■スポンサードリンク


騎士団長殺し



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!

騎士団長殺しの評価: 3.46/5点 レビュー 721件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.46pt


■スポンサードリンク


Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全407件 121~140 7/21ページ
No.287:
(5pt)

第1部〜第2部を読んで

読む前に見た評判が悪かったので、どれほど面白くないんだろうと期待していたら、
いつも通りの村上春樹で個人的には楽しく読めました。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
4103534338
No.286:
(5pt)

単なるエンターテイメントではあらない

主人公が三十六歳の疲弊した男で,内面的にも若さがとぼしいですが,
中年となった私には,リアルな印象をうけました.
また,情景描写や説明が多く,一気に読むには時間がかかるため,一日一章ずつ読みましたが,
それなりの量を読んだという達成感がありました.

とくに私が興味をもったのは,心の闇みたいなものを,あえてえぐらず止めていることです.
おそらく,心の闇をえぐりすぎることは,とても危険なことだから,
話が多少地味になる危険性を冒しても,最後までえぐらせなかったのでしょう.
危険をさける大人の知恵といえますが,
小説になりずらいところを書いていると思います.

あと,ネタバレになるので具体的には書きませんが,
主人公はあの絵の意味を勘違いしていると思う!!
(だって不自然じゃないですか!)
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
410353432X
No.285:
(5pt)

レビューできない小説

村上春樹さんの長編はなかなかでないので、わざわざ1年買うのを我慢して
読みました。これまで村上さんの小説はとにかくストーリーも文体も好きなので、長編でも1日で読み切ってしまう
(それ位読む手が止まらない)のですが。本作は違いました。
過剰なメタファー、話の難解性、村上さんのこれまでの著作やファンなら知っている数々の英米文学への
オマージュ。村上さんが過去に何度も言っていたように、「小説は面白いものだけを読めばいい」と
考えるなら、今回の著作は紛れもなく私にとっては「つまならい、あるいは苦痛」な小説でした。

ストーリーや筆者のメッセージが直接的に書かれたものは確かにわかりやすい。
また文体そのものが好きだったり、登場人物が魅力的なら、また小説そのものを楽しむことができる。

しかし今回はどちらでもなかったです。レビューにしばしば登場するように
免色さんはまだしも、登場人物が主人公を始めとしてとにかく現実からずれまくっているのです。
(例えば自分の肉体の話をおじさんにしつこく振る女の子とか)
主人公がなぜか執着する妻も、正直魅力的には描かれていない。
そして文体はいままでの著作とは異なり、メタファーが過剰。
話の展開も難解ととにかく読んでいて楽しくないのです。

なのに星5つ。
何を書こうとしたのか、今回は本当にわからなかった。それが正直な感想です。
些末な部分でつまらないことを指摘することはできるし。
小説の完成度という意味では、とくに下巻はあまり高くないように感じるのです。

過剰なメタファーはなぜ?
登場人物がなぜかみんな地に足のつかないファンタジックなのはなぜ?
二重メタファーは本質主義批判ということでしょうか?
誰も本質を問えない。誰も悪の本質を抹殺することはできない。
誰かを殺しても、その悪はいずれ再び私たちの前に現れる。
そして主人公が閉じ込められ生きることの恐怖を感じたように
私たちもまた水を飲んで空腹を感じ生き延びなくてないけない。
なぜなら私たちはあくまでもメタファーでなく
肉体という実体をもっているのだから。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
410353432X
No.284:
(5pt)

主人公のキミへ

物語の主人公の顔が、いつの間にか作者の顔とダブってしまう。
主人公のキミ、作者の顔でセックスするのはいい加減にやめてもらえませんか。
ま、しょうがないことなんだろうけど。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
4103534338
No.283:
(5pt)

満足

第一部よりもより興味深く、魅了されて読了しました。小説の持つ醍醐味というか、自在な展開に感性が泳がされている快感を味わいました。続いて「遠い太鼓」を読みはじめました。これは又別の面白さを感じています。村上春樹はやはり読者を裏切らない。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
4103534338
No.282:
(5pt)

