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騎士団長殺し



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騎士団長殺しの評価: 3.46/5点 レビュー 721件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.46pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全407件 161~180 9/21ページ
No.247:
(5pt)

ジョージ・オーウェルの小説『1984年』を通底奏音として、人間の魂と闇(悪)を描いた『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』に続く三部作完結編(前編)

作中にエピソードが登場するドストエフスキーやジョージ・オーウェル・ゴッホをはじめ、スコット・フィッツジェラルド等、彼等作家とその作品へのオマージュに満ちた小説です。

本書にはまさにジョージ・オーウェルが『1984年』を描き身体を壊したエピソードが紹介されていますが、その1984年が舞台である村上さんの過去の長編『ねじまき鳥クロニクル』、『1Q84』と共に三部作を成す、重要な小説だと思います。

『ねじまき鳥~』には第二次世界大戦のエピソードが深く描かれ、『1Q84』はもちろんオウム真理教を意識した作品ですが、本書『騎士団長殺し』は第二次世界大戦におけるウィーンと中国での虐殺、オウム真理教の事件、更には3・11のことが出てきます。

前作の長編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』では、リストのピアノ曲を弾くユズという少女がレイプされ、拒食症になり、やがて殺されます。

本書では同じ名を持つ主人公の妻が理性を亡くし、美青年とセックスし、主人公に別れを告げます。

両書において、主人公たちは夢の中でユズを犯す。

『ねじまき鳥~』では、主人公の妻は実の兄におそれく夢の世界(目に見えない世界)で襲われ(犯され)、理性が狂い、浮気をして、主人公を捨てる。

川上未映子が村上さんにインタビューした共著『みみずくは黄昏に飛び立つ』を読めば、恐らく、村上さんは第二次世界大戦やオウム事件などの人類の悪というのは、どこかで主人公を含む我々の心の奥底になる無意識領域の濃密な闇と繋がっていると考えているようです。

本書は少なからずフィンセント・ファン・ゴッホと心を通底させ、幼い頃に妹を亡くし、今は突然妻に去られ心に深い傷を背負った主人公の画家と彼の周りのそれぞれに苦悩を抱えつつも鮮やかな生を持つ人たちの生き様を通し、人間の魂の闇とその救済、そして目に見えないものが存在すること(本書では覚醒に近い存在としてのイデア、『1Q84』ではリトルピープル)を描いた、『ねじまき鳥~』、『1Q84』に続く、スケールの大きな優れた長編小説三部作の完結編ではないでしょうか。個人的にはその三部作の中で『ねじまき鳥~』が最も優れた小説だと思いますが。

~以下、イデア編より教訓となるメッセージ~

(準主人公の)免色は言った。「私は思うのですが、大胆な転換が必要とされる時期が、恐らく誰の人生にもあります。そういうポイントがやってきたら、その尻尾を素早く掴まなくてはなりません。」

「大事なのは無から何かを創りあげることではあらない。諸君のやるべきはむしろ、今そこにあるものの中から、正しいものを見つけることなのだ」

「人物を描くというのはつまり、相手を理解し、解釈することなんだ。言葉ではなく、線やかたちや色で。~略~ ぼくもぼくのことが理解できればと思う。でもそれは簡単なことじゃない。だから絵に描くんだ。」
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.246:
(5pt)

ジョージ・オーウェルの小説『1984年』を通底奏音として、人間の魂と闇(悪)を描いた『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』に続く三部作完結編(後編)

作中にエピソードが登場するドストエフスキーやジョージ・オーウェル・ゴッホをはじめ、スコット・フィッツジェラルド等、彼等作家とその作品へのオマージュに満ちた小説です。

本書にはまさにジョージ・オーウェルが『1984年』を描き身体を壊したエピソードが紹介されていますが、その1984年が舞台である村上さんの過去の長編『ねじまき鳥クロニクル』、『1Q84』と共に三部作を成す、重要な小説だと思います。

『ねじまき鳥~』には第二次世界大戦のエピソードが深く描かれ、『1Q84』はもちろんオウム真理教を意識した作品ですが、本書『騎士団長殺し』は第二次世界大戦におけるウィーンと中国での虐殺、オウム真理教の事件、更には3・11のことが出てきます。

前作の長編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』では、リストのピアノ曲を弾くユズという少女がレイプされ、拒食症になり、やがて殺されます。

