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敦煌
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【この小説が収録されている参考書籍】
敦煌の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.52pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全93件 41~60 3/5ページ
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予備知識として有効。今に続くシルクロードブームの火付け役が井上靖先生とは?!もし当地を旅行記にいくなら必読では?敦煌文書もかるく調べておいた方がいい。下手なガイドバックより名作を道連れにする方がこころに残ると思います。 | ||||
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歴史の勉強になった | ||||
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前から気になっていた本であったが、読んでみて大正解だった。 | ||||
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スイス在住の娘を訪ね、およそひと月の旅行。以前に読んだ井上靖を読み直そうと楼蘭、敦煌を 購入。退屈しのぎどころか、のめりこみました | ||||
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趙行徳に課せられる西夏ゆきの運命と、ロマンティックな文章に見せられて、頁をたぐっていきました。50年以上前の作品とは言えないくらいの秀作です。 | ||||
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序章が衝撃的、裸の女を切り売りする。何事か?と思わせて話に引きずり込まれる。背景、登場人物の時代考証がよくなされているし、道中の景観も良く調べられてると思う。わたしは行ったことは無いが、そうだろうなと納得させられる。 | ||||
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・サノーさん一言コメント 「洞窟に置かれた六千巻もの経典。誰が、何のために、それを行ったのか。広大な中国西部を舞台に展開する、一人の男の運命」 【サノーさんおすすめ度★★★★★】 ・ウノーさん一言コメント 「シルクロードの光と闇です。戦乱を生きた人々がなにを想い、なにを遺したのかを、虚構から描きます。井上文学の最高峰にして、人の矛盾を知る一冊です」 【ウノーさんおすすめ度★★★★★】 ・サノーさん、ウノーさん読書会 サノーさん(以下サ):遥か古代の道、シルクロードは、大陸を貫き、多くの人々が夢と冒険を求めて往来した「人類の道」そのものでもある。 ウノーさん(以下ウ):浪漫です。西と東をつなぎ、地球全体の「文化」が往来した場所です。 サ:と、同時に、長い長い戦国時代により、常に戦場が生まれては消えていった地域だ。 ウ:20世紀初頭、この地域は世界中の考古学者の憧れの場所となりました。 サ:宗教、言語、民族、遺伝子、それらがぶつかり合い、混沌を生み出した場所は、「発見」を求める学者にとっては「聖地」のようなものだ。 ウ:その発見の一つが、洞窟の中で発見された無数の経典です。 サ:キリスト教でも、似たような発見があった。『死海文書』の話は、誰でも聞いたことがあるだろう。 ウ:某アニメでも登場した単語ですから、有名ですよね。 でも、この物語の「起点」となっている『敦煌文書』は、知っている人は少ないです。 サ:状況は、同じなのにな。未開の地で、あるはずのない「文書」が、洞窟から大量に発見され、長い年月にわたり、研究の対象となっている。 ウ:そして「誰が、いつ、なんのために置いたのか」が「不明」だという点も共通してます。 サ:この物語は、その「謎」について、フィクションの観点から迫ろうとしている。 ウ:主人公の「行徳」、武将「王礼」は、井上先生が生み出した「架空の人物」です。この物語は「敦煌文書の発見」という史実のトピックを題材にした「小説」です。 サ:だが、その前提を途中で忘れる。井上靖という「天才」の筆が描き出す「生々しい戦乱の荒野」が、読み手をその時代、その場所へと引きずり込む。 ウ:戦乱の世に翻弄されながらも生き抜く主人公、不思議な縁で結ばれた女たち、そして「二対の首輪」を巡る駆け引きが、巨大絵巻のように展開していきます。 サ:この物語を堪能するのに、オススメの「手段」がある。 ウ:まずは『平山郁夫の画集』を観ておくのが、とても良いと思います。 サ:大きな図書館にはあるし、もし可能なら美術館でシルクロードを題材にした作品を何点か観ておく。 ウ:この物語の舞台を日本画の巨匠から教えてもらえるのですから、こんな楽しいことはないです。 サ:文学と絵画、二人の天才を魅了した「敦煌」に、一度は行ってみようと思う。 【了】 | ||||
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感動すべき物語!敦煌に行く前にこれを読めばよかったなぁと!ぜひこの本を読みながら河西走廊の歴史的な風物を楽しんでください! | ||||
