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騎士団長殺し
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【この小説が収録されている参考書籍】
騎士団長殺しの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全407件 261~280 14/21ページ
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「私」が暮らす小田原の山の上の小さなアトリエ。 時間・天候・季節の移り変わりを緻密に丁寧に描写している。 風や草木の匂い、光の変化、雲の動き、雨の音、小鳥のさえずりがリアルに感じられ、物語世界に容易に引き込まれてしまう。 そして真夜中に微かに鳴り響く鈴の音。それまで盛大に合奏していた秋の虫たちは一斉に鳴くのをやめ、「私」の耳にはただ微かな鈴の音だけがどこかから響いてくる。物語は静かに動き始める。 批判的なレビュアーの方が書かれているように、たしかに過去の長編と物語の道具立ては重なるところが多い。 「私」はこちら側の世界とあちら側の世界を行き来し、私たちの中に潜むある「邪悪なもの」と対峙する。 それは村上にとっておそらく最も大きなテーマの一つであり、物語を語る上で「壁抜け」するための井戸や石室はなくてはならない道具なのだと思う。 物語の道具立て自体を非難するのは、ジェリー・マリガンに「またピアノ抜きでやるのか?」と非難するようなものなんじゃないだろうか。 | ||||
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ようやく第1部を読み終わりました。 村上春樹という作家が人生の螺旋階段を一段ずつ確実に登っているんだろうなあ、と予想できる内容でした。 羊をめぐる冒険やハードボイルドワンダーランド、カフカにも登場するイデア。ねじまき鳥で取り上げられた穴(井戸)。 免色渉の存在感など、いままでの長編小説では書ききれていなかった(であろう)シンボルがくっきりと立ち上がっている様は今までの作品の集大成、とでも呼べるのではないでしょうか? 賛否両論ある性の問題ですが、性描写がこの作品の目的でないというのは明らかですし、この作品が均衡を保つためには騎士団長の存在と同じくらいの振れ幅のある描写が必要だったのでは? 第2部が楽しみです。 | ||||
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ここまで、賛否の分かれる時点で他の作家との違いを感じている。高度な文学は誰にでも愛される大衆文学では駄目だ。この点だけでも日本で唯一無二の作家である。 否定する人々の意見はこうだ。 南京大虐殺の歴史認識に問題がある、政治思想が合わない 性描写が多く、品がない、女性を見下している 価値観や設定が古く共感できない 南京大虐殺については、彼の思想を表しているのではなくアンシュルスと逆の側面で戦争の悲惨さを象徴的に表しているだけ、ここは敢えて誇張して表現しなくてはならなかった。 性描写は村上春樹らしさ。身勝手な男の本能的な価値観を出すことで、生命をよりリアルに象徴的に表している。このリアリティがないとメタファーとの対比やギャップが出せない。 価値観や設定が古いことも村上ワールドの一つで、今っぽくないところが不思議な世界への入口なのでこれも無くすことはできない。そもそも共感を売りにする大衆小説ではない。 他にも文章が冗長と言った意見や表現力が落ちたと言った意見もあった。確かに早く次の場面に進んでくれないかなとか、ここはどういう意味だ?という箇所は多々あったが、これも作者の思惑通りかと思う。 リアルな世界とメタファーな世界をイデアで繋ぐ、十分 村上春樹らしく十分楽しめた。 エンディングが普通すぎたので★マイナス1 自分自身 村上春樹が好きな作家かと問われると考えてしまうが 読みたくなる作家であることに間違いはない。 | ||||
