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騎士団長殺し
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【この小説が収録されている参考書籍】
騎士団長殺しの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全104件 81~100 5/6ページ
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ユニークな比喩を多用した文体は読んでいて楽しいし、画家が画を描く時の心境のついての描写は興味深かった。決して駄作ではない。 しかし、肝心のストーリーやテーマは「ねじまき鳥クロニクル」や「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」との重複感があるし、登場人物も、謎めいた人物、芯の強い聡明な少女、死に行こうとしている老人等、他の作品で登場したような人物ばかりで新味はない。 全体的に、これまでの作品とのマンネリ感は否めない。オリジナリティーが不足しているように思う。また第2部が冗長のように感じた。 いちおう星3つを付けるが、甘い方だろう。 | ||||
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正直、出来は良くない。 何よりも、あの流れるような文体が、変な翻訳語みたいな感じで非常に読みずらい。 わざとやっているのかもしれないが、その理由がわからないし、わたしには確実に作品の魅力を損なっているように感じた。 音楽のように言葉を紡いでいたあの「村上春樹」という作家はどこに行ってしまったのだろう。 短編集「女のいない男たち」では、文体は昔のような独特の匂いは薄れていたけれど、こんな風には感じなかったし、結構面白かったので、この小説は特別出来が悪いような気がする。 進化の途上の足踏みならいいのだけれど。 | ||||
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今迄 読んだ事あるお馴染みのシチュエーション、仕掛けと わたると言う人物が出てきます。13歳の女の子は、私の身近かに居ないので かってに私のなかで 千年に一度のアイドルの女の子のだみ声で再生されてしまい 自分のイマジネーションの無さにも、ガッカリ。最後の方 子どもについてが新しく今迄に無かった事ですね。少しアレンジを加えた村上流ベスト盤です。 | ||||
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面白い小説でした。発売日に買って読んで良かったです。しかし、主人公を取り巻く人間の妊娠の仕方が異様というか… 1Q84では青豆が天吾の精子を不思議ちゃんの十代の女子を通じて妊娠したという展開でしたが、今回は旅中の夢精が妊娠につながったというような内容であり、妊娠の仕方が精子のワープというような現実では起こりえない方法になっており、そこのところの共通点が村上春樹という作家と何らかの深い繋がりがあるような気がして仕様がないと感じる作品でした。 | ||||
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なんだかんだ大体の作品を読んできて、リアルタイムでは初めて買いました。 ここまでくると「水戸黄門」とか「スーパー戦隊シリーズ」と変わらないと思います。 水戸黄門であれば見せ場で必ず助さん格さんが悪人を懲らしめた最後に印籠を見せ、 スーパー戦隊だったら5人のヒーローが日曜の朝7時55分に必ず巨大ロボを操縦して敵と戦う。 そのように、ハルキというシリーズは、過去に何かしら傷がある変てこなこだわりを持った主人公が、 数少ない友人と音楽とか文学などの蘊蓄を垂れて、どこかであっさりと誰かと交わり、 なんだかよくわからないまま穴や暗闇とか森の中をひとりで歩き進むということが、必ず物語の展開上あるわけです。 そういう風なものとして今作を読むと、肩の力が抜けてよかったです。良くも悪くも裏切りません。 率直なところ、 1人称に戻ったからか「1Q84」よりは読みやすい気がしますが、初めて読むには薦めにくい。 あと、ポケットモンスターDP(ダイヤモンド・パール)の「なぞのばしょ」を思い出した、ということと、 これがもし続くとなると、もう一冊では終わらない気がしました。 以上です。続きが出たら買おうと思います。 | ||||
