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忘れられた巨人
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忘れられた巨人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.88pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全95件 21~40 2/5ページ
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最初は話が漠然としていてわかりづらいので、辛いかもしれませんが、あまり気にせず頑張って読んで見てください。 途中から話の筋が見えてきて一気に読み進めれると思います。 また、ファンタジーな話か勘違いされそうな内容ですが、全くそういう物ではなく、かなり人生に造詣が深い内容です。 | ||||
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忘却の霧によって封印されたブリテン人とサクソン人の遺恨に、ブレグジットで揺れる英国や民族同士の抗争を重ね、現代世界の問題をアレゴリー的に読み解くことはむろんできる。忘却が望ましいのか、記憶こそ重要なのかという答えの出ない問いを考えるきっかけにもなる。 しかしそれ以上に、忘却の霧のなかで何もかもが霞む中をもがきつつ、恐れながらも過去を取り戻そうとする思いに突き動かされ、ひたすら歩み続ける老夫婦の足取りが、悲劇的でありながらも静謐で、印象に残る。 | ||||
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竜や鬼や妖精が棲むまさにドラゴンクエストのような世界が舞台である。あるミッションを達成するために荒野を旅する。途中で様々な仲間がパーティに加わる。しかし主人公は勇者ではなく老夫婦だ。山を登ると息が切れる。すぐに風邪をひく。そしてこれがただのRPGで終わらないのは、美しく礼儀正しく万物に気を遣ったイシグロの文章と、記憶、争いといったテーマがあるから。前半はだるいけど中盤から一気にページが進みます。 はじめはどんよりとしているのですがだんだんとクリアになってくる。そして、美しく、礼儀正しく、隅々にまで気を遣ったイシグロ節も健在だ。 | ||||
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描かれる情景が終始霧深く、物語自体も曖昧模糊としていて、読み取るのが少々難解。アーサー王伝説に詳しければもっと楽しめたかもしれない。舞台が舞台なので、表現がいささか装飾的。日本語としての表現に違和感を感じ、何度か挫折しそうになったが、ラストに辿り着くと物語の奥行に触れる事ができる。人間の記憶というものについて考えさせられた。再読したいと思う。 | ||||
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アーサー王亡き後のイギリスが舞台。老夫婦の穏やかな愛と、途切れ途切れの記憶を読み解く物語。 正しく理解できれば、この上ないパッピーエンドで終わります。 | ||||
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テーマが著者のライフワークと言っている「記憶」についての話。 さすがと思わせる文章力だが、物語が動き出すと「え!アーサー王」、 「え!竜と魔法」と、つい安手の騎士物語を連想してしまうアイテムが どんどん出て来るので途中からちょっと引いてしまいました。 | ||||
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半分辺りまで読み進めて「ははあ」とピンと来た。これはかなり政治的かつナイーブな本だな、と。「罪、忘却、復讐、許し」をモチーフに、ミクロ(個人)レベルとマクロ(国、世界)レベルで罪と忘却が語られる。そして最終的なテーマは「和解」や「融和」なのだろう。 時代は5世紀頃のブリテン島。世界は何もかも忘却の彼方へ包み込んでしまう霧に覆われている。過去を取り戻し、息子に再会する為に旅に出る老夫婦を軸に話は進むが、旅が進むにつれなぜ過去が忘れられたかが明らかになって行く。作者は作中人物の言葉を借りて、記憶を取り戻し罪を暴くことはミクロでもマクロでも復讐と新たな戦いを引き起こす、それでも記憶は回復され罪は語られるべきなのかと問いかける。答えはYESである。そして復讐や戦乱に対する恐れを抱きながら新たな時代が始まる所でこの作品は終わり、読者は不安な気持ちのまま本を閉じるかもしれない。 が、実は最初からイシグロは人間は真の和解を得ることが可能だと言っている。それは舞台がブリトン(ケルト)とサクソン人(アングロサクソン)とが争う時代だから。登場人物たちは全て、記憶回復後のブリトンとサクソンの争いを恐れているけれど、史実においてブリトンとサクソンは徐々に融和し、一つの民族としてまとまって行く。それを後世の我々、なかんずくイギリスの読者は知っている。だからイシグロは恐れずに過去と向き合えと言うのだ。 彼はWW2を始め近現代で、まずはイギリスと欧米が犯した罪についてもう一度向き合えと言いたいのだろう。さらには日本にも過去と向き合えと言ってるインタビューを見た記憶がある。これは多分南京や慰安婦のことだろう。 ね、政治的でかつナイーブでしょ? イシグロは日系と言うこともあって日本の近現代史にもそれなりに詳しいようだけど、あくまでもイギリス人視点からでしかないようにインタビューからは伺えた。 さらに日本周辺で日本が「和解」すべき敵対的な国々、即ち中朝韓は日本との融和を望んではいない。「いやそんなことは無い、それは悪意を持った偏見だ」と言う人も多いだろうが、中朝韓の考える平和・融和とは日本の上位者として君臨すること。華夷秩序の世界に彼らはおり、それは日本が望むものとは全く違う。 あ、それでも文学としては愉しみました。一見ファンタジーではあるんだけど、戯曲的。途中からはシェイクスピアでも読んでいるような気分だった。舞台化すればかなり面白そうだし、話自体比喩的、暗喩的なのだからドッグヴィルのような映画でも良いかも。 | ||||
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夫婦・親子・民族・・・どんなレベルでも人と人の間には諍いがあり、不実がある。 それでも、忘却という霧が諍いを緩和したり、ごまかしを生んだりしている。忘却もまた方便なのだ。 しかし忘却の霧が晴れたとき、「忘れられた巨人」が起き出し、ふたたび諍いと憎悪の世界へ。 日本とアジアの国々との間、ルワンダ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ。 一時は現在生活を確立するための方便に忘却のポーズをとっていても、 いつか必ず、忘却の霧が晴れて憎悪が広がるときがくるのか・・・。 愛にあふれているように見えた老夫婦も最後に記憶がよみがえり・・・と余韻をもたせて小説は終わる。 | ||||
