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天平の甍
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【この小説が収録されている参考書籍】
天平の甍の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.45pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全83件 61~80 4/5ページ
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歴史資料を綿密に調べた上で、奈良時代の遣唐使を描いており、本当に頭が下がります。古代の四等官(守・介・掾・目)や官寺の制度など、読む側にも歴史知識があると楽しめます。登場人物も多くが実在の人ですが、一般に知られているのは鑑真と玄ボウ、せいぜい阿倍仲麻呂くらいでしょう。資料の少ない個々の人物にキャラクターを与えて、日本に戒律を伝えるために奮闘する話を創出しています。あの当時、海を越える決心をしたり、中国の役人との交渉をしたりするのは大変だっただろうと色々と想像が膨らみます。いかに当時の日本が中国から最新の知識を得ようとしていたか、その情熱は明治維新の比ではないように見えます。 基本的には歴史的事件をなぞっており、そこに日本人留学僧同士の交流など、想像部分を挿入している感じです。話の多くは鑑真招来に関する業務に割かれており、個々の僧侶の個人生活などはほとんど描かれていません。留学僧から脱落し還俗する人や、写経に没頭する僧への視線など、個人の苦悩が描写されている部分もありますが、あえて多くを語らず抑制している印象です。彼らが語学を覚えるまでどの程度苦労したか、普段何を食べていたのか、衣服はどうしていたのか、冬の寒さをどのようにしのいでいたのか、孤独や性の問題で悩んだりしなかったのか、学問に嫌気がさすことはなかったのか。こうした生活感や悩みの描写はほとんどありません。登場人物は基本的にまじめな人ばかりで、過剰な想像の筆は抑えたのだと思われます。 鑑真のキャラクターもかなり押さえ気味です。無口ではあるが、強い意志の人という感じでしょうか。個人的には全体にやや坦々としすぎているかな、と思いました。 | ||||
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鑑真と彼を日本に招いた遣唐使を題材にした歴史小説である。 日本からの留学僧が唐でどのように勉学に励みながら過ごしていたのか、また当時の唐の歴史背景、そして困難に立ち向かいながら日本へ向かおうとする鑑真の人間性など非常に勉強になる一冊であった。経典の名称や仏教用語などやや難解であるが、そこは苦しくない程度に飛ばしながら読んでいくといいだろう。 鑑真がなぜ法と危険を侵してまで日本へ行くことをこだわったのか。それは私利私欲で考えるのではなく、仏教の大切な教えと僧侶のあり方をきちんとしたかたちで広まってほしいという考えからきたといえる。本人には社会的使命という考えはなかったと思うが、仏教の教えを崇高に敬い、愛や信念を強く持っていたがゆえの決意だと思う。 また遣唐使として唐に渡った留学僧の勉学の励みには心打たれるものがある。せっかく身に着けた学問が、帰りの航海で難破し海の藻屑と化してしまう恐れが十分にあったのにもかかわらず。 経典を必死に写経して日本に持ち帰ろうとする姿は現代のインターネットで簡単に情報が取れてしまう現代人にとってその苦労の程度を理解するのは難しいだろう。しかし彼らのこうした苦労の積み重ねが、我々現代人の生活につながっているという歴史の連続性を大事に意識していくことが大切だと思う。。 個人的には歴史教育の教材にもなると思う。「ああ昔は大変だったんだね」という認識を持つことは大いに結構だが、そこから発展させて、歴史の連続性を創意工夫し子どもたちに伝えていくことが大事だと思う。「水を飲むときは井戸を掘った人のことを考えろ」 単なる歴史と捉えるでは勿体ない。 | ||||
