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天平の甍
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【この小説が収録されている参考書籍】
天平の甍の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.45pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全83件 41~60 3/5ページ
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日本僧達が、高僧鑑真を日本に導くための道のりを描いた作品。筆者のロマンチックで正確な筆致に驚くばかり、あれよあれよとページをたぐってしまった。2冊目だが、枕元とバッグに持つには素敵な広大な物語だ。 | ||||
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読み始めた時は表現が難しそうで不安でしたが、だんだんと慣れてきますので、また、そんなに長くない物語ですので頑張ってぜひ読んでいただきたいと思います。読む価値がある物語だと思います。 | ||||
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随分前に井上靖著の「敦煌」を読んだことありますが、 この作品も同様に話の規模が大きく、読後は一気に老けた感を味わえます。 分からない言葉が多く、巻末の注解だけでも20ページあり、読み始めの数ページで 挫折しそうになりそうですが、読み進めているうちに意外と物語は現代の会話で 構成されているので、一気に読むことが出来ました。 遣唐使や鑑真和上など、社会の教科書で登場するが、掘り下げた内容まで 学校ではほぼ素通りで教えて貰えません。 また遣唐使は何回かに分けて派遣されたとしか習いませんでしたが、 これがこんなに命懸けだったとは、この小説を読むまで知りませんでした。 本作は日本から唐に渡った僧である普照、栄叡が、名僧・鑑真和上を渡日させて、 日本で律宗(戒律)の思想を広めようとするミッション(使命)の物語です。 渡日には暴風雨や乗船拒否等で5度の失敗があり、その間志半ば栄叡が病死したり、 鑑真和上の失明がありますが、普照と鑑真和上自身、最後まで諦めず、6度目で渡日に成功します。 上記以外でも様々なキャラクターが登場します。 特に業行と言う人物が非常に興味深かったです。 日本に唐文化を持ち帰り、膨大な写経を行ったが、結局その多くの経典と共に 海の藻屑となり、渡日に果たせなかったこと。。。 巻末の解説での文章が、この小説の全てを物語っています。 「蟻のような人間の営みも歴史の盲目的意思の前に、他愛なく呑み込まれてしまうという 感慨がおそらくそこにあった。人間の行為の意義、無意義を分かつものは、人間の意思を 超えている。人間の歴史も、結局人間行為の無数の捨て石の上に築かれている。みすみす 無駄かも知れない、と知りながらも為さないといられないのが、人間の真実だろうと。」 とても感動しました。 数年後、再度読み返したいと思っています。 | ||||
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何度も大変な旅をしてすごい執念。 ほかの作品も読んでみようと思います。 | ||||
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本作品には多くの賛辞が寄せられている。伝戒の師となる人物を、何としてでも日本に招聘したいという若い留学僧たちの熱情、「法のためである。生命を惜しむべきではあるまい、私が行こう。」と決断する老僧鑑真。入唐した留学生が辿るそれぞれの人生模様。航途、荒波に沈む写経の数々。そして日本への漂着、、が抑制された筆致で叙事的に描かれ、私も感動した。 周知のように井上作品は、奈良時代の高名な文人淡海三船(法名元開)の筆になる「唐大和上東征伝」がベースとなっている。 淡海は、鑑真に随って一緒に日本に来た唐僧思託の要請により「東征伝」著述した。思託には自らが書いた鑑真伝が複数あったがかなりの量のものであり、淡海はそれらを簡略化し、思託の口述も加味しながら完成させた。 鑑真が日本の留学僧栄叡、普照の懇請によって、法のために渡日を決心したこと、その渡日計画は何度も挫折し、途中海南島に漂着するといった困難にまで遭い、漸く六回目に志を果たしたこと、そうしたことは尽く、この「東征伝」によって今日まで伝わっており、唐招提寺開祖・鑑真に関する諸研究は専らこれを基礎資料とする。 では何故思託はこれを(淡海に委託し)著す必要があったのだろうか。 