本書では同じ名を持つ主人公の妻が理性を亡くし、美青年とセックスし、主人公に別れを告げます。

両書において、主人公たちは夢の中でユズを犯す。

『ねじまき鳥~』では、主人公の妻は実の兄におそれく夢の世界(目に見えない世界)で襲われ(犯され)、理性が狂い、浮気をして、主人公を捨てる。

川上未映子が村上さんにインタビューした共著『みみずくは黄昏に飛び立つ』を読めば、恐らく、村上さんは第二次世界大戦やオウム事件などの人類の悪というのは、どこかで主人公を含む我々の心の奥底になる無意識領域の濃密な闇と繋がっていると考えているようです。

本書は少なからずフィンセント・ファン・ゴッホと心を通底させ、幼い頃に妹を亡くし、今は突然妻に去られ心に深い傷を背負った主人公の画家と彼の周りのそれぞれに苦悩を抱えつつも鮮やかな生を持つ人たちの生き様を通し、人間の魂の闇とその救済、そして目に見えないものが存在すること(本書では覚醒に近い存在としてのイデアや神の存在、『1Q84』ではリトルピープル)を描いた、『ねじまき鳥~』、『1Q84』に続く、スケールの大きな優れた長編小説三部作の完結編ではないでしょうか。個人的にはその三部作の中で『ねじまき鳥~』が最も優れた小説だと思いますが。

~以下、メタファー編より~

「もしぼくが君を正しく描くことができたら」と私は言った。「君はぼくの目で見た君の姿を、君自身の目で見ることができるかもしれない。もちろんうまくいけば、ということだけれど」「そのためにわたしたちは絵を必要としている」「そう、ぼくらはそのために絵を必要としている。あるいは文章や音楽や、そういうものを必要としている」

私たち(十三歳の妹と私)のあいだには確かな生命の交流があった。私たちは何かを与えると同時に、何かを受け取っていた。それは限られた時間に、限られた場所でしか起こらない交流だった。やがては薄らいで消えてしまう。しかし記憶は残る。記憶は時間を温めることができる。そして - もしうまくいけばということだが - 芸術はその記憶を形に変えて、そこにとどめることができる。ファン・ゴッホが名もない田舎の郵便配達夫を、集合的記憶として今日まで生きながらえさせているように。

「しかしな、諸君。この宇宙においては、すべてがcaveat emptorなのだ」「caveat emptor。カウェアト・エンプトル。ラテン語で『買い手責任』のことである。人の手に渡ったものがどのように使用されるのか、それは売り手が関与することではあらないのだ。」

「試練はいつか必ず訪れます」と免色は言った。「試練は人生の仕切り直しの好機なんです。きつければきついほど、そのあとになって役に立ちます」「あなたは確か36歳でしたね? ~略~ 人生の中でおそらくいちばん素敵な年齢です」

あるいは私はそれらの絵を描くことによって、ひとつの物語を記録しているのかもしれない。そんな気がした。私はそのような記録者としての役割を、誰かによって与えられたのだろうか? もしそうだとしたら、その誰かとはいったい誰なのだろう? そしてなぜこの私が記録者に選ばれたのだろう?
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.245:
(5pt)

是非読まれてみては。

巷で流行る何某が殺され誰某が情緒絡め推理ゲームに人間解釈され過ぎる小説群。そんな小説界を皮肉ったかのようなイデアとメタファー。最後のエピローグはそのような小説に慣れきった者へ作者の温情とも。
自身の生きた人生に照らし読まれた方々もいらっしゃるかとは思う。そもそもイデアを具象化出来た人間は日本に一体何人いるのかと。主人公と妻、雨田親子にメンシキ氏、妹、母にフォレスター男、更には人妻とファミレス女性等、全てにイデアの具象化に繋がる人物であると読まれた方々もいらっしゃるのではないでしょうか。つまりイデアを具象化出来る生きた過程がそれであり、その登場と関わりとメタファーとはどのような人間にも表現し難い部分であるのでは。しかも美術、古典音楽という感覚的要素、生活表情で一変する世界舞台での、イデアとメタファー記述です。
これまでの人生で五感のズレを一つでも経験された方には読み出せば止まらない小説だとは思えます。
カフカに登場する父親、バスの女性等、カフカは少年であり、この本の主人公は何歳か登場する人物との関わりを照らしてみてはどうでしょう。
因みに私は歴史小説と児童文学専門人間で、他は村上春樹氏以外はなんの響き感じない為、参考にはならないとは思います。が、
この本はかなり最近他には無い、かなり深い意味を込めて書かれたのではないでしょうか。改めて、村上春樹氏の凄さを感じました。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.244:
(5pt)

