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忘れられた巨人
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忘れられた巨人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.88pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全95件 61~80 4/5ページ
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Take me to the another world... カズオイシグロの本を読むたびにそう感じるけれど、今回ほどそれを強く感じたことはなかった。 「忘れられた巨人」は10年ぶりのカズオイシグロの長編小説だ。 発売されてすぐ買ったのに、1年半も寝かしてた。だって持ち歩きにくいんだもん(笑) カズオイシグロという作家はそっと読者を物語のなかに誘うストーリーテラー。一つの薄暗い部屋に入ると奥のドアが開いていて、その光に導かれて次の部屋に入る、次の部屋にもまた開いたドアがある、そんな風に物語は進んでいく。 たくさんのメタファー、たくさんの謎に包まれて、何かが分かり、分からないままどんどん物語が私を運んで行く。 たくさんの出来事が起きるのに、語り尽くされることなく、しかし確かな何かを受け取って私は最後まで読み進む。 あとちょっとで最後ってところで自宅の駅に着いたけど、どうしても読まずにいられなくて、駅の改札を出て立ったまま読了した(笑) 私はカズオイシグロのような作家と同時代を生きて、死ぬまで彼の作品を読むことができて幸せだと心底思う。 まだ初期の作品で読んでない物があるから、悔いの残らないように死ぬまでに全部読まねばならないと強く感じた秋の夜であった。 | ||||
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6世紀ごろ、アーサー王の頃のお話っていうだけで、相当しんどくなるけど、読み進めるにつれ、やはり、なかなかつらいものがある。とはいっても、読んでしまう。で、最後の最後に、これってどう考える?って、最後のセンテンスに読者が試される!って感じになっている。 途中で投げ出さずに我慢強く読み続けてきた者だけが到達できる究極のラスト・シーン! | ||||
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カズオ・イシグロの10年振りの長編は、記憶と忘却をテーマにしている。例えば「東京物語」の老夫婦が家族の思い出を語り合うように、そもそも誰かが何かを憶えていなければ物語は始まらないのだが、アクセルとベアトリスは大事なことを忘れてしまっている。自分たちの息子がどこにいるのかも覚束ない。 大事なことを忘れているところからスタートする。この設定をクリアするために、筆者は「私を離さないで」に続いてファンタジーの採用に踏み切ったのだろう。「人の心には竜が棲んでいる」といえば隠喩にすぎないが、竜を物語の中に登場させればそれも隠喩なのだけどファンタジーになる。そのファンタジーが違和感なく受け止められるための仕掛け、それがアーサー王伝説だろうか。 ゲルマン系サクソン人がケルト系ブリトン人の土地に侵攻していた時代、侵略者に颯爽と立ち向かったのがアーサー王である。しかしローマ人がブリタニアを放棄した後のことでもあり、残念ながら史書にその記録は残されていない。アーサーはそもそも敗者の側であり忘れられていたのに、後世思い出されて英雄になった。それはキリスト教化していたブリトン人と未改宗のサクソン人という構図、つまり宗教戦争の英雄と位置づけられたからだ。歴史は時に勝者に都合の良いことのみを語り平然としているが、神話であればなおさら恥じる必要はない。アーサーだけでなく当時の西欧各地のローマ側の将軍たちは数に勝るゲルマン人を何度となく包囲殲滅しているが、やがて防御網を分断され敗れていった。ブリトン人もそうだったのだとすると、そこにどのような感情があったのか、神話に書かれていないけれども想像することはできる。 こうして、「記憶と忘却」「神話の中の宗教戦争」「民族間の憎悪」という道具立てが整った。ボスニア・ヘルツェゴビナの惨事を記憶に留めようとするのであれば、現地を取材してドキュメンタリーとして書き上げることもできたはず。しかしそれでは彼の壮大な想像力は現実の凄惨さの前に色あせてしまうかもしれない。彼が想像力を駆使する舞台に選んだのは、イギリスの古い血塗られた記憶、アーサー王の時代だった。 そもそも、人間は都合の悪いことを忘れたり、政治的な必要性から記憶を留めようとしたりする動物である。日本人は被爆の記憶を留めようと原爆記念公園を作り、そこに70年の間に記憶の薄れた敵方の大統領が訪問したと喜ぶが、一方で慰安婦像をソウルに建てて忘れまいとする人々には眉を顰める。竜の息は過去を正当化する悪なのか、人々が平和に暮らすための正義なのか。正義と悪だけでなく記憶と忘却も相対化してしまったところに、私は筆者の思考力の凄さを感じた。 | ||||
