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クォンタム・ファミリーズ
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クォンタム・ファミリーズの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.71pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全31件 21~31 2/2ページ
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ディックと、もう一人グレッグ・イーガンを思わせる作風。 それらを超える出来ではないが。 この二人の先達への入門編として若い人に読んで欲しいような。 イーガンは「ひとりっ子」がおすすめ。 | ||||
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これは年の離れた姉から、ひょいと気まぐれに贈られた作品のひとつです。 僕は小説を読む際はいつも特定の登場人物に感情移入し、進んでいくという方法なのですが、実に根気と忍耐の必要な作品でした。 メモ等を取りながら読み進めることをオススメします。 結論から申しますと、素晴らしい作品です。 複雑ですがいくつかの主題をつかむことができればその完成度の高さに驚かされます。 この分量で、これだけの内容を納めることが可能だったことにも脱帽です。 僕は読み物として純粋に楽しむことが(時に混乱もありましたが)できました。 | ||||
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人間性原理。宇宙がこのように人間の誕生に都合よく出来ているのは、人間がいるからである。人間が観測できるものだけが存在する。人間が存在しなければ、この宇宙はない。別な宇宙があるかも知れない。 量子コンピュータの持つ特性から、理論上無限の結果が生まれうる。これがネットワークによりある臨界点を超え、様々な並行世界が誕生、したのかもしれない。主人公はある日、その並行世界の向こう側から、生まれなかったはずの娘からのメールを受信する。その名も風子!風子は30年の時空を超えてメールを送信してきた。どうも向こうの世界に穴が開いたらしい。T大学の准教授である主人公の教え子には渚! ある世界では、渚の子供の名前が汐子! CLANNAD臭漂う命名の登場人物達。 複数の世界があり、タイムパラドクスが絡む展開は、東氏が入れ込んだ舞城王太郎の九十九十九 (講談社ノベルス)の影響か。 新自由主義が極限まで追求されてGPSチップを埋め込まれた人間がいる世界は、東氏のポストモダン論で出てくる環境情報世界の究極系か。 物語1というプロローグ、物語2というエピローグが同一世界でありながら、途中の話の展開で微妙なズレを生んでいる。これは量子が観測された事による状態の変化・確定なのか。そんな思いに耽溺しながらあずまんテイストを楽しめる人には楽しめる。 | ||||
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あたりまえのことかもしれないですけど、小説は小説としての形式をとることが最善の「何」かを伝えるために書かれるものであり、批評も同様であると思います。 批評家であるか筆者が、あえて小説としての形式を取って「何」を伝えたかったのか私にはわかりませんでした。内容は、量子力学を初めとする物理学、SF、哲学についての知識を前提に書かれており、また筋書きも複雑に錯綜しているため読みにくいかもしれませんが、それは本質的な問題ではないでしょう。用語も少し調べればわかるようなもので、またわからなくても、前後関係から理解できると思います。 文体的には村上春樹とフィリップ・K・ディックを足して二で割ったような感じです。面白くはあったのですが、それは「物語」としての面白さであり、そのようなものは筆者が目指すものではないと思うし、あの「東浩紀」が書くべきほどのものではないと思います 私は何か勘違いしているのでしょうか? | ||||
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2007年、作家で大学教員でもある葦船往人(あしふねゆきと)はある日、見知らぬ人物からの電子メールを受け取る。それは2035年の世界に暮らす彼の娘・風子(ふうこ)からのものだというのだが、彼にはそもそも娘はいない。このメールをきかっけに、本来この世界では存在しなかった並行世界に生きる家族が、時空の垣根を越えて交錯していく…。 朝日と産経の新聞書評に取り上げられているという事実だけで手にしたのですが、作者の東浩紀の名前も、彼が日本の現代思想界を牽引してきたスター的人物であることも全く知らぬまま読み始めたため、本書に登場する難解な専門タームの連なりに最初のうちは面喰いました。 しかしそうしたタームにある程度の割り切りと見切りを決め込んだ上で腹を据えて読み進めると、これは中途で投げ出すどころか巻を措くことが難しいSF小説であると感じました。 生まれてこなかったはずの子どもをまじえた家族関係が存在しうる世界にある日突然放り込まれるという展開は、P.K.ディックの短編『地図にない町』の結末を連想させますが、本書はそのディックの短編の結末から始める小説のようにも見えます。 事実、本書はディックの『ヴァリス』などのアリュージョンや、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』への言及がそこかしこに現れます。そうした幻想的並行世界に幻惑される悦楽を好む読者には、とても魅力的な物語といえるでしょう。 しかしそんな仕掛けを礎としたこの小説が描くのは、「量子的に拡散してしまった家族を再縫合する」物語です。 そしてやがて見えてくるのは、その家族とともに「偽物だけれど唯一の、まちがいだらけだけどやりなおしの出来ない人生を歩む」ことの尊さ。 その結末に強くうなづく読者は決して私だけではないと思うのです。 | ||||