最高傑作

気になっていた本だけど、忙しくて手を出せないでいた。どうせ面白いだろうけれど、どうせ村上ワールドだろう、などと考えていたのだが、ついフラフラと手を出してしまった。読み始めたら、途中でやめられず一部二部を一気に読んだ。予想と違った。すべてが深化していた。彼のいままでの作品の中で、もっとも文学的完成度が高いと思う。派手さがなくなり、より日常的になり、テーマがたがいに深く絡み合うようになった。円熟するとは、このようなことなのだろう。
 われわれの生活の奥に流れている、そして日本文化の底流に流れている権力者の暴力を見据え、それから解放されたいのだ、というテーマが流れ続ける。これは、いままでの村上春樹で食い足りなかったものを書いてくれていた。そこに焦点を当てて読むと、ものすごく面白い物語なのである。ナショナリズム流行に棹さし、南京事件を取り上げてくれたことには村上春樹に感謝の意を表したい。
 謎解き風のストーリーは、結局はすべてが何事もなかったかのごとく日常性に戻っていく。日常性の奥に隠れているものを描き出そうとすれば、そうなるのは必然であろう。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.243:
(4pt)

そう、クラシック音楽というメタファーが似合うかも。 つまらないと言えばつまらない。

良い作品、とするか。悪いと酷評するか。
どちらにせよ、自分自身の器を露呈するような行為にも近い。
鏡のような作品。
というより、村上春樹は憑依系でふかいふかいところにおりていって書くので、自然とそうなるのだろう。
頭で書いてない。
対談集「みみずくは黄昏に飛びたつ―川上未映子訊く 村上春樹語る―」にも書かれているが
地下二階へおりていく作業なのだ。
ここが広い人や抽斗が多い人はこの作品から、自分の抽斗が開かれるだろうし
地下二階におりていくことが、まだ想像もつかなかったり、目に見えてわかりやすいものを求めるとこの作品ってつまらないです。
ましてや性描写なんかに何かを求めても仕方ない。そういうのはフランス書院文庫に任せましょう。
ただ、この地下二階は全人類に共通する構造のようなものがあるらしく、どの時代でもどの地域でも、きっと共鳴する人が少なくないと思います。そういう意味でクラシック音楽。
そう、クラシック音楽というメタファーが似合うかも。
つまらないと言えばつまらない。
背景や文脈を深く知ったり、人生経験を重ねると、何か引き出せるものがちびりちびりと滲み出てくる。
なんど舐めても、飽きることがない。
村上春樹作品の主人公がよく読むようなロシアのドストエフスキーライクなつまらなさと普遍性がある、のだと想像する。
たぶん違うって思う人は多いだろうけど。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.242:
(5pt)

ちゃんと読みました。

中身はちゃんとしていて、読ませると思います。母親のしていることははっきりわからないけども、嫌な感じ、というのは周りの人(特に子供)には、わからないけどわかる、という部分が好きです。自分なりに読むと、移り気な女性は内面に天秤をかけて、元に戻るために都合の良い嘘と託卵を試み、そして主人公は内面が成熟する、という気がしました。どの道苦い物を孕みつつも人は時代を限られた時間進み見ていくしかないのだ
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.241:
(4pt)

安心して村上ワールドを満喫

1Q84はあまり物語にはいりこめなかったのですが、今回は楽しめました。いつもの村上節ではあるのですが、安心して村上ワールドを楽しめる内容です。
新しい世界ではないですが、通い慣れたお店で寛ぐような、そんな感覚でした。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.240:
(4pt)

保守的

最近の村上春樹は色々あった挙句最後の方はあっさりハッピーエンドという感じで、今回も保守的な傾向を感じる。『1Q84』も3部のラストがそのような終わり方であった。
震災、日本全体の雰囲気、加齢による不安などが影響しているのだろうか。