「父性の喪失」の到達点と新しい物語の予感

本書は、過去の作品に見え隠れしていた「父性の喪失」のテーマが前面に現れていました。
「父性の喪失」は、求心的な権威を持たない私たちの社会の特徴を表すキーワードの一つです。
目に見える権威を嫌う私たちは暗黙の民意によって、見えない束縛の壁を作りあげています。
作者はこうした問題を入り口にして、意識の底に潜む普遍的な精神世界に読者を誘います。

【水晶の夜と南京事件】
「口ではもはや語ることのできないものごとを、寓意として絵の形にした」
軍国主義の時代を生きた画家は、激しい歴史の渦の下で果たし得なかった理念を絵に描きました。
その絵の寓意を呑み込むとき、個人的で根源的なもう一つの物語に主人公は導かれていきます。

【遷ろうメタファー】
「無の暗闇」の中では、思考は捉えることはできず、自他を認識することはできません。
「有の森」の中で、他者の気配に怯えながら思考し、世界を開示し、自己を見出します。
「二重メタファー」の欺瞞を振り切ったとき、主人公は現実世界に生還することが出来ました。
主人公は自己を覚醒させていくなかで、亡き妹への想いを生きる力へと昇華させます。

【政治的正しさを越えて】
「そびえ立つ強固な壁は、閉じ込められた人を無力にします」
私たちの心はときに、「政治的な正しさ」の高く堅牢な壁に囲まれていないでしょうか。
硬直化したモラルを振りかざす論理は、思考を身動きできなくしていないでしょうか。
作者は、個人が固有の記憶を拠り所として無機質なシステムや誤ったイデオロギーと対峙する自己規範を打ち立て、思考の自由を取り戻す道筋を、この長大な物語全体を通じて示唆しているように感じられます。

【顔の無い肖像】
メタファーの通路で出会った「顔のない渡し守」は、主人公の人格の影を隠し持つ存在に見えます。
結果的に渡し守の導きで主人公は心の外傷を癒し再び人生を取り戻し、社会復帰を果たしました。
そして新しい家族と共に、少なからぬ課題を抱えた社会の行方を見据えるところで物語は終ります。

自己の隠れた本質を直視することは、耐えがたい苦しみを伴うと心理学では言われています。
私たちはその代償となる寓意(メタファー)に触れることで、この物語の主人公のように過去の呪縛から解かれ、自己を再生するきっかけを掴むのかもしれません。
すがすがしい読後感と、新たなテーマを予感させる物語のラストでした。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
4103534338
No.281:
(5pt)

読んでみて

とてもおもしろく、知り合いにも紹介しました。ハルキストの存在が分かったような気がします。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
4103534338
No.280:
(5pt)

免色が肖像画に支払った報酬額は?

下世話な話ですが気になったので書いてみます、

まず一般的な肖像画のサイトで価格を調べたりしました(Amazon以外のURLは禁止されているようなので載せませんが検索できます)
大きさ(号数)は、乗用車の座席にのせられるくらい(絵具が乾いていない状態だから上向けに乗せていると思われる、立てかけられてはいない)とすると無理のないところでF10号と考えてみよう、
調べたサイトでは写真を元に描かれているようだが、政財界の著名人クラスの、本人をモデルにして描くような専属会社、エージェンシーが前提らしいので一般のサイトより高額を想定していいだろう。
というなかば独断で一作で50万円前後を想定してみる。

その想定からしても「法外な報酬」を免色が提示したというので倍額くらいでは法外とは言えないと考えて、300万円前後を考える、
さらに絵の出来が良いので増額したというので400万円前後ではないか、
という想定はどうでしょう?
もしなにか知識やご意見あればコメント下さい。

なお作品については、久しぶりに読書の快楽、を味わったので星五個です、内容について評するのはまたの機会にします。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
410353432X
No.279:
(5pt)

