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ザ・ボーダー
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ザ・ボーダーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全30件 21~30 2/2ページ
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説明どおりの内容で満足しています。 | ||||
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説明どおりの内容で満足しています。 | ||||
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麻薬カルテルの小説は初めて読みましたが、とにかく半端なく面白かったです。人間にとって、何が弱さなのか、何が強さなのか考えることができる小説でした。読んでいる間は、気分が良くなる感じは全くなかったが、最後の方で幾分スッキリした。映画化されたら観に行きます。 | ||||
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麻薬戦争への理解が深まった(知識としての価値は不明ですが)、ストーリーは面白い | ||||
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シリーズ全作読んでいますが、面白いです。フィクションとはいえ日本ではほぼ報道されないメキシコの現実を実在の事件を織り交ぜての話の展開に引き込まれます。 | ||||
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犬の力、ザ・カルテルに続くサーガ完結編。 多くを語る必要はない。とにかく圧倒的な小説体験です。 もう今年のベストは言うに及ばず、後年まで語り継がれるでしょう。 必読あれ。 | ||||
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ドン・ウィンズローは好きな作家で、「犬の力」「カルテル」も前によんでいました。 三部作の完結編にあたる本作も、十分に読み応えがありました。面白かったです。 ただ、文庫の装丁がかなりの分厚さで、寝っ転がって読むのにちょっと苦労しました。 三巻にしても厚いくらいの分量で、文庫の上下巻はどうなのかとも思いました。 | ||||
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小説に圧倒されるというのはどういうことを言うのだろう。かつてドストエフスキーやトルストイの大長編作品群にぼくは確実に圧倒された。加賀乙彦の『宣告』に圧倒された。五味川純平の『戦争と人間』全9巻に圧倒された。船戸与一の『猛き箱舟』に、高村薫の『マークスの山』に、ジェイムズ・エルロイのLA三部作『ブラックダリア』『LAコンフィデンシャル』『ホワイトジャズ』に圧倒された。劇画でいえば白戸三平の『カムイ伝』に圧倒された。手塚治虫の『火の鳥』に圧倒された。そういう圧倒的なパワーに打ち倒されるような感覚を失って久しい。敢えて言えばアンデシュ・ルースルンドの『熊と踊れ』二部作がその類いだったろうか。 読者を圧倒する小説とは、壮大なスケール感を持つ骨太な物語でなければならない。阿修羅の如き悪と、神のごとき善とを内包する人間たちの運命のぶつかり合う軋みが聴こえるようなドラマでなければならない。壮大な構想で読者を牽引してくれる力がなければならない。それらすべての困難な条件をクリアして余りある作品が、ウィンズロウのライフワークと言ってもよい巨作が、実は本シリーズであり、完結作である本書だ。 シリーズ第一作『犬の力』が<このミス一位>、第二作『ザ・カルテル』が<このミス二位>(ちなみにこの年は『熊と踊れ』が一位だった)、そして第三作であり完結編である本書がこの夏登場となった。圧倒と言うしかない分厚さと重さと物語性を引っ提げて。