ストーリーは、『ねじまき鳥クロニクル』を今の春樹氏の感覚で書き直したといったところ。
イデア出現までのホラー展開、二巻中盤以降の展開は一気に読んでしまえる面白さ。独自の文体、技巧は顕在。すっきり整合性のある小説でないのはいつものこと。
登場人物はそれぞれ魅力的だけれど良い人ばかりでいまいち。スバル・フォレスターの男にもいまいち恐怖感がない。
書く側・読む側にきついストレスがかかるような話は若くないと書けないのかもしれない。

私は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の文学的な終わり方が好きだったので、あのぐらいの危うい冒険をしてほしい。『ノルウェイの森』のように軸が比較的はっきりしている話も良かった。

村上春樹を初めて読む方には本作よりも、短編集『神の子どもたちはみな踊る』、長編『世界の終り…』、『1Q84』をお勧め。
読み慣れていれば、本作も楽しめると思います。

また自作を楽しみにしています。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.239:
(5pt)

村上春樹が何故ノーベル文学賞を獲れないかを考えてみた

2017年2月24日リリース。村上春樹の14作目の小説である。今までで最短、2日で読了してしまった。日曜日にぶっ続けで10時間くらい読み、昨日はそのせいもあってか体調を崩して、死んだように眠り、本日下巻の残り半分を読み上げた。

ここでは、この本を読んで、なぜ村上春樹が、ノーベル文学賞を獲れないかを考察してみた。

まず、今年のノーベル文学賞の受賞者はボブ・ディランだ。多くの人がこの選出に驚いたわけだが、逆を返せば、ボブ・ディランを評価するような人たちが、ノーベル文学賞の選者ということにもなると思う。

その視点から、この『騎士団長殺し』を見てみると、気になる点がぼくにはある。それは、小説の構成要素として使われている音楽が多く、レベルが落ちると言うことだ。これは特にロック・ミュージック、つまりディランの世界において顕著だと思う。

たとえば、

・ブルース・スプリングスティーンの『ザ・リバー』 - 主人公が小田原のレコード店で購入したレコード。「そのアルバムにおけるEストリート・バンドの演奏はほとんど完璧だった」と主人公は述べる・・・このアルバムのこの演奏をブルース・スプリングスティーンの作品群でこう評価するロック好きはほとんどいないと思う。

・ABCの「ルック・オブ・ラブ 」 - 雨田政彦の車のカセットテープに入っている曲・・・これも当時を代表しているつもりなんだろうがつまらない曲だ。

・デボラ・ハリーの「フレンチ・キッスイン・イン・ザ・USA」 - 雨田政彦の車のカセットテープに入っている曲・・・これもなんでデボラ・ハリーのソロになっちゃうんだろう。絶対にブロンディの曲でなくては不自然だ。

・ビートルズの「フール・オン・ザ・ヒル」 - 東北のファミリー・レストランで弦楽器演奏のバージョンがかかる。主人公はこの曲を実際に作曲したのがジョン・レノンだったかポール・マッカートニーだったか思い出せないと言い、「たぶんレノンだろう」と当たりをつける。・・・この間違え方が不自然だ。この曲をポールの曲と知らないロック好きなどいないだろう。

などなど、あげればキリがない。つまりボブ・ディランを選出するであろう人々の共通認識としての音楽の『常識』とも言えそうな感覚をことごとく外してしまっているのだ。これでは、稀有なイマジネーションで構築された創造物に、間違った装飾品を着けているように感じられてしまうだろうと予想される。

村上春樹はロック・ミュージックを使うのはやめるべきなのだろう。選者たちは、ディランに文学賞を授けるような人たちなのだ。その人たちが、この作品の音楽の使い方をどう思っているかは推して知るべしだと思う。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.238:
(5pt)

上巻の畳みかけるような感じが好き

上巻は、時間の許す限りページを開きました。人生に訪れる理不尽な仕打ち、非現実的な生活に逃避するほど襲い来る更に非現実的な出来事の数々。どれも意味ありげで、いつか回収されるべき伏線めいていて、その実ねじれたまま謎としてただ転がっているだけかもしれない。そして、芸術がモチーフになっている点が、今までになかった点。作者の芸術観が、少し見えた気がしました。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.237:
(5pt)

