好色の魂
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本書は2007年に、「野坂昭如ルネサンス」全7巻のうちの1巻目として岩波現代文庫より刊行された。 戦前に幾度も摘発され終戦翌年にチフスで命を落とした伝説のエロ出版人・梅原北明(作中では貝原北辰)をモデルとした一代記である。 作品の刊行は68年、「四畳半襖の下張」が摘発され発禁となったのは72年のためそれより前となるが、 梅原と自身を重ね合わせていることは間違いないだろう。 とすれば、国家権力の理不尽さと闘う表現の自由の闘士の物語を想像される方もいるかもしれないが、 どうもこの作品はそういう感じではない。そこが最もこの小説の面白いところだと思う。 貝原はエロを取り締まる権力に対し、建前的な「表現の自由」を声高に訴えて正面から立ち向かったりはしない。 伏字・暗号・照合表など抜け道的な、特高とのゲームともいえるようなやり方で出版を続けていくのだ。 野坂は、規制をやり過ごしながら、あるいは適当に付き合ってかわす貝原を淡々と描く。 同時に、野坂は貝原の惨めな病死を並行して描いている。そこには栄光の熱が見いだせず、作品に虚無的な風が吹いている。 一般的にはアナキズムよりの左翼と見られながら保守系の自由連合からの出馬など野坂のスタンスは錯綜していて私にはよくわからなく、 「何らかの価値に関与してはすぐさま逃亡するという往復運動を繰り返している」(西部邁)と評価?されたりしているそうだが、 本書は野坂昭如という人物を理解する重要な作品であることは間違いないと思う。 独特な文体のため、慣れるまでは読みにくい。 | ||||
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最初の数行で、その疾走感に引きこまれる。 ぐいぐいと人いきれのなかに連れ込まれ、 いささか品の悪い人間臭さの満ちた世界に 立ち会っている自分を面白いと思う。 「四三の手札」「密戯指南」 「肌あかり」 「無手勝流」 という四つの章で構成されているのだが、 その中で「肌あかり」だけが、 一編の小説の中で特異な輝きを放っている。 もちろん、全篇を通じて 「強烈な生と鮮烈な死」とでもいうようなものを感じる。 ただそれが、なんというのだろうか、 ほかの三章では、生活や暮らしというものが、 「生死」のうえに垢のように重なっていくのに対して、 「肌あかり」では「生死」だけが剥きだしで立ちあがってくるのだ。 襖の隙間から主人公が覗き見る老人と生娘の二人の肌から 燐光と呼びたいような青白い光が立ち上ってくるのを感じる。 そういう幻想的な凄味、エログロナンセンスと言いながら、 鳥肌の立つような美しさで描くエロティシズム。 冒頭からぐいぐい引き込まれる疾走感や、 登場人物のしたたかな逞しさにも 野坂昭如の魅力を感じるけれど、 なんといっても「肌あかり」の章に見る 肉体を離れ昇っていく青白い魂の炎…に 野坂昭如の凄味を感じ、 本を読んだ後…の嬉しさを味わった。 | ||||
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この稀代なスタイリストの作品の中でベストを選ぶとするなら、本作となる。 実在した<梅原北明>という仕事師の生涯を、愛情を込めて描破してみせる。梅原は自分自身だ、と言わんばかりの気迫が圧倒的である。 例によってのハイスピードの文体も心地良い。ちょうど成熟期に入った時期だったので、余裕さえ感じる。自分の完成させた世界で気持ち良く泳ぎまわっているかのよう。 | ||||
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