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(短編集)
アメリカひじき・火垂るの墓
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アメリカひじき・火垂るの墓の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.25pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全64件 41~60 3/4ページ
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戦争の悲惨さが忘れ去られないように、若い人も読んだり、DVDを見てほしいと思います。短大の授業で取り上げたのですが、かわいそうとは思っても、平和を続けるためにという、自分にかかわることとして考えられない。また自分の子供ができたときに同じ思いをさせたくないと感じられる人はごく少数であり、戦争が遠いことになってしまっていると感じました。なんとかせにぁ・・・ | ||||
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この映画の意味が。」戦争孤児となったセイタとセツコの健気な姿が、悲しくも逞しい。母が死に、困窮したセイタが盗みを働くシーンは胸が痛んだ。改めて気づかされた、戦争は残酷だ。そして世界のどこかでは、今もそれが行われているということにも。 | ||||
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アメリカひじきとは缶に入ったダージリンか何かの紅茶の葉っぱのことである。色といい、形といい、乾燥してちじれているが終戦前の日本人には、アメリカの飛行機から落下傘をつけて落とされたカプセルの中に入っていたガムやチョコレートなどと一緒に入っていた紅茶が、なんだか分からないから「ひじき」と思ったのである。つまり、「ひじき」と思ったアメリカの紅茶は、戦後の日本の食文化や精神的な文化のアメリカへの傾倒やあこがれの象徴なのである。戦後の日本はアメリカにいろんな面で頼って経済的にも成長してきた。主人公の男はそういう生活に、戦争を体験しているだけに面白くないのである。ある日奥さんが食卓にハンバーグだかステーキだか作って、こう言うのである。「さあ、食べましょう!あのね、アメリカでは父親のことをパパと言わないでダディーというのよ!」これを聞いて男はついに日本もここまで来たか、と嘆くのである。といったお話だ。 「ひじき」を象徴に取り上げたのは別にアメリカ主義反対とか西洋的文化への反発とか言うよりもむしろ、作者の戦中、戦後の体験から来る、ある種のなつかしさとかアメリカのおかげで今の日本があるのだとかいう、感慨みたいなものがうかがえる。アメリカよ出て行け!とか日本再軍備論とかではなく、作者はただあの時代が懐かしいのである。今となっては、あの時代は幻のような時代であったのだ。 | ||||
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本の質はすごくいいけど、内容はちょっと、留学生にとって言葉が難しすぎる | ||||
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川上未映子さんを読んでいて、その文体からの連想か、いつ以来かの再読。表題の「火垂るの墓」「アメリカひじき」ほか、短編が六つ収められていますが、いずれも腰とアクの強い文体が慣れればクセになる作品です。焼跡闇市派と呼ばれていたのは、扱う題材に由来しているのでしょうが、いま読み返すと、その文体のほうが後世に受け継がれた特質であるように思われます。一度は泣け、何度も笑える短編集です。 | ||||
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著名であるけれども未読だった本書を読めて良かった。 京阪神を舞台に、地元の語り文学の型を踏襲して、敗戦と空襲の記憶を日本国民のプライドのあり方と共に結晶化させた傑作。 京阪神の土地勘があると、なお現実感のある読書になると思います。 個人的な所感としては下記3つ。 '@日本という国が真剣にこれまでの歴史を糧にして国民を再生産していこうと考えるのなら、あらゆる面について第二次世界大戦の振り返りは不可欠なので、本書や「野火」や永井荷風の日記や「黒い雨」や、はたまた当時の国威発揚のための大本営発表の研究やミャンマーやニューギニアからの撤退の記録などを読ませた方がよいのではないでしょうか。 