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わたくし率 イン 歯ー、または世界
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わたくし率 イン 歯ー、または世界の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点2.84pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全5件 1~5 1/1ページ
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頭が良い人というのは四六時中こんなことを考えているのでしょうか。 さぞかし苦しいのだろうなと思ってしまいます。 本書の内容についても正直あまり理解できませんでした。 読み手は無視してご本人のはけ口に使われているような? ぶっ飛んでるなという感想です。 | ||||
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処女作のエッセー集が大変に面白かったので購入しましたが、わたしにはよく分かりませんでした。 熱が出た時に見る夢、あと全く事前知識なしに読む、夏目漱石の草枕などの感じです。 詩人の脳内はこんな感じなんでしょうか? 文法は狂っているわけではないのに目をつるつる滑る文です。 | ||||
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えっ?なんだこれ……。と思いながら読んだ。 すると突然、あ!わかるわかる。と思う瞬間がある。 そして、なるほどそういう……はあん。と気になってくる。 でも、青木の彼女の方が一枚も二枚も上手で、その言葉の選び方というか 主人公に対する手痛い態度というか、それの方が私にはズキューン!!ときて そこのシーンからは主人公が、大変大変ぼんやりしてきた。 多分、存在も含め全てが。 だけど、自我という意味でみると全体が自我なんだよな。 高校生の頃に読んだらどう感じたかと思います。 | ||||
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正直、ちょっとしんどいくらい読みづらかったです。主人公の頭の中の自己中心的な世界が怒濤のように垂れ流されていて、読者への説明不足と感じながらも、「この話どう落ち着くの」と興味本位で読んでしまいました。最後の方でちゃんと読者と感覚が近いであろう人物が登場して、「ああ、今までの読みづらさはわざとなのね」と納得できます。読み始めた時の印象は「???」でしたが、最後まで読めば意外にちゃんとした話になっています。 ですが、クライマックスで主人公の悲しみや辛さがわかると、こちらまでなんとも悲しくやるせない。こんな話にしないとダメですか?って気持ちになりました。 主人公は最後に現実を自分自身で受け止めることができた、ハッピーエンドという見方もできるけど、ラストで幼女を連れていた人物の ぼそぼそとしたコメントにも悲しい読後感がただよいます。 著者の力量としては星三つでは辛口かもしれません。書くのは大変な作業だったんじゃないかなとも思う。 でも、個人的にはもっと爽やかだったり幸せな気持ちになれるようなものが読みたかったので (タイトルから痛快で楽しそうなイメージを持ってしまった)。 とはいえ、「乳と卵」はどんな話なのかと、他の作品にも興味をもっている自分もいます。 | ||||
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脳でも子宮でもなく奥歯が書いた私(わたくし)小説。もうこの設定自体、許せない人には許せないだろう。俺にしたって、タイトルはちょっとヤバイと思ったけど、ロリっぽい著者近影と意外に30越えの年齢のギャップに「ほしのあき?」的な関心で手に取ったわけで。 内容はと言えば、もう、わたしわたしわたしの脳天パラダイス状態。大阪弁がまた、言葉から理性を奪い去る。もう、この言葉の羅列には、理性も客観も物語もコミュニケーションも何ひとつなくて、あるのは肥大した「わたし」だけ。日付の前後する日記とかはちょっと吉田戦車風で、そこら辺の稚拙な作為が見え隠れするのが何だけど、まあ、よく引っ張るよなぁ。まあ、勘違いして手に取った人も普通は2〜3ページで放棄するんだろうけど、読み始めたらとりあえず最後まで読む貧乏性で律儀な俺としたら、いつご褒美がもらえるのか、サービスシーンがあるのか、って望み薄でも期待しちゃう訳だ。そんな勝手な罠にはまって読み進めると、そこにあるのはノイジーな、救いのない、気のふれた、不快な、目を覆う、自己完結の、退屈な、鬱陶しい、ノーサービスのわたしわたしわたし、なんだけど。 「わたしわたしうるさいねん。奥歯とか雪とかさっきから何をゆうとんねん。いっこもなんも意味わかってへんからこっち百パー意味わかってへんから。ってゆうか、あんたおかしいやろ?」「っていうかまず人に話するときの努力をしろよ。おまえよ。間違ってるやろがそもそもが。みんな忙しいねん」っていう、やっとまともに文脈の通じる「わたし」以外の言葉が登場して、この小説の構造自体が相対化されるんだけど、ここの部分はカタルシスっていうか、逆にここまでの「わたし」語りの異物感を際立たせもする。言葉とか私とか意味とか文学とか、考えさせられる。まぁ、この手に何度も乗るほど「暇やないねんて」ってのも一方ではあるけど。 | ||||
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