『私』を見つけ出すことの困難さ

本書は、肖像画家の主人公が、山懐の別荘地で遭遇した奇妙な体験を通じて、
私が『本当の私』を見つけ出すことの、孤独で危険な道のりが描かれています。

【影の肖像画】
「免色は間違いなくその絵の中にいた。」「彼の抱える謎さえもが、そのままそこにあった。」
免色氏は、現代社会の中心に属する成功者の一人として描かれています。
しかし彼の抱える謎は、私たちの社会に潜む何らかの闇を示唆しているようにも見えます。

【自己の正体】
「お前がどこで何をしていたかおれにはちゃんとわかっているぞ、彼は私にそう告げていた。」
心の内側から迫ってくるその声は、相反する意識と無意識の軋轢を告げています。
それは私たちが宿命的に背負ってきた、罪の意識を象徴しているようにも思えます。

【イデアの顕現】
「あたしは霊ではあらない。あたしはただのイデアだ。」
騎士団長の出現により、抽象的隠喩は具象化したふるまいを始めます。
心に想うことは白日のもとにさらされ、切れば血の出る現実に放たれます。

【人間の業】
「つまりあなたは、ご自分の娘かもしれないその少女の姿を日々双眼鏡を通して見るために、
谷間の真向かいにあるこの屋敷を手に入れた。」
実の娘を遠くから見つめ続ける、免色氏の奇妙で屈曲した生き方。
望むことも、あきらめることもできない運命、それが人間の業なのかもしれません。
登場人物の誰もが、過去に想いを残してジレンマに陥っていることが次第に明らかとなります。

【華麗なる舞台】
絢爛たる邸宅の夜会、華麗なる紳士のスキャンダル、情事の合間の謎解き、
神出鬼没のトリックスター、静謐な心象風景、そして美しい少女の登場・・・。
作者はこうして積み上げた物語の表舞台の裏で、ある企てを仕掛けようとしています。

はたして、主人公は最後に正しき自己の自画像に到達することが出来るのでしょうか。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
410353432X
No.278:
(5pt)

「騎士団長殺し」で免色が肖像画に支払った報酬額は?

下世話な話ですが気になったので書いてみます、

まず一般的な肖像画のサイトで価格を調べたりしました(Amazon以外のURLは禁止されているようなので載せませんが検索できます)
大きさ(号数)は、乗用車の座席にのせられるくらい(絵具が乾いていない状態だから上向けに乗せていると思われる、立てかけられてはいない)とすると無理のないところでF10号と考えてみよう、
調べたサイトでは写真を元に描かれているようだが、政財界の著名人クラスの、本人をモデルにして描くような専属会社、エージェンシーが前提らしいのでこのサイトより高額を想定していいだろう。
というなかば独断で一作で50万円前後を想定してみる。

その想定からしても「法外な報酬」を免色が提示したというので倍額くらいでは法外とは言えないと考えて、300万円前後を考える、
さらに絵の出来が良いので増額したというので400万円前後ではないか、
という想定はどうでしょう?
もしなにか知識やご意見あればコメント下さい。

なお作品については、久しぶりに読書の快楽、というのを味わったので星五個です、内容について評するのはまたの機会にします。というか正直自分の手にあまる感じもします、何を書いても的外れになりそうで、今回はパスします。。。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
4103534338
No.277:
(4pt)