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おとぎ話を舞台設定にして、民族の対立や家族愛を物語っています。 個人的に、児童文学はレベルの高いジャンルだと考えているもので、「これこそ子どもたちに積極的に読んでほしい」と声を大にして言いたい。 竜をほろぼし、記憶を取り戻すことで、「わすれられた巨人」である人々の憎しみも動き出す……。 暴力の未来を予感させながらも、「ブリテン人を憎む」ことを約束した少年はブリテン人の老夫婦と友人だったことは忘れないと誓う。この不幸の予感の中に一点の光明の描き方もすばらしい。 小学校高学年あたりから、読ませてみてはいかがでしょう? | ||||
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この著者の作品は初めて読みました。 多忙な中、時間を捻出して細切れに読んでいきましたが、かえってそれが物語のテンポに合ったようです。 登場人物の会話や行動が本を閉じている時間によく思い出されて、背景や意味するところ、言い回しや雰囲気等を味わいながら、物語の展開を楽しみに読み進みました。 とはいえ、この作品から受けとるものが多く、また、大きな余韻が残る終わり方だったので、たった1回読んだだけでは咀嚼しきれず、とても満足できたものではありせんでした。 年齢や人生経験によって、受けとったものへの解釈や思いがきっと変わるんだろうな…。 というわけで、何年経っても飽きずに何度でも読み返していく予感がしています。 それもこれもファンタジー形式でかなり昔の時代のこととして書かれているからだと思います。 | ||||
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色々な事を考えさせられます。 現代顕在化している、介護、痴呆、愛の形、家族、民族間紛争、言われなき差別などなどの問題をストレイトに小説にするのではなく、アーサー王時代の英国を舞台にしたファンタジーという形で著したカズオ・イシグロにただただ感心です。 上記の問題を身近に感じている人や当事者には胸に迫るものがあります。 翻訳も抜群に良くてスラスラ読めます。 | ||||
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女性の視点からですが、いったいイシグロさんの奥様はこれを読んでどう思ったんだろう、とずっと考えながら読んでいました。騎士道やカトリック教会の闇など、イギリス古来の文化に触れながらも、根底には(読んでいてときどき恥ずかしくなるほど)えんえんと妻に対する愛が語られています。 イシグロさんも60歳になり、奥様と別々の「舟」で「向こう側の島」に行くことに恐怖を感じていたのでしょうか。最後の章では、胸が張り裂けそうになり号泣してしまいました。イシグロさん、来るべき日がきたら「向こう側の島」で家族と再会できるといいですね…。 こうもセンチメンタルな話を書くには、童話のような設定はぴったりだと思いました。 キリッとした本当に美しい英語を書く人。読める人は英語版がおすすめ。 | ||||
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アーサー王よりすこし後の、物語。 アクセルとベアトリスの老夫婦は、自分達の息子に会うために、 旅にでる。 竜の息のために、記憶は曖昧で、老夫婦は、 どうして息子がいなくなったのか、、、など、大事な事も思い出せない。 認知症なのかと思ったが、世の中のヒト全ての記憶が曖昧である。 二人の道行きには、鬼や、妖精、竜がでてきたり。 部族間の深刻な対立が暗示されたり。 鳥葬を暗示するような、狂った宗教感がでてきたり。 なかなか、順調には、息子の村にはたどり着かない。 作者自身は、本質的には、老夫婦のラブストーリーなんだ、、そうだが、 私には、”忘却する事”の大事さ、 他人への恨みつらみを、忘れる事の意義を示したかったようにみえてならない。 竜の息は、途切れなくてよかった、、、と思えた。 翻訳もよいのだろうけれど、 平易な文章であるが、 とても、”忘れるという事”について、考えさせられ、 繰り返し、戻り、帰り、読んだ。 他者を許すには、忘れる事も、過程として必要だろうと思った。 | ||||