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著者と同じ年に生まれた者として、十数年前の著者の批評家としてのデビューには ちょっとした興奮をおぼえました。 本作は著者初の単独小説ということで、期待半分、「つまらなかったらどうしよう」 という思い半分でページをめくりました。 そして、「われらの時代」の小説が誕生した、という強い印象を受けました。 量子力学とネット社会をたくみに結びつけた設定は知的興奮を誘いますが、 それはさておき、私がぐっと来たのは、小説全体を通じて主人公にまつわる寂寥感でした。 本作のプロット自体に真新しいものはないのかも知れません。 『1Q84』がそうであったようなパラレル・ワールドものだといえます。 しかし、プロットの源に本物の孤独が置かれたことで、他に換えがたいものになっていると思いました。 愛する家族がいて、仕事があって、自分の思想を支持するフォロワーたちもいる。 にもかかわらず埋められない主人公の孤独が、文章からじわじわにじみ出る様子に、 うなずき、泣きました。 この孤独の質が世代特有のものなのかどうか分かりません。しかし少なくとも私にとってこの小説が、 それが参照するP.K.ディックやグレッグ・イーガンよりも、そして何度も言及される村上春樹よりも 忘れがたい、近しいものになったのは、その何ともいえない、絶対的な孤独のトーンにおいてでした。 | ||||
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批評家・東浩紀の処女小説ということだけで興味を持ち、買おうとしたところ、近所の某大手古書店において半額強の値段で出ていたので(出版後わずか1ヶ月とは!)、複雑な思いで買ってみた。 小説の体裁はSF小説なので、筒井康隆風を期待したのだが、意に反してP・K・ディック的な構成であった。 ネタバレ厳禁なので、中々説明がしづらいのだが、至るところに「哲学・科学用語」が出てくる。例えば「人間原理」というように、意味を知らない人は間違いなくここで止まってしまうだろう。 全体として、そういう専門的なターム(用語)がいきなりポンポンっと出てくるので、私自身もそのたびに読書の流れを中断させられてしまった。 こういう手法は、東浩紀の読者層を考えれば、それほど唐突なことではないかもしれないが、いかんせん小説に集中出来ないし、作為的過ぎて興ざめしてしまう。 そして、ストーリー上におけるそれぞれのシーンも継ぎ接ぎ状態なので、尚更のこと全体としての完成度が低く感じられる。 本作における狙いは悪くないと思う。東浩紀の「何か新しい事をやってやろう」という気概が感じられるからだ。 しかし、実際問題としては、「小説作品」として成功してはいないと思う。 今まで批評するだけの側から、批評される側への挑戦は、勇気のある行為だと思うし大いに結構であるが、公平に感想を言うと中途半端のように思う。 こういう思い切った処女小説を書くのだから、次作にこそ大いに期待したいと思うのは、私だけではあるまい・・・。 | ||||
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批評家東浩紀氏初の小説。 内容は複雑で、緻密な計算、複線があり一読しただけではわからないけれど、 物語として非常に面白く読めた。 また、批評家としての側面がいくつかの並行世界の描写や設定に表現されており、 道州制、表象、村上春樹論、情報処理、集合知、世界経済などのキーワードが随所にでてくる。 ただ素晴らしいのは、それを登場人物に語らせすぎない点だ。 批評家としての部分を抑え、小説として破綻しないバランスがいい。 そしてこの本は、批評されること、そのコミュニティの中には著者も含めて、 広がりを見せることで価値を持つ本であろう。 | ||||
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装丁の美しさで手にとり、冒頭のエピソードに引き込まれて購入しました。 中盤までは心踊るSFでとても楽しかったのですが、途中からだんだん複雑な展開に頭がついてゆかなくなり、最後などは字を追うだけでほとんど理解できなかった気がします。 教養のある方や明晰な方が読むと非常に楽しい小説なのかもしれないな、メモをとりながら読めば少しは楽しめるかな、という予感はするものの、やはり一般の読者には敷居が高いと思います。 | ||||
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この本をネタバレ抜きで、何の前提知識も持たずに読める人がいたら、その人はとてつもなく幸運だと思う。 「東浩紀読者」の一人として、東浩紀をこれまで読み続けてきた立場からすると、この本は著者の98年のデリダ論文「存在論的、郵便的」のモチーフを、2000年代のウェブ想像力を交えた上で物語化した本という位置づけになるだろう。「届くかもしれなかったけれど届かなかった手紙」というデリダの思想について、これほどまでに見事に物語化した東浩紀はやはり凄まじい知性の持ち主だと驚嘆する。 が、そんな東浩紀の変遷や略歴を全く知らず、いきなり書店で偶然この本を手にとって読む人こそが、一番の衝撃を受けるのではないだろうか。小説が好きな人、村上春樹が好きな人、ゲームが好きな人、ネットが好きな人、人生つまらんと思って生きてる人etc. とにかく、「東浩紀」という固有名を全く知らない人が、「誤配」によってこの本に到達することを願って止みません。(もしも可能であれば、東浩紀について何も知らない状態でこの本を読みたかった…) | ||||
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非常に設定が複雑で、率直な第一印象は「もう何が何だかわからんwww」みたいな感じ。互いに時間差のある平行世界の中、あの人の人格がこの人でその人の何年後の姿があの人で…みたいな。 でも、つまらなかったのかと言えば決してそんなことはない。複雑怪奇な設定も何故かとてもリアルに感じられるし、何より無駄なストーリーがない。収束しないストーリー、偶有的なストーリーも含め『クォンタム・ファミリーズ』の中では全てが必然性を持つように思える。 今まで特にデリダやらの現代思想には馴染みがなかった自分のような読者がこの小説を手に取ったこと自体が、この小説の“貫世界通信”的なものなのかもしれない。だとすれば、現代思想ファンでもなく、SF好きでもなく、この本を見て「わたしは読まなそうな本だな…」と思う人こそ、この小説を特権的に味わう資格があるのかもしれない。 | ||||
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