少し間違えるとギャグ小説になってしまう、なぜなら・・・・・

私は大抵のこの人の作品を読んでいますが、どの作品の主人公も皆、レイモンドチャンドラ-の探偵小説に出てくる主人公と重なってしまいます。もう感じとか雰囲気がそのままな印象、この作品の主役も探偵活動をしない探偵って感じで主人公の職業は肖像画家、スト-リ-の合間に描かれる主人公の生活描写が本当に冗談なくアホみたいにカッコ付け過ぎ、度が過ぎるくらいええカッコなスタイルシ-ン満載です。彼の作品を何冊か読んだ方ならもうお分かりだと思いますが、大抵(全て)の作品の主人公はジャズが好き、この『騎士団長殺し』でもそれは全開に描かれています。例えば主人公が朝起きると、70年代に作曲された外国のなんたらゆういかにも通好みのジャズのレコ-ド聴きながらその曲のうんちくの説明と同時にコ-ヒ-を飲むあたりのスタイリッシュな場面・・・・読んでてこんなやついね-よみたいなのがてんこもりです。それが逆に笑えてくるのです。そしてもう一つ、この作者の問題点?と言ったらいいのでしょうか、もう大方の人は気づいていると思うのですが彼の書く作品のどの主人公達すべてが作者本人を自らモデルにしているような書き方にしている感じがしてなりません、もしそうなら、この人は自分の顔を鏡で見たことがないのかと思います。気の毒ですがブサイクです。作者を画像検索してその顔写真をアップで印刷してその画像を正面の見える位置において、謎の大富豪、免色さんが主人公を自宅に招待して超一流の雇ったシェフの料理を食べるシ-ンをその画像を見ながら読もうとしましたが数行で限界で爆笑です。とても読めません、マジです。もうはっきりいってスト-リより、主人公の異様に気取った生活スタイルを第三者(読者)が観察するとゆう観点でみると本当にギャグ小説になります。けっして作品は悪くありません、むしろ今年読んだ作品でこれが一番笑えました。最後に残念なのは、免色さんの描写をもっと掘り下げてほしかったです。あの異空間のラストに二重メタファの大ボスが実は免色さんで「お前の事はすべて知っている」と言うあの白いスバルフォレスタの男と同一人物だった、とかで異空間で一大バトルを展開してほしかった、ぐらいのインパクトがあれば星5なのですが・・・・・・
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
4103534338
No.276:
(4pt)

読んでしまう

小説は全然読まないし、
というか、本も読まないのですが
村上さんの小説はほぼ読んでいます。

メタファーやらイデアやら井戸やら壁抜けやら、全然理解できません。
でも、なんだか読んでしまいます。
そして、次の新作も読むでしょう。
次の新作出るまでに期間が空くので
過去読んだ作品をまた読むでしょう。

文章・文体が好きなんだと思います。

あと、村上さん自体も似たような題材で小説書いていることは
認めてらっしゃるみたいです。
そのことに対しては、
 人間ってそういうものなんじゃないのか。
 小説がどのような流れになっていくのかは、書きながら見えてくる
らしいです。

小説の流れは、書きながら自然と生まれてくる・向こうからやってくるのだと
したら、何に力を入れるのかというと
文章力・文体らしいです。その力は、しっかり磨き続けるらしいです。
そして、それが更新したり変化したり上達したりしているのであれば
問題ないらしいです。

村上さんの文章で書かれる、人間の地下2階部分の小説を読んでいると
フラットに・静かに・落ち着く、そんな状態になってしまって
それが好きなんですよね。
雨とか降っているとよりいいですね。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
4103534338
No.275:
(5pt)

dope

この本を読んだが多くの謎が残りました。

二重メタファー

スバルフォレスターの男

騎士団長

これらはいったいなにを表象してるのでしょうか?またはなんの隠喩なんでしょうか?

恐らく私たちが内的にも外的にも向き合わなければいけない課題なのではないでしょうか?
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
4103534338
No.274:
(4pt)

私は面白いと思いましたが。次回作に期待。

村上春樹は文体が生理的に受け付けなくて読めなかったのですが、1Q84と騎士団長殺しだけは最後まで読めました。

1Q84のときはマザーとドーターで、「作品と作者と作家性(あるいは世間の作家に対する評価)の関係」みたいなものについて書いているなと感じましたが、騎士団長殺しは、編集や読者に求められている「綺麗で分かりやすくて評価されやすい作品」を書くよりも、「自分の書きたい事を書きたいように書きたい。良さは分かる人だけが分かってくれればそれで良い」という、作家自身の抱えている芸術家的な欲求について考察している気がしました。
よってこの二作品は、ある意味では連作のようなものなのかなと感じました。

売れっ子作家には恐らく2種類居り、
A.書きたいものを書きたいように書いて、それが世間に評価される天才
B.世間に求められる作品を狙って書いて評価される秀才
のいずれかに分類されると思います。
作中で言うとAが騎士団長殺しの作者であり、Bがオーダーされて肖像画を仕上げる主人公です。