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予想してましたがエロ描写がやたらと多くて辟易としながら読み進めていきました。 ストーリーに集中していると突然ベッドシーンになったりするので、 一方的に梯子を外されたような感じが余計にしました。 この人の描く人物像は現実離れしたところがあるとは以前から思っていた通りですが、 「同年代の友だちは、みんな奥さんだけど、だいたい浮気してるみたい」とか 13歳の少女の考えている事がいつも自分の胸の事ばかりだったりというのは、 流石に女性蔑視ではないかとすら感じました。 ストーリー的には「ねじまき鳥」と「世界の終わり」とが混ざった感じで、割と面白く読めました。 | ||||
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本屋で立ち読みしてこの本を読みました。期待していなかったのですが、やはりそのままの評価でした。レビュアーは第二部をまだ読んでいません。がっかりもしないかわりに、熱狂もしませんでした。期待していなかったからね。そういうわけでこの作品に関しては、作者の最近の主題である「ある男」(「色彩を持たない~」から継続している主題)に対して、今度はどれほど突っ込んでかつそれを突っ切るかみたいな視点から、それにどれだけ成功しているのかというある種引いて見るという態度で臨んだのですが、そこから浮かび上がってくるのは、パートごとに絶対一個「おもしろ」を入れてくるということです。これは、その数の多さという点で村上作品としては珍しいと思いました。例えば、主人公は奥さんと別れた後でショックで東北に遁走するのですが、乗りまわした車を捨てる時に主人公が思わずその廃車同然の自分の車をスケッチしてしまうくだりは個人的に笑いを禁じざるを得ませんでした。 他には、今までの作品では気がつかなかったのですが、本作品の登場人物たちは、それぞれどこか奇妙な点が―その人物なりに―存在しているということです。奇妙というよりも、彼らは皆それぞれのやり方で、本来すべきではないことをしているということです。主人公の私にして、借りた家で不倫をするということからして。(そういうわけで彼らが皆あるべきことやものから逸脱している中で、政彦の存在が普通過ぎて逆に気になりました。) 客観的なレビューから逸脱しますが、本来すべきではないことをしているという行為に関する逸脱と、あるべきではないのにそこにいるという場所(これは地位とか状態も含まれる)に関する逸脱について春樹さんはどのように表象し呈示してくれるのかが気になりました。それが手前味噌ですが私個人の第二部での読みどころです。(他に読解のポイントは、騎士団長の英語であるcommendatoreという語にあるような気がします。(もしこの本について論を書くとしたら私ならそこから始める)。この語の原義(指揮する)は、アルケ―という古ギリシア語の意味の一部であるということを、本屋で読みながら、別の本を開いてみたところ偶然見つけたからです。これに関しては、機会があれば別に論じたいと思います。) この本に惹かれた人は、例えば、円地文子の短編をご存じだったのかもしれません。春雨物語をフォーマットにした円地の作品が岩波文庫に収められています。 全体としては、まあ、静かな作品で、アメリカのB級映画を見ているような気持ちになりました。郊外が舞台で結局何も起こらないような、深夜に見るようなやつ。ドラマ性はありませんが、作者のこの主題に対する頑張り(何も起こらないみたいな世界に対して、構造を導入してなんとか物語化しようとする律儀さ)を汲んで、第二部もぼちぼち読み始めようかと思いました。だってここまで書いてくれる人はなかなかいないんでしょ? | ||||
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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド、ねじまき鳥クロニクル、海辺のカフカ、1Q84などの、過去の作品の焼き直しだな、という印象でした。 ファンだからという理由だけで、今後も新刊が出たら買いますが、最早内容にはあまり期待してはいけないのかな、と思いました。 それにしても、秋川まりえは1Q84のふかえりに酷似してるな、というのと、「やれやれ」という台詞が出てこなかった(ように思う)のが印象的でした。 | ||||
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マンネリだ、いつもの春樹印がいい、集大成、そういうレビューがよく見られる。 村上春樹が自らを語るように、毎日コツコツと執筆作業をする、自分はつまらない世間知らずだ、そういう姿勢がこの作風になっている。 ヘミングウェイのように題材を探して飛びまわるのは不自然だ、とも言っていた。 言葉は悪いがタコツボ化に入っている。そういう姿勢が読者としてフィットするか、そこに村上が選別される一つの基準がある。 百万人に認められるなんて違和感しかない、変な場所に取り残されたような気持ちになる。かつてそう告白した村上が、今どう感じているかわからないが、マイペースで歩む村上に対して、出版やメディアに煽られず、真っ当に読み評価する姿勢が求められる。 少数のわかってくれる人がいてくれるだけでいい。元々はこのような閉じたサークルを現在はどう評価するか、今や社会現象になったムラカミハルキに対して、メタ的な視点から批評をすることがあってもいい。 この社会現象はどういう意味なのか。そして作品との関連はどのようなものなのか。 | ||||
