■スポンサードリンク
敦煌
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
敦煌の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.52pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全93件 61~80 4/5ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読みやすい文章で書かれていました。登場人物の生き方から、運命について学べるところがあった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
いい本です。気に入りました。あとでじっくり読もうと思っています。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
井上靖の西域ものでシルクロードにはまった方は多いと思いますが、私もその一人。年末年始の長期休暇を使って、舞台の敦煌まで行ってきました! 敦煌と西安の間を、列車が走ります。三日三晩かけて行くのです。直行の飛行機が取れなかったので列車を使わざるをえなかっただけですが、それがよかった。横穴がぽっかりとあいた、砂漠の山々の脇を列車が行く。その山の間に、でかい夕日が沈んでいくのです。あまりにも悠久の時間。今にも行徳の乗る馬のひずめが聞こえてきそうでした。 もしも敦煌を読んでいなかったら、あれはただの砂漠にしか見えなかったに違いない。開発されようがない地なので、中世のままの砂漠が今に残る。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
限り無きシルクロードへの哀愁を掻き立てる、井上靖の不朽の名作と言って良いであろう。評者も少年の頃、全てが理解できないながらも本書を何度も読み、佐藤浩市が趙行徳、西田敏行が朱王礼、渡瀬恒彦が李元昊を演じた劇場版『敦煌』を何度も鑑賞し、更には今ではもう二度と見られない歴史時代のシルクロードの最期の残照を映像に収めたNHK『シルクロード』に胸をときめかせていた。その想いは長じても絶えず、2001年、24歳の夏に80日間、シルクロードを旅した。特に本書の舞台となった河西回廊の地は、西安、宝鶏、蘭州、天水、武威、張掖、酒泉、嘉峪関、安定そして敦煌へと続き、都市は急速に近代化されつつあったが(恐らく現在はすっかり近代都市になっている事だろう)、雪を戴いた遥かな祁連山脈に沿いつつ西走し、往古に想いを馳せたものである。 劇場版とはまるでストーリーが異なるが、やはり原作の湛える、無限の沙漠の広がりの中で、足掻きもがいて生きていき、死んでいく無数の生命が織り成す躍動感と無常観、戦乱と略奪に明け暮れる人々の欲望の渦、尽くすそれら全てを覆い尽くす沙漠、吹き渡る灼熱の、そして厳冬期には酷寒の沙交じりの風。古来多くの国が興り、滅びてゆく際限の無い修羅道を繰り返す、そんな時代に生きた人々。そして、沙漠に立ち上る蜃気楼の様な人の歴史の中で、全てを灰燼に帰す破壊の炎から免れ、僅かに、奇跡的に現在に伝えられた敦煌文書の謎。本書に描かれる全ての情景が、私たちの心を揺さぶる何かを語りかけてくるのである。 本書の登場人物たちは皆、個性的でありながら、各々が此の時代を象徴的に彩っているように思える。趙行徳は、進士に及第する程の学識を備えながら、偶然出会った西夏文字に導かれる様に西域に到った。兵士にされあらゆる運命に翻弄されるが、彼は自らの持つ学識によって西夏の都興慶府(銀州)で西夏文字を修め、更には仏典に出会った事で深く心を動かされ、遂には莫高窟に敦煌文書を保存する事の意義を見出す。それは運命に翻弄されるようでありながら、戦場での蛮勇で自ら危地を切り拓き、知識の蓄積を持っていた事によって大きな志を遂げたと言えるだろう。朱王礼は、漢人部隊の勇猛な老隊長でありながら、自分の愛したウイグルの皇女を死に追い込んだ李元昊を仇と思い定め、無謀な反乱を敢行した。彼もまた、損得や生死の枠を超えて、自らの意志を貫いた武人といえるであろう。李元昊は偉大な征服者であり、史上此の前後に急激な拡張政策を行い、新興国の西夏の基盤を固めた。西夏は此の後、表面上は宋の属国として臣従を誓うものの、見返りとして莫大な歳幣を獲得し、名よりも実を取った。西夏は此の後モンゴルに滅ぼされる迄、200年国を保った。彼にあっては行徳や王礼になんら波風を立てられる事も無いのだが、その雄図や、勃興する国の若々しい力が、その人物像に凝縮されている。そして尉遅光は、西域・シルクロードというものを最も見事に象徴する人物となっている。ホータンの王族の後裔でありながら、沙漠の盗賊まがいの行商人に身を落としていることに何ら屈せず、寧ろ自らの血統を誇り高く主張している。