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敦煌
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【この小説が収録されている参考書籍】
敦煌の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.52pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全83件 61~80 4/5ページ
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良質の歴史小説である。旅に誘う本である。 時は、1026年、当時の中国の都、開封に、行徳という若者がいた。多少、文を解する平凡な男である。ただし、旅人の魂を宿していたのかもしれない。大きな歴史の風に流されて、彼は西に向かう。宋から西夏、そして敦煌へ。女と男に出会いながら。 いつか、敦煌の近くにある千仏洞を尋ねてみたい。千年以上前に作りだされた砂漠の中の偉大な作品を見に。 歴史や自然に比べると、人の一生はとても小さなもので、ほんの一瞬である。その短い人生の中で、人と争い、富や宝石を手に入れても、結局は自分の手から離れる。子孫に残したとしても、短い時間で消えて無くなる。虚しい。それでも、人は歴史を作る。時には偉大な作品を残す。 関連: 楼蘭、さまよえる湖 | ||||
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高校の時、井上靖さんの作品のせいで、何度も電車を乗り過ごしました。 この「敦煌」もそのひとつです。 表紙カバーやパラ見したときの字面の雰囲気で この作品を読むのを迷っているなら、それはかなり杞憂です。 歴史好き、中国・シルクロード好き、 自分で冒険する勇気はないけどスリリングな旅が好き…、 そんな人にはオススメです。 交通手段が発達して、 ネットのおかげで伝達がスムーズに行えて、 国と国との安全が最低限、保証されている今、 そんなものが一切なかった時代が新鮮です。 むしろ昔の方が、人と人との関わり合いや、 何かを切に求める貪欲さが、命がけで真剣なものだったのだと痛感。 読んでて、血圧上がります。 死んだら棺桶に入れておいてください、って遺言書に書きたいくらい好きです。 | ||||
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勇士・朱王礼に悪漢・尉遅光、脇に配された人物が相当に魅力的なので、凡庸な作者ならば主人公・趙行徳にバランスのみを要求して無難な役回りを振ってしまいそうなものだが、科挙の殿試を受けるほどの秀才でありながら運命に逆らわず戦場でも死を恐れぬ勇猛さを持ち、ウィグルの王女に愛情を抱きながら平気で語学留学(?)を延長してほったらかしたり、一筋縄ではいかぬ複雑なキャラクターに趙行徳を描いたところが井上靖『敦煌』の成功だと思う。昔の失敗映画では朱王礼を西田敏行、尉遅光を原田大二郎が演じたが、僕なら朱王礼がショーケン(ありきたり?)、尉遅光に板尾創路とか? なんて考えつつ、どうしても趙行徳役だけが浮かばない。佐藤浩市は嫌いじゃないけど、やっぱり趙行徳ではない。そしてもちろん市場の西夏女は三田佳子では断じてない(失笑)。 あんなに悪印象しか残っていない佐藤純弥監督の『敦煌』(1988)だが、グーグルで検索してみたら「名作!」とかほざいてる記事がけっこうあったりして、小説『敦煌』のファンとして悲しみを禁じ得ない。どれだけ酷かったか確かめるためにDVDレンタルして観てやろうかしらん。数十億円の壮大な無駄遣い。 沙州城に西夏軍が迫り、寺院で経典の運び出しに精を出す若い層のセリフに涙。何回読んでも涙。ベタっちゃーベタだが、かっこよすぎるぜ井上靖。あと、地味な役回りだが、沙州城主の弟・曹延恵のキャラも素敵。 まだ『敦煌』読んだことない人、ぜひ読んでみてください。 | ||||
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25年ぶりぐらいに読んだ。当時はまったく面白くなかったが、今読むとすごく面白い。やっぱり、それなりの年齢にならないと読めない本もあるんだな。 高校生(もしかしたら中学生)のころってまったく挫折を知らないから、進士試験に失敗した主人公への感情移入などまったくできなかった。しかし、いろんな試験に落ちてきた今の自分には、主人公が敦煌にのめりこんでいった気持ちがよく分かる。 昔、読んだ本を読み返すことって大切なのかもしれない。 | ||||
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非常に面白く食い入るように読み終えることができた。 本書を手にする前に、実はDVDで実写を通して見ていたが、映像を通しての戦闘シーンの迫力などは本書ではもちろん伝わってこないが、井上靖という著名な作家の作品だけあって表現力は流石と言わせられる出来となっている。 時代背景、登場人物など物語の舞台となる事象をよく調べてあると思う。 そして、透明感のある語りと実に上手く表現されていると思った。 実写版は映像からの情報があるが、端折っている部分が多く書籍を通しての方が詳細によりよく理解することができると思う。 | ||||