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画家である主人公の「私」は、6年間連れ添った妻から理由もなく離婚を持ち出され、友人の父であり著名な日本画家「雨田具彦」が住んでいた山の上の一軒家での暮らしを始める。その家の屋根裏部屋で不思議な絵「騎士団長殺し」を発見したことから、それまで平穏だった「私」の周囲に静かに奇妙な出来事が起き始める。裕福で何一つ不自由ない生活をしているのに、どこか心のなか奇妙な空白を抱えている谷向こうの隣人「免色」氏。「免色」氏が自分の娘ではないかと思い、接近を試みる少女、「秋川まりえ」。突然夜中に鳴り出す鈴の音。鈴の音の鳴る場所−家の裏の雑木林の祠の後ろにあった奇妙な穴。そして、その中から顕れ、自分はイデアだと称する「騎士団長」なる珍妙な人物。 物語は静かながらもふつふつと泡のように湧き上がる謎をたたえつつ進んでいく。 ー「雨田具彦」氏は「騎士団長殺し」の絵に何を込めたのか。 ー「免色」氏が持つ秘密、そして彼の意図。 ー「騎士団長」とは何か。 物語は除々に様相を変えながら展開していく。それがどこに向かっていくかは分からない。謎が謎なのかも不確かであり、そのための確実な答えも与えられない。不確実で覚束ない中、「秋川まりえ」が失踪する。そして、物語は核心を迎える。 「秋川まりえ」を救うためには、犠牲と試練が必要となる、「騎士団長殺し」の絵のように自分を刺し殺す必要があると述べる「騎士団長」。そして、「騎士団長」を刺し殺すことで開かれる「メタファーの通路」。「私」は、そこに足を踏み入れて試練を受ける。 この物語の核心は「騎士団長」が何で、その殺害が象徴するものは何かにある。それに関して、少し考察したい。 騎士団長は自分はイデア、即ち物事の本質であると述べる。それは、見る人により形を変え、いかなる時間、空間、そして蓋然性にも縛られないとも。物語において、「私」のところに現れ、そしてその場その場に応じて必要な言葉を残して私を導く存在としてある。確定的な答えは示さないものの、何をすればいいのか、何が起こるのかを適切に教えてくれる存在。 「騎士団長」とは他律的な道標、即ち、進むべき道を「教えてくれる」存在ではなかろうか。その「騎士団長」を殺すとは、他律的な道標を放棄し、明確な意思を持って進むべき道を自ら選び取ることを意味するのではないだろうか。そして、「騎士団長」を殺して現れた、「メタファーの通路」における試練とは、関連性のみで物事が動く象限(即ち絶対的なものが存在しない場所)から抜け出せるか、即ち、絶対的に頼りにすべきものがない状況で自分の意思で進むべき道を信じて選び取っていけるかではないか。そして、「私」はそれを成し遂げた。 こう考えると物語の多くに合点がいく。それまでの「私」は、才能を持ちつつも周囲に半ば流された形で肖像画を描いてきた。自分の書きたい絵が別にありながらも、生活のために肖像画家としてやってきた。しかし、「私」は、一連の出来事の後、自ら選択して肖像画を描くことを決める。 「娘」に対する「私」と「免色」氏との違いもここに見いだせる。両者とも、自分の「娘」が実の娘であるかについては確信がない。真実が何かも物語の中では示されないし、誰もあえて明らかにしない。しかし、「娘」が自分の娘かも知れないとの不確かな可能性だけで生きる「免色」氏と、「娘」を自分の娘と信じる「私」の間には大きな差異がある。不確実性の中にあっても、信じることで、不確かなものも確かなものとなる。その力を「私」は得た。最後のページに「信じる」というキーワードが強調されていることはその証左ではないか。 世界に確実なものなんてない、しかし、その中で自己の信念で信じるべきものを選び取って、進むことで世界は開けてくる。そのようなメッセージが託されているのではないだろうか。 決して劇的な物語ではなく、退屈に感じる部分もあるかも知れない。しかし、一つ一つの事象に込められた意味、即ち、そのイデアとメタファーを探りつつ読めば、重層的な物語が眼前に現れる。他の村上作品と同様で謎は残り、不確かなまま終わっていく。おそらく続編はないのであろう。不思議な穴や戦争との関連性等で、物語の随所にねじまき鳥クロニクルとの共通点を見いだせる。不思議な読後感を持った作品。☆4つ。 | ||||
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歴史的なものと邪悪なものがモチーフだ。日本画家雨田具彦はナチス抵抗運動で処刑された婚約者のドイツ人女性の鎮魂のために騎士団長殺しを描き、南京大虐殺に加担して帰国後自殺した弟継彦の鎮魂のために日本画家になった。イデアとして主人公私に顕れた騎士団長は具彦の観念、すなわち鎮魂を実現するために私によって殺され、その場面を公証人としての具彦が見届ける。もう一人の中心人物の免色とは、ラカン的に表現すれば、自己の主体を性的欲望の対象に消失させることで生きる世俗的人物の権化である。実の娘である秋川まりえを私に肖像画に描かせることで叶わぬ性的欲望を満たし、叔母に接近して現実の性的欲望を満たす。しかし、免色は邪悪なものを象徴するのではない。本作で描かれる邪悪なものとは、ナチスドイツであり、軍国主義日本である。