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カズオ・イシグロは書く度に異なった作風を発表してきた。『私を離さないで』から10年、イシグロは新しい作風で読者を驚かせた。『忘れられた巨人』は、中世のイングランドを舞台に、鬼や龍、勇者、騎士などが登場し、主人公たちが旅するファンタジー風で寓意が散りばめられた小説だ。 だが主人公が老夫婦という設定からして、一般的なファンタジーとは違う。老夫婦は息子を訪ねて旅に出る。それは記憶を訪ねる旅でもある。何とも穏やかに慈しみあう二人の旅は幾度もの苦難に遭遇する。 この国の人々は皆、眠れる龍の吐く霧によって大事なものを忘却している。龍を対峙せんとする勇者と、それを阻もうとする者。支配者は何を望み、民は何に期待するのか。すべてを失った老夫婦の末路はいかが。小説に結論は無い。読者の想像力だけが結果を導く。 忘れることは是か非か。過去の侵略や殺戮、裏切りと略奪は忘れるべきだろうか。個人の記憶の回復は、民族の記憶に繋がる。記憶の回復は愛を取り戻すのか、それとも引き裂くのか。記憶なき平和は本物だろうか。そもそも記憶とは何か? 死とは何か? | ||||
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“Never Let Me Go”でも一定の、ある意味安定したトーンでストーリーは進んで行きましたが、 今回の“The Buried Giant”もイギリスの天候を思わせるようなグレーで且つ深緑色の雰囲気の中に私を引き込んでくれました。 ファンタジーということでドラゴンクエストのようなものを想像してしまって少し読むのをためらっていたのですが、 一度読み始めると小野不由美著の「十二国記」のように世界観の構成と表現にためらいがなく、 現実世界ではないはずなのに本当は歴史上そうであったのかもしれないと錯覚してしまうくらいで、仕上げるのに10年かけただけはあるなぁと感じました。 巨人といいながら本の中には“巨人”は出てきません。Giantはこの本での大切なメタファーになります。 本の登場人物はみなそれぞれの理由でそれぞれのGiantに執着し、忘れ(ようとして)、そして時の中に埋めてきました。 Giantは時には偉大なるアーサー王であり、クエリグ竜であり、老夫婦の寂しさであり、戦士のアイデンティティーでもあり少年の母でもあります。 しかしそれだけでは終わりません。漫画“鋼の錬金術師”の「一は全、全は一」を彷彿させるように Giantは個人の中だけで完結せず周りの人、世界にも関わってくるのです。 そして最後のアクセルの表現は著者から私たちへの問いかけのような気がしました。 それは現実世界にいる私たちへ「あなたならどうですか?憎しみや復讐心を思い出してしまったとき、 遠い昔のことだったとしても全てを忘れて(許して)今これからも平穏に過ごしていけますか?」というような・・・。 船頭の横を何も言わずに進んでいったアクセルの表情はどうだったのか、どんな思いを抱いていたのか。 ベアトリスへの愛は霧が晴れたあとも変わらなかったのか。 一途で無邪気な二人の愛が本当のハッピーエンドで終わらないだろうと感じ始めた時から 心がざわつき、読後は目に涙が滲んでいました。 読んで数日は心の中にこの本に閉じ込められている様々な思いに魅入られてしまう作品でした。 | ||||
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忘却がもたらしたあいまいな平安を、真実が打ちのめす。かすかな不満で結ばれた協定は、過去が暴き出されるとともに粉々に粉砕される。 それでも歴史を背負って、私たちは苦しみ続けなくてはならないのか。世界的に民族主義が高まり、宗教も先鋭化している。そうして私たちは自らお互いを遠ざけながら時代を進まなくてはならないのか。孤独と不安に立ちすくむ結末だった。 | ||||
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先日、BSでカズオ・イシグロの出版記念講演会を観た。 カズオ・イシグロは好きな作家だから、遅い時間だったが、 頑張って起きて観た。本当に良かった! 丁寧に考えながら彼が話すのを聴いて、今、この作品を読むと、語り口そのものが、 文章となっていたのだと感じさせられて読んだ。 記憶が薄れていく世界で、老夫婦の旅が始まる。 彼らの過去は語られず、不確かに、でも居ると思っている息子を 訪ねて村を出ていく。年老いた二人は集落で孤立していた。 だから、息子の村の場所さえ確かではないのに訪ねようと決心する。 そういう心を決める事も、記憶が薄れゆく、もやっとした世界では、 中々決められなかったのだが、ようやく旅立つことになる。 