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思いっきり感情移入できるキャラクターがいるわけでもないし、結構盛り上がるはずの「船出」などのシーンも、うっかりすると読み過ごしてしまうような淡々とした筆致で描かれていますので、最初はとっつきにくかったです。しかし、解説を読んで理解が増しました。私は奈良時代だけでなく、古代の人々や情報の行き交い、というものに魅かれるので、写経の話、教典持ち帰りの話、すべて興味深く読みました。 新潮社の文庫版で約200ページで400円、手頃ですしおすすめです。 | ||||
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井上先生の作品の中では「額田女王」とならんで好きな作品。天平時代の息吹をよく伝えてくれる。あの時代の遣唐使がどれだけ命がけの航海をしていたか。今のように目的地に着くのではなく、運良くどこかに流れ着くのを期待する、といっていいような航海。その第九次遣唐使の派遣のいきさつから物語は始まる。遣唐使を留学僧を通して仏教という側面から描き出した名作。 | ||||
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この本は、命がけで唐に留学した学生と、やっぱり命がけで日本に来てくださった唐のお坊様の物語です。小説なので脚色はあるとしても、この人たちが危険を冒して海を渡ったのは、歴史上本当にあった出来事です。 海を渡って何かを学ぶ/伝えるということが、当時の人にとってどれほどの覚悟がいることか、私は全く知りませんでした。 この本で、留学生の普照と栄叡が唐に渡ったとき「4隻の船で日本を出発し、無事に唐に到着したのが2隻」だったそうなので、日本から唐へ無事到着した割合は50%と言えます。復路にも同等の危険があるのなら、日本から唐へ留学して無事に帰国できる確率って往路50%×復路50%=往復25%ですよね。 この数字なら、留学に躊躇しますし、行ったら行ったで唐で何を学ぶのか、無事日本へ帰国できるのか、それは真剣に悩むことでしょう。 唐で認められていた高名なお坊様が、片道50%の危険を判って日本に行くと即決してくれて、しかも何度も失敗しても心変わりしないなんて、凄い方ですよね。 私はこの本の登場人物に遠く及ばない凡人ですが、皆が必死に悩み考え、諦めない様子を見て、背筋を正される思いがしました。 物語としても面白いし、本当にあった出来事だと知るとなお感動します。オススメです。 | ||||
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何度も読み返したくなる作品である。自分に課せられた役目のために、これ程の難関を超えて目的を果たそうとする遣唐使たち。作中のどの遣唐使たちも魅力があり心を奪われてしまう。特に業行の一字も間違いなく写し尽くした経典への執念。それらの大切さ、貴重さを理解し尊重する普照。多くの方に読んで頂きたい。 | ||||
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8世紀の鑑真来訪という史実を基にした壮大な規模の歴史ロマンだ。鑑真来訪という史実は誰もが知っているが、その背景のドラマを作家としての想像力を駆使して書き上げられたのが本書である。読む前は地味な小説かと思ったが、そもそも物語の舞台が8世紀という大昔であり、しかも物語のスケールも日中両国間に及び、極めて壮大である。200ページの短い小説ではあるが、読後は壮大な物語を読み終えたように感じられる。文句無しの傑作だ。 物語自体は実際派手ではなく、むしろ地味である。とは言え、物語のテンポがいいのでさくさく読み進むことができる。また、物語の大筋は基本的には史実に基づいており、鑑真の訪日が何度も失敗に終わっていたといったことを本書で初めて知り、驚いた。強いて難点を挙げるとすれば、主要登場人物の性格付けか。阿倍仲麻呂はとことん無機的な人間として描かれているが、これはどうなのか。何か根拠があるのか。あるいは、彼の性格付け次第ではさらに本書の質が上がったのではないか。また、鑑真の性格付けもやや単純に過ぎた気もする。さらに言えば、鑑真訪日後の記述があまりにも少なすぎるのは寂しいものである。とまれ、手軽に読める歴史小説であり、おすすめしたい。 | ||||
