■スポンサードリンク
騎士団長殺し
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
騎士団長殺しの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.46pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全104件 61~80 4/6ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
騎士団長殺し読み終わりました。 思ったよりも下巻を読むのに時間がかかり、 最後にため息が出たところです。 上巻下巻どちらも500ページの厚い本でしたが、 手に取る時の重さに、はっきりと差がありました。 実際はかりで計ったらほぼ同じでしょうが。 あれだけ絶賛していた上巻のかなりの急な下り坂も 下巻に入ると徐々に下り坂の角度が緩くなって行き 気がつくと真っ平らな障害物のない道を ゆっくりと歩いていました。 あと4分の1を過ぎたあたりからは、 逆に少し負荷のかかる傾斜の緩い上り坂を歩いている感じになり 登りきった先にわずかに見える結末は お世辞にも立派とは言えない 地方マラソンのゴール地点のようでした。 読んでいる方もいると思うので内容には触れませんが 上巻の行く先の見えない魅力的なモノたちに心奪われましたが 下巻になり、見えてくる事実、現実に心冷めていくというのが結論でしょうか。 書き手は大きく広げた風呂敷を 最後、丁寧に丁寧に畳すぎたのしょうか。 読み手はそんな家電の取扱説明書みたいな小説を期待しているワケではないでしょう。 広げた風呂敷が例えクシャクシャで終わっても そのシワに何かを汲み取れたら、 それはそれでいいのではないでしょうか。 前に親友で作家の草下シンヤ氏に のり玉の書く話は、始めすげー面白いのに最後イマイチだよねと言われたことを思い出し、大巨匠引き合いに出すのはおこがましいのですが、書き終えることの難しさを痛切に感じています。 ひとというのは、分からないから興味を抱くのか 興味を抱くからこそ分からなくなるのか どちらか分かりませんが 分からないという知的欲求以上に 面白いと感じることはないでしょう。 結果、全貌が明らかになって どんなにつまらないモノだったとしても。 絶妙なバランスで分からないままでいられたら 永遠に虜になれるかもしれない。 そんな話を書けたらな思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
相変わらず文句を書かれまくる春樹作品。 そんなに嫌いなら読むなよとも言いたくなるが、嫌よ嫌よもなんとやらということなのだろうか。 しかし、私もその手の類。 いつも「こんなんありえへーーん」などとツッコんだり、かったるいところは正直読みとばしたりしながらも春樹の新作が出ればついつい買って読んでしまう。 兎にも角にもあの独特なナルシス文体、そして知的っぽい小物(クラシックとか)、井戸やら羊やら今回でいうとあいつとかそういう不思議な奴ら。 とにかくこういうなんやかやの春樹文学を構成している全てがなぜか心を惹きつけて離さないのだ。 そういう意味で、春樹作品においてストーリーの矛盾だったり意味不明な数多くのシーン、解決されない謎なんていうのはお決まりなところでそんなところをツッコんでいてはヤボなのだろう。 しかし、そうはいっても今回は声を大にしてこれだけは言いたい。 以降ネタバレあり ぜんっっぶ、お前(騎士団長)のせいやないかーーいっっ!! 騎士団長、こいつが全ての原因をつくって事件をややこしくして、一見いいことしているようで、それ、余計なことですからっ!!みたいなことの連続。 最後に明かされる事実に脱力。なんで主人公はあんな死ぬ思いまでしてがんばらにゃならなかったのか。。。 騎士団長さんは主人公にはかたくなに力をかすのを渋るわりにロリコンなのかなんかはしらんが美少女まりえの危機にはなぜか「全力を尽くして」助けようとする。 まりえの危機とは勝手に他人の家に忍び込んで、本人帰ってきてやべーってなってる完全自業自得状態なのだが、騎士団長はとにかく助けたい。 しかし、その助け方は超絶適当で、まりえをとりあえず家主があまり行くことのない部屋に押入れ、とりあえず何日か耐えろというだけなのだ。 まりえは騎士団長が理解できないこと(誰にも理解できない)を言って家主(免色)がヤバいみたいなことを言うのにビビって言う通りにする。 まりえが騎士団長のアドバイス通りに動いた後、家主はすぐに家を出る。騎士団長さん、なぜかここではアドバイスしない。ほかに行かなくてはいけないところがあるからとか言ってどっか行っちゃう。 こうしてまりえは都合よく電源の切れた携帯を持って何日も行方不明になり、主人公は命がけで彼女を助けるため、騎士団長を介して大冒険へ!! って、お前の家の近く(免色さん家)にいるよーー!! かたくなに騎士団長さんはまりえの行方を教えてくれないわりには自分を包丁で殺せとか無理難題ふっかけてくる。 いやいや、言ってやれよ。 免色さんの家にいるって言ってやれよーーっ!! なんて言ってたら、春樹は読めない!! ダメ、ツッコミ!! そんななんやかやも魅力なのだから。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