彼らの旅に、アーサー王の騎士ガウェインが登場し、ウェスティンという、 サクソン人の騎士と出会うと、旅の様子が、目的も変わってくる。 出会いの都度、彼らの旅は困難になり、息子の村は遠ざかるかのよう。 息をつくと息子は思い出されるが、目の前の難題に向き合わなくて はならないし、それを解決することも、もはや無理だとさえ思わされる。 途中で行き会った老婆たちの話が妙に記憶に刻まれる。 「島へは一人しか渡れない。夫婦の愛を確かめられる。 本当に二人が愛し合っているかを、渡し守が試すのだと言う。」 記憶を消していた竜を退治すると、サクソン人とブリトン人の 戦いが呼び起される。アーサー王が守ろうとしていたものは、 何だったのか。 老夫婦がたどり着いた渡し場では、渡し守が待っている。 小舟は小さく弱った妻を先に一人で乗せるしかない。 霧がはれてくると、記憶はよみがえり、訪ねようとしていた息子は思い出の中にいる。 夫は岸辺に立って妻の乗る船を見送る。すぐに行くからと声をかけて。 人の記憶とは何か? 人は忘れることで生きているのかもしれない。 何もかもが鮮明に記憶されていたら、苦しくていたたまれないかも。 この作品はアーサー王伝説やイギリスの歴史を、 こういった物語に組み込んで、人間とは?や年を取っていく事への 怖れや悲しみをつづっている。 カズオ・イシグロは巧みな書き手だと思う。 本人も言っている様に、前作とは全く違った設定でありながら、 彼の作品に共通の、人間が生きる事への温かいまなざしがある。 それは、厳しい人間観察の上で書かれているのだろう。 久しぶりに物語の世界に没頭した。 | ||||
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イシグロ作品はどの作品を読んでも作りがあまりに見事で、日本文学じゃないのが何だかとても悔しくなります。 この作品は、日本では仏教が伝来した頃の、アーサー王時代の英国を舞台にした物語です。 舞台は古代ですが、個人の中でぶつかり合う二つのアイデンティティ、「自分は何人か?」に基づく民族の記憶と「自分が愛しているのは誰か?」という個人の記憶の相克という近代的なテーマを扱っています。 (家族か国家かという選択をせまるところは、思いっきり現代のインテリジェンス小説と同じ構造なのですが、それをファンタジーでやっているところがすごい……) 竜の吐息によって生じた霧で、人々の記憶にも靄がかかってしまう、という道具立てをすんなり受け入れさせてしまう設定も、全く見事だと思います。 ボンヤリした記憶をハッキリさせるために進む人々と、それを阻止しようとする人々…… やがてその対立が長年連れ添った夫婦の間にも訪れて…… 読み終わって、何日間も胸の裡に重い物を残していく物語でした。 読みやすいのに、かなり重い、不思議な目方をした作品です。 とても悔しいことですが、あちらの方ではまだまだ文学がビチビチ生きているのだな……という気配を感じさせました。 かなりお勧めできる佳作です。 他の作品も読むと、この作者の攻めの姿勢にもっとびっくりすること請け合いです。 思い切り攻めて、どこまでも上品な作品ばかりです。 | ||||
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国家の歴史と、個人の歴史。作者はインタビューで我々の国もそろそろ”忘れられた巨人”に向き合うことができるとおっしゃっているが、はたしてどうだろうか。 思い出したくない記憶に向き合うことが成熟の証だと。 愛や結婚については、作者のメッセージに共感しつつ読む。フィクションではない愛の存在について強く信じられる本。 前作よりも今作のほうが愛の存在がより前面にでている印象で、作者の愛についての自負も感じた。 私もそういった人生を歩みたい。そしていつかあそこへ | ||||
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人間はいつか死ぬ。不安を乗り越えるために、楽しいことは良く覚え、辛い悲しいことは霧に包んで記憶する。雌竜の息で、隠したい、忘れたいと思うことは、個人にも、国家や民族といった集団でも常に持ち合わせている。センサ、ネットワーク、人工知能、の発達により、忘れられる権利を全て失う日が近づいている。雌竜が死んだ後の世界を我々は生きて行けるのだろうか。 | ||||