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唐招提寺と僧鑑真(文中は鑒真と表記されています)。日本史の中でその名を記憶されていることでしょう。 鑑真は、日本に来る決意をしてから実に20年もの間、行く手を阻まれます。 今なら数時間で行ける場所ですが、奈良時代、日本と中国は其れほどまでに遠い場所でした。 日本から、決死の覚悟で次々と遣唐使として才能を認められた若者が送られてきます。 そして彼らが、日本に中国文明と仏教を伝えてゆきます。 この物語は、そういった時代に、戒師(出家を望むものに戒を授ける僧で当然、それなりの名僧)を日本に連れてくることを目的として中国にわたった遣唐使達を描いています。 鑑真は、中国全土で尊敬される名僧です。 何度も日本への航海が失敗し、遂には失明してしまい、従者のほうが諦めていたにも関わらず、遂に鑑真は日本にやってきます。 その時、一緒に戻ってきた遣唐使は、たった一人でした。 著者は、鑑真の心のうちを客観的な行動や振る舞いでもって描写しています。 その姿は余りに尊く神々しく感じられます。 今は経済活動に結ばれている日中関係ですが、両国の血が通った絆を両国とも思い起こして欲しいと願うばかりです。 | ||||
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私たちは「命を大切にしろ」って、教わる。 でも、「命を大切に使え」とは言われない。 昔と違って、交通手段が発達してるし、 知りたいことはネットですぐ調べられるようになった。 「天平の甍」に描かれた時代では違う。 何をするにも命がけでデンジャラス。 途方もない年月努力しても、一瞬で失われる不条理が横行してる。 もしかしたら「その時代の人はお気の毒」って思う人もいるかもしれない。 でも、命を懸けなきゃ何かを得られない分、 極めて精密に自分が求めていることに焦点を合わせられる。 (ある意味、道を究めるにはいい時代だったのかも?) 現代人とは、貪欲の度合いもちがう。 命を粗末にしようとは思わない。 でも、自分の信じていることにどれくらい真剣になれるか。 本当に覚悟はあるか。 …高校時代、この本を読んで心に叩きつけられたのはその問いだった気がする。 自分のやりたいことが揺らぎやすい現代、 自分を叱咤する意味も込めて、ずっと読み返したい本の一冊です。 | ||||
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ずいぶん昔からいつかは読みたいと思っていた小説です。我が国から初めて遣唐使が遣わされたのは630年のこと。最終は894年に第20次の使節が遣わされている。第20次と書いたが遣唐使の数え方には12回説、14回説、15回説、16回説、18回説、20回説と諸説がある。これは中止となった遣唐使や、送唐客使(唐からの使いを送り返すための遣唐使)などを回数に数えるかどうかで変わってくるかららしい。20回説は一番広範に回数を捉えた数え方ということになる。そして本書『天平の甍』に描かれた遣唐使は733年(天平5年)の多治比広成を大使・中臣名代を副使とする第10次遣唐使である。本書ではこの船で唐に渡った4人の留学僧、普照、栄叡、戒融、玄朗を主要な登場人物として、そのうちの普照が唯一人20年近く後に高僧鑒真を伴って帰国するまでを描いている。この4人の留学僧は後世にさほどの名を残すことの無かった謂わば無名の僧ではあるが、それぞれの考え方によってその後どのような生き方をたどったかがずいぶん違う。ひたすら勉学にいそしむ者、還俗して唐の女と結婚し子をもうける者、出奔して托鉢僧となり各地をさまよう者、それぞれの人生模様がある。またその他に以前の遣唐使として入唐し科挙に合格し唐朝の官吏となった阿倍仲麻呂や入唐後30年あまりをひたすら写経に費やした業行の生き方も描かれている。生き方はそれぞれ興味深く深く考えさせられるところもあるので小説としてもっと劇的に描くことも可能だったはずだが、井上氏はあえて恬淡とした筆致で描いている。そこに井上氏のどのような意図があるのかは計り知れないが、そのような描き方をすることでそれぞれの留学僧の生き方について読者自身が自らの視点で思いを馳せることが出来るのではないかと思う。 遣唐使船は1隻に120人〜150人ほど乗船したそうである。多いときは600人ほどで編成されたようだ。当時の航海技術からして無事に唐へ着ける保証など何もなく、ましてふたたび日本の地を踏めるかどうかを考えたとき極めて危ういと言わざるを得ない。しかしそれでも20回にわたり遣唐使は編成されたのであり、遣唐使船に乗船し唐を目指したそれぞれの人について数奇な運命の巡り合わせがあったはずである。阿倍仲麻呂のように帰国を願いながらもかなわず唐で生涯を終えた者もいれば、入唐すら果たせず海の藻屑と消えた者もいる。そのような中で運にも才能にも恵まれ後世に名を残した山上憶良、吉備真備、最澄、空海などもいる。歴史とは「才能の屍の積み重ね」なのだと改めて想う。 | ||||