文字で描写するセンスは独特で無二のものだと思うし、長編ゆえに疲れますが、ここで騒がれているほど悪くはなかったというのがまず感想です。 日常の物語なのだから、それに倣ってゆるやかに本の世界に片足を入れていけばそれなりに楽しめました。 ただそれは村上春樹を読んだということなのだと思います。私はそこまで深く読み込もうとはしなかったしできませんでした。 ひとつだけ言えるのは、読み手の意思が物語に干渉すると自分も登場人物になってしまうので、特に政治的なことは切り離して考えるべきです。 私は過去の村上作品をすべて読んだわけではないので過去作の反復性についてはわからないけど、冗長に感じるところもあり、 第1部は両手で本を持っていたけど、第2部で穴に入っていくあたりからはコーヒー片手にBGM何にしようかな、とか他のことしながら読んでいたので どっぷりハマれる作品ではなかったと言えますが、読了後(それが何かは人によるが)考えさせられるのは相変わらずの村上春樹だったと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
性の描写に辟易。 そして、夢の中で自分の欲を抑えきれずに女性をレイプするシーンはデジャブ? 他の作品でもありましたよね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「ねじまき鳥クロニクル」以来20数年ぶりに1人称で書かれた本作は、僕から私へと年を重ねた 主人公がアクティブさを失ってしまった上に、虚構の世界に足を踏み入れて、ワンダーランドの 住人との遭遇から物語を構築して行くダイナミズムやシュールさもなく、イデアやメタファーと言った 自らの内なる魂との精神的葛藤を描いているので、1000ページ近くある長編にも関わらず、過去の 作品に比べてスケール感があらない。 ジャガーのV8エンジンやオペラ「ドン・ジョバンニ」等ストーリーに影響しない自らの趣味嗜好に 関する蘊蓄や、比喩を多用する文章がうざったく、主人公が描いた未完成のまま完成した絵画の様に、 作品を完結させないで含みを持たせた終わらせ方が、相も変わらずあざとい。 阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件の衝撃から執筆された「神の子供たちはみな踊る」と同じく、 本作では、東日本大震災や戦争で日本人が受けた心の傷が、登場人物たちの抱える問題に置き 換えられて、震災後に生まれて来た新たな命に、風化させてはならない記憶が託されるのだが、 果たして排他主義とポピュリズムに支配された今の社会を嫌って、人里離れた山奥の豪邸で 「騎士団長殺し」と言う謎の絵を書いた老画家と同じような環境で、悠々自適に小説を執筆している 村上春樹の思いを、読者は正確に読み取ることが出来るのだろうか? そのためには、彼自身が主人公と同じくメタファー通路のある穴の中に入る試練を受けて、 生まれ変わったことを証明する必要があるのではないでしょうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
第一部を読んでいて、これは「ねじまき鳥クロニクル」や「1Q84」を超えるのではと期待していたが、第二部を読み終わっての感想は微妙。村上春樹の視点はどうも旧態依然としているようだ。たとえばオーウェルの「1984」ならば、一昔前の著者の世界観による全体主義への鋭い批判ではありながら、これはこれで今もおいそれとは風化していない。しかし村上春樹の作品には体制批判の匂いは感じられるが、結局その本性は体制擁護ではないのか。寓話ともいえる物語の中で、主人公に殺されてしまう騎士団長が犠牲はつきもので落着してしまうのは残念でならない。なぜなら、犠牲はつきものというのは暴力を肯定する権力者の常套句でもあるからだ。村上春樹と一見似たような作家と位置付けられているポール・オースターは、彼の書く物語で犠牲はつきものとは言わない。オースターはむしろ犠牲の無い社会を夢想している作家に思える。村上春樹よりもポール・オースターのほうがノーベル文学賞に近いだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
第一部は素晴らしく、『おっ、これは集大成的な最高傑作になるか』と読み進めましたが、2部になって、ふわっとした話が増え、後半よく分からなくなりそのまま終わった感じです。 1部だけなら星5つ、2部が2つなので間をとって3つにしました。 構成力や表現力は、日本人作家としてはズバぬけてますが、過去の作品読んでない人にはよく分からない描写が多いですし、ファンには既視感が多く、後半の『イデア』や『メタファー』の連発はちょっと辛かったです。 あと、ムダな(に思える)性描写多いのも、ちょっとウンザリでした。 次作を楽しみにしてます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