村上春樹は本作を書き、世に出してみることで、自らが「書きたい事を書きたいように書いた作品」が、世間にどう評価されるのか? を確かめてみたかったのではないかと推測します。
(そして物語の結末として主人公が肖像画家に戻っていくように、恐らく次回作からはまた、「読者の読みたい物語」を書くつもりなのでは無いでしょうか)

技術的な面で、興味深い部分が多かったです。
例えば章のタイトルが本文中に出てくる章と、総括した言葉で表されている章は、どちらかが現実で、もう一方が非現実なんだろうなと思ったり。
「騎士団長殺し」と聞いて真っ先に浮かぶイメージは間違いなく油絵である筈なのに、物語を読み進めるにつれて「日本画」だとしか考えられなくなっていく説得力の持たせ方であったり。

この作品自体がある意味「ハルキ流小説の書き方」の参考書となっており、小説家を目指す人にとっては、なかなか刺さる内容になっているのではないかな、と感じました。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
410353432X
No.273:
(5pt)

一気に全部読んでしまいましたが・・・。

この話自体が未完成品なのでしょうか全体通して不必要な話も線も消してないという。
2部後半では別のストーリーをくっつけたような奇妙な感じがしました。
読むことのできない正規ルート?では何人か行方不明になっていそうで心配です。
それともまだ細い横穴に引っかかっているのでしょうか。
読んでいる途中では村上春樹は終わったと思いましたが読了後は
あえての平行世界つなぎ合わせ不完全小説を未完成に見えるかたちで完成させた変態だと思いました。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
4103534338
No.272:
(5pt)

熱気も完全に去りそろそろ読み始めました

例の賞の発表も終わり、静かになりましたので読み始めました。期待通りのハルキワールドで、読み始めると頭がそれに切り替わります。読んでいて安心感があります。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編より
410353432X
No.271:
(5pt)

読んだもの同士で語り合いたい。

たとえば、核心から目を背けることなく、淡々と生きるしかない。好き嫌いがあるだろうが、様々な提言を否定できる人はいないはず。敗北感、無力感、喪失感、孤独と向き合いつつも、保つべきものの意味。純粋に読む過程が楽しい。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
4103534338
No.270:
(4pt)

新しい小説

普通に小説として楽しんだ。春樹作品としては1番ではないです。IT業界などにも焦点をおいていてとても興味深かったです。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
4103534338
No.269:
(5pt)

南京大虐殺

「日中戦争で、日本軍が南京に入城した時、殺害された中国人は10万人というものもあれば、40万人というものもある」。「主人公の友人の叔父も、徴兵で南京へ行かされ、敵兵?の首を斬らされた」との記述に、著者の大胆さを感じた。
 日本は、「あれは中国側のデマ」「大虐殺などなかった」という見解だが、著者は何らかの裏付けに基づいて(であろう。虐殺された人数や「人斬り」行為だけがフィクションとは思えない)、前記のように記している。
 南京大虐殺を事実と認めることは、日本ではタブー視されているのだが、著者があえてそのタブーを破ったことは評価したい。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
4103534338
No.268:
(5pt)

A Book of Confession: よくやった村上春樹!