以下は松本清張による鋭い考察。詳しくは清張全集66に収録されている「思託と元開」を参照されたい。 清張氏によれば、それは来日時聖武天皇以下が示した歓迎ぶりから、まるで手のひらを返したような鑑真に対する朝廷の冷遇ぶりに、思託が憤慨した結果であろう。聖武没後、淳仁帝即位と同時に鑑真は、全僧侶の総元締めである僧綱の任を解かれ、「大和上」に祭り上げられて、故新田部親王廃宅に弟子らと移住させられた。もはや彼に公的な受戒権はなく、たとえ受戒を与えたとしてもその僧は制度的には私度と同じになる。全国を三分して、東大寺・下野薬師寺・筑紫観世音寺の三戒壇が設立されることになったから、唐招提寺に戒壇を造ったとしてもそれは公的なものではない。 とすれば「東征伝」の成立事情は初めから鑑真の名誉挽回に置かれていることがわかる。さしたる著作なく、経典の訳業なく中国中央にその名も知られていない鑑真を「名僧」にするためには、「五次の渡日失敗、第六次の成功」という鑑真の「燃えるような布教精神」と「艱難」とを造作しなければならなかったのだ、と清張氏は見る。 鑑真の急激な凋落にはさまざまな要因があると思う。一つには来日タイミングの遅れ。鑑真一行は、753年第10回遣唐使船で日本に上陸するが、既に前回第9次船(733年)にて帰国した留学僧道璿(どうせん)らによって受戒の儀礼は着手され、かなりの数の僧侶たちは受戒の儀をすませていた。これを新規に鑑真の指導でやり直すについては伝統的な奈良の僧侶から強い反発の声が上がった。これらを一喝し、深い仏理と権威で圧倒する説得力が、揚州という地方出身の老僧にあったかどうか。唐語と日本語という言語の壁は抽象的仏教論議ではとてつもない障害だったろう。 開山堂で鑑真の盲目の座像を拝した芭蕉は、 「若葉して御目の雫ぬぐはばや」 と詠った。盲いた目の涙を若葉でもって拭ってあげたいというのだが、鑑真の心眼に、奈良朝の政治と宗教の風景はどう映ったのだろう。 名作「天平の甍」に感動するのは良しとして、その後我々は彼をどう遇したのか、芭蕉が思わず拭いそうになった鑑真の涙とは何だったのか考えてみたい。 | ||||
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ほんとに、「もうやめとけば…」と言いたくなるほどの熱意、というか、胸苦しくなるような感動を覚えました。 「そこまでやる」と、いろいろな小説で浮かぶ感想ですが、命をかけても伝えたいもの、果たしたい使命を持っている方っているのだな、と思いました。そして、やり遂げる。素晴らしいです。 | ||||
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我々にとって教科書の中のどこか遠くの出来事に過ぎない1300年前の遣唐使の史実が、タイムマシンで現代に現れたかのようにリアルに生々しく鮮やかに描かれている。めちゃくちゃおもしろいです。泣けます。勇気出る系です。孤独と戦う人、自己実現に苦悩し何かをやり遂げたいと願う志の高い人に向けて書いたのかなーと思います。私たちに近い無名の5人の僧侶の生き様、理想と現実、可能性と限界が入り混じった無常の表現、それでも美学を信じ生きようとする人生への肯定感があまりにかっこよいです。どこまで創作なのか僕にはわかりませんが、彼らが存在したという事実が、時を越えて伝わってくるとき、一挙に私たちの現実へのリアリティが出ます。 | ||||
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天平時代(700年代)の遣唐使達の物語。 現在であれば上海まで飛行機で3時間弱。 当時は命を掛けて舟で渡りました。羅針盤も無い時代。 なぜ命を掛けたのか。やはり当時は情報を得る方法がそれしかなかったからでしょうか。 大変なことです。すごいことです。 | ||||
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再読したくなり、買いました。 代表作を集めたもので、かなり良い編集と思いました。 一時期のイノウエを知るにはよい本です。 | ||||
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今まで何故読んでいなかったんだろう・・・じっくりと読ませていただきました。 当たり前ですが、面白かったです。 | ||||