世の読書子が心の底から待ち望んでいたような小説として。 メキシコ麻薬戦争をめぐる現代史を学ぶ機会はなかなかないだろう。このシリーズがなければ闇に葬られてたかもしれない暗黒の現実。コロンビア産の麻薬がメキシコを経由してアメリカ国境を渡るという単純な構図を見ると、生産利益、運搬利益、販売利益を目的とする反社会的な受益団体の存在が見えてくるはず。メキシコは運搬と販売を司る仲介利益に群がる組織間の戦場と化してしまう。一般人やジャーナリストの犠牲者を多く出した40年という長い暗黒史にメスを入れたのが、実はこのシリーズなのである。 麻薬捜査官のアート・ケラー、麻薬王アダン・バレーラ。二人の対立構図を描いた大河小説とも言える前二作を受けて、本書では第二世代の組織による新たな暗闘が幕を開ける。『ザ・カルテル』ではメキシコ麻薬戦争で実際に犠牲者となったジャーナリストに作品は捧げられていたが、本書では麻薬カルテルによって葬られたバス一台分の無辜の学生たちの実名が挙げられ、作品は彼らに捧げられている。 例えば2014年のケラーの嘆き。「メキシコではバスに乗った四十九人の学生が亡くなった。アメリカでは二万八千六百人がクスリで亡くなった。誰ひとり復活しない。おれにはやるべき仕事がやれていない」 「二〇〇〇年から二〇〇六年までは、とオブライエンはケラーに説明する。ヘロインの過剰摂取による死亡者数は横ばいで、一年に約二千人だった。二〇〇七年から二〇一〇年までは、約三千人に増加した。それから急激に増え始め、二〇十一年には四千人、二〇一二年には六千人、二〇一三年には八千人になった。」 「二〇〇四年から現在までに、イラクとアフガニスタンで失ったわが国の兵士の総数は七千二百二十二人だ」 「同じ期間に、十万人以上のメキシコ人が麻薬戦争で殺され、二万二千人が行方不明になっています。ちなみにこれはひかえめな数字です」 この数字の規模でシリーズは進んできたのだ。そしてケラーが取り組んできた長い麻薬との闘いの人生でもある。本書はその総括ともなる大作で、何と上下巻併せて千五百ページを軽く超える重量級のクライム小説である。凄い厚みと重みだが、それを読ませてしまう推進力こそが、ドン・ウィンズロウという作家の持ち味である。 それぞれの章に登場する複数主人公が良い。潜入捜査官として苦闘するボビー・シレロ。ビリー・ザ・キッドの異名を持つ殺し屋ショーン・カラン。グアテマラからアメリカへの国境越えを図る少年ニコと少女フロルの運命。そしてメキシコのファミリーたちのそれぞれの狂気の個性。またも犠牲になるジャーナリストの悲惨。前作までの覇者と死者とその子供たち。刑期を終えて再登場する古き麻薬王たち。 何よりも時代は変わり、ドナルド・トランプを思わせる新手の大統領がアメリカと現代とを掻き回す。麻薬戦争はメキシコからアメリカに移る。さらに過激に残酷になり地下に潜ってゆく薬物戦争に対峙するケラーの運命。 多くの人間の運命を乗せた重機関車のように物語は疾走する。ケラーのラストの法廷での証言が彼の辿った四十年を振り返る。まさに現代の『戦争と平和』と言える本シリーズ。できれば一作目『犬の力』から辿って頂きたい。そして本作の持つ圧倒的な力に、是非とも魂まで揺さぶられて頂きたい。 | ||||
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小説に圧倒されるというのはどういうことを言うのだろう。かつてドストエフスキーやトルストイの大長編作品群にぼくは確実に圧倒された。加賀乙彦の『宣告』に圧倒された。五味川純平の『戦争と人間』全9巻に圧倒された。船戸与一の『猛き箱舟』に、高村薫の『マークスの山』に、ジェイムズ・エルロイのLA三部作『ブラックダリア』『LAコンフィデンシャル』『ホワイトジャズ』に圧倒された。劇画でいえば白戸三平の『カムイ伝』に圧倒された。手塚治虫の『火の鳥』に圧倒された。そういう圧倒的なパワーに打ち倒されるような感覚を失って久しい。敢えて言えばアンデシュ・ルースルンドの『熊と踊れ』二部作がその類いだったろうか。 読者を圧倒する小説とは、壮大なスケール感を持つ骨太な物語でなければならない。