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平安時代、文化的に先を行っていた唐を訪問する遣唐使と共に、若い留学僧もまた仏教を学びに随行していった。 物語は、仏教の戒律を日本に伝えた唐でも高名な鑑真(がんじん)を招来することになった第九回の遣唐使で中国に渡った2人の留学僧、普照(ふしょう)と栄叡(ようえい)を中心に進んでいく。 彼ら二人と一緒に唐に渡った留学僧の戒融(かいゆう)や、玄朗(げんろう)。 過去に唐に渡っていた日本僧、業行(ぎょうこう)なども登場する。 やはり当時の航海技術では、日本と中国の間でも、航海はいちかばちかのところがあった。 4隻の船で出帆しても、中国へたどり着くのは一隻だけだったり、あるいは一隻もたどりつけなかったり。 留学僧が何年もかけて学んだことや、集めたものが、それこそ命がけの航海で自分の生命と共に海の藻屑となってしまうのが、なんともせつない。 想像するだけでなんとも不安な気持ちになってくる。 急に、自分の人生で何か世の中に爪跡を残せてるんだろうかという気持にもなってくる。 何度も渡日を果たそうとして努力する普照や栄叡や鑑真とその弟子たちもすさまじいが、何十年も背中を丸め写本を続けた業行の姿がやけに印象に残った。 | ||||
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鑒真和上(普通に漢字変換すると「鑑真」の字になってしまうが)の来日については、歴史の教科書に載っていたことをうろ覚えしていた程度だったのだが、奈良・唐時代の政治的状況、渡航の困難さ等が迫真のタッチで描かれていて、驚かされもし、感動もさせられた。 鑒真自身の立場からではなく、遣唐使に随行し、最終的に和上に付き添って帰郷する日本の僧侶普照の視点から描かれているところが、この小説の狙い目だろう。普照だけでなく、彼と共に唐に渡り、鑒真和上招来に最も尽力した栄叡の途中での病死、ひたすら写経に打ち込む業行など、日本人から見られた話であり、そうであるからこそのテーマ性だ。 玄宗皇帝と楊貴妃、東大寺大仏の開眼など、そうか、それも同時代だったのかという興味もあった。 ところで、最後に出てくるタイトルの「甍」の送り主が誰なのかは謎のまま残されるが、ちょっと気になるところではある。 | ||||
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1 飛鳥の地から平城京(奈良市)へ、710年に、遷都されました。 2 次は、鑑真(688年 江蘇省 生)と 妙楽(711年 江蘇省 生)との関係 について、勉強してみたい(報恩抄)。雪山。 「依法不依人」 憲法。 白毫相、灯台? ファロス、フィロン。 | ||||
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文学史に残る傑作。解説にもあるが、海難さえなければ空海以前に密教体系が日本にもたらされたかもしれないという設定は、渋い。司馬の『空海の風景』を読んでいるとなおいい。 | ||||
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中学を卒業し 高校に入学する前の春休みに本書を読んだ。当時とにかく気に入って一時は全部 筆写しようかとさえ思ったことを覚えている。 今となってみると なんでそんなに耽読したのか不思議だ。 おそらく これから高校という新しい環境に入っていく自分が 遣唐使として中国に向かった主人公たちと どこか自分の中で重なるものがあったからではないかと思う。今から考えてみると 高校は そんなに緊張して入学するところでもなかったわけだが 12歳程度の子供にとっては そんな風に緊張していたのかもしれない。 希望を持って中国へ渡った若者たちは それぞれの目標を達成し それぞれの挫折を味わっていく。 鑑真という人がわざわざ日本という 異国にして蛮国に来て そうして没していく。 そうした描写には どこか無常感も漂う。 高校前の幾分ナーバスな僕にとって そんな無常感が 心地よかったのかもしれない。 | ||||