騎士団長はこう言うだろう。『諸君は、予習をあられるべきだ。』

2017年2月24日リリース。村上春樹の14作目の小説である。今までで最短、2日で読了してしまった。日曜日にぶっ続けで10時間くらい読み、昨日はそのせいもあってか体調を崩して、死んだように眠り、本日下巻の残り半分を読み上げた。

まず思ったこと。この作品は読み手を選ぶのかもしれない。もし、この作品に登場する音楽や小説や映画を全部聴き、読み、観ていて、この作品を読んでいれば、いや、読んでいなければ、少なくともこの作品の描こうしたものは解らないだろう、と思った。

最低でも、リヒャルト・シュトラウスがどんな人であるかということと、プラトンのイデア(プラトンは、イデアという言葉で、われわれの肉眼に見える形ではなく、言ってみれば「心の目」「魂の目」によって洞察される純粋な形、つまり「ものごとの真の姿」や「ものごとの原型」と言っていたこと。)とメタファー(メタファーは、言語においては、物事のある側面を より具体的なイメージを喚起する言葉で置き換え簡潔に表現すること。正に村上春樹がやっていることだ)。そして、ドストエフスキーの『悪霊』くらいは読了していることが必須だと思える。

目立たないカタチになっているが、特にリヒャルト・シュトラウスが効いていて、この人の指揮者としてウィーン・フィルを演奏していた時代と、オペラ『薔薇の騎士』を作曲し、それをサー・ゲオルグ・ショルティがLPに録音していることが、物語の起点になっている気がする。そして、モーツアルトの『ドン・ジョバンニ』。この2つのオペラをLPで聴きながら、この物語は創り上げられたのではないだろうか。

その創り上げ方こそが村上春樹の小説の面白さだろう。その世界は、不思議な繋がり方で読み進むぼくらの脳裏に、その世界を構築していくのだ。そこが凄い。

未読の方のために、詳細には触れないが、稀有なイマジネーションが創造する世界は村上春樹にしか創れないと思う。そして本作は大変な傑作でおそらくはのちのち最高傑作の一つにあげられるだろう。

繰り返すが、この作品は読者に予習を必要とさせる。しかしながら、もしきちんと予習してこの作品を読めば、その素晴らしさを何倍にも楽しめるだろう。騎士団長もこう言うだろう。『諸君は、予習をあられるべきだ。』

何しろこんなに楽しい読書の時間は久しぶりだった。中一日、頭が加熱しすぎて寝込んでしまったのも仕方ない気がする。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.236:
(5pt)

部屋

一気に読み上げた感じです。
第一部、第二部ととても有意義な読書世界を官能した。

今回の作品にも、村上節はありありで、
一つの物語の幹から枝分かれしたいろいろな、テーマでなりたっていた気がします。
メンシキの家でいうなら部屋かな。

いろんな部屋(テーマ)

だからそのテーマが読み手に記憶に強くのこっていればその一テーマに対して、変態かもしれんし、哲学かもしれんし、ファンタジーかもしれんし、、、、人それぞれだから賛否は分かれる作品かと思う。
わたしはいろんな部屋部屋に共感や食いつきもありで★5!

いろいろな警告もあったんかな~

今の世の中、0か1かみたいなはっきり答えを求める志向にあるし、ネット、検索があればなおさら・・・・

人は知らなくて、知らない方がいいことは世の中いっぱいあるような気もする。でもパナマ文書でもそうだけど、人は、好奇心あるわけで・・・

いろんなテーマな部屋がいっぱい。

みみずくのように、鳥瞰的にいろいろ感じ、考えられる本だった。

安易に駄作なんてとてもとても言えないし、ファンタジーや一話題小説なんて軽々しく言いたくない!
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.235:
(5pt)

どんなに時間がなくても

育児と仕事でほんとに時間も体力もないはずなのに、この本は私のあらゆる時間を集める力がありました。
待ちに待った新作長編、もったいないから味わってゆっくり読みたいのに、猛烈な勢いで読み進めざるを得ませんでした。村上春樹らしい、まさに村上春樹な物語。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.234:
(5pt)