それをメタファーとして表現するのが絵画騎士団長殺しである。このように考えてみると、本作はとても分かりやすく、面白く読める。作中に引用されるジャズやクラシックの作品、とくにショルティ指揮の薔薇の騎士は素晴らしい。また私がとても面白く読んだというスベイン無敵艦隊の敗北に関する新説は、アルマダの戦いという書名の新評論から出た本で、今は絶版、図書館か古書サイトで読まれたし。エピローグに東日本大震災が描かれ、白いスバルフォレスターの男が漁師として登場し、それを見た私は震災と自分の日常生活とのつながりを意識するのだが、これは著者のせめてもの震災の被災者への鎮魂の言葉と受け取れるものか。本作はねじまき鳥クロニクルと類似しているが、邪悪なものを現実世界に登場させず、過去の歴史に求めた点が異なる。少しスケールが小さく感じられるのはそのためだ。また、やみくろやリトルピープルに相当するものとして二重メタファーが登場する点において過去の長編のアイデアを継承する。最後に騎士団長の口調を借りて本作を評価すれば、この作品は、村上春樹の最高傑作ではあらないが、絶対読まねばならぬ作品だ❗ | ||||
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ほぼ一気に読み終えた後は、今までの集大成的な作品というイメージは持ったのですが、正直どう評価していいかわからないもやもや感が。 そこからしばらく時間がたってみると、ちょっと距離を置いた場所に作品が浮かび上がりました。 「穴」が何なのか、イデアたちが何なのか。今まで以上に分かり易く、後に残る作品だと思います。 それで、過去の作品を読み返してみたい気になって、「ねじまき鳥~」から手に取っています。違う視点から読み直せそう。 南京虐殺事件の被害者の人数が変に問題になってるようですが、ポイントは、加害者はその事実を意識の下に押し込めがちということで、人数ではありません。(それも登場人物のセリフの中)(史実は歴史関係書を読んでいけばいいことですしね) | ||||
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私が読んだ限りでは星一や二を付けるほどの駄作には到底なり得ないですね。それと買う気になれませんとかレビューを見る限り駄作ですねとか買ってもないのにレビューをする粘着質のアンチが多いんですね。レビューは読んだ人間がするものですよ。手にしていない人間のレビューなんて誰も求めていません。 | ||||
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これはやはり村上春樹だ、誰が何と言っても、今のところは彼にしか描けない世界、失くした後の物語なんだと強く思う、そして何よりも強い優しさを感じる。たまさか、読んだ時の自分自身の心持ちのせいでしかないが、何だか救われた気がしたからということもある。 読了してすぐにこれを書いているから記憶違いがあってもなくても許してほしいが(すぐに読み返す気にならないボリュームも相変わらずだ)、最初に引用した音楽はシェリル・クロウの最初のアルバム(たしか聞いていたのが朽ちる途中のプジョー205だなんていいじゃんって思った)、…いきなり描かれる世界はシーンがどこであっても日本から見たアメリカを感じさせ、それでいて期待したものと同質なんだと思う。つまり、村上春樹のデビュー作以降、批判してきた文壇と呼ばれるところにいる人たちと近い人たちにはわからないだろう世界でいいと思う(それにしてもここの星のつけかたはひどいかな、本当に読んでいるのかなとすら思う)。 小難しさは別にして、そもそも面白いものは面白い、それでいいと思う。一人称で浸る格別の世界は村上春樹でなくてもいいのかも知れないが、氏の「ノルウェイの森」以降の世界、それらへの強磁性みたいなものを感じる人であれば読んだ方がいいと思う。読まなくても何も問題はないのだから(多分そうでしょう、笑)、約千頁にわたる物語はとてもと思うのならばそれはそれで幸せなことなんじゃないかと。 | ||||
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久し振りの長編という事で読書中は面白く読む事が出来ました。免色というキャラも魅力的だし、主人公が描く肖像画や物語のキーである「騎士団長殺し」も実際見て見たいなぁと思わせる程模写が素晴らしい。ただ、読後感は今までの長編に比べスケールが小さい話だったなという印象。「騎士団長殺し」という異様な絵画作品が生まれるバックボーンとしてナチス占領下のウイーンや南京大虐殺が出てきますが、あくまでバックボーンの意味合いで止まっていて、ねじまき鳥クロニクルのノモンハンやシベリアの強制収容所のエピソードで感じたような深みを感じません。最終章に触れられる東日本大震災の模写も中途半端な感じで本当にこれで終わりなのかな?というモヤモヤした感じか残ります。この後また第3部が出るのか、期待感というよりはちゃんと着地した作品にして欲しいなと思いました。 | ||||
