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火定
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火定の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.29pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全45件 1~20 1/3ページ
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この作家さんの作品が気に入って読んでみました。期待どおりで良かったです。 次の作品を物色中です。 | ||||
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興味を持って二度読破、、。 | ||||
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8世紀寧楽の都に遣新羅使が持ち帰った天然痘が大爆発。多くの人が死ぬ中で孤軍奮闘の町医者を中心に物語が進行。阿鼻叫喚の死者の群れとさまざまな人間模様が織りなし、作家のボルテージは最高潮に。 | ||||
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歴史、時代小説好きではあるけど、奈良時代は固有名詞も名前も読みづらく取っ付きにくいとか難しいんじゃないかって思いながら手を取ったけど、全然そんなことは無いぞ!すごく読みやすい。 当時の医療関係者たちの奮闘記は現在と何も変わらない。懸命に戦う彼らあっての現在の私たちと思うと、ただただ頭が下がる思いです。 | ||||
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そういうこともあるんだー | ||||
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よかった | ||||
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人の行動は変わらないものだな。今のコロナ時代を見ているような臨場感を感じる。 | ||||
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最後の方で急展開もあって、この作家さん特有の重厚感からホッとできたかなぁ? | ||||
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今も昔も感染症に対する取り組み方恐怖心は変わらない。原因が分からなかった昔はもっと恐怖心が強かったと思います。 | ||||
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面白かったが、割と小説の最初のほうで、治療法が発見されているのに、最後のほうにならないと、施薬院でその治療法が施されないのが、なんだか間が抜けた感じだった。 | ||||
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西暦737年、寧楽(なら)の都で病人の収容と治療を行う施薬院の仕部(下級役人)である蜂田名代(はちだのなしろ)は、官吏としての出世街道からはずれた我が身を嘆いていた。そんな中、人々の間に高熱と大きな発疹が特徴の奇病が急激に広がり始める。裳瘡(もがさ)――現代では天然痘と呼ばれる感染症だ。施薬院にも次々と罹患者が運ばれてくるが、有効な治療法はない。そして人々の間に不安は高まり、渡来人への偏見と襲撃、そして怪しげなまじない札の流行と、社会は病とともに混乱の度を増していく……。 ---------------------- 昨2021年に『 星落ちて、なお 』で直木賞を受賞した澤田瞳子氏が、2017年に上梓したパンデミック小説です。新型コロナウイルスの感染が収束の兆しを全く見せない2022年、手にしてみました。 現今のコロナ禍の到来など一切予測されていなかった5年前に書かれたとはにわかには信じられない時代小説です。ここで描かれている状況は、まさに21世紀の今と大いに重なります。貴賤や貧富の差を越えて万人に等しく襲いかかる疾病への恐怖、先の見えないウイルスとの長く険しい闘い、我が身を顧みず献身的に治療にあたる医療従事者たち、不安に煽られた人々による外国人への差別や偏見、科学的根拠に基づかないデマ情報の蔓延――。 そうした混沌状態を、澤田氏の筆は仮借なく描き続けます。澤田氏は『 星落ちて、なお 』では、関東大震災の惨状を容赦なく描写し、その迫力にはとても圧倒されましたが、今回の『火定』でも、病に斃れた人々がやがて放ち始める腐臭が読者の鼻の奥を突くのです。 しかし天然痘との過酷な闘いの中で、主人公たちが惑い、悩む姿によって浮き彫りにされてくるのは、人はいかに生きるべきかという大きな課題です。 若き名代は「おれは施薬院なんぞでくすぶっている男ではない」という、慢心を抱えています。他人への奉仕など眼中になく、いかに自分の立身出世を実現するかに汲々とするばかり。まだまだ青いそんな彼に対して、医師の綱手(つなで)がこう静かに諭す言葉に虚を衝かれました。 「己のために行なったことはみな、己の命とともに消え失せる。じゃが、他人のためになしたことは、たとえ自らが死んでもその者とともにこの世に留まり、わしの生きた証となってくれよう。つまり、ひと時の夢にも似た我が身を思えばこそ、わしは他者のために生きねばならぬ」(192頁) またいまひとりの主人公ともいえる元侍医・猪名部諸男(いなべのもろお)もまた、濡れ衣を着せられて在任として長く不遇の時を送ったことについて、世間を、そして他人を、強く恨んでいます。その諸男が、蔓延する天然痘と闘う中で、生きながら死の淵をのぞいたからこそ、はじめて自分の生の意義を知ることになります。 「この高い空にもいつかは蜻蛉(とんぼ)が群れ、白い雪が降り始めよう。ならば自分たちに今できるのは、この日を精一杯生きることだけだ」(402頁) メメントモリ。 これこそがこの小説を閉じた果てに読者を諭し、導く言葉だと感じました。 . | ||||
