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騎士団長殺し
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【この小説が収録されている参考書籍】
騎士団長殺しの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全407件 241~260 13/21ページ
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「騎士団長殺し」既に2回目下巻突入。 村上春樹を第一版のリアルタイムに原文で読めるのはホント幸せ。メタファー大好きな村上春樹の集大成のような作品。「穴」「喪失」「メタファーキャラ」「音楽」「車等のアイテム」などのお馴染みなものは健在。これらはミックジャガーがサティスファクションを今も歌うように村上春樹には無くてはならないもの。 画家の絵描き描写は流石、世界的な文学者、「ねじまき鳥」の皮剥シーンを思い出した。 ストーリーテリングは自分も体験、いつか感じたような懐かしい記憶を呼び起こし、スーッと本に入っていける。 「世界の終わり」のような読後感でとてもお気に入り しかし、現実に戻るには山から帰ったときのように時間がかかりそうだ。 | ||||
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交錯する一見脈絡のない伏線の物語が徐々に織り成す全体像。ミステリアスな登場人物たち。まったく予想がつかないが展開に説得力のある語り口。1Q84のような大胆な飛躍的比喩表現は影をひそめたが、リズム感は健在。今回やや落ち着いた感のある文体は次のレベルに昇華された気がします。まだ前巻を読み終えたばかりですが、確実に春樹の最高作品だと言い切れます。 | ||||
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騎士団長殺しの第一部のサブタイトルは顕れると書かれてアラワレルと読ませている。従来アラワレルは「現れる」か「表れる」が普通と思うていたが、あえて「顕」を使用した理由は何故か? 検索すると善行が顕れる意味で常用外である。 将来の試験で「アラワレルの漢字を書け」という出題に「顕れる」が正解になるか議論されるだろう。 | ||||
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私はプジョーに乗って近所の本屋に行くと発売されてまもない「騎士団長殺し」第1部、2部をまとめて買った。手持ちのお金がなかったのでデビットカードで支払いを済ませた。そして近くのスーパーに寄り妻に頼まれていた買いものをしてから帰宅した。 「おかえり」妻はキッチンのテーブルに座り読書をしていた。棚にあるブックシェルフ型の小さなスピーカーからはビル・エヴァンズのワルツ・フォー・デビーがとても小さな音で流れていた。そんなに小さい音ではスコット・ラファエロのベースの音が楽しめないのに。と私は思ったが声には出さなかった。 私はスーパーで買って来たハムとレタスとピックルスを冷蔵庫に入れ、カバンの中から「騎士団長殺し」を取り出し妻に誇らしく見せた。猫がどこかで拾って来た蛇の死体を誇らしく飼い主に見せるように。 妻は本を手にするとぼんやりと表紙を眺めて言った。「意外と安っぽい装丁ね」。「意、外、と、安、っぽ、い、装、丁」と私は繰り返した。 私は妻から本を受け取ると装丁を注意深く観察した。レンタルビデオ屋でアダルトビデオを吟味する青年のように。そこには確かに言葉では言い表せない違和感のようなものが感じられた。しかし、装丁のどこにその違和感があるのかはしばらくわからなかった。それでもずっと眺めていると、自然とその違和感が浮かび上がって来た。そう、違和感が「浮、か、び、上、が、って、来、た。」のだ。 「第1部顕れるイデア編」という文字が浮かび上がっている。印刷の組版を学ぶ専門学生がフォトショップの授業で初めて文字に装飾を施したような安っぽいドロップシャドウが文字を浮かび上がらせていた。なぜ選ばれたのかわからないまま主役を演じる女性アイドルのようなフォントはドロップシャドウによりさらに存在感を増していた。 そうなるといろんな部分に違和感を感じてしまう。丁寧に描かれた剣まで安っぽく感じてしまう。斜めに傾いた「殺し」まで安っぽい意図を感じてしまう。あんなに楽しみにしていた春樹の新作がとても安っぽいものに感じられる。 「やれやれ」私は一旦、本をテーブルに置き冷蔵庫をあけて先ほど買って来たハムとレタスとピックルスでサンドウィッチを作り、コーヒーを淹れた。 「私も食べる」と妻が言うので、サンドウィッチとコーヒーをトレイに載せてテーブルへ運んだ。するとテーブルにコーヒーを置こうとした瞬間に手を滑らせてしまい、コーヒーをこぼしてしまった。こぼれたコーヒーはテーブルに置いていた「騎士団長殺し」を濡らしてしまった。妻はあわてて本をテーブルから取り上げ、コーヒーで濡れた表紙を外した。妻はしばらく表紙の外れた本を眺めてから私の方を向いて笑顔を見せるとこう言った。「中身もイマイチね」。 「とても悪いと思うけど、君と一緒に暮らすことはこれ以上できそうにない」私は静かな声でそう切り出した。 | ||||