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私は小説を読んで登場人物に感情移入できる程度に面白いと感じる場合、必ずと言っていいくらい結末を先に読んでしまう。今回もいつも通り、2部に入るあたりで結末を先に読んでしまった。それでもこの作品は結末を知っていても、そこに至る経過を読まずにいられなくなる力強い物語であった。そのことだけが優れた小説には重要であって、物語に別の意味を読み取ろうとする必要はない。多くの人に読んでもらいたいと思う。 | ||||
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面白かったです。毎回の事だけど、登場人物の言葉づかいや比喩表現がおかしくて笑えました。 前作1Q84は途中で挫折したのですが、今作は読みやすく、内容も個人的には好みです。 第2部も読みましたが、秋川笙子の読んでいた小説名が明かされず、それだけは残念でした。 | ||||
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久しぶりに村上春樹節の長編小説だなあと思いながら読み進めました。マンネリと言うご意見もあると思いますが、なんか、久しぶりだったので、それはそれで良かったです。私にとっては、所々に、ハッと考えさせられる部分があり、読後も、スッキリした感覚でした。 | ||||
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自称村上春樹好きとしては、文章がくどいとかは気にならない。 また、構成とかも気にしすぎる必要はないと思う。 面白かったらそれでいいんじゃないかな。 | ||||
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物語の後半、「顔なが」が出現した穴から暗黒の地下通路を進む場面。 暗闇に意識を飲み込まれないよう「私」は意識的に何か別のことを考える。 雨田具彦が過ごした戦前のウィーン・・・ウィンナ・ワルツ、甘いザッハトルテ、建物の屋根に翻る赤と黒のハーケンクロイツ、美しい恋人と聴いたベートーヴェンの交響曲第7番。 村上はベートーヴェンの7番を「物静かで身だしなみがよく、決心の堅い」と書いている。 え?そうかな?と思い、唯一手元にあるアンセルメ指揮スイスロマンド管弦楽団のCDを聴きながら物語の続きを読んだ。 明るく光沢のあるアンセルメのベートーヴェンが不思議とこの物語と共鳴して、時間を忘れて一気に読み終えた。 「すべては関連性の産物なのだ 絶対的なものなど何ひとつない」 マンネリだとか非難は予想されますが、私としては充分楽しめました。 | ||||
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私的には思ったより面白くなかった。ただ、彼の文章のリアルさは相変わらず。ぜひ一読を。 | ||||
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村上春樹の作品を読むのはこれが初めてです。 以前から村上春樹という名前は知っていたものの、インターネットミームからの印象で、 「意識高い系」「なんだかんだで性交する」「何が面白いのか分からない作品」 そういったイメージを漠然と抱いていました。 本書を読んだところ、それは決して間違ってはいないものの、しかしそれが全てと一蹴できるほど浅い作品ではないことが分かりました。 一面を過剰に取り上げ大騒ぎする悪質なメディアと、同質であるまとめサイト、アフィリエイトブログの影響を受けて、 読まずに批判するのは非常にもったいないです。 恥ずかしながら、私もそれらの影響を受けて偏見がありましたが、読んでみて考えが180度変わりました。 今作はファンタジーではなく、大人の日常ものです。そこに少々のミステリーとホラー要素が混ぜられています。 (大人の日常といっても願望や理想がやや入ってます。 クラシックやオペラの造詣が深く、ワインや料理を嗜み、不思議と女が寄ってきて、当たり前のように性交する、やれやれ系の主人公を中心とした日常です。 