臭いものに蓋をしたい気持ちはよくわかるが、面白半分に命を弄んで、時には飢えたり焼け出されたりして、その中で思い出すのもはばかられるようなことを経験しながら、何とか生きながらえた(あるいは生き残れなかった)という記憶を後の世代に引き継がず、第二次世界大戦の何を国民に語り継ぐつもりなのか疑問です。 'A京阪神間は当時も非常に都会的で豊かだったんだなということを文章の端々や行間から感じました。 関東でも関西でもない田舎の出身である私には鼻につきました。 'B国土に爆弾を落とされるということがどういうことなのか、イメージが持てました。 北朝鮮から核弾頭が飛んできたら都市生活がどうなるのかを考える上で非常に有益でした。 著作の描写がかなりきついので、「(いろいろな意味での集中と意志の強さを)強いられる読書」となるでしょうが、読んでおいて損はないと思います。 現在70代から80代になろうとしている人たちのことを理解する上でも、非常に有益でしょう。 | ||||
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おれは、戦争が悲惨だなんて云わない。というか、戦争を経験してないんだから、そんなこと云えるはずもない。そして、わざわざ、戦争を追体験せしめるような物、つまり戦争について記録した小説だのエッセイだのを読んだことは一度たりともなかった。ところで、野坂昭如氏の火垂るの墓これだけは読んだ。文章が散文詩的で美しいので読むに耐え得るものだった。郷愁を誘う、威厳のある日本語に感慨を催した。物語、これは難渋性は全くなく、坦々と進行していきながら、妹の死という、残酷に、しかし感動的なほど美しい形で終局をむかえる。火垂るの墓、題名からして粋だ。イメージがポエジーとして昇華してゆく小説、火垂るの墓。何度読んでも飽きないぞ。 | ||||
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おれは、戦争が悲惨だなんて云わない。というか、戦争を経験してないんだから、そんなこと云えるはずもない。そして、わざわざ、戦争を追体験せしめるような物、つまり戦争について記録した小説だのエッセイだのを読んだことは一度たりともなかった。ところで、野坂昭如氏の火垂るの墓これだけは読んだ。文章が散文詩的で美しいので読むに耐え得るものだった。郷愁を誘う、威厳のある日本語に感慨を催した。物語、これは難渋性は全くなく、坦々と進行してゆき、妹の死という、残酷に、しかし感動的なほど美しい形で、終局をむかえる。火垂るの墓、題名からして粋だ。イメージがポエジーとして昇華してゆく小説、火垂るの墓。何度読んでも飽きないぞ。 | ||||
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「火垂るの墓」という短編は映画化され、 毎年八月になるとテレビの前の視聴者の 涙腺をゆるませていること、みなさんご承知のことと 思います。 しかし、原作者の野坂さんは映画を観て 「感動しました。素晴らしい」と、 ファンの人に言われると、 「あれは映画を作った人が偉いだけ。ぼくの手柄ではない」 とおっしゃるそうです。 どころか、書いた後、一度も読み返していない そうです。直木賞まで取ったのに!! 主人公とセツ子の実際はもっともっと悲惨で、 自分と義理の妹さんをモデルにして、 ある意味美化して描いたこの短編を、 野坂さんはあくまで認めません。 世間の声がどうだろうと!! その実際の、戦災当時の記録と懺悔を記した 「わが桎梏の碑」という本があります。 アニメに涙する前に、いや、後でいいから 目を通して欲しい一冊です!!原作ともども!! | ||||
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火垂るの墓<第58回(1967年下半期)直木賞> アメリカひじき<第58回(1967年下半期)直木賞> 焼土層 死児を育てる ラ・クンパルシータ プアボーイ の六篇に、尾崎秀樹の解説を加えた作品集である。 全篇を通して作者の「大東亜戦争の思い出」が様々なカタチで描かれているようだった。 野坂昭如の饒舌体は最初は非常にとっつきにくく感じた。 読んでいるうち慣れたのが不思議であった。 『火垂るの墓』はズバリ言ってしまうと幼女と少年が死ぬ話で、 アニメ版のような可愛げはない。そして饐えている。疥癬と下痢の連続である。 ちなみにアニメ版で有名な「なんでホタルすぐ死んでしまうん?」という台詞は出て来ない。 あれは高畑氏(もしくは別のアニメ版スタッフ?)