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春樹さんを批判するほうが、評価するより、ずっとカッコよく見えます。 実際に、いくらでも批判できる立ち位置の作家ですから。 特に最終盤は、見方が多様化しているので、 批判されても仕方がない、批判覚悟でご自身の考えを書かれているようにも思います。 芸人の方が、春樹さんを厳しく批判されているのをテレビで拝見して、 それは仕方がないと思いました。 春樹さんの作品を僕自身もどこまで理解できているのか、 未知数です。 ただ、芸人の方のような人気稼業でたくさんの人を合い、 わかりやすいコメントを求められ、 たえず意識の表層の顕在意識を要求されている方たちが、 意識の深い部分で通じて作品を紡いでいる春樹さんの作品を どこまで深い意識で読んでいるのか、僕にはわかりません。 現在は、すぐに、面白い、面白くないと即断で 決める時代です。 だからこそ、何かの事情で、人と会えないような 状況の方が、この作品をどう読んだのか、 気になる部分はあります。 たとえば、入院されているような方が、 この作品をどう読んだのか、 孤独と向き合い、意識の深い部分でこの作品を 読んでいる方には、この作品の真意と深意が 読み取れるような気がします。 先ほどの芸人の方が、何かの事情で入院したりして、 面会謝絶の状態で、この作品を読んだ時、 どのような所感を持つのか、興味があります。 私もこの作品を読んでいる時、できるだけ最小限の人にしか会わず、 この作品と自分との対峙を試みました。 自分自身の心の井戸は、まだまだ浅いですが、 それでも、なるべく、井戸の深い部分で読もうとしました。 いくらでも人に対して横柄になれるような春樹さんが 日本で最も批判される作家でありながら、 いまだに心の雑味を付着されることなく、 ピュアにして、意識の純度の高さをより上げて、 共通無意識の井戸を深く、深く掘り下げている姿勢には、 私自身、共鳴しています。 年を重ね、老獪になるのではなく、 地味に誠実に作品を作り続けている姿勢に 強いあこがれを感じています。 時間を置いて、再び、この物語世界の深くを流れる 共通無意識の川を読み取りたいと思います。 できれば、人のいない孤独な環境の中で。 | ||||
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「騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編」を昨日(H29.3/24)に読了した。68歳になる村上春樹さんが、「人と人との繋がり」の意味を問う深遠な物語だというのが、第1部を読んだ印象だ。また、「私」という一人称になっていること、語り口が極めて静謐であることに、少しばかりの驚きを感じた。そして、語り手の「私」と主人公格の「免色」が、協調し協力している姿に、村上春樹の世界に新しい風が吹きこまれた気がしている。第2部への期待は高まる。 村上春樹 略歴 1949年(S24年)1月12日生まれ。現在68歳。1979年(S54年)30歳のとき「風の歌を聴け」でデビュー。「騎士団長殺し」は、14作品目の長編小説。他に、短編小説集・エッセイ集・紀行文集・絵本・主にアメリカ文学作品の翻訳書など、作家歴40年で170冊近い作品を残している。代表作に、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」「海辺のカフカ」「1Q84」(長編小説)、「中国行きのスロウ・ボード」「TVピープル」「神の子どもたちはみな踊る」「象の消滅」「めくらやなぎと眠る女」(短編小説集)、「グレート・ギャツビー〔フィッツジェラルド〕」「キャッチャー・イン・ザ・ライ〔サリンジャー〕」「ロング・グッドバイ〔チャンドラー〕」「愛について語るときに我々の語ること〔カーヴァー〕」(翻訳書) など。(kurokuro編) | ||||
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1Q84が自分としては期待外れだったので今回はあまり期待せずに読み始めたのですが、、驚きました。 これまでの作品と比べると、けた違いに素晴らしかったです! 間違いなく最高傑作と言えます。 文体の美しさ、面白い比喩、人物の内面の描写、ストーリーの面白さや進行のリズム、どれをとっても文句のつけようがありません。 ユング派心理学者の河合隼雄からの影響も感じ取れました。 今回も同じモチーフの使い回しという批判をしている人もいますが、それは芸術活動において見当はずれな批判でしかありません。 それは例えばクロード・モネはいつも同じような風景を同じような感じで描いているからダメと言っているようなもので、「自分は作品の違いを感じとるセンスが無い」と言っているようなものです。 私は風の歌を聞けから今作まで全て読んできましたが、作品ごとに村上春樹の内的な世界、精神が確実に癒されていき、 成長していっているように感じました。そういう観点からも今作はひとつの重要な到達点のように感じました。 村上春樹の作品で何か1つオススメするなら、今後はこれを選ぶと思います。 そしてこれほど完成度の高い小説を書いた後、次はどんな小説を書くのだろうと気になっています。 アマゾンで低評価レビューがつけられていますが、これは 作品の中で南京大虐殺があったという話をしているから、 ネット工作員(彼らは自◯党が雇ってるバイトです)が仕事として低評価レビューをしているだけでしょう。 おそらく彼らは本を読んでないと思います。 | ||||