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シルクロードを訪れた時、敦煌の莫高窟をたずねた。今では、この作品に載る写真とは異なり多くの人たちが訪れる観光地の様相をも見せている。その莫高窟に大量の経典があったことは、杉森久英著「大谷光端」を読んで知っていた。 この作品「敦煌」は、その大量の経典や他のいずれも歴史的に重要な資料となる記録が、なぜ莫高窟の中にあったのかという作品である。作品が書かれた時代は、まだ日本が中国と国交がなく誰も中国に行くことのできなかった時代でもあり、無論井上靖も敦煌に足を運ぶことはないままに、ただただ資料を数年がかりで収集して書かれたものである。(とは言え、その時代に例えば加藤登紀子さんのご主人であった藤本氏は中国に足を運んでいるので、全部の日本人が中国へ行けなかったわけではないが。) そいう井上靖の資料に基づくものであるから、けっして空想の物語ではないのだけれど、進士の試験を転寝でのがした趙行徳が市場で全裸にされ、その肉を豚より安い値段で売られようとしている女を買い上げて助け、女がお礼にくれた青夏文字を読むために青夏へ向かうことに始まる物語は、その時代の中国はかくもあらんと感じるには十分な作品である。 さらに興味を沸かせるのは、その趙行徳は青夏軍に捕らえられ、幾たびかの戦いに命を投げ出そうとするが、行徳の心には、こうした人生の置き所へ好んでやってきたのでも、また好まないとも考えない、いわば仏教の因縁というものに因るとしか言えない思いがいつも漂っている。 そして、この行徳がいたからこそ、多数の経典が莫高窟に留まったということになるのだが、さて、そのあたりの詳細は読者にはぜひ作品に出合い、古き、知ることの無い時代が、今に連綿と続いている妙に触れてほしいものである。 | ||||
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中国、宋時代。中国北方の辺境が舞台。主人公は漢民族の趙行徳。進士試験を受けるべく都に上った彼はナント進士試験を寝過ごして失敗してしまう。失意の彼は市場を彷徨するうち、素裸の西夏民族の女が台の上に横たわり、肉として切り売りされようとする場に行き会う。そんな場でありながら全く卑屈ではない女の生命力あふれた逞しさ、図太さに妙に惹かれる。そして運命は転じ彼を辺境の西夏との戦場へ運ぶ事になる。 漢民族にして西夏軍の将となった朱王礼、行徳の目前で自死したウイグル族の貴族の娘、滅亡した他民族の末裔である尉遅光、多彩な登場人物を得て舞台は敦煌へと巡っていく。 あぁ・・敦煌。唐の太宗皇帝の書「温泉銘」がペリオによって敦煌より発掘された。紀元前の竹簡や木簡も。この小説で経典を敦煌に埋めた年からいっても発掘まで約850年。まさに浪漫溢れ、格調高い小説でした。ちょっと私には硬かったけどかじりがいはたっぷりありました。 | ||||
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古代敦煌周辺の状況がよくあらわされている傑作だと思いました。 | ||||
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ぶっとびました。面白かったです。50年くらい前の小説なんですよね。読んでいるうちに、ほんの序盤からですが、すっと中に入り込んでしまいました。 一人の男の流転の日々、見たこともない西夏の文字への興味、美しい女…。後半の畳み掛けるような展開。主人公の命はどうなってしまうのか? 玉は奪われるのか?敦煌は侵略されてしまうのか?(歴史を知っていると、これはもう周知の事実なのですが、敵が迫るなか主人公が経典を無事に僧侶たちと運び出せるのかというスペクタクルがある) ハラハラしました。 | ||||
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とてもよかったシルクロードの旅やをしたのはかなりむかしでありましたが敦煌によらず持つと西に行きましたタクラマカンの大砂漠地帯を砂塵巻かれながら楽しい旅しっことをおもいたたしました | ||||
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敦煌から発見された多数の古い経典。目の前に展開する事実から、著者が想像をわかせて創作されたと思われる壮大な文学作品。 敦煌莫高窟に一度は行ってみたいと思ってしまう作品です。映画化された物も拝見しましたが、小説の方が何故か心に感動が湧きました。 初めて読んだときは若かったので「お経ってそんなに大切な宝物なんだ…」という素朴な感想もありましたが…。 | ||||
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1900年に発見された敦煌文書、莫高窟に隠された背景を井上靖が豊かな想像力と美しい表現で紡いだ不朽の名作です | ||||
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中国西方に行く前に一度読んだことありますが、 もう一度読み返したくて、購入しました。 行く前と行った後では読んだ印象が違っていて 面白く感じました。 | ||||
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再読したくなり、買いました。 代表作を集めたもので、かなり良い編集と思いました。 一時期のイノウエを知るにはよい本です。 | ||||