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情報がネットワークを通じて自在に行き来する現代からは想像も出来ないことだが、1300年の遥かなる昔に生きた人びとにとって、何かを学び、或いは伝えることは、人生の全てを費やし、命がけで成し遂げる価値のある、文字通り“一代の事業”だったのだ。 東の果ての島国に仏法を伝えるため、不帰の覚悟で海を渡った「鑑真」。 そして、鑑真招来のための命を賭けた「栄叡」。 人生の全てを日本に送るための経典の書写に捧げた「業行」。 そんな彼らの意思を、運命のように受け継がざるを得なかった(主人公)「普照」。 彼らの姿を、簡潔に、されど情感豊かな描き出す作者の文章は、相変わらず見事の一言。浅田次郎氏が「歴史に敬意を払いつつ、見てきたような大嘘をつく」というように評していたが、言いえて妙である。そんな文豪の筆致を存分に味わえる傑作である。 | ||||
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天平五年(西暦733年)の第九次遣唐使で唐にわたった僧、栄叡、普照その他の僧侶たち。在唐二十年、幾多の失敗を経て、唐の高僧鑑真を招聘して故国の土を踏んだのはただひとり普照のみだった……。 高僧とはいえ、坊さんが一人日本に渡ってきたことがなぜそれほどに大事件なのか? 仏教というものの当時における存在感、国策として国を挙げて僧侶をわざわざ大陸まで送っていたことの背景、中国側がなぜ鑑真を送り出すことに難色を示していたのか? そういうことに対する理解を基礎知識として持った上で読め、ということなのかもしれませんが、そうした背景に対する説明を抜きにして物語が構築されていることに物足りなさを感じました。主人公の栄叡、普照を突き動かしているものの正体に手が届かない感じがします。 もちろん、細かな心理描写、当時の海を渡る苦労、栄叡、普照の真摯さ、鑑真の人柄、そうしたものは、井上靖の小説ならではの、その場にいて、実際に見ているかのように感じられる写実性の高さです。 | ||||
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20年以上読もう読もうと思って何度も挫折し遂に読み終えた記念にレビューします。挫折ってことはあんまり面白くないのかというと、井上さんの他作品よりも難解で、日本を出発するまでがノレなかったけど、その後は問題無かったです。(注釈が付いてる本って何度も読まないと飲み込めない時があってこの話もそう) でも内容はとても興味深い話で、人生を賭けて唐に渡り運命に翻弄され、流転の末に高僧鑑真を日本に招いた留学僧のお話です。何としても鑑真を日本へ、と使命に燃える普照。幾度も死線を超え、それでも彼を動かすものは何なのか。そして高僧鑑真の不屈の精神にも感動します。すでに高い地位にあり高齢な彼が、海に沈む危険をおかして日本へ来てくれた事、遠い昔話とはいえ感慨深いものを感じます。 | ||||
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鑑真を連れて帰るまでの道のり 遣唐使で留学僧4人の育ち 中国の悠久さはどこへ行ってしまったのだろう。 今の中国の状況を見ていると悲しくなってくる | ||||
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天平時代、中国から系統化されている仏教を導入するため、 遣唐使とともに中国入りした優秀な僧達の人生を描いたストーリー。 多くの日本の優秀な僧達は、文化の中心・唐で、それぞれ手探りで、 仏教伝道の方法を探り、ある者は労せず成功して社会的にも 保証され、またある者は積年の辛酸を水泡に帰している。 そこには仏教伝来の歴史の流れのなかで、それぞれに「小石」 としてその役割を果たしている様子がわかる。 そこには人間の人生で行なえる事業のちっぽけさなどを感じると 共に、それを蟻のように絶え間なく営々と積み上げてしまう 人間の偉大さもうかがえる。 | ||||
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