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まず、これだけの長くても一気に読まさせる本を書ける作家の実力は、とても凄いことだと思った。確かに、途中でだれる部分もあったりするが、楽しく読むことができて、満足した。これが出来るだけで、この作品は、成功していると言える。 内容に関しては、今までの作品のモチーフが散りばめられていて、いつものような村上春樹の世界がある。主人公の設定、彼に関わっていく人物、などは今までの作品に出て来る人物と重なる。特に新しいとこがないのは、熱心なファンからしたら、少し退屈に思うかもしれない。 この作品で、少しもったいないと思ったのは、物語をずっと安全地帯の中にとどめていて、読者が本当に見たいと思っているとこまで連れて行けてないことだと思った。主人公に大きな影響を与える、画家がウィーンで経験したこと。そこから帰国して作風を変えた。ここのところが、この作品の中で最も暗いとこで、あり掘り下げる価値があり、私が最も見たい所だったのに、しっかりと語られていないことが残念だった。 また、批判の多い性描写だが、私が気になったのは、少女の胸に関するところで、不自然に何回もそのことについて触れられる。確かに成長することのメタファー?を意識しているor作者の趣味かもしれないが、あまりにも何回もそのような箇所があると、少し読みにくいなと感じた。 気になったポイントはいくつがあるが、いつも楽しませてくれる作品を書く作者の次の作品もとても楽しみだ。 南京虐殺についての描写から、この作品や作者を反日だと批判している人が大勢いるようだが、明らかにテーマを読み違えて、的外れだと思った。 | ||||
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村上春樹さんらしい独特な言い回しが多く、それが鼻につく人や生理的に受け付けない人は本書を購読することを控えたほうが良いかもしれません。 村上春樹さんの短所であり長所といったところでしょうか。 良くも悪くも変化がない。 登場人物の台詞回しに拘りすぎて、村上春樹さんの小説のほぼ全ての登場人物の感性や品性といったものに特段の差異が見つけられない。 人間らしさを撤廃したかのような壊滅的にクールビューティーな主人公。と、そのセックスフレンド的な存在。 筆者が書いた劣化版ファンタジー小説に気障な台詞で必死に懸命に色をつけ、あたかもそれが村上春樹色ですが何か? 『これが狙って書いてる村上春樹です』然とした感が嫌になってしまう私がいる。 しかし売れている。。 私が変なのだろうか。 この小説全然つまんない | ||||
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物語として読み手を夢中にさせる作品としては「村上ファン」の多くの人々の期待を裏切らない 現に私自身は本書手に取った瞬間から休むことなく一部・二部を読み上げてしまった 今後も私は彼の新刊があればきっと買うだろうし読み続けるだろう でもやはり彼も年をとったと感じさせる・・・ 点と点が線になる作品を彼は描き続けたが、この作品にはその線を見失う・・ 晩年の黒沢作品のように彼は自分の主義主張・哲学思想を直接的に書きたいという欲求と格闘しているのではないか、小説という枠を取り払って・・・ でも抽象的な絵画のように、それらのものを覆い隠しながら物語を噤むのが彼のスタイルだったし、それが読者からも支持されたものだったような・・・ 今回の作品は読み終えて深い感慨にひたるということはなかった・・ 今までの作品のように | ||||
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ハルキストではないが、とりあえず彼の新作は読む派なので。ま、2部を読まないとまだわからないかなあ。 | ||||
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所詮、ファンタジー作家なのだから、想像や空想で歴史を語ってはならない。学者の領域である。その部分は天才ゆえの勇み足ではないか。メタファーで済ませればよいことである。今までの作品は節操を保っていたがその1行余計だ。歳をとって辛抱できなくなったとしか思えない。団塊世代の限界ではなかろうか。 | ||||
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太宰治と村上春樹って似てませんか。どっちも青春の文学。若いときに隠れて読む本なのかと。ある意味、年取っても熱中している人がうらやましいです。いっつも同じ。この人、セックスのない長編は書けないのでしょうか。 | ||||