阿修羅の如き悪と、神のごとき善とを内包する人間たちの運命のぶつかり合う軋みが聴こえるようなドラマでなければならない。壮大な構想で読者を牽引してくれる力がなければならない。それらすべての困難な条件をクリアして余りある作品が、ウィンズロウのライフワークと言ってもよい巨作が、実は本シリーズであり、完結作である本書だ。 シリーズ第一作『犬の力』が<このミス一位>、第二作『ザ・カルテル』が<このミス二位>(ちなみにこの年は『熊と踊れ』が一位だった)、そして第三作であり完結編である本書がこの夏登場となった。圧倒と言うしかない分厚さと重さと物語性を引っ提げて。世の読書子が心の底から待ち望んでいたような小説として。 メキシコ麻薬戦争をめぐる現代史を学ぶ機会はなかなかないだろう。このシリーズがなければ闇に葬られてたかもしれない暗黒の現実。コロンビア産の麻薬がメキシコを経由してアメリカ国境を渡るという単純な構図を見ると、生産利益、運搬利益、販売利益を目的とする反社会的な受益団体の存在が見えてくるはず。メキシコは運搬と販売を司る仲介利益に群がる組織間の戦場と化してしまう。一般人やジャーナリストの犠牲者を多く出した40年という長い暗黒史にメスを入れたのが、実はこのシリーズなのである。 麻薬捜査官のアート・ケラー、麻薬王アダン・バレーラ。二人の対立構図を描いた大河小説とも言える前二作を受けて、本書では第二世代の組織による新たな暗闘が幕を開ける。『ザ・カルテル』ではメキシコ麻薬戦争で実際に犠牲者となったジャーナリストに作品は捧げられていたが、本書では麻薬カルテルによって葬られたバス一台分の無辜の学生たちの実名が挙げられ、作品は彼らに捧げられている。 例えば2014年のケラーの嘆き。「メキシコではバスに乗った四十九人の学生が亡くなった。アメリカでは二万八千六百人がクスリで亡くなった。誰ひとり復活しない。おれにはやるべき仕事がやれていない」 「二〇〇〇年から二〇〇六年までは、とオブライエンはケラーに説明する。ヘロインの過剰摂取による死亡者数は横ばいで、一年に約二千人だった。二〇〇七年から二〇一〇年までは、約三千人に増加した。それから急激に増え始め、二〇十一年には四千人、二〇一二年には六千人、二〇一三年には八千人になった。」 「二〇〇四年から現在までに、イラクとアフガニスタンで失ったわが国の兵士の総数は七千二百二十二人だ」 「同じ期間に、十万人以上のメキシコ人が麻薬戦争で殺され、二万二千人が行方不明になっています。ちなみにこれはひかえめな数字です」 この数字の規模でシリーズは進んできたのだ。そしてケラーが取り組んできた長い麻薬との闘いの人生でもある。本書はその総括ともなる大作で、何と上下巻併せて千五百ページを軽く超える重量級のクライム小説である。凄い厚みと重みだが、それを読ませてしまう推進力こそが、ドン・ウィンズロウという作家の持ち味である。 それぞれの章に登場する複数主人公が良い。潜入捜査官として苦闘するボビー・シレロ。ビリー・ザ・キッドの異名を持つ殺し屋ショーン・カラン。グアテマラからアメリカへの国境越えを図る少年ニコと少女フロルの運命。そしてメキシコのファミリーたちのそれぞれの狂気の個性。またも犠牲になるジャーナリストの悲惨。前作までの覇者と死者とその子供たち。刑期を終えて再登場する古き麻薬王たち。 何よりも時代は変わり、ドナルド・トランプを思わせる新手の大統領がアメリカと現代とを掻き回す。麻薬戦争はメキシコからアメリカに移る。さらに過激に残酷になり地下に潜ってゆく薬物戦争に対峙するケラーの運命。 多くの人間の運命を乗せた重機関車のように物語は疾走する。ケラーのラストの法廷での証言が彼の辿った四十年を振り返る。まさに現代の『戦争と平和』と言える本シリーズ。できれば一作目『犬の力』から辿って頂きたい。そして本作の持つ圧倒的な力に、是非とも魂まで揺さぶられて頂きたい。 | ||||