作品自体は、よく言えば今までの集大成。悪く言えばどこかで、もう読んだ気がする。 しかし、ひと通りレビューを読んだが、ネトウヨのレビューばかりで、参考にならない。そんな偏った思想で本が読めるのか?偏った思想はこっそり胸の中にしまっておいて、公の場にさらさないでほしい。なんにしろ、このネトウヨのレビューの山が不快。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
1部2部とも読了しましたが、後に何も残らない。読んでいる時は、それなりに面白かったけれど。2度見たいと思わないハリウッド映画と同じで、 2度目に読み返そうとは思わない。まあ、ノーベル賞取れないのも納得。その内もっと良い小説が出来上がるよう期待してます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
若いときに優れた美しい、力のある作品を書いていた作家が、ある年齢を迎えて、疲弊の色を急激に濃くしていくことがある。「文学やつれ」という言葉がぴったりするような、独特のくたびれ方をする。書くものは相変わらず美しいかもしれない。またそのやつれ方にはそれなりの味わいがあるかもしれない。しかしその創作エネルギーが減衰していることは誰の目にも明らかだ。それは彼/彼女の体力が、自分の扱っている毒素に打ち勝てなくなってきた結果ではないだろうかと僕は推測する。これまで毒素を自然に凌駕してきたフィジカルな活力が、ひとつのピークを過ぎて、その免疫効果を徐々に失っていったのだ。そうなると彼/彼女は、従来のような主体的創造を続けていくことが難しくなる。想像力と、それを支える肉体能力とのバランスが崩れてしまったのだ。あとは、それまで培ってきたテクニックや方法をうまく用い、余熱のようなものを利用して作品の形をただととのえていくしかない。 ーーー『走ることについて語るときに僕の語ること』 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「1Q84」「色彩を持たない〜」ときて、もう買わない読まない…と思ってた村上本。 TSUTAYAのポイント10倍に釣られ、また…。村上文学は僕みたいなヒトびとにも支えられてるンだろうな? 今回は新潮文庫『宇宙ヴァンパイアー』巻末の対談にて語られた村上センセイの発言に引かれたという動機もあって早速、読んでみました。 先行する辛辣なレヴューの数々にビビりましたが、なんのことはない普通に面白くない小説でした。それでいてサクサク読み進ませる技術は(ある意味)凄い! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
装丁がりっぱで、紙が厚すぎず上品で、(物理的な)読み心地がとてもよかった。またちょくちょく単行本で本を買って読むのもいいなと思わせてくれました。 中身について言えば、絵画創作の過程の描写にわくわくしました。私は絵をかつて絵を勉強していたのですが、また取り組んでみたいなと思わせてくれました。 物語についていえば、うーん、没頭感はなかった。いつもながら(と感じられる)のお金持ちと性生活の話。かつては、美しい上品な人が着こなしているファッションの詳述、料理の詳述なんかは読んでてうっとりもし、くつろげて好きだったのですが。今現在の自分をどこかに連れて行ってくれるような力はありませんでした。これまでに繰り返し読んだ村上作品にあった奇妙さ、あるいは誠実さ、あるいはやはり「若さ」がうしなわれてしまったということでしょうか。 あるいは作者はわざとそうしているのでしょうか。同じモチーフを繰り返し焼き直し、よりコクのある作品世界として定着させる。様式美となるところまで重ね塗りを繰り返し、その先にまったく新しい昇華を企んでいる。そうであったらうれしいです。 もしそうであったなら、少しニヒルなかっこよさも感じるし、次回作もぜひ買って読んでみたいです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
村上春樹はこれまで初期の作品しか読んでいません。ここ最近の作品を知らないので、初期の作品としか比較できませんが、本作は鼠三部作にくらべ、円熟期に入った作家の完成度を感じました。 文章力、描写力、構成力がすごく、小説の時間の流れを表現する方法論も秀逸です。情景描写、人物描写、心理描写、さらには性描写まで緻密で、これにアクション描写が加われば、よいハードボイルド小説も書けたのでは、と脱線的な感想も抱いてしまいます。 おしいのは騎士団長や「顔なが」といった漫画的系キャラが作品全体を壊していること。彼らが哲学を語るのも不自然に思えました。もっとホラー的な雰囲気にした方がよかったと思います。 南京虐殺を非難するなど政治的発言にも注目が集まってますが、これはほとんど余計。政治問題をテーマにした小説にはなっていません。主人公をはじめ、経済的に豊かすぎる階層の人々の物語なので、個人的にやや感情移入しづらい感じがしました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