彼の持つ狡猾さ、残忍さや逞しさ、ギラギラとした野心、行徳の持つ首飾りへの執拗な執着などは、どれも強烈な光彩を放ち、此の時代に不毛の沙漠をキャラバンで渡り、あらゆる軍隊や盗賊と渡り合ってきた男の生命力を示し、大変魅力的な人物像となっている。此れ等の人物や、作中に描かれないまでも沙漠に生きた誰しもが、その時々を必死に生き抜いた事であろう。前漢武帝が西域を開いて以来、遥かに明代以降キャラバンが海の道へと移ってシルクロードが廃れるまで、長い間、沙漠は無数の人々の人生を飲み込んできた。彼等について歴史は何も語らず、名も無い人の思いは、遺跡や生活の痕跡と共に、沙に還って行った。そして、沙漠の興亡の歴史をもはや誰もが忘れ去った19世紀最後の年の1900年に、ひっそりと敦煌文書が発見されたのは何とも劇的な思いがする。こうして今も西域に思いを馳せれば、熱風と熱沙と、灼熱の太陽とが織り成す乾いた薫りが胸に満ちるようである。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読みはじめはひとりの人間の物語のようで題名とは異質な感じだったが読み終わって名前だけ知っていた敦煌の歴史に触れた気がした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
百田直樹がおすすめの三冊の中の一冊に上げていたので、読んでみた。 西夏人の女が市場で切り売りされるシーンは衝撃的で、そのとき渡されたメモを解読すべく西夏文字を学びに西夏地方に行き、 西夏軍の漢人部隊に入れられ、西へ西へと進軍していく。 ウイグルの女との顛末や、主人公趙行徳と朱王礼との関係等、細かく説明するのではなく、詩的で、読者に色々想像させながら話を展開させるのが さすがだと感じた。大陸の移動や砂漠なども目に浮かぶようだった。 単一民族で島国育ちで、歴史でしか闘いを知らない現代日本人からすると、広い国土や、他民族との抗争にスケールの大きさを感じる。 『蒼き狼』ほどの影響は受けないが、読んでよかったと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
現地に行かずに、資料を駆使して書き、後日 現地行く事が出来チェックしたら、大きな差異が無かった。すごい事ですよね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
昔懐かしい活版印刷で非常に暖かみが有りとても楽しく読むことができました。 本は古いので黄ばみが強いですが、それより文字に惹かれました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この話の主人公からハンドルを拝借している以上、いつかはレビューを書かねば・・・と思っていました。 舞台は中国、宋の時代。自信満々で挑んだ官吏登用試験を、ちょっとしたことでふいにしてしまった府挙人行徳。呆然と歩いていた都での偶然の出会いから、砂漠の上に息づき始めた新興国家−西夏とその文明に強く惹かれるようになります。何もかも投げ打って赴いた西夏王国、待っていたのは慣れない兵役と漢人部隊の長、朱王礼でした。 やがて行徳は一兵卒として働きつつも、文人としての才覚も発揮し始め、西夏文字と漢字を対応させた辞書−番漢合時掌中珠の編纂や経典の翻訳事業に尽力します。一区切りついたところで、再び戦地に舞い戻った行徳。そこに待っていたのはウィグルの王女の死と、それに端を発する朱王礼の節度使−曹氏をも巻き込んだ大規模な叛乱でした。民衆が逃げ惑う中、行徳は城内に残された経典類を、郊外の石窟に保管します。そして、それは800年後に英国の探検家が発見するまでの間、文明の証として眠り続けます。 この話で著者が一番描きたかったのは、砂漠の新興国家−西夏文明の担い手となった、行徳のような漢民族出身の文人ではないかと思います。何がしかの事情で、官吏登用の道から外れた文人たちが、渇きにも似た思いで後世に残していったもの・・・そんなロマンを感じました。 ちなみに「番漢合時掌中珠」は実在の書物だそうです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
いねむりをして遅刻し、官吏登用試験に失敗した一青年・趙行徳は市場でふと歴史のうねりに巻き込まれていく。 なぜそこにそれらは封じられていたのか。 20世紀に入り欧州人によって発見された敦煌莫高窟を、西夏王国の台頭、宋国の動揺、そして一人の青年としての生き様を見事に練り上げた壮大かつ逸品の歴史小説である。 当時の人々が後世に信仰と祈りを懸命に託そうとしたのだ、と乾いた清潔感あふれる文章に、想像力と感動をかきたてられる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