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井上先生は数多くの名著を残された。私が作家に「先生」と条件反射でつけてしまうのは、この方だけである。中でもこの「敦煌」は、ほとんど資料ゼロの地点から出発して書かれたもので、文章も独特の透明感が十分発揮されていて、どなたかが書いておられるように最高傑作である。 私は司馬遼太郎作品もかなり好きであるが、残念ながら井上先生と比べるには器が小さい。たしか司馬氏と一緒に西域を訪問されているが、そのときの感想が「これ以上来たらバチが当たる」。なんと謙虚なことだろう。 余談だが、私が京都大学出身者として初めて意識したのは、この方だった。生きていらしたら、現在もてはやされている京大出身者の著作をどうご覧になるだろう。きっと大笑いして読まれるだろうと思う。 | ||||
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敦煌から約25km,鳴沙山の斜面に莫高窟はある。 1900年,長く埋もれてきたこの遺跡から夥しい数の文献が発見された。 やがて本格的な研究が進んでゆくに従い、それが世紀の大発見であることが判明してゆく。 貴重な経典の数々が含まれていたことはもとより、それを記す文字にも多彩なものが含まれていた。 西夏文字もその中の一つだった。 本作は11世紀初頭の西域を舞台として描かれた歴史小説。 史上の人物である李元昊や曹兄弟などは脇役であり、趙行徳・朱王礼・尉遅光など架空の人物が縦横に動かされ、 それぞれの個性が絡みあってダイナミックな物語が展開してゆく。 大きなモチーフに「文字」があると感じた。文字は人間の歴史を語り、後世に伝えて行くものである。 西域には雑多な民族が勃興しては滅んで行ったが、文字による記録を残したのはそのうちの僅かに過ぎない。 それを残さなかった者たちは何も語らず、ただ遺跡と人々の記憶が僅かに彼らを呼び返すのみである。 新興の西夏は「西夏文字」を生み出した。行徳はその文字を学ぶために西域を目指した。 朱王礼は自らの戦いの歴史を刻むために、行徳に碑を建てることを命じた。 彼らはそれぞれ後世まで自らの生を「文字」で伝えたかったに違いない。 一方ウイグルの女は、何も語ることなく城壁から身を投げ消えてゆく。 彼女の面影はただ行徳や王礼の記憶の中にあり、それぞれの中で別々の姿を残してゆく。 行徳は仏教に傾倒し、王礼は深く復讐の思いを秘める。 彼女の本当の思いがどこにあったのか、それは謎のままに。 記録と記憶の狭間で、人々は存在の本質を問う。 それは一人ウイグルの女に言えることだけでなく、歴史の営みそのものにも当てはまる。 多くの歴史が交錯した西域は、それを最も雄弁に物語る舞台と言っていい。 時代と舞台、そして人物。この敦煌は、それらが融合して織り成す壮大な詩である。 | ||||
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私は敦煌については古くてでっかい遺跡のある町という漠然としたイメージしかなく、とにかく知識のない状態でこの小説を読みはじめました。あっという間に物語に引き込まれました。なんというか流れるように語られ、まるで透明人間としてその歴史の瞬間を今見ているような錯覚に陥ります。登場人物の特に主人公のあの静かでしかし激しく熱い情熱はいったい何なんだろう。自分はいつ死んでも構わないと思いながら最後にできることを冷静に判断してそれに向けて動く行動力。今こう書きながら思い出してもぐっと来ます。そして私の衝撃は、敦煌の存在は真実でもこの物語がまったくの創作であるということです。あとがきで創作だと知った後も、いやこれはかなり本当だったかもと疑ってしまうほど、それほど夢中に物語にのめりこんでしまいました。事実膨大な量の仏典が敦煌遺跡に守り続けられたということに大きなロマンがあるのだと井上靖は私に教えてくれました。この本に出会えてよかった!!みんなもそう思うはずです。私がこんなにお勧めしなくてもかなりの人がそれに気付いていたかと思うと少し反省です。 | ||||
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この小説は主人公趙行徳、隊長の朱王礼、友人(?)尉遅光による物語になっていて、史実に基づいて書かれた歴史小説の範疇に入るものです。かなり前に書かれたものですが、森鴎外や幸田露伴のような古めかしいスタイルの文ではないため読みやすいです。正直飲み会で話して盛り上がる起承転結があるわけではないですが、西域の美しさ、そこで生きる人々の内面からあふれる魅力、また時に悲しいことがあろうと常に今を生きる行徳らによって作品はとても荘厳になされています。司馬遼太郎が嫌いな人はこういったものはどうですか? | ||||
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主人公は、一般的な小説にあるような いわゆる主人公らしさがない人物です。 しかし、ぐんぐん惹きつけられます。 文章の完成度が高いのです。 磨き上げられた文章がフィクションであることを 感じさせません。 一度、読んでみたいと思っていましたが 読んでみてよかったです。 | ||||