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シナロア・カルテルの最高幹部の一人でもあるホアキン・グスマンが終身刑を言い渡されたという新聞記事を目にしながら、「犬の力」、「ザ・カルテル」に続く三部作にして、その掉尾を飾る「ザ・ボーダー("The Border")上・下」(作者は、言うまでもなくドン・ウィンズロウ、ハーパーBOOKS)を読む。本であれば上下巻合わせて1,502P。私はKindleで読むことにしましたが、何故か読み終えることが寂しいと終始感じていました。その感覚はコッポラのゴッドファーザー3部作、特に「PartⅡ」を初めて見た時に感じた酩酊感にも似ています。読書の快楽は止むことを知らず、これが終わってしまったら、またもう一度これ以上の読書体験を求めて彷徨い歩くことになります。依存性という名の進行性の病気のように(笑) 2012年11月にはじまり(それは、「ザ・カルテル」の終章にあたりますが)、2017年4月に終結する最後のアート・ケラーの戦争、麻薬戦争、1975年にはじまるオデッセイ、クロニクルの最終章にあたります。同じクロニクルでもそれは、我が国の「----鳥クロニクル」などというグダグダの飲み会の飲み残しのウィスキーの水割りのようなひ弱な物語に比して、生のままのテキーラを飲み続けて尚、次の店に颯爽とハシゴする(覚束無い足元を強気で矯正しながら(笑))、アート・ケラーという最上の男の物語、「個」対カルテル、「個」対国家の物語でもあったのだと思います。男、個、カルテル、米国国家にテキーラをステアした最上の「カクテル」。 シナロアのドン、アダン・バレーラの死が「アダンは生きている(アダン・ビーべ)」という伝説を生み、その後継者たちが裏切りと報復と裏切りに彩られた覇権を争い、抗争は果てしなく繰り返され、多くの血が世界中で消費される石油のようにただただ無駄に流され、新しい<ヘロイン>がメキシコから米国へ、そのボーダーを超えて、国家ぐるみで持ち込まれていきます。 新たなDEA局長、アルトゥーロ・ケラー、アダン・バレーラの多くの後継者たち、その系累たち、麻薬売買で服役中の「狂気の」エディ、セータ隊、DEAでの覇権争い、ニューヨーク市警麻薬課、眠らない「おとり捜査」、ニューヨーク・シンジケート、斃れる新聞記者、そしてグアテマラの貧困から逃れ出ようとする少年、12ステップ・プログラムとスリップを繰り返す麻薬常習者。合衆国大統領ジョン・デニソンは、もう「あの人」だとすぐにわかるのですから、実名でもよかったのに(笑)。そして、これから読むであろう多くの読者のために、ストーリーに触れることはこのぐらいにしておこうと思います。 言ってしまいますが、あのショーン・カランとノーラにも会うことができます。ドン・ウィンズロウのこのサーガの中で、この二人だけがジャック・ヒギンズのヒーローたちのような「品格」を与えられています。そう、どこかの合衆国大統領には到底持ち得ない、法を超えたところでしか育まれない「品格」を持った犯罪者たち。愛おしいと思います。そして、情に振り回された人間だけが、この世から排除されていきます。変わることのない<権力>と<金>と<快楽>への執着という名の<狂気>のために。 いくつかの瑕疵はありますね。未消化のエピソードが残されていると思います。サービス精神旺盛な作者は盛り込み過ぎたのかもしれません。でもそれは、作者がスピンアウトのために設けたゲートウェイなのだとも思えます。 狂気の殺戮と無秩序の混乱。秩序からくる美しさはとうに失われ、日本人も、アメリカ人も、メキシカンも、グアテマラも、エルサルバドルもホンジュラス人もこれからいったい何処へ向かうのか想像もつかない。 二極化を招いたアート・ケラーの頭をかすめる狙撃者の銃撃。ケラーは、プロローグとそれに呼応する最終章で9ミリのグロックを掴みとります。魂に<境界>はないと信じて。 番外ですが、ケラーの二人の妻による「クリスマス・イブ」のシーンで、何故か深い悲しみに襲われました。 「幸せになる努力をしてね、いい? この世の厄介事のすべてがあなたのせいというわけじゃないんだから」「きみはどうなんだ? 幸せなのか?」(Kindle の位置No.6435-6436). もはや<霊性>などパンくずほどもないこの世界で、<霊性>を求めようとする自分がいますね。それが、おそらくこの世から真っ先に排除される第一要因なのだと思いながらも。 | ||||
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