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1Q84が自分としては期待外れだったのであまり期待せずに読み始めたのですが、、驚きました。 これまでの作品と比べると、けた違いに素晴らしかったです! 間違いなく最高傑作と言えます。 文体の美しさ、面白い比喩、人物の内面の描写、ストーリーの面白さ、どれをとっても文句のつけようがありません。 そしてユング派心理学者の河合隼雄からの影響も感じ取れました。 私は風の歌を聞けから今作まで全て読んできましたが、作品ごとに村上春樹の内的な世界、精神が確実に癒されていき、 成長していっているように感じました。そういう観点からも今作はひとつの重要な到達点のように感じました。 村上春樹の作品で何か1つオススメするなら、今後はこれを選ぶと思います。 そしてこれほど完成度の高い小説を書いた後、次はどんな小説を書くのだろうと気になっています。 アマゾンで低評価レビューがつけられていますが、これは 作品の中で南京大虐殺があったという話をしているから、 ネット工作員(彼らは自◯党が雇ってるバイトです)が仕事として低評価レビューをしているだけでしょう。 おそらく彼らは本を読んでないと思います。 | ||||
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とうとう春樹氏は、大いなるものに触れた闇を光と捉え、信じる力を得た。 出会った人々が導いた最高の贈り物を恩寵とした。 この作品の神秘と不可思議は、この世の叡知を読者に注いだ。なんと素晴らしい作品。過去も死者も我々と生き、未来を築いていっていることを…確信した。そんな感動に感謝します! | ||||
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人生、誰だって、思いのままに歩んでいる人は少ないと思う。自分のあるべき人生といまとの落差に葛藤もするし、苦しむことだってある。自分ではどうにもならないことだって多い。でも、この小説は、自分を導いてくれることを「信じる力」があれば、人生を歩んでいくことができると、一人ひとりをそっと後押ししてくれるような優しさのある希望の小説だと思う。主人公の「私」の言葉には安らぎを感じることが多かった。 「完成した人生を持つ人なんてどこにもいないよ。すべての人はいつまでも未完成なものだ」 「この世界には確かなことなんて何ひとつないかもしれない。...でも少なくとも何かを信じることはできる」 「私」の周囲で事件が輻輳して起きるが、第2部の3分の2まで進んでもなかなか収束する気配がなく、どうなるのかと、先がとても気になりながら読み進んだ。村上春樹の文章は、とにかく読者を読ませる。 世の中には、「私」とは対極的な免色渉(めんしき・わたる)のように、思惑を持って必ず布石を打ちながら動く人もいるし、それがうまくいっている人もいる。ただ、この小説は、自分を導いてくれる「信じる力」があれば人生は何とかなると、優しく語りかけている気がする。 「私」が、暗闇の世界でもがきながら歩む場面は、私たちそれぞれの人生で葛藤したりもがいたりしている姿と重なる。人生でうまくいくことなんてそうそうないけれど、自分を導いてくれるものを「信じる力」があれば、人生は歩んでいける。この小説を読んでいると、人との結びつきも、自分の「信じる力」しだいだと、私たちにそっと囁いている気がする。 社会的な成功を治めた人の人生だけが、必ずしもいいというわけではない。人からどう見られようと、自分が幸せだと思ったら、それはそうなのだし、そう思っていいのだと教えている気がする。「私」の新たな家族となった娘が、妻との間にできた子供であるかどうかは関係ない。結びついていると「信じる力」こそが大切なのではないかと、思えてくるのである。「私」が最後につぶやく言葉には、ほっとさせられる。 「どのような狭くて暗い場所に入れられても、どのように荒ぶる曠野(こうや)に身を置かれても、どこかに私を導いてくれるものがいると、私には率直に信じることができる」 「騎士団長はほんとうにいたんだよ」 人生が自分の思いのままにならなくともいいんだと、それぞれの人生を包み込んでくれる優しさを感じる。誰にだって、「騎士団長」はいるはずだから。 | ||||
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村上春樹嫌いな人多いね。 何も感じなかったとか、合わないとかそんな上から目線の意見が目立つ。 すごく面白かった!もう少ししたらまた読み返したい。 | ||||
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不思議な題名に誘われて読み始めたが、不思議な物語が徐々に展開していく点が面白かった。 。衝撃的な視点や描写が処々にあるが作品全体としてはとても読みがいのある作品だと思う。 僕は村上春樹の小説を読んだのはこれで初めてだが、彼に興味を持てる作品であった。 | ||||
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とてもよかった!村上春樹の世界観がやはり好きだ。美しい小説だと思う | ||||
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久しぶりの新作はやはり村上っぽい満点。謎の人物は登場して、不思議な物語がだんだん展開する。 | ||||