ファンに言わせれば「いつもの村上春樹」らしいですが、私は今作が初ですので新鮮に読めました。) 物語は離婚して引っ越してきた画家が、引っ越し先の家で騎士団長殺しという絵を見つけるところから始まります。 そこから静かに物事や人間関係が動く何でもない日常を描いた作品ですが、不思議と退屈さは感じられませんでした。 読みやすく情景を思い浮かべやすい文章が世界に浸らせ続け、そして緩やかな心地よさを提供するからでしょうか。 決して絶頂興奮するような面白さはありませんが、スルスルとページをめくっていく程度の興味や好奇心は保てます。 数字で表せば65~70点ぐらいの面白さがずっと続いていくような作品です。 この本を読んでまず上手いと思ったのが、比喩と抽象的な表現を言語化するセンスの良さです。 様々な感情や事象を、分かりやすい物事に喩えて説明するその表現力には脱帽しました。 あれは誰にでも真似できるようなものではないでしょう。 また、その表現力が主人公が一流の肖像画家であることの説得力を醸し出します。 唯一、気になった点は登場人物の女性の性格が日本人らしくないこと。 4、5人ほど出てきますが、彼女らはみな海外ドラマに出てくる皮肉屋のキャリアウーマンみたいな口調で話します。 二人称で話したり、返答をオウム返しっぽく話したりするところがそう感じさせるのかもしれません。 逆に言えば海外の読者にはこれが自然に感じるのでしょうか(笑) このアメリカ人みたいな女性陣以外には特にケチをつけるようなところもなかったので、(多くの日本人と同じく、何かと減点方式で評価したがる私ですが)評価を★★★★★とさせていただきました。 この本は私にとっては、こういった類の文芸小説に対する見方を変える一冊となりました。 実用書や新書ばかりを読んで、このジャンルを中身がないと馬鹿にしていた節がありましたが、 何でもない日常、ちょっとした日常をどこか魅力的に、甘美的に描くこの作品を読んで 感性や情緒を育むことの重要さは、実用的な技術や知識を吸収することに負けず劣らず重要であると、改めて認識させられました。 ノーベル賞だの南京事件だので何かと悪目立ちしてしまった村上春樹氏と今作ですが、どうか奔流にのまれず 適切で確固たる評価がされるよう願っております。 | ||||
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ずいぶんと久々に(具体的に言えば『ダンス・ダンス・ダンス』以来)文句なく面白く読めた村上作品。テーマは中年〜初老男のクライシス。サブテーマ的に「もう若くない職業的クリエーターがぶつかる壁」「中年男の人生の基盤を脅かす過去からの声」「父親を葬る息子のあり方」などの問題が浮上してくる。これまでの村上作品に登場した素材やモチーフがちりばめられ、作品の背景には村上が愛するフィッツジェラルド『華麗なるギャツビー』があり(それは明らかすぎるほど明らか)、そしておそらく東日本大震災(最後の方で示唆されハッとする)があるのだろう。そしてこれまでの作品以上に自己言及的なメタファーが濃厚に感じた。30代半ば〜50代の男読者にはきっといくつか刺さるポイントが見つかるに違いない。私は刺さりまくって、全身傷だらけです。ただしエンディングのつけ方は(いつもの村上作品同様)やや物足りなし。 | ||||
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何度読んでも何度読んでも何回もみてしまう。 本当この人が書く本は凄い | ||||
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普段あまり小説を読まない私でもスラスラと読むことができ、免色という人物にもとても強く興味を持てました。彼が抱えてる秘密や職業、彼ではない人物など謎がとても残り、非常に気になりました。また前編にあった顔のない人物の肖像画を書くエピソードは明かされず、これからの主人公の物語がどうなっていくのか気になって仕方がありません。 | ||||
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気になって仕方がないので、素直に購入。 メンシキの元恋人の手紙、最後の一文に感動。思わずノートに書き写した。 グレートギャッツビーや春雨物語を取り入れた構成で、原典の復習はそのうちやろうと思う。 イデアやメタファーはよくわからなかったが、文章そのものを楽しんだ。お茶でも飲みながら読んだらいいのではないでしょうか。 | ||||
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