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パンデミックの第5波が落ち着いた時期に一気読みした。 奈良時代に対応策が無く蔓延する天然痘、亡骸だらけの中、効き目のないお札にすがっていた人々は、デマに煽動され外国人を襲う暴徒になる。 主人公の名代と元侍医を軸に話は展開していくのだが、個人的には施薬院の医師と悲田院の僧の姿と言葉に胸が震えた。 パンデミックの渦中、民を救おうと立ち向かう施薬院の医師の覚悟と強い信念、悲田院の僧の孤児達への愛が美しい。特に悲田院が現代のコロナ患者を出した老人施設や障害者施設の有り様と重なって見え、今もその考えは変わらないのだと痛感した。 パンデミックの阿鼻叫喚の中で人の尊厳とは何かを問われている気がした。同時に自分の中の弱さも考えさせられた。 「火定とは仏道修行僧が火中に身を投じて死ぬこと」だそうだが、その意味で悲田院の僧の行いそのものがタイトルになったのではないだろうか?パンデミックの最中、生を求め足掻く人々の中で死をも厭わない僧の姿に胸が熱くなった。 パンデミックの波の合間にこの作品に出会えた幸せに感謝したい。 | ||||
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奈良時代に留学生がもたらした天然痘の被害とその対策がリアルに描かれていて、非常に興味深い作品です、 | ||||
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歴史家としての研鑽が活かされていること、複雑な伏線で構成されていることは称賛できるし、関心もする。歴史学を学んだというよりも作者個人の明晰さ、緻密さによるところが大きいのだろう。真似ようと思っても私には無理なことは明白である。主題に関して、その一つが医師としての使命を問うていることだろう。それをどう全うさせるのか。それが医療に投げかけている。しかし本作での答えは言い古された感がする。奈良の時代にはそうだったのかもしれないが、現代はもっと複雑な要因が絡んでいる。原点であることは間違いないが | ||||
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迫力のある物語。群像劇で登場人物はステレオタイプではあるが、 パンデミックのただ中にあって、それぞれの思い、立場、運命が絡み合い、飽きさせない。 歴史小説とも言えるし、奇遇なことにコロナ以前に発表されたパンデミック社会を抉り出した、 社会小説・医療小説でもある。 おぞましい情景の描写が多い理由を文庫本の解説では分析しているが、 そんなことを考えなくても面白い。 クリーンな日本社会は生老病死を隠蔽しがちなので、それを見直す良いきっかけになる。 若い人にも是非読んで欲しい。医療関係者も是非。こんなご時世だからこそ。 | ||||
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「天平のパンデミック」天然痘の流行を描いた小説。コロナ禍を受けての発表かと思いきや、2017年の作品とは。 その先見の明には恐れ入る。 さて、そこでこれを読んで、どう捉えるか、である。 まず、コロナの前、多くの人が思い描いていた”パンデミック”というものの姿がここに描かれている。「死屍累々」というヤツである。川にまで死体があふれるなど戦慄的な描写が続く。 そうだよなあ、こういうもんだと思ってたよなあ。世界が崩壊するんじゃないかって。 ところが、コロナが流行してるから何?別に変わらない日常なんだが。 死者も日本では1万数千人となっているが、世界の中ではさざ波である。 しかも、この数字は水増しされたものである。どこがパンデミック?である。 そして作品中にインチキなお札を売る連中が出てくるが、これを現代に比定するならば、逆に怖くもなんともないコロナを怖いものだと信じ込ませ、恐怖をあおることによって注目を集める、視聴率稼ぎのTVマスコミにほかならない。そして、今度はまさに効くかどうかもわからないお札のようなワクチンを注目させる。 そして民間医の施薬院に対して何もしない官医ども。これこそが尾身会長の医師会そのもの! 天平のパンデミックを描くことによって現代のインフォデミックを暴いた作品。 こう評価したい。 | ||||
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(2018年2月7日に単行本で読んだ時の感想ですが、文庫本でも通じると思いますので、そのままここに掲載いたします。) 奈良時代、藤原不比等の息子で政権の重要ポストにいた藤原四兄弟が罹患し、次々と死んでいったことで有名な疫病(天然痘)の蔓延と、そこでの人間の生き様を描いています。著者の古代史の保有知識と医薬に関する探究心、そして人間心理への洞察が如何なく発揮された力作です。 奈良の都での天然痘流行という歴史的大事件、凄惨な状況が、物凄い筆致で読む者の眼前に提示されます。その状況下で、冤罪に苦しみ恨みを抱いている医者、病人の命を救おうとする施薬院の医者、施薬院勤務から抜け出したいと思っている若い役人、民衆を扇動し暴動をおこす者などの心の闇や人間としての成長が描かれて、心に強く訴えてきます。 特に私の心を打った文は次の通りです。 「己のために行ったことはみな、己の命とともに消え失せる。じゃが、他人のためになしたことは、たとえ自らが死んでもその者とともにこの世に留まり、わしの生きた証となってくれよう。」 「疫病はこの都を愛憎の奔流のただなかに叩き込み、人間の醜い本性も、どうしようもない愚かさも、共に白日の下にさらけ出した。さりながらこの灼熱と狂奔の夏にあってこそ、人は誰かを救い、そのために闘い続けられるのだ。」 本の最終章名は「慈雨」であり、疫病がやがて下火になっていくかもしれないという暗示がされています。しかし物語の主人公の一人である、冤罪に苦しみ恨みを抱いている医者の完全な心の解放までは書かれていません。著者の以前の作品『若冲』でも今回の『火定』でも感じたのですが、私はいつの日か著者の「完全なハッピーエンドの物語」を読みたいです。 | ||||
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天然痘が蔓延し、日本人口の1/3が死亡したとされる奈良時代(天平時代)を背景に、それに立ち向かう医師たちと それを支える人達、さらには宮城内で働く官人達の人間関係などを絡めて、その人達の運命・生き様を描いた読み応えのある小説である。 | ||||
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奈良時代の庶民はリアルな生活が読み進む程に目の前に迫る感じです。 いつの時代も疫病は大きなきょうふですが、それを乗り越えるのは人間の優しさだと気づかされます。す | ||||
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引き込まれる内容でした。 | ||||
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