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村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」は私の好きな小説で、これまで何度も読み返していますが、 登場人物の関係性や状況設定が今ひとつピンときていませんでした。 今回「騎士団長殺し」を読んで、「イデア」と「メタファー」というキーワードで「世界の終り…」を見直すと、 ああそうだったのかと、「世界の終り…」の種明かしをしてもらったように思います。 | ||||
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なかなか本屋さんにも気軽に足を運べない読書好きの父のために購入しました。 本人も気になっていた様で大変喜んでくれました。気軽に手配できて、欲しい時にすぐに手に入る。 最高ですね。本の内容も面白いと喜んでいます。 | ||||
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村上春樹の新作長編ということで世間での話題は大きく、それに影響されないと言えば嘘になる。新人作家に与えられる文学賞がマスコミによる大イベントとして喧伝されるなか、「文学」を「文学」として虚心坦懐に読むことはもはや過去のことかもしれない。 『騎士団長殺し』というこの題名からして欧州中世の物語を想起させるような謎めいたものを感じざるをえない。主人公「私」がある登場人物を表現した言葉を借りるならば、「とてもとてもとても興味深い」物語である。幅広い多様な解釈ができるような懐の深い内容である。読んでいるといつのまにか些末な雑念は吹き飛んでしまった。 小田原郊外の山頂の家とその周辺が舞台となる。そこで「私」が遭遇する「怪異譚」。第二次大戦前夜のオーストリア・ウィーン、日本軍支配下の中国・南京に言及され、最後には「三途の川」を思わせる河川が流れる、この世のものではない世界が登場する「冒険譚」となる。人間に内在する「邪悪なるもの」に対峙した「私」がそれをいかにして乗り越えようとしたか(あるいは回避したか)が読みどころである。その時「私」に救いの手を差し伸べるのは、意外な姿で目の前に現れる時空を超えた存在であるところが面白い。 | ||||
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久しぶりに面白かった。ただ、あまり新鮮味はない。ねじまき鳥に似ていると思った。 | ||||
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なかなか本屋さんにも気軽に足を運べない読書好きの父のために購入しました。 本人も気になっていた様で大変喜んでくれました。気軽に手配できて、欲しい時にすぐに手に入る。 最高ですね。本の内容も面白いと喜んでいます。 | ||||
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人生、誰だって、思いのままに歩んでいる人は少ないと思う。自分のあるべき人生といまとの落差に葛藤もするし、苦しむことだってある。自分ではどうにもならないことだって多い。でも、この小説は、自分を導いてくれることを「信じる力」があれば、人生を歩んでいくことができると、一人ひとりをそっと後押ししてくれるような優しさのある希望の小説だと思う。主人公の「私」の言葉には安らぎを感じることが多かった。 「完成した人生を持つ人なんてどこにもいないよ。すべての人はいつまでも未完成なものだ」 「この世界には確かなことなんて何ひとつないかもしれない。...でも少なくとも何かを信じることはできる」 「私」の周囲で事件が輻輳して起きるが、第2部の3分の2まで進んでもなかなか収束する気配がなく、どうなるのかと、先がとても気になりながら読み進んだ。村上春樹の文章は、とにかく読者を読ませる。 世の中には、「私」とは対極的な免色渉(めんしき・わたる)のように、思惑を持って必ず布石を打ちながら動く人もいるし、それがうまくいっている人もいる。ただ、この小説は、自分を導いてくれる「信じる力」があれば人生は何とかなると、優しく語りかけている気がする。 「私」が、暗闇の世界でもがきながら歩む場面は、私たちそれぞれの人生で葛藤したりもがいたりしている姿と重なる。人生でうまくいくことなんてそうそうないけれど、自分を導いてくれるものを「信じる力」があれば、人生は歩んでいける。この小説を読んでいると、人との結びつきも、自分の「信じる力」しだいだと、私たちにそっと囁いている気がする。 社会的な成功を治めた人の人生だけが、必ずしもいいというわけではない。人からどう見られようと、自分が幸せだと思ったら、それはそうなのだし、そう思っていいのだと教えている気がする。「私」の新たな家族となった娘が、妻との間にできた子供であるかどうかは関係ない。結びついていると「信じる力」こそが大切なのではないかと、思えてくるのである。「私」が最後につぶやく言葉には、ほっとさせられる。 「どのような狭くて暗い場所に入れられても、どのように荒ぶる曠野(こうや)に身を置かれても、どこかに私を導いてくれるものがいると、私には率直に信じることができる」 「騎士団長はほんとうにいたんだよ」 人生が自分の思いのままにならなくともいいんだと、それぞれの人生を包み込んでくれる優しさを感じる。 誰にだって、「騎士団長」はいるはずだから。 | ||||
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