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人生、落ちているようで落ちていない。 流されているようで、結果流されていない。 意思がないようで、強い意志がある。 そんな主人公が始めは頼りなく感じましたが、最後は本当に強い意志を持った、力強い人に変化していきました。 読み終わった後には、自分の日常がちっぽけに思えます。 | ||||
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この作品は”小説家”の類稀な想像力が発揮されていると思う。わかっていることは敦煌で歴史的な発見があったことである。貴重な経典類が見つかり、そこにいた中国人は英国、仏国に僅かな代価で売り渡してしまった。その歴史的価値は計り知れないものがあったが、当の中国人はその価値がわからないでいた。経典を敦煌に隠したのは誰か。どういった経緯でそこに隠したのか。誰も知らない。そこから小説家の想像力は壮大なロマンを思い描き、恋心に命を賭ける男たちの物語が埋め込まれている。想像力は事実を模ったのであろうか。これは歴史の謎に迫る小説家の挑戦でもあるだろう。敦煌という地に付加価値をもたらした想像力の凄まじいばかりの力に圧倒される思いである。、宋の時代の中国に関心のある方にはお勧めである。 | ||||
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科挙に失敗した趙行徳が売りに出された全裸の女との出会いから西域に興味をもち、西域に行き、戦闘に加わり、最後は千仏洞莫高窟に多数の仏典を埋蔵する話。物語の場所が西域で、登場人物の民族も様々であり、ロマンをかき立てる。漢人、チベット系、モンゴル系、イラン系など様々な民族が行き交い、覇権を争った地域。「月の砂漠をはーるーばると」という歌を思い出した。日本人はなぜシルクロードが好きなのだろう。日本人のルーツとして記憶に刷り込まれているのだろうか。 | ||||
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趙行徳の数奇な運命.科挙に失敗した所から物語は動き出す.彼の生き方を定めた二人の女性.全裸で売りに出されていた女と王族の生き残りの女.時に流され,時に自ら切り開く彼の生き様を見よ. | ||||
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映画「敦煌」の原作本。 中国の敦煌に行ったとき、ロケ地の敦煌城に行ってみました。4億円をかけて作った城ですが、衣装などにも4億円程かけていますから、この映画のスケールがわかります。 僕は、この本を、映画を見た後に読みました。 「莫高窟で発見された多くの書物が、誰が何のために埋めたのか」をコンセプトに書かれた物語ですが、井上靖さんの西夏文字と文物に対する博識に驚くと共に、壮大なスケールの創造性に感嘆しました。 僕は、この書を通して中国の歴史と文化に興味を持ちました。 | ||||
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う~んこういう人生もあるんだなぁ、と唸りました。 そして、読み進むうちに自分がどでかい大陸の中で、作中の人物達と生きているような気分になりました。壮大な気分に。 井上靖作品の中では日本を味わいたいとき「しろばんば」、中国を味わいたいときは「蒼き狼」かこの「敦煌」でしょう。 | ||||
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ちょっと故あって中国西域を旅行することになったので読んでみた。 敦煌近郊の千仏洞で多数の仏典が発見された史実に基づく良書である。甘州、粛州、そして沙州(敦煌)といった西域との交通の要衝の覇権を争った宗、西夏、吐藩との戦乱の中で、なぜ貴重な仏典が20世紀まで眠っていたのかを描いた小説である。 最後に尉遅光が雷死するのはご都合主義の気がしないでもないが、それでもこの小説の価値が下がるものではないだろう。 | ||||
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現在の敦煌は既にコマーシャリズムと近代化がすすんでいるためかつての栄光と騒乱の時代を知るには書籍しか手がかりがない。本書はこのシルクロードのロマンをと歴史そして栄華衰退を飽きさせることなく読ませる素晴らしい小説。全てが美しい文章で綴られている。 | ||||
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20世紀初頭に発見された膨大な量の経巻類。何百年もの時を生き延びた、それらの経巻類の背景をフィクションで描き上げた魅力溢れる作品。フィクションとはいっても、史実に忠実に絡ませて描かれており、年表等を睨んでいるよりも遥かに生き生きとこの時代について学ぶことができるのではないだろうか?巻末の注解だけでも、私のような無知な人間には十分な学びの機会だった。井上氏ならではの表情豊かな文体によって、あらゆる意味での中国という国のスケールの大きさを実感し、趙行徳と共に旅をしたかのような読後感を味わうことができた。 読み終えた今、実際にその場所へ旅に出たい思いに駆られている。 これこそが、この作品の魅力の証かも知れない。 | ||||
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