「騎士団長殺し」1部2部。私の評価は実に高い。数日間、この本に惹きつけられて時間がある時には読み続けた。ただただ面白かった。様々な評価が飛び交うが、二冊を読んで思ったことを私なりに書いてみようと思う。この著書で村上春樹は二つのことを一刀両断のもとに見事にやり遂げている。一つ目は、これまでの彼の作品の登場人物の誰かに自己を投影してほくそ笑んだり、自己肥大させてきた読者を一気に切り捨てている。二つ目は、自らの小説手法(手の内)を明かす、だけでなく、メタファーを殺すという表現が意味するように、新しい方法を模索始めるのだと、宣言している。
 <1点目についての補足>:およそ作家であれば自分の執筆意図と離反して行く読者たちも相手にしなければならないから、辛いものだと思う。ここ数十年、おそらく「ノルウェイの森」以来、広い読者層が読める本を書き続けてきた結果、登場人物も含めて物語の表層にある部分に自己を投影している読者が増えてきたことは想像にかたくない。村上春樹というのは70年代に鮮烈なデビューを放ってから、まさか「ノルウェイの森」のような作品(私は嫌いでないですが)を書く人物・知性としての連続性を理解できないまま、「ねじまき鳥クロニクル」、「海辺のカフカ」、「1Q84」とどこに彼自身の動機があるのか不明な、しかしそれなりに楽しめる作品群を発表してきた。(私はどれも楽しみました)。これらの中で繰り返し使われてきた大道具と手法、登場人物のテイストがある読者層の心をキャッチしたのでしょう。しかし作家であれば「あの〜僕の本を買わないでください。」とは言えない。ただし今回もそうであるが数冊本のうち一部だけを読んで、コケにされるのも愉快でないでしょう。婉曲な方法でそういう読者たちが去って行くのを仕組む。低評価が多いのだから、成功したと言えるでしょう。
 <2点目についての補足>:メタファーというのは隠喩と訳されるが、村上春樹の世界でここ数冊の(私の知る限りですが)重要な手法となってきている。彼のいうメタファーが隠喩なのかアナロジーなのか、はたまた彼が区別するように明喩(英語ではこれもmetaphorですが)なのか、今回登場したイデアも含めて境界線がはっきりしないことがある。まあ、この辺りの議論は別の機会に譲りたい。彼の描く世界ではメタファーが実際の姿形をもった人間になったり、モノになったりしてきた。通常メタファーとうものはそれ自体が一人歩きするような存在ではない。さらに、「騎士団長殺し」の中で村上春樹は”二重メタファー”と言う興味深い表現を一回か二回だけ使っている。否定的な意味合いで。これはどう言うことかというと、「初代メタファー」を記述・描写する時に使った言葉、風景、ニュアンスが刺激となって「次代メタファー」が誕生すること。「次代メタファー」は元来メタフォリックな表現によって何かイメージを膨らませようと意図した原初的な事象とはもうすっかり無関係な世界に入り込む。そこで自在に言葉、イメージの世界を構築し、中を飛び回り、人を殺し、森に入り込みと自在な世界を描く。こういった手法をもう止めますと言う告白が「騎士団長殺し」だ。よくやった!私の推測が正しいとすれば、村上春樹がこれからたどるメタファーのない世界を期待したい。
 さてネタバレしない程度に「騎士団長殺し」の分析をしていきたい。大道具、登場人物などは前作までと似たところがあるが、それらが全く異なったコンテクストで使われていることに気がつきました。異なったコンテクストを導入するには同じ大道具、似たような登場人物に再度登場出してもらうのがコンテクストの対比にはベスト。古井戸やら、森やら、同じものが出てきたからといって「自己模倣」という判定を私はつけない。必要があって登場させているのだ。
 「騎士団長殺し」はA-B-A’という複合三部形式とも呼べる構成を持っている。免色が現れるまで、現れた後の長大な部分、離れた後がそれぞれA, B, A’である。免色が登場するまでの肖像画家「私」を描く部分は耐え難く退屈で、まるで他人が書いたのではないかと思ってしまうくらい文章にも精彩がない。が、これは演出でしょう、免色が現れた後の世界を虚構であったとしてバラ色にしつらえるための。
 免色渉なる人間が現れて俄然「騎士団長殺し」は色めき立つ。いつもの世界が登場する。面白い。詳細はお読みになって楽しんでください。二つだけ大事なことを書きます。Bで村上春樹は「私」と免色を別な人格として分離して描いている。上等のスエードのローファーを履いているのは免色だし、ジャグアに乗っているのも免色。(大した曲を弾かないくせに)スタインウェイのフルコンサートピアノを持っているのも免色。客人を招待するからといって懇意にしているレストランのシェフとギャルソンを家に呼んでケータリングするのも免色。やりたい放題ね。一方の「私」はと言うと免色のすむヴァニティに満ちた世界とは対照的に絵の創作に新しい境地を開拓する勇気を獲得して行く。