ハルキストではない人にも、村上春樹がなぜすごいのか解らせてくれる久々の名作

僕は「風の歌を聴け」に始まり、村上春樹の作品は全部読んでいますが、好きな作品とそうでないものに大きく分かれます。いわゆる初期のねずみ三部作と、「ハードボイルドワンダーランド」は好きでしたが、「ノルウェイの森」などは何度読み返しても、面白いとは思えませんでした。「1Q84」も星三つと行ったところです。そんな中、ある意味、村上春樹本来の持ち味を発揮しているのが、この作品だと言えるでしょう。
舞台を風の歌の芦屋から伊豆高原に移し、「ねじまき鳥クロニクル」に出てくるノモンハンの歴史観を、ナチスの歴史観に置き換えただけで、彼の持ち味である現実へのコミットメントを最小限に抑えたスタイルで存分に楽しませてくれます。失われた13歳の少女へのオマージュ。独特の比喩を用いた春樹節が炸裂しているので、ハルキストには大満足な長編です。ハルキストでない人も、第1部を読んだら、第2部をすぐに読まずにはいられない、久々の長編での成功作だと思います。前編はあくまで後編への布石にすぎないと思ってください。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
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No.233:
(5pt)

ハルキストじゃない人にも、村上春樹がなぜすごいのか解らせてくれる久々の名作

僕は「風の歌を聴け」に始まり、村上春樹の作品は全部読んでいますが、好きな作品とそうでないものに大きく分かれます。いわゆる初期のねずみ三部作と、「ハードボイルドワンダーランド」は好きでしたが、「ノルウェイの森」などは何度読み返しても、面白いとは思えませんでした。「1Q84」も星三つと行ったところです。そんな中、ある意味、村上春樹本来の持ち味を発揮しているのが、この作品だと言えるでしょう。
舞台を風の歌の芦屋から伊豆高原に移し、「ねじまき鳥クロニクル」に出てくるノモンハンの歴史観を、ナチスの歴史観に置き換えただけで、彼の持ち味である現実へのコミットメントを最小限に抑えたスタイルで存分に楽しませてくれます。失われた13歳の少女へのオマージュ。独特の比喩を用いた春樹節が炸裂しているので、ハルキストには大満足な長編です。ハルキストでない人も、第1部を読んだら、第2部をすぐに読まずにはいられない、久々の長編での成功作だと思います。前編に比べると、布石を解決するためにストーリー展開を急ぎ、やや荒削りになっていますが、十分に満足のいく後編でした。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
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No.232:
(4pt)

1Q84と騎士団長殺し

「ハックルベリーファンの冒険」の冒頭でマークウェインは深読みするなと警告しますが
本作は暗喩とわざわざ副題を付けているので試みました。

騎士団長を殺さなくてはまりえは助からないと決断して
訳の分からに暗闇で苦労している間にちゃっかりまりえは想定と違うところから無事帰宅する。
いろいろ茶々を入れた免色とは疎遠になり、結局は離婚したつもりでいた妻との生活に戻る。
(冒頭に書かれていたことをすっかり忘れていました。)

青豆もユズも受胎する。

1Q84では主を「正しいこと」と信じて殺害した青豆と天吾が逃走して終わりますが
今回は後日談的なところまで書かれているのが、意外でした。
ここは無人爆撃機を操作して定時には帰宅して家族団らんといったところでしょうか。

大量破壊兵器があるからと地球の反対側の国が攻め込んでみたものの、何もなかったが
しっかりその国家は崩壊させた。
二人は口を閉じるしかないでしょう。

四角い穴から入り丸い穴に出てくるまでが珍しく退屈だったので☆4つ。
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No.231:
(5pt)

複雑に絡みあっているように見えてピンと張ればどこにも結び目が出来ない紐のような感じ。

複雑に絡みあっているように見えてピンと張ればどこにも結び目が出来ない紐のような感じ。
これがこの小説を読んだ感想です。

そしてアンチは、この結び目がないことに怒るのです。

「あれだけ複雑に絡みあっていたのに結び目がないのはおかしい!」「もっと他に紐の使い方があったんじゃないの!例えばここをこうして…」etc.