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私にとって、初イシグロ作品。 感動した。 よい作品に出会えたなあと感慨深い読後感。 老夫婦が、息子を訪ねる旅に出かけるところから始まる。 導入部から、イングランド、ブリテン島の霧と、老夫婦の感ずる記憶のあいまいさが絡んでいて、静かさと、文面に漂う重さ、深さの虜になった。 アーサー王の伝説の取り扱い方がいいなあと思った。 ファンタジーといえばファンタジーなのであろうが、ファンタジーと一言でくくるべきではない何かもっと深いものを感じる。 終盤、特にラスト、ただの良いお話にしてしまわず、余韻があっていいと思った。 カズオ・イシグロ作品は初めてだったがとても気に入った。 他の作品もぜひ読まなければと思う。 | ||||
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何時ものななめ読みでは理解できませんでした。もう一度読んでみましょう。そして原文を読んでみます。 | ||||
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巨匠、イシグロ・カズオ10年ぶり7作目の長編。 しかし還暦で7作目とは、つくづく世界各国原語で読まれる 英語圏作家の発刊ペースはうらやましい。 4作目から毎回激しくその作風と物語舞台を変えてきている イシグロだが、本書も読み始めれば、処女作から引き摺る テーマが特に変化していないことにすぐ気付く。 この点はテーマが常に変化し続ける村上春樹とは大きく違う。 本作でもイシグロは、記憶と夢、改変される現実に焦点を 当ててはいる。しかし今まで個人や家族といった、 狭い世界の記憶から物語が紡がれていたのに対し、 本書では民族や地方といった広い世界の記憶改変に テーマが深化している点は目新しい。その舞台が アーサー王時代である必要については賛否両論分れるだろうが。 アーサー王伝説につき、知らなくても本書通読に支障はないが、 ラスト、老夫婦が渡ろうとする島がどんな島なのか、 伝説を知っていれば理解が深まることは間違いない。 | ||||
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アーサー大王の伝説の世界を旅する老夫婦の物語 2005年にイギリスのブッカー賞を獲得した有名な「私を離さないで」を執筆したカズオ・イシグロの最新作だ。 著者は幼い頃、長崎からイギリスに渡り英国籍でイギリス文壇で活躍している。チョット「私を離さないで」を振 り返って見よう。臓器移植のドナーとして集められた青少年を管理する特別な施設、その管理と運営、ドナー 達の教育と派遣等、このオゾマシイ仮想の世界におけるドナー達の心理描写がたんたんと語られて行く。思わ ず最後まで読まされてしまった。 今回はイギリス中世のアーサー大王の伝説の世界に生きる、庶民の老夫婦が息子を訪ねる旅物語だ。日本 人にはあまり馴染みの無い世界なので、前もってウィキペディアで「アーサー王」を検索して目を通しておくこと をお勧めする。特にブリトン人とサクソン人の確執の関係とか。例えが適切かどうか解らないが「南総里見八犬 伝」を舞台にした物語のようなものかもしれない。なにしろトラブルに巻き込まれた老夫婦を取り巻くのは、ヒー ロー戦士、甲冑に身を包んだアーサー王の命を受けた老騎士、鬼とか竜とか修道院とか全くファンタジーの世 界だ。丁度パソコンゲームの「ドラゴン・クエスト」を連想してしまう。紆余曲折延々と旅は続くが、結局老夫婦の 愛の物語である。最後まで目を通したが、この特殊な環境での比喩を日本人が理解するには少し難かしいと 感じた。 もし「私を離さないで」を読んでいない方は、イシグロ作品を理解するのにはこちらの方がお奨めだ。 | ||||
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カズオイシグロのフィクションを描く力にいつも感嘆させられる。日本人の小説も昔はこのような緻密な構成力と描写力、複雑な人間像を描くことができたような気がするが、今は、短時間で書き上げたような感性的な作品が多い。 その中でこういった小説を読むと、世界の広さを再確認させられる。 アーサー王時代のイギリス内の民族紛争を背景に、ファンタジー要素を、ファンタジー的ではなく、リアルに描く彼の力は見事だ。誰が善人で、誰が悪人か、などの単純な描き方をしていない事が、さらなるリアルな人間像を生んでいる。 ただ、かなり緻密に読んでいかないと、伏線を見逃し、展開についていけないかもしれない。ラストまで読んで、再度読み返したくなる本。 さすが、10年の歳月をかけただけの本だと思う。 ただ、カズオイシグロを初めて読む人は「私を離さないで」など、もう少しとっつきやすい本で彼のスタイルに慣れてからでないと、この本の良さを分かるのは難しいかもしれない。 | ||||
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