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単純な感想を言えば。面白かった。いっきに読みました。行徳のように、私も駆け抜けたような気がしました。 自分も行徳なら、戦闘の場面などは、作中のようであったろうと思います。 とりあえず、何をどうしたかワカラナイが、石を投げて帰ってきた。 あとは馬がやってくれた。 ホント、そんな感じで自分も存在したと思います。 それはまあともかく。 自分は古代日本史の本をよく読みます。 その中には、卑弥呼は誰だとか蘇我氏とはなんぞとか、、そういう内容もありますが。 歴史とは、後の人間が思いもしない事で積み重なった結果のもののようにも思えました。 その時、その時の心の動き。 なぜ、自分がここに至るか。また何故ここに至ろうと思ったか。 最初は、こうだと思い行動したが、結局はよくはワカラナイが、今自分はこれを成すべく事に存在しているのかもしれないという。 自分ではどうしようもない時代という風ふかれ、砂のように重なり形をかえる。 その形は、すぐにまた違う形になり、時代という風は吹き続けていくのだなーなんて。 敦煌の経典類の謎。いつだれが。。。そんな事よりも。 その時代にいき、それを「そうすべく」した人間達にとっては。その時、そうすべき為に成した事。 よくはワカラナイが、それだけの事なのだな。 経典は「存在」していれば良い。 歴史は本当はどうだったかはワカラナイのですが。 敦煌の経典という「存在」を遺した人々、時の事情。 あらゆる興亡という風が吹き抜けた後に、その時にその形をしていたのだなー。 ロマンでした。おもしろかったです。 そして、文章は。 私のようなものには、適当な言葉を見つける事はできませんが。 余計なものを落とした結果でてきた、磨かれたもののように感じました。 シンプルで洗練されているというのでしょうか。 文章にも感動しました。 | ||||
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人は自分の思い通りにはならない。だから反駁し、協調し、共生する。況してや、私達の言う「歴史」が人々の歴史なら、その「歴史」とやらは非常に思い通りにならない、面倒な代物である。 そうやって人間の関係は存在し、それが束になって、都市を形成する。この本の場合の都市とは、紛れも無く敦煌のことであろう。しかしこの作者が採った都市が敦煌であっただけで、本当はどんな都市でも変わりはしない。 都市には必ず始まりが存在する。普通始まりが存在するものには、終わりが存在するのが世の理だが、都市の場合は物資的な始まりがあっても、物資的な終わりはほとんど無い。ただある終わりは、その都市で過ごした人々の意識の中での終末のみだ。過ごした人々というのは、生活した人々に限らず、その場所で力いっぱい蠢いた人間の生命自体である。そして予測不可能な、人々の行動である。 千仏洞の経典がなぜ二十世紀になってやっと出土したか、というのは歴史のナゾである。誰が千仏洞に経典を保管しようとしたか、この本ではそれが書かれているが、それはあくまで作者の想像上の追憶に過ぎない。しかしそれに、読者が違和感を抱かないのは、明瞭な資料に基づいているという作者の執筆スタイル、そして人は人の思い通りにいかず、それ故に人というものは無限の可能性を秘めているということを前提にしたスタンスを基に、詩的に書かれているということだ。 やはりこれには壮大という言葉がよく当てはまる。歴史の出来事を単語にして並べた教科書より、歴史の中で自由に蠢く人間を見ると、その細部は複雑で、複雑なものが時間に沿って広がっていくのが歴史だということがよく分かる。歴史というものを考え直す時に、この物語はとても有効なものだと思う。 物語の姿自体は、河上徹太郎が解説で「やや牽強気味を免れない」というように、読者にとっては理解し難い展開になっているが、しかしそれを操っているはずの作者の影は、不思議と見られない。物語もそのうち読者を虜にしてしまう。 河上はウイグルの王族の女の死が物語の核になっていることについて「これはややメロドラマティックな設定だが、この作者の女性によく与えられる役割」と書いているが、考えてみればそんなことは一読者にはどうでも良いことだ。河上のような著名な評論家が、こんなことを書いてしまうところを見ても、この作品の完成度は読者にとってかなり達成されている。是非一度は読んでみる価値あり。 | ||||
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現地の中国人ガイドによれば敦煌を訪れる日本人はここ数年減少しているという。旅行会社もここ最近の元高円安もあって中国人のガイドとして日本へ行く仕事が多いようだ。莫高窟には混雑を避けるために全12のルートの内1つを選んで説明してくれる。必ずしも自分の行きたい窟にいけるとは限らない。人気のある窟は有料で200元とか支払わないと入れない窟もあるようだ。一般の中国人旅行者は今までは鑑賞のポイントなど莫高窟の予習をしてこないので、折角莫高窟に行っても見どころが分からずすぐさま出てきてしまうため、窟の保護及び学習用に必ず莫高窟に入る前に数字中心という2014年に竣工した施設で8Kの映画をみて学習するようになっていた。意図的な演出のもと造られた仮想空間のようでありテーマパーク化しつつある印象で少し失望。 しかしながら莫高窟の中に入るとその芸術性に感銘を受けた。事前に読んだ東山健吾先生のこの本は敦煌への愛にあふれ、莫高窟などの見どころを豊富な知識とともに教えてくれる良本。西域の中国史は普段意識することが無いが、チベット系の吐蕃、タングート系の西夏、トルコ系のウイグルなどが支配した民族攻防の歴史。そしてその文化融合をふまえつつ各時代の仏教美術様式を教えてくれる。莫高窟を訪れる旅人の必見の本と推奨したい。現地のガイドでも語りつくせない内容が記載されている。 | ||||
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