いやはや、彼らは一体何を期待しているのでしょうか。何かを期待しなければ小説を読めないのでしょうか。

「騎士団長殺し」は何も期待しなくても読める小説です。どうぞ下巻も楽しんでください。
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No.230:
(5pt)

輪があればそれは閉じられるべきだ

非現実的な比喩と現実が溶け合う瞬間があって、村上春樹はそれが上手い。
それをたった一行で表現していたり、小説全体で表現していたりする。
だから今回の騎士団長のようなファンタジー的な要素もすんなり受け入れられるし、妙にリアリティを持たせる料理や車やセックスの描写も何かのモチーフとして処理できる(できない人には読めない)。

にしても彼は、万物はメタファーと言うが、果たしてその事を自分でどこまで理解しているのだろう(若干投げやりな発言のようにも思える)。
出てくるモチーフには全て暗喩を与えているのであろうが、意識的なのか無意識的なのか読む限りでは分からない。

そして、この騎士団長殺しを語る上で、この意識-無意識の問題はとても重要に思える。

他のレビュアーも指摘しているように、今回の小説にこれまでの設定をまるっと移植しているのにも何か意図があるのだろうが、それが読者に向けたものなのか自分自身に向けたものなのかが本当に謎であるからだ(フォーマット化して手抜きしているなんて邪推するような人もいるみたいだが)。

「分かってもらいたい」のか「分かろうとしている」のか、とっても大きな違いではあるが、いずれにしても、村上春樹の創り出す世界の輪が閉じられる日も、そう遠くないのではないだろうか。
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No.229:
(5pt)

<騎士団長殺し>ナゾを読み解く

不機嫌な人がはしゃいでいるような、どこか既視感があるような独特のハルキ・ワールド。
登場人物のテンションの低さはこの物語の通奏低音として異様な風景を暗示します。一見面白いがなかなかやっかいな小説です。ハルキストとアンチ・ハルキストのどちらにも与しない立場なので、このまがまがしいタイトルに惑わされずあまり興奮しないで読めました。筋書を書くことはこれから読む人のために遠慮しておきます。ただ村上小説の骨格になる道具立てを並べて見たいと思うのです。

○ここに登場する<イデアidea>とは何か:イデアは古代ギリシャのプラトン(前427~347)の「見られたもの」から転じて「そのもの」「心の目によって洞察された真の姿」といった意味があります。小説の中で擬人化したイデアが話す言葉のなかで<君>を<諸君>と複数で表現するので、この<イデア>が必ずしも主人公個人の問題ではなく、<普遍的>あるいは<一般的な>な意味を持つことがわかります。さらにこの<イデア>こそが本来主人公の画家としての真の資質を顕わすことの出来るはずの力でした。

○<メタファーmetaphor>とは何か:メタファーの価値を明確にしたのはプラトンの弟子のアリストテレス(前384~322)。ある実態を別のもので喩えること。暗喩。この小説の中には実に数多くのメタファーが存在します。村上小説にはメタファーは欠かせないでしょう。しかし著者があえて<メタファーにうつる>と云っているので、ある特定な事柄を指すと思います。また<還る(うつる)>と言う言葉は帰ると同じですが還という字は物理的なものではなく根源的な帰還を意味します。ではこの場合のメタファーとは何のことでしょうか。ここでは主人公が借りている雨田具彦の庭の雑木林にある丸い石室です。つまり妻と別れた主人公の<人生の空白>をこの穴がメタファーしているということです。後になって主人公が<イデア>を刺殺した後、地中を這ってメタファーの川を渡り、大変な困難に遭遇しつつ、この雑木林の中の穴に遷(うつ)るストーリーと完全に一致します。

○隣に住むメンシキワタルという男はどのような意味を持つ人物なのでしょうか。彼はこの小説の中で舞台回しのような役割を担います。つまり<私>の家の雑木林の中にある鈴の鳴る<穴>を発掘して<イデア>を蘇らせ、<イデア>と会うことによって<私>は肖像画の中にその人物が持つ深い人格を表現する力を得ることができたのです。その最初の肖像画がメンシキ自身の肖像画でした。そして終わりにメタファーであるこの<石室>から<私>を助け出し、もとの人生に戻すのがメンシキの役割です。

○川を渡してくれた<顔のない男>が重要な役割を果たしていることは、この男が小説の冒頭に出て来ることから分かります。川を渡す条件として顔のない男の肖像を書く約束をし、それまでの間<少女まりえ>から預かったペンギンのマスコットを渡したが、後になって約束を果たすためにやってきたこの男の肖像を<私>はどうしても書くことが出来ませんでした。肖像画家が肖像を書けないということは主人公の画家としての限界を暗喩していると思われます。それは<少女まりえ>を救うために<イデア>を刺殺してしまったからでした。この地中の川はプラトンの云う忘却を象徴する<レテの川>であろうと思われます。つまり<私>の8ヶ月の人生の空白を忘却し、もとの平凡な道に戻るということを、同時に<イデア>の出現によって芸術的な画家になるチャンスもその死によって永久に失われるといった意味を持つのではないでしょうか。