の創作だったようだ。 本作は『アメリカひじき』とともに直木賞を受賞したそうだが、 よくこんな饐えた重苦しい作品が選ばれたものだと思う。案外、懐の深い賞なのかもしれない。 『アメリカひじき』はTVCM制作のプロダクションに勤める男:俊夫とその家族が、 アメリカ人夫妻を日本の自宅に招いたことを描いた作品である。 俊夫一家とアメリカ人夫妻との関わりがユーモラスに描かれている。作中にはたびたび俊夫の戦争の思い出が挿入される。 当時の日本人にはここまで大きなアメリカ・コンプレックスを持つ人もいた、というのが新発見であった。 『焼土層』は男が死んだ養母を訪ねる話。 養母の屍を前にして、男の幼少時の思い出が描かれる。 『死児を育てる』はとある主婦が自分の娘を殺す話である。 本作品集の中では内容的に最も面白く感じられた。 野坂氏の女性目線の語りが妙に様になっていたように思われる。 『ラ・クンパルシータ』は枚方少年院出張所に入れられた高志という少年の話、 『プアボーイ』は同少年院を出所した辰郎という少年のその後を描いた話である。 これでもか、というほど汚物が描写されるので、読むときは覚悟して当たられたし。 ユーモラスではあるが、とにかく汚い。 人間には目を背けてはならない真実というのがある。 その真実がどうにも汚らしいこともある。 その汚い真実に敢えて目を向けることも必要なのだろう。 また、映像では生々し過ぎて表現できないことから生々しさを削いで表現する、 というのも文章の真っ当な使用法であるのだろう。 私は上記二つのことを頭では理解した。 それでも汚さへの不快さは拭えなかった。 バッチいものはバッチい、という思いはどうやっても消えなかった。 たぶん私が不快に感じたということは、作者の試みが成功したことになるのだろう。 という訳で★は四つとさせて頂いた。 私個人の感情としては好きになれないけれども、存在意義は分かる、という感じ。 | ||||
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野坂の何ともに読みづらい文章を、やっと読みました。 悲しくて悲しくて、そして戦争のない60余年をもたらした 自民党の政治は、もしかすると、すっごい事だったのかなと (先の総選挙で民主党に投票しました)思っています。 | ||||
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息子が小学三年生の時、『火垂るの墓』を読みたいと言って、正直、困ったことがありました。学校でアニメ映画を見て、よく分からなかった部分があったらしいのです。しかし困ったことに、小説の『火垂るの墓』の文章は、小学三年生にはちょっと(かなり?(^_^;;)難しいものでした。 「親が説明してやれば良い。」と思うかもしれませんが、ところがどっこい。野坂昭如の小説は、ただの小説ではありません。小説というよりは散文詩。むしろ浄瑠璃に近い。でも浄瑠璃の詞章(コトバ)を分かりやすく言い換えて説明するなんて、こんな下らないことはないでしょう? 親としては是非、このような作品は、子供が小説や詩を“読む力”を十分に身につけた後で、じっくり読んでもらいたいと思います。冒頭から、主人公の少年がぼろ屑のようになって糞まみれで死に、妹の骨の入ったドロップの空き缶が投げ捨てられた草叢から沢山の蛍が湧き上がる場面までの詞章の、凄まじいまでの美しさは、どうやっても他に言い換えることは出来ません。 本作はつい、戦争の悲惨や、作者自身の生い立ちに関連づけられてしまうのですが、それだけで語るのはむしろ、本作への冒涜でしょう。闇の中から立ち現れてはたちまちに消えゆく蛍の灯りに浮かび上がるものは、戦災も作者の境遇も超越しており、命というものの根源的な儚さとやるせなさ。厳しさと孤独。そして愛おしさ。決して戦争の悲惨を伝えるだけの作品ではありません。 アニメのヒットで「あのアニメの原作」と言われることが口惜しい。いわゆる「語り物」の伝統から切り離れた現代人にはいささかの“難曲”ではありますが、その分、他に稀な芸術的な高みまで達した、日本文学史上の最高傑作の一つであると思います。 | ||||
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アニメを見る度胸がないので本を読みました。 私は戦争を知らない世代ですが、どうもTVの戦争ものは事実を美化しているような気がして原作を読んでみる気になりました。 浮浪児たちが死んでゆく現場、親戚から厄介者扱いされる様子、身内が死んだら死体の処理をどうするのか、といった現実的なことが事細かに書いてあり、そちらの方が印象に残りました。 ドロップの缶に入った妹の骨。それと蛍が飛び交う様子が目に浮かぶようで、筆者の筆力に圧倒されました。 わずか数十年で日本はよくここまで豊かになったものです。先人達の努力に思いを馳せました。 | ||||