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初めて原文に挑戦。 五回の失敗ももろともせず渡日を果たした鑑真には頭が下がる。 それに比べて、現在の仏教界の体たらくは・・・・嘆かわしい。 私が「天平の甍」知ったのは国語の教科書で。続いて真言宗系であった駒込高校からの「前進座」演劇観賞であった。 それは今にして思うと画期的な出来事だったと思う。 荒波にもまれてようやく日本の土を踏むシーンくらいしか印象になかったが、原文を読んで初めて「甍」の意味を知った。 ストーリーはあくまでも普照を通じて渡日する鑑真の苦節を主軸とはするが、 唐土に骨を埋めたであろう玄郎、戒融、それと業行が長い時間をかけて写した教本が本人とともに大海にのまれ、日本の土を踏むことがなかったことに かかわる事柄が全体を引き締めている。 それにしても目的が何であれ航海という手段で、その事を達成するプロットは面白い。勿論、作家の力量によるところは大きいが。 たとえばアエンデュアランス号漂流記(アーネスト シャクルトン、中公文庫)侍(遠藤周作、新潮文庫)、大黒屋光太夫(吉村昭、新潮文庫)面白いよ!「 | ||||
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教科書で学んだっきりだった鑑真和上来日の経緯をテーマとした小説 井上靖の歴史ものは史実を織り込みながら巧みな肉付けで読者をグイグイひきつけます。 仏教思想が根付き、僧侶も増えた時代、統制がとれなくなるという新たな課題を突き付けられた日本仏教界の青年僧たちが幾多の困難にも負けずに戒律を伝えられる僧を中国から招きたいという挑戦と、その期待にこたえるため失敗につぐ失敗にもあきらめずついに日本の土を踏んだ鑑真。 唐招提寺が単なる観光名所から「鑑真の寺」に変わるほどのインパクトでした。 | ||||
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井上靖一流の淡々とした筆致は、ややもすると地味に感じられるきらいもあるが、とんでもない。 若人よ、注意深く読み進めてゆきたまえ。そこかしこに痺れるような文章が藏されているから。 「法のためである。たとえ渺漫たる滄海が隔てようと生命を惜しむべきではあるまい。お前たち(弟子たち)が行かないなら私が行くことにしよう」 P69より 上に挙げたのは、日本への渡来を請われた鑑真和上の返答だ。 当時、大海を渡る船の多くは藻屑となり果ててゆく。 それなのに、何という強さ、何という清々しさ。 鑑真和上のこの台詞に収束されるまでの流れがまた高雅で、たまらない。 鑑真は老齢にして唐土第一の高僧。渡海の危険にさらすなどもっての他、およそ常識では考えられぬ決断だ。 むろんこれは小説作品だ。史実そのものではない。 しかし同様のことを実際の鑑真和上は言ったであろうことは疑う余地も無い。 かくして悠々たる歴史の歯車は回りはじめる。 やがて鑑真和上がこの国にもたらしたものは計り知れない。 今も古都奈良にゆけば往古を偲ばせる唐招提寺の七堂伽藍がゆったりと静謐な佇まいを我々に見せてくれる。 唐様式を色濃くまとった古仏たちは人類の宝である。それらは鑑真和上の気風を具現している。 我々は差別無くそうした至高のものたちと向き合える。 この小説におけるキャラクターたちはそれぞれのやり方において文字通り命懸けでひとつの目的を果たそうとする。 個々としては小さな輝きの粒に過ぎない彼らはしかし例えようもなく大きな流れに抱かれて歴史という大河そのものと同化している。 その中心にひときわ輝く鑑真和上の尊さは、僧侶でもない筆者の胸にもしみじみと感じられる。 これが井上靖という小説家の真骨頂なのだろう。 文化、国土、民くさの心とはかようにして築かれてゆくのだな。 「天平の甍」という力ある作品を前に、昨今よく耳につく愛国なる言葉はいかにも空しく響くのはなぜだろう? 命というものの使い方を知らない筆者ではあるが、だからこそか、つくづく痺れた。 これは痺れるような一級の作品だ。 若者に広く推したい作品第一であるのでここに拙文をしたためた。 | ||||
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この本を読むのは2回目である。 1回目は、30年以上も前だつたろうか。 その時の感動が忘れられず、読み返したのだったが、前回以上に感動を覚えた。 整い尽くした構文、清々たる文章の流れ、人生への強い肯定的視点。 10年後に、もう一度読み返したい。 作者は、高校の先輩である。 | ||||