○<騎士団長殺し>といったタイトルや<離婚の苦悩>といったテ暗いテーマをカモフラージュするいろいろな賑やかで瀟洒な道具立てはいつもの春樹ワールドの真骨頂です。美しい高級車、最上級のフランス料理、ワインと葡萄酒、その時の時流を行く衣服、世界的な文学、そして際立つクラシックとジャズ音楽。その中で最も多く出てくる音楽が<騎士団長殺し>の原型であるモーツアルトの<ドン・ジョバンニK527>の殺人場面(1幕3場)とリヒアルト・シュトラウスの<バラの騎士>どちらもオペラです。瀟洒な雰囲気のこの小説を読みながらのBGMであれば<バラの騎士の円舞曲(ワルツ)>がふさわしいかも知れません。

○続編への予感:続編を期待出来る幾つかの予兆があります。それは登場人物にまだミッションが残されているからです。
1.小説の冒頭に出てきた<顔のない男>は「いつか再び、お前のもとを訪れよう」と云っています。また<私>も「いつか無の肖像を描くことができるようになるかもしれない。ある一人の画家が<騎士団長殺し>という絵を描きあげることができたように」と思う。ここで大画家雨田具彦が<私>にとってのメタファーであることがはっきりすると同時に将来の<私>の姿が浮かび上がってきます。

2.しかし将来の<私>が現在の自分を超えた画家になるためには<イデア>またはそれに替わる<何かの力>が必要になるはずです。しかし<イデア>以外の力についてはここで思いつかないので、まず<イデア>の復活を考えたいと思います。<イデア>が偽装した騎士団長の絵は雨田家の火事で焼失いたという設定ですが、もしかすると生き残っているのではないかという想像は可能です。誰かが<騎士団長殺しの絵>を火事の前に持ち出していたら?それが出来るのは誰?可能性があるのは2人、メンシキワタルと秋川まりえです。しかし実行できるのはまりえに絞られます。彼女は<私>と一緒にその絵を天井裏に仕舞うのを手伝っているのですから。どこへその絵を隠したのでしょう?シンメンワタル邸の母親(まりえは母親とは知らないが)の洋服が格納されている部屋あたり?もちろんメンシキには内緒で・・・。

3.登場人物のミッションまだ残っており、想像はいくらでも膨らみますが、作者の題名の中にある続編への期待は本の番号のふり方でしょう。上下ではなく、1部、2部ですから3部、4部があるのは必然だと思います。あるいはもう脱稿している?

4.説かれるべき謎は沢山あります。最終的に<石室>はどうなるか。メンシキワタルと秋川まりえの親子検証は。<顔長>とは誰なのか。つかの間の彼女が何気なく口走る<白鯨の主人公エイハブ船長>はこの小説のメタファーなのか。<私>の潜在意識のメタファーである<白いスバル・フォレスターの男>の絵は完成するのか。<まりえ>の肖像は完成するのか。<私>にとって12歳で死に別れた妹<こみち>のメタファーである妻<ゆず>、不思議な少女<まりえ>、そして娘の<室>(意味深なネーム)の意味あるつながりとは。<メンシキワタル>と<秋川笙子>の行く先は。等々。この謎はやがて明らかになるでしょう。新潮社2017/2
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No.228:
(5pt)

今までの作品<騎士団長殺し1.2

村上春樹の最高傑作です。1部で読むのをやめないで下さい。あなたの心に響く部分がかなりあります。アンチ村上もしくは、文脈を理解していないレヴューがたくさんあり、残念です。
間違いなく傑作であり、今までの作品と別格です。この作品は村上春樹の歴史を変えたのかもしれない。それゆえ、私は何回も読み返している。
ひとつの文脈から、「こういうことを書くからきらい」、それは政治的なものとか性描写のたぐいだが、それで全体を俯瞰的に見ることのできない頭のわるいレヴュアーは、読むのをやめてほしい。きちんと2部まで読んでほしい。
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