良質の歴史小説である。旅に誘う本である。 時は、1026年、当時の中国の都、開封に、行徳という若者がいた。多少、文を解する平凡な男である。ただし、旅人の魂を宿していたのかもしれない。大きな歴史の風に流されて、彼は西に向かう。宋から西夏、そして敦煌へ。女と男に出会いながら。 いつか、敦煌の近くにある千仏洞を尋ねてみたい。千年以上前に作りだされた砂漠の中の偉大な作品を見に。 歴史や自然に比べると、人の一生はとても小さなもので、ほんの一瞬である。その短い人生の中で、人と争い、富や宝石を手に入れても、結局は自分の手から離れる。子孫に残したとしても、短い時間で消えて無くなる。虚しい。それでも、人は歴史を作る。時には偉大な作品を残す。 関連: 楼蘭、さまよえる湖 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
高校の時、井上靖さんの作品のせいで、何度も電車を乗り過ごしました。 この「敦煌」もそのひとつです。 表紙カバーやパラ見したときの字面の雰囲気で この作品を読むのを迷っているなら、それはかなり杞憂です。 歴史好き、中国・シルクロード好き、 自分で冒険する勇気はないけどスリリングな旅が好き…、 そんな人にはオススメです。 交通手段が発達して、 ネットのおかげで伝達がスムーズに行えて、 国と国との安全が最低限、保証されている今、 そんなものが一切なかった時代が新鮮です。 むしろ昔の方が、人と人との関わり合いや、 何かを切に求める貪欲さが、命がけで真剣なものだったのだと痛感。 読んでて、血圧上がります。 死んだら棺桶に入れておいてください、って遺言書に書きたいくらい好きです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
勇士・朱王礼に悪漢・尉遅光、脇に配された人物が相当に魅力的なので、凡庸な作者ならば主人公・趙行徳にバランスのみを要求して無難な役回りを振ってしまいそうなものだが、科挙の殿試を受けるほどの秀才でありながら運命に逆らわず戦場でも死を恐れぬ勇猛さを持ち、ウィグルの王女に愛情を抱きながら平気で語学留学(?)を延長してほったらかしたり、一筋縄ではいかぬ複雑なキャラクターに趙行徳を描いたところが井上靖『敦煌』の成功だと思う。昔の失敗映画では朱王礼を西田敏行、尉遅光を原田大二郎が演じたが、僕なら朱王礼がショーケン(ありきたり?)、尉遅光に板尾創路とか? なんて考えつつ、どうしても趙行徳役だけが浮かばない。佐藤浩市は嫌いじゃないけど、やっぱり趙行徳ではない。そしてもちろん市場の西夏女は三田佳子では断じてない(失笑)。 あんなに悪印象しか残っていない佐藤純弥監督の『敦煌』(1988)だが、グーグルで検索してみたら「名作!」とかほざいてる記事がけっこうあったりして、小説『敦煌』のファンとして悲しみを禁じ得ない。どれだけ酷かったか確かめるためにDVDレンタルして観てやろうかしらん。数十億円の壮大な無駄遣い。 沙州城に西夏軍が迫り、寺院で経典の運び出しに精を出す若い層のセリフに涙。何回読んでも涙。ベタっちゃーベタだが、かっこよすぎるぜ井上靖。あと、地味な役回りだが、沙州城主の弟・曹延恵のキャラも素敵。 まだ『敦煌』読んだことない人、ぜひ読んでみてください。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
25年ぶりぐらいに読んだ。当時はまったく面白くなかったが、今読むとすごく面白い。やっぱり、それなりの年齢にならないと読めない本もあるんだな。 高校生(もしかしたら中学生)のころってまったく挫折を知らないから、進士試験に失敗した主人公への感情移入などまったくできなかった。しかし、いろんな試験に落ちてきた今の自分には、主人公が敦煌にのめりこんでいった気持ちがよく分かる。 昔、読んだ本を読み返すことって大切なのかもしれない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
非常に面白く食い入るように読み終えることができた。 本書を手にする前に、実はDVDで実写を通して見ていたが、映像を通しての戦闘シーンの迫力などは本書ではもちろん伝わってこないが、井上靖という著名な作家の作品だけあって表現力は流石と言わせられる出来となっている。 時代背景、登場人物など物語の舞台となる事象をよく調べてあると思う。 そして、透明感のある語りと実に上手く表現されていると思った。 実写版は映像からの情報があるが、端折っている部分が多く書籍を通しての方が詳細によりよく理解することができると思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