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子供の頃砂遊びをしたことある人には「あるある」ネタで通用すると思うが、 砂場で泥だんごを作る際にスコップや熊手の必須アイテム以上に欠かせない資源が「水」である。 その水をたんまりバケツに汲んで、砂場へ持ち込み、砂に水を調合して泥だんごを作るが、もしバケツがなく砂場から水の出る蛇口が離れていた場合、どないやって水を汲んで砂場へ運ぶか? 方法は「手で水を汲める分だけ汲んで零れない様に砂場へ運ぶ」 これしかない! ここまで書くと「そうそう〜」とか「やったやった〜」とか共感してくれる人もいてるだろうが、この「天平の甍」まさにこの手で水を汲んで砂場へ運び、泥だんごを作る作業と同じなんです。 簡単に言うと、且つて政治の舞台が奈良県に置かれてた約1,300年前に日本の仏教僧侶4人が中国へ渡り、当時最高の教えが書かれた経巻を運び、その経巻を宣教出来る唯一偉大な僧侶として君臨していた鑑真和上を日本へ招くために奔走した物語だ。 中国から仏教を伝来したり、イギリスから近代文明を招いたり、アメリカの統治下になり経済や文化をプロバカンダされた日本の歴史を知れば知るほど世紀を跨いだ傀儡国家でありながら、命懸けで日本を発展させるために海を渡り経典や宣教師を招く愛国心の高い人間を排出しているのは何とも極端な話だと思う。 | ||||
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very good!!!!!!!!!!!!!!!!!!very good!!!!!!!!!!!!!!!!!!very good!!!!!!!!!!!!!!!!!!very good!!!!!!!!!!!!!!!!!!very good!!!!!!!!!!!!!!!!!!v | ||||
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本書は8世紀の奈良時代に第九次遣唐使として留学する4人の日本人僧侶を中心にして、後半は6度にもわたる挑戦で訪日をはたす鑑真の物語です。当時の日本人にとっては海外に行くことは命がけで、しかも船はそんなに頻繁に出ていない。無事に唐に渡れても帰ることができるのは何十年後の可能性もあって、帰りも無事に帰れる保証はない。そんな中当時の日本人の中でも外国文化を日本に持ち帰る重要な役割を果たしていたのが僧侶でした。 本書の中では唐に渡る4人の日本人留学僧と、唐で写経をひたすら続けている業行という5人の日本人僧侶が中心になりますが、それぞれの性格が違っていて、自分だったら誰のタイプになるかなと考えさせられました。もちろん訪日を果たした鑑真和上の偉大さはわかるのですが、個人的には無名の日本人留学僧が積み上げてきたもの、あるいは無念となったものが歴史となって日本を形作ってきたと思います。本書は用語が難解なところもかなりありますが、無意識のうちに自分を留学僧の誰かに重ね合わせながら、自分自身が8世紀の奈良および唐にいるような気分になりました。 | ||||
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すでに様々な方が言葉を尽くされ説明されている傑作です。少し異なる観点での感想になるのを御容赦ください。 私達はWebを日常行為としており、そこからはあらゆる情報が自在なソートによって閲覧可能となっています。従って多くの方々は、思想や情報移入のため己が人生を賭けた彼ら(普照、栄叡、さらには鑒真)のような経験はおそらく持ち様がありません。しかし本書を読むと彼らの持つ”熱”のようなものは、井上靖氏の落ち着いた平明な文章からでも確かにしっかりと感じ取れます。進んだ海外の文物を命がけで日本に持ち込んだ彼ら、彼らは今も我々の心の中に確かにいる気がしますし、また日本という国はそうすることで今まで生き永らえて来た、そんな気もします。変化に対応していくために日本あるいは日本人はどうあるべきか、その辺りも考える一助となりました。 | ||||
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日本が遣唐使を派遣していた時代を舞台とした歴史小説。 全体的に淡々と冷静に描写されており、極力感情などを抑えた筆致は 人によっては物足りないと感じるかもしれないが、自分には合っていた。 内容は表面だけで捉えてしまうと味気ないものに見えてしまうかもしれないが 鑑真が失明してまで様々な苦難の中、渡日する姿は感動的であり 読み手の想像力を試されるものではあると思う。 唐(中国)へ命がけで渡る若い留学僧や、鑑真を中心とした唐の人物たちも 個性豊かな面々であり、それぞれがどういう結末を迎えるかも 見どころの1つである。 本書タイトルでもある天平の甍が出てくる最後の場面は 特に心動かされた。 井上靖の作品は他にもいくつか読んだが 何度も読み返すのは天平の甍のみであり、 これが一番の名作である。 | ||||
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大変良いではなく、良いぐらいだと思う。まあ、値段から考えると不満ではありませんが。 | ||||
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