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句読点が少なく、一文が異様に長い独特の文体で初めは読みづらかった。 小説の清太は映画と違って、単に「幼い妹を守りぬこうとしている健気な兄」ではなく、妹を時々性的対象として意識している場面が出てきました。野坂の作品によく見られる傾向だけど、やはりこの作品にも近親相姦の匂いがします。個人的には収録作品の義母と息子の純愛を描いた「プア・ボーイ」が好き。純愛とエロスは紙一重のギリギリの関係なんですね。 | ||||
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NHK TV Jブンガクの2009年6月に紹介がありました。 火垂るの墓ではなく、アメリカひじきの紹介でした。 「一時しのぎ」 は、 Anything is better than nothing. とのこと。 ちなみに、「アメリカひじき」とは、アメリカの紅茶とのこと。 | ||||
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原作を読んだときは、「アメリカひじき」のほうが印象に残りました。映像化されて「ほたるの墓」だけが有名になりましたが…野坂さんの極端に句点の少ない文は時間の流れと一致している、とおもいました。淡々と時間が過ぎるうちにこどもたちが飢え死にし、●をひじきと思って煮てみたがまずくて食べられたものではないと困り…時局に振り回される人々を間近に見るように「時間」を感じました。 | ||||
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とても悲しい小説です。 もう二度と戦争をしてはいけないと感じました。 筆者の独特の書きぶりが、映画にはない現実味を醸し出してくれます。 | ||||
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私は火垂るの墓だけしか読んでません。火垂るの墓は、作者の野坂昭如氏が実体験をもとにして書いた作品です。実際、妹には清太のように優しく接しなかったそうです。 私は映画を先に見ていたので、映像を思い出しながら読みました。 戦争がもたらす悲劇とは?現在も世界のどこかでは人々が争い同じような悲劇が絶えません。国内では、戦争経験者がだんだんと減ってきています。二度と同じ過ちを繰り返さないために、本書を語り継いでいく必要があるのではないでしょうか。 短い小説なのですぐに読めます。 | ||||
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アニメを観て表題作を二度読んだd。これから何度も読むことだろう。ばかげた戦争がなければ死ぬこともなかった節ちゃん。一家そろって生きていればどんなに幸せを享受できたことだろう。読めば野坂氏独特の文体、私は京都弁で育ちましたが神戸弁との微妙な違いがよくわかる。ああ、しかし近代日本において何故4歳で栄養失調死しなければならないのか? 日本は第3世界だったか? もう二度と起こすまいばかげた戦争。大人が起こす戦争で犠牲になるのはいつの時代も若者子ども。虎は死して皮を残す。野坂氏はこの一作で小説家として後世にに残る。節ちゃん、天国で白いごはんをお腹いっぱい食べてください。 | ||||
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作品を手にするとき本から入ることが多いのですが、「火垂るの墓」にかんしては逆でした。以前何度かアニメーションで見たことがあるこの作品の文庫本をある人にすすめられ読み始めました。 映像から先に入ってしまうと、自分の(ある意味)無限にある想像の世界に蓋をされてしまう気がすることが多いのですが、この作品に関してはあまり違和感はありませんでした。映像としての作品にはその良さがあり、本にもそれ独自の良さがあったように感じます。文字を目で追うだけではなく思わず朗読してしまうような。そして、声に出して読んでみると更に引き込まれ、息苦しさ、重たい空気、ほっとする瞬間、笑顔から涙、それらを自然と感じられたように思います。 | ||||
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