井上先生は数多くの名著を残された。私が作家に「先生」と条件反射でつけてしまうのは、この方だけである。中でもこの「敦煌」は、ほとんど資料ゼロの地点から出発して書かれたもので、文章も独特の透明感が十分発揮されていて、どなたかが書いておられるように最高傑作である。 私は司馬遼太郎作品もかなり好きであるが、残念ながら井上先生と比べるには器が小さい。たしか司馬氏と一緒に西域を訪問されているが、そのときの感想が「これ以上来たらバチが当たる」。なんと謙虚なことだろう。 余談だが、私が京都大学出身者として初めて意識したのは、この方だった。生きていらしたら、現在もてはやされている京大出身者の著作をどうご覧になるだろう。きっと大笑いして読まれるだろうと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
敦煌から約25km,鳴沙山の斜面に莫高窟はある。 1900年,長く埋もれてきたこの遺跡から夥しい数の文献が発見された。 やがて本格的な研究が進んでゆくに従い、それが世紀の大発見であることが判明してゆく。 貴重な経典の数々が含まれていたことはもとより、それを記す文字にも多彩なものが含まれていた。 西夏文字もその中の一つだった。 本作は11世紀初頭の西域を舞台として描かれた歴史小説。 史上の人物である李元昊や曹兄弟などは脇役であり、趙行徳・朱王礼・尉遅光など架空の人物が縦横に動かされ、 それぞれの個性が絡みあってダイナミックな物語が展開してゆく。 大きなモチーフに「文字」があると感じた。文字は人間の歴史を語り、後世に伝えて行くものである。 西域には雑多な民族が勃興しては滅んで行ったが、文字による記録を残したのはそのうちの僅かに過ぎない。 それを残さなかった者たちは何も語らず、ただ遺跡と人々の記憶が僅かに彼らを呼び返すのみである。 新興の西夏は「西夏文字」を生み出した。行徳はその文字を学ぶために西域を目指した。 朱王礼は自らの戦いの歴史を刻むために、行徳に碑を建てることを命じた。 彼らはそれぞれ後世まで自らの生を「文字」で伝えたかったに違いない。 一方ウイグルの女は、何も語ることなく城壁から身を投げ消えてゆく。 彼女の面影はただ行徳や王礼の記憶の中にあり、それぞれの中で別々の姿を残してゆく。 行徳は仏教に傾倒し、王礼は深く復讐の思いを秘める。 彼女の本当の思いがどこにあったのか、それは謎のままに。 記録と記憶の狭間で、人々は存在の本質を問う。 それは一人ウイグルの女に言えることだけでなく、歴史の営みそのものにも当てはまる。 多くの歴史が交錯した西域は、それを最も雄弁に物語る舞台と言っていい。 時代と舞台、そして人物。この敦煌は、それらが融合して織り成す壮大な詩である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私は敦煌については古くてでっかい遺跡のある町という漠然としたイメージしかなく、とにかく知識のない状態でこの小説を読みはじめました。あっという間に物語に引き込まれました。なんというか流れるように語られ、まるで透明人間としてその歴史の瞬間を今見ているような錯覚に陥ります。登場人物の特に主人公のあの静かでしかし激しく熱い情熱はいったい何なんだろう。自分はいつ死んでも構わないと思いながら最後にできることを冷静に判断してそれに向けて動く行動力。今こう書きながら思い出してもぐっと来ます。そして私の衝撃は、敦煌の存在は真実でもこの物語がまったくの創作であるということです。あとがきで創作だと知った後も、いやこれはかなり本当だったかもと疑ってしまうほど、それほど夢中に物語にのめりこんでしまいました。事実膨大な量の仏典が敦煌遺跡に守り続けられたということに大きなロマンがあるのだと井上靖は私に教えてくれました。この本に出会えてよかった!!みんなもそう思うはずです。私がこんなにお勧めしなくてもかなりの人がそれに気付いていたかと思うと少し反省です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この小説は主人公趙行徳、隊長の朱王礼、友人(?)尉遅光による物語になっていて、史実に基づいて書かれた歴史小説の範疇に入るものです。かなり前に書かれたものですが、森鴎外や幸田露伴のような古めかしいスタイルの文ではないため読みやすいです。正直飲み会で話して盛り上がる起承転結があるわけではないですが、西域の美しさ、そこで生きる人々の内面からあふれる魅力、また時に悲しいことがあろうと常に今を生きる行徳らによって作品はとても荘厳になされています。司馬遼太郎が嫌いな人はこういったものはどうですか? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公は、一般的な小説にあるような いわゆる主人公らしさがない人物です。 しかし、ぐんぐん惹きつけられます。 文章の完成度が高いのです。 磨き上げられた文章がフィクションであることを 感じさせません。 一度、読んでみたいと思っていましたが 読んでみてよかったです。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!