村上春樹氏のファンなもので、過去の作品は大体読んでいます。 今作も予約をした上で入手し、読みました。 今回はなんというか、過去の作品の焼き直しのような印象を受けてしまいました。 モチーフがねじまき鳥やハードボイルドワンダーランドといった過去作と似ており、読んでいて新たな何かが感じられません。 物語自体の推進力もあまりピンとこず、性描写と食べ物の描写という原始的に人間の脳に訴えかけるような力で無理くりひっぱっていった感じがしました。 とはいえ流麗な文章と描写力はさすがで、その点はいつも通り楽しめました。 なんだろう、筆者本人はモチーフを変えずに書くことを意識しているのでしょうか? 個人的には文章力という技術だけではなく、新しい何かを期待したいところでありますが。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
知人が村上春樹がすきなのでプレゼントしたので、内容はわからない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
知人が村上春樹がすきなのでプレゼントしたので、内容はわからない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
村上春樹の作品としては、極まれにみるがっかり感。意味が分かり辛いとか、ストーリーが複雑ということではなく、面白いと感じるところがなかった。400ページを過ぎたころから期待もしたが、やはり残念だった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
僕は無駄な文がなるべく少ない、綺麗に削ぎ落とされた文章を愛します。 本作は全体の設定やそこに漂う雰囲気は好みではありましたが、その描写にくどく感じるところが多く見受けられました。 そこが好きな人もいるのでしょうが。 特に下巻の不思議な世界を漂うところの描写は読み飛ばしたくなるものでした。 逆に、あれだけキーパーソンになっていたはずの免色氏の描写が、クライマックス以降にはほとんどされておらず、消化不良が残りました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
良くも悪くも、村上主義者の期待は裏切らない作品だと思う。 ベテランミュージシャンの新しい作品を耳にした時の感覚に近い。 ただ、これで(2部)で完結ではないと思うから、最終結末に期待したい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
なんといっても村上春樹は〈村上春樹〉というジャンルを確立しているところが凄い(だからこそいじられやすいのだろうけど)。そしてこの作家は〝無意識〟の領域をあつかうのがうまいとおもう。抜群にうまい。文体よりも「物語性」のほうに目をむけるとよくわかる。かんじんなのは、なにが語られたか、ではなく、「なにが語られなかったか」なのだ。(……あたりまえではあるが、読者は読書中たえず「読書」という行為をしいられる。視線を上下に移動しつづけ、指はページをめくる。その行為そのものが〈二重メタファー〉を呼び寄せてしまうのだろう、きっと)。 閑話休題。「騎士団長殺し」とは、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」のなかの一場面――ドン・ジョバンニが騎士団長を殺す場面――を描いた日本画の巨匠雨田具彦の絵の題名である。語り手の「私」が彼(雨田具彦)のスタジオ兼住家の屋根裏部屋でその絵を見つけてから物語はゆるやかに、しかしかくじつにうごきだす。 『ねじまき鳥クロニクル』や『海辺のカフカ』などをもうすでに耽読している読者にはやや不満がのこるかもしれない。最後も急速に予定調和的な方向へかたむく。まるでゆうぐれどきのカラスがうるさく鳴きたてながら森へ帰っていくように。 ただ、「騎士団長」や「顔なが」といった、あいくるしいキャラクターの存在はおおきかった。とくに「顔なが」がいなければこの作品の魅力は半減していたことだろう。 また、「穴」の存在もある。ぼくたちはみな、子どものころは「穴」を知っていたはずだ。ここを抜ければどこにでられるか、あそこにいくにはどこを通ればいいか、と……。意識的にも、無意識的にも、ありとあらゆる場所とつながっていた。そこここをいききできた(ほんとうに)。「この作家は〝無意識〟の領域をあつかうのがうまい」といったのは、つまりそういうことだ。 〈第2部 遷ろうメタファー編〉で「私」は、〈……絵を描くことでひとつの物語を記録しているのかもしれない〉というようなことにおもいいたるところ(p169)があるが、まさに村上春樹は〝記録者にふさわしい人物〟に物語を語らせる。それもまた、個人的に〝なにが語られたか、ではなく、「なにが語られなかったか」〟がかんじんなのだとおもうゆえんである。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!