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既に多くの方がレビューしておられるように、本書はまさに「村上春樹」の小説であり、今まで筆者が書いてきた小説を好み、それを期待している方は、裏切られることはないでしょう。 高踏的、経済的豊かさ、芳醇な男女関係、聖なる少女等、第二次世界大戦、村上小説を彩る定番ガジェットは健在です。安心して楽しめます。 マンネリを指摘される方の評価も分かります。分かりますが、それはそれとして、筆者が伝えようとするものを感じましょう。分かりにくいメタファーも自分なりに考えれば楽しいものです。 2日潰して読みました。私にとって、高校生の時に図書館にある村上作品は全て読み、その後、新作が出ると必ず購入する唯一の作家です。面白い作品を書いてもらわないと困るのです。 次回作に期待しています。 | ||||
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「1Q84」のような暴力的な描写が出てこなくてホッとしましたが、そろそろ詳細な性描写に疲れてきました。 住んでいる小さな家の向かいに住む大金持ちの依頼で、自分の生徒との縁を取り持つ、という設定は、氏のお好きな 「ギャツビー」そっくりですし、ひょんなことから知人の別荘(何でも揃っている)に住み、不思議なことが起こり始める、 というのは「羊をめぐる冒険」によく似ています。 穴に降りる、圧倒的な暴力に傷ついた魂、エキセントリックな美少女、といったお馴染みのキーワードも同様。 「未知との遭遇」の主人公のように、村上春樹氏は受けた天啓(?)を繰り返し繰り返し作品に登場させるのですね。 ラストはまるで急に打ち切りが決まったマンガのようにまとめに入っていますが、締め切りでもあったのでしょうか。 それとも作中に出てくる絵画のように「途中だけどもういいや」と思われたのでしょうか、不自然な気がしました。 既視感でお腹いっぱい、で星3つです。 | ||||
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初めて村上春樹さんの小説を読みました。 版数も多くメディアでも取り上げられていたし、ノーベル賞候補にもなるくらいの方なので興味を持っていました。 1部2部読んで内容は、面白いといえば面白いが大きく取り上げるほどでもない エンターテイメントではあるが芸術的作品ではないという印象 はっきり言って作中にも名前が出てきたが、ドストエフスキーとは比較にもならないし(もちろん小説のタイプは全く異なる)、夏目漱石や森鴎外、谷崎潤一郎等の歴史に名を残すような文豪と比べても表現、描写等の美しさはあきらかに劣る 伊坂幸太郎さんにも似たような印象を受けたが、無駄な文章が多い気がする(人の服装や建物の構造を細かく説明する点やあまり関係ない情報を書く点) また、終盤で主人公はひどく精神的にも肉体的にも疲弊する場面があったが、そこでも主人公はいつも通り事細かく周りを見て判断を下していたため緊張感や臨場感をそこまで感じ取れなかった もっと上手く書けるだろうなあ という気がした すでにレビューを書いた人はおそらく村上春樹さんのファンが多いのだろうが、低評価が少なく高評価が多いため彼の他の作品も騎士団長殺しと比べて格別に面白いという作品はおそらくないのだろう 私は村上春樹さんの他の作品をこれから先読むことはおそらくないだろうし、人に薦めることも私はしないが、読みやすいしつまらないというわけでもないので星3としました。 | ||||
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大好きなヘイゼルナッツアイスクリームのコアントロかけをしこたま買い込みいざ読書。 結果… いつもの作品とほとんど一緒 気どった主人公 都合よくセックスさせてくれる女 ウィスキーとラムチョップ 非正規雇用の若者も 介護離職も 保育士不足も 彼の作品には登場してこない。 選ばれた人間が、知的そうな会話を繰り広げ、無機質な孤独を感じている。 世間一般に心からこの世界観に共感できる人はどれほどいるのだろう。 新宿アルタ前を5分ほど観察するだけでホストもキャバ嬢も酔っ払いもくたびれたサラリーマンも山ほどいるのに そんな人は彼の作品の中ではどこへ行ってしまったんだろう。 村上春樹が一部のインテリっぽい人にだけ圧倒的に支持されている作家だとすればまだ理解はしやすいのだけれど 国民的作家だというのがちょっと合点がいかない。 本当に100万人が共感できる? 少なくとも彼の作品の登場人物は私の人生の中では出会ったことのない手合いばかりなのだが。 だって平均的な人はそんなオシャレじゃないもの。 いや、ちょっと待て もしかして自分がダサいだけなのか 。 加えてモテないだけなのか。 だから理解できないのか。 … んなことない。 電車で向かいの座席を確認してみたけど、それほど自分と変わらない身なりの人ばかり。 間違いなく同じ車両にはストラスブルグソーセージのトマトソース煮込みを今日の夕食にする人は乗っていなかった。 やれやれ 言い過ぎたか。 完璧なレビューなどといったものは存在しない。完璧な孤独が存在しないようにね。 追伸 なんだかんだ読破してしまうところに村上春樹の恐ろしさがある。 | ||||
