんでしたが、アメリカ建国のルーツ、13植民地のひとつであるペンシルべニアの陰の部分を知りました。主人公の一人称による現在形と過去形の記述は、とりわけ現在時制において緊迫感が高まり、わたしはいつの間にかミッキーに感情移入して、悩み、心配、ストレス、悲しみ、怒りを共有しました。蛇足ですが邦題は白い白馬みたいでちょっといただけないでしょう。原題の長く輝ける川の方がよかったと思います。したり顔で具体的な内容に言及したレビューは野暮というものです。 | ||||
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暗い話は苦手だという方にとっては、本書は忍耐を強いられる物語である。そもそもこの作家にとってはミステリーが初チャレンジだそうだ。これまで数作の私小説的な、あるいは社会問題をテーマにしたヒューマンな作品で評価されているようだし、ミュージシャンであり、大学の先生でもあるらしい。多くの顔を持つ作家の初のミステリー・デビューということである。 ヒロインのミカエラはフィラデルフィア市警24分署のパトロール警官である。ある日、通報によりリ、連続殺人事件の被害者である若い娼婦の遺体に遭遇する。パトロール警官の身には、捜査権限という点で相当のハンディを抱えているばかりか、捜査状況の進捗すらまともに読み取れない立場なので、ミステリーとしての物語をこの書がどのように進めてゆけるのかなと要らぬ心配で頭をいっぱいにしながら、読者としてのぼくはミカエラとその妹ケイシーの物語へと導かれる。 ミカエラの独白は語る。そのケイシーが薬物中毒で娼婦へと身に落としているかもしれないこと。そしてここのところ街から姿を消し行方不明になっていること。連続殺人事件の被害者として未発見の遺体と化している恐ろしい状況を、姉は心配するのだ。 本書の主人公は二人の姉妹で、彼らの恵まれない現在と過去を行き来しつつ、ミカエラは一人称で語る。現在にも過去にも、冷たくて意地悪で逆境を作り出しているかのような人物がいて、ミカエルは苦しみながら、ケイシーの行方だけに心を捉われゆく。 もう一つの主人公はここフィラデルフィアの最も荒れ果てた街ケンジントンだと言っていいだろう。犯罪の横行する、貧しく荒んだ街を流れるデラウェア川を、示したような原題"Long Bright River"は、一方では姉妹たちの、どうにもならない宿命を表しているかにも見える。 薬物被害の横行する街、遺伝的に依存症傾向のある(とミカエラが信じる)彼ら一族の血、依存症の女性から生まれる新生児のダメージと、そこから救われるための苦しみ、依存症患者へのヘイトに満ちた社会の眼差し等々を見ていると、本書はストレートな社会派小説であるとも見える。 それでいて、姉妹の隠されていた秘密、連続殺人の意外な犯人像、などなど、ミステリーとしての驚愕に満ちた仕掛けもしっかり用意されてる、ある意味とても精緻で完璧な作品でもある。 読中、ヒロインの悲劇につきあうのはとても苦しい体験なのだが、果てしなき輝きの果てにミカエラが見つけ出すものを知るところまで是非、このいたいけなヒロインにおつきあい頂きたい。この作品の素晴らしさを必ず感じ取れる時が必ず来ると信じて。 | ||||
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「果てしなき輝きの果てに "Long Bright River"」(リズ ・ムーア ハヤカワ・ミステリ)を読みました。 舞台は、フィラデルフィア、ケンジントン。地名を聞いて思い浮かべるのはヘロイン。薬物汚染。 主人公でもあるパトロール警官・ミッキーは、ドラッグ中毒者の遺体が発見されたとの報を受け、その遺体が妹のケイシーではないかとの囚われを抱きながら線路脇の現場へと赴きます。母親をドラッグ中毒で失い、父親は行方知れず。二人は祖母・ジーにより育てられますが、妹もまた、薬物依存、売春によって心身共に蝕まれ、行方不明のまま。遺体は彼女ではなかったものの絞殺痕があり、さらに似たような事件が相次ぐ中、ミッキーはケンジントンの闇を潜るようにして、その犯人と妹を探しだそうとします。 ミッキーの「現在」にその「過去」が時折フラッシュバックし、そこには機能不全家族の持つ根深い苦しさが畳みかけるように描かれています。とてもデリケートで丁寧な文体ですが、スリラーというよりも、「依存症者」の一つの<実態>を描いた、読んでいてその継続する「苦しさ」からできれば逃れたいと思わせるような物語だと思います。よって、私は、間に何冊か異なる小説を読んで、気を紛らわせました(笑)とは言え、その「過去」がインサートされることによって、ミステリ的興趣が発生し、2個所、巧みな「反転」も仕掛けられています。 人を徹底的に傷つけ、己が人生を台無しにしても尚やめることができない「依存症」ととことん向き合った小説とも言えるのかもしれません。薬物であれ、アルコールであれ、ギャンブルであれ、依存症者はそれを手に入れるためならば、反社会的な行為も含め、家族を、周囲を巻き込み、それを盾に取りながら、相手が自分を愛していることをいいことに、そのことまでも利用し、利用しつくします。それは、篇中、言及されているように「ハメルンの笛吹き」の笛によってもたらされる恍惚状態を得るための方策を常に脈絡のない戦略行為のように考えているからなのでしょう。 「回復」はあります。離脱症状を超え、最大の支援者でもあるスポンサーに身をゆだね、「回復のための12ステップ」を心に埋め込み、自助グループが与えてくれる「共感」の中に身を浸しながら、それでも尚、怯えながら生きる日々の中で、正しい行いをすること、傷つけた人への「埋め合わせ」をするというルーティンを身につけることなくして、それはあり得ないのだと思います。その意味からもこの重苦しいスリラーは、しっかりとその<実態>を描き尽くそうとしていることが理解できます。 そして、この物語の最大の凄みは、依存症者の家族でもあるミッキーが、「わたしが依存しているのは、自分の正しさばかり主張する、自己認識やプライドにかかわるなにか」であり、そのことこそが「不健全」であることに気づくことにあるのかもしれません。 また、ミッキーと息子のトーマスを支える大家・セシリア・マーンこそ、その「霊性」の象徴なのだと思います。彼女が言うように「同じ物語でも、見方を変えたら別のものになる」のであれば、この苦しみの物語も底打ちの果てに連なる<果てしなく輝く一筋の川>へと向かう「希望」の物語として読むこともまた可能なのだと思います。 | ||||
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