 二点目はオペラ。「私」の住む借家(ただの借家というのはいいものだ)にはたくさんのオペラのLPが置いてあり、プッチーニなどのイタリアものもないことはないが、「私」が繰り返し聞くのは「ドン・ジョヴァンニ」と「バラの騎士」。「騎士団長殺し」において「ドン・ジョヴァンニ」と「ばらの騎士」は記号ではない。旋律が聴こえてくる、までは要求されないものの、せめて「ドン・ジョヴァンニ」と「ばらの騎士」のあらすじを知っていて初めて「ドン・ジョヴァンニ」と「ばらの騎士」のLPに針が置かれるスタジオの空気が無臭でなく、香り高いものになる。スパイスだけでない。それぞれのオペラはここでは非常に深く筋書きと関わっている。幸い「ドン・ジョヴァンニ」は直接的に扱われているので(何しろ身長60センチの騎士団長が現れるわけだから)モーツァルトのオペラや台本を知らなくとも良いかもしれない。では「ばらの騎士」はどうだろう?爛熟したウィーンを舞台にした恋愛劇「ばらの騎士」は元帥夫人がオクタヴィアンという若き貴公子を愛人として持つが、オクタヴィアンが次第にゾフィーという若い娘に心惹かれて行く様子を見て、苦渋の思いでオクタヴィアンを手放すという実に人間関係複雑しかし爛熟した世界では当然かもしれないことを、当然の顔をして演ずる歌劇。今日びのモラルやら恋愛ルールがここにはない。面白いことにオクタヴィアンは役の上では男性であるが女性(メゾソプラノ)が演ずる。三人がそれぞれの思いを歌う最後の場面は、緊張に満ちた三角関係であるのだが、いずれもの声が女性の声だというやや倒錯的なシチューエーションも興味をそそる。「ばらの騎士」の主要登場人物をメタファーとして村上春樹は使うこともできたであろうが、ややこしい。ここは、すでに登場している「私」、免色などの人物の人間関係と「ばらの騎士」の役者の人間関係がどのように関係づけられるのか、読者が自由連想を楽しむのが良かろう。以上が複合三部形式の長大なBの部分。さて最後のA’とは?
 長い長い穴を泥だらけになりながら歩き続け、「私」は地上に戻る。その長い旅は行方不明になったまりえを探しに行くというミッションを抱えているが、実はそんなことはどうでも良い。旅はメタファーを否定する旅である。二重メタファーも。それゆえに旅は騎士団長というメタファーを殺すことで始める。地上に戻った「私」はつきものが落ちたように普通の生活に戻っていく。ユズともよりを戻し産まれてきた娘を愛している。成長を願っている。創作的な絵を書くことはすっぱりとやめてごくごく普通の肖像画作家に戻る。免色は彼の視界から消えている。極上のツイードのジャケットと一緒に。いいんじゃないですかね?新しい村上春樹が泥だらけのセーターと一緒に誕生することを同じ歳の人間として期待したい。
 最後に。余計なことかもしれないが、レビューを書く上でのルールを提案したい。5星であろうが1星であろうが評価は買った人の自由。ただしレビューというのは嫌いならその理由を、高評価ならその理由を述べるべきではないでしょうか?「私、嫌い」というのは理由ではない「XXXXXXXだから嫌い」がルールではないでしょうか?根拠を述べるのには「私嫌い」(3字)だけよりも多少の字数が必要かと思う。例えば「XXXXXXXだから嫌い」は12字だ。その前提のもとに暇人と思われることを恐れずにこれまでのAmazon Reviewの5星と1星を第1巻第2巻それぞれから無作為で10個ずつ抽出し(つまり合計で40人のレビュー)、それぞれの字数を数えた。5星の20人のレビュー字数の平均は793字、中央値は493字、最小・最大は173 ・2,658字。1星は同じくそれぞれ267, 134, 903, 34 ・907字でした。40人のレビューの内容にまで立ち入りませんが、私の前提が正しければ(間違っているかもしれませんが)高い評価を与えた人は「私好き」だけでなく評価の理由が添えてあったことになりますね。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編Amazon書評・レビュー:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編より
4103534338

スポンサードリンク

  



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!