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発売日の夜のこと、ふと、「今この瞬間、何十万人って人がこのわけのわからん作品を読んでるんだよなあ」って思うと、なんか怖いような・・・そのことがすでに異界の物語って感じですよね? たぶん最終的には100万部とか売れるんでしょうね。100万っていえば、日本の人口のほぼ100人に一人が読むってことでしょ? 少なからぬ影響力、ありますよね、アンチがどう言おうと。もはや日本人の集合的無意識の一部を形成しつつあるといってもいいかもしれないですね、ぶっちゃけ。 それはともかく、数年ぶりの新作です。奥さんがいなくなって、不思議なことが起こって、主人公が新たな人生のステージを迎えるという村上春樹の「王道」パターンです。例によって。全編が暗喩みたいなもので、この作品を「理解」するっていうのはどんな小説読みでも不可能ではないでしょうか? おそらく、村上自身ももはやそんなの期待していないんでしょうね。その投げっぷりというか、説明しなさぶりってのはある種の極北に達していると言えるかもしれない、よかれあしかれ。 今回も「父」もしくは「父性」が大きなモチーフとして出てきます。父の不在ってのが村上春樹作品を解くひとつのキーワードとして語られてきましたが、もしかするとそうじゃなくて、「母性」の欠如、母なる存在の不在のほうが、彼の根源的なテーマといか、「問題」なんじゃないかなって思いました。父なるものとの格闘において、母なるものの存在がないんですよね。すごく薄い。 村上作品って、女性がいっぱい出てきますが、そのほとんどは「処女」か「娼婦」、もしくは「魔女」ですよね。あとは、「姉」ね。リアルワールドに引き留める存在としての「姉」。 お母さんはどこに行ったんだろう? 個人的には、「1Q84」にでてきた「ふかえり」みたいなキャラが出てきた時点で、「またかよ」って感じでさすがに読むのをやめたくなりました。処女=聖なるものに近接できる純粋さをもったアイコン=巫女、みたいな構図はもううんざりです。傷ついた男性の自我の回復ツールとして、女性のスピリチュアリティを利用するって構造はすでに「ピンボール」からありました(そう、双子ですね。「羊」の耳だし女の子もそうでした)。 そろそろもう、そういうの捨ててもいいんじゃないか? 他に解決方法、ないのか? 「肖像」、「日本画」、「平安時代」などこれまでになかったモチーフが出てきて、「こりゃあいつもとは違うな!」って期待して読んでいたのに、最後は「いつものお店で」って感じで終わっちゃいました。「木野」で新しい地平を開いたように感じていたのですが・・・残念です。 しかし、意地になってるみたいに、居酒屋行きませんよね、登場人物たちが(笑)。普通、男同士がまとまった話をするのに、イタリアンレストランの個室行くか? 居酒屋ですよね? そのあたりのリアリティの在り方のずれみたいなもんが、アンチ春樹の人たちの憎悪をかきたてるんだろうなあ。どうでもいいけど。 (3/6 追記) ふと思ったのですが、この作品って「小説(物語)を書くこと(作ること)」についての小説(物語)でもありますよね。主人公が肖像画を立ち上げていくときの描写が、ちょっと前に出た「職業としての小説家」における村上春樹の小説の書き方と激しくだぶりますね。 で、「騎士団長殺し」に近いことが、村上自身にも実際に起こっていると考えるべきなのかもしれません。 村上春樹は処女作から一貫して、「小説(物語)を書くこと(作ること)」とはどういうことなのか?ってことを追及してきました。とくに長編小説において。それが最もはっきりと表れたのが「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」でした。 その後も左右のぶれはありますけれど、一貫して村上は「現代において、小説(物語)を書くこと」の意味というか、可能性と不可能性について自らの身体を通じてパラフレーズしてきたのかもしれないなと思いました。 そういう意味において、村上春樹という作家を研究するためには、この「騎士団長殺し」は絶好というか、よくあからさまにここまで書いたよなあって印象です。 一人の肖像画を深化させていく過程は、まさに村上が小説を書くときに行っている、感じているプロセスなんでしょうね。 | ||||
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