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主人公の老夫婦と同じような年齢の私たち夫婦のことを考えさせる本でした。 | ||||
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結論から言えば読むべき作品と思う。いつものイシグロ作品に見られる3つの要素がある。1つは舞台として新たな題材として伝説的な5-6世紀の中世イギリス。2つ目は、本作品を貫く“忘却と記憶”。3つ目は全編を通して紡がれて行く“愛”という糸。届いた分厚い本を前に深呼吸し、飽きずに読み切ることができるか、との不安もあったが、普遍的な主題に自分の経験や世界の歴史を思い出しながらイシグロの久々の長編をあっという間に読み切ってしまった。ただ、各章のつながを読み取るのに多少忍耐が必要なので、星4つ。 | ||||
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40時間ぐらいかけて読んだ。 カズオ・イシグロは初めて読みます。 牧歌的なファンタジー小説という印象で、THE・ビッグオーのような世界観です。 記憶を奪う霧のせいで過去が曖昧な老夫婦がある日息子の存在を思い出して、 どこに住んでいるかも顔も思い出せない息子に会いに行こうと行くあてのない旅を初めます。 舞台はイングランドで時代はアーサー王伝説なので、 この物語には騎士王伝説の知識があるとより楽しめるのかもしれません。 読んでいて、ついさっきの記憶も危うい人達の会話を延々と読むことになるので、 かなりの混乱が起こりました。 | ||||
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忘却、なんとむなしくはかないのか。 老夫婦の決死の生きざまに心打たれる。 地味なファンタジー感が、物語に面白みを与える。 アーサー王伝説を少し知っているとより楽しく読める。 いい本を読んだ。 | ||||
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カズオイシグロの作品に本格的に接するのは、これで3作目。語りの巧さと、着想の見事さに感銘を受けた。 ここには、確実に1990年代のユーゴスラヴィア内戦の遠い記憶が反映している。 テオ・アンゲロプロスとの比較も面白いだろう。 | ||||
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写実的で、カズオ イシグロの世界は好きです。言葉が美しいと思います。 | ||||
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ドイツに住んで10年になります。 この本を、ここに来る前の私が読んだら、また、今の日本の若者の大多数が読んでもきっと、龍や騎士や修道院の出てくるファンタジー小説としてのみの読み方しか出来なかったことと思います。 それでも十分に読み応えを感じて満足しただろうと。 しかしこの作品の、作者の意図する読み方そしてメッセージは象徴化されて隠されたものです。 それは恐るべきことに、それぞれの国の人が、それぞれの民族として、個人として、様々なことを当てはめて読むことの可能なテーマとなっています。 ヨーロッパに住む人々にとっての移民の問題は、ほぼ単一民族国家の日本にフツウの日本人として過ごしている人たちにとってはうかがい知れないほどの身近で切羽詰まった問題ですし、内戦、内乱は今も昔も大昔も、そこらじゅうの国で起こり、人を殺し、女や子どもや老人を殺しています。 憎しみの連鎖、殺しの連鎖は、全民族の、また人類の発展と切っても切れない深い闇と言えると思います。 この作品に出てくる竜の存在を、私はイシグロからの使者としてどう受け止めたら良いのか、わたしはまだ迷っています。 彼は竜に肯定的なのか、否定的なのか? 彼は竜、つまり「忘却」を一時的な平和をもたらすものとして物語に登場させているわけですが、最後に戦士によって斬らせています。 わたしが興味深く思うのは、「竜」はいつも勝者の側から、勝者の都合により魔法の息を吐き続けさせられている点です。 竜は、敗者の側からもたらされることがありえない。 だから、最後に反乱を企てる元敗者のサイドから斬られるのは必至であり、その平和も一時的なものに過ぎない。 日本も、平和憲法第9条という竜によって平和が保たれているわけですが… といういわば問題提起で物語は終わっています。 老夫婦の、忘却により赦しが行われたかに思えた夫婦関係でさえ、記憶を取り戻した今、二人は引き離されました。 わたしは、イシグロがこれから、平和にむけて人類になにが必要であるのか、これからも提示し続けてくれることを楽しみにしたいと思います。 それとも最後までアクセルがベアトリスの船から離れまいと試みたこと、彼女を「赦そうとした」こと、最後には顔を船頭から背けたまま行ってしまうとしても、それを試みた事こそが、イシグロからの我々人類への提案であるのでしょうか… しかし私は、竜、つまり忘却について、決して否定的になれません。 なぜなら私たちがいま平和に暮らせているのは、日本にまさにこの竜がいるからです。 はじめは勝戦国であるアメリカからのなかば押し付けであった憲法かもしれない。 私は戦争を知らない世代です。 しかし、私は戦争を知らない世代である事を心からしあわせに思います。誇りにも思います。 殺しあって何になるんだろうって思える事は、幸せです。戦争を遠くに感じる事が、いかに恵まれたことであるのか。 幸せであることが復讐で、いいではありませんか。 長文読んで頂いた方があるなら感謝します。 | ||||
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忘れる、過去に追いやることで、前に進める原動力になるのだと思う。 選択したゆえに、今があって、先の未来の選択肢があると思う。 だからこそ、悔いのない今を選ぶのだと、思いました。 | ||||
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「昔々(6世紀頃か)、イングランドにおじいさんとおばあさんがおりました。 おじいさんの名はアクセル、おばあさんの名はベアトリスといいました。この夫 婦には、息子が1人いました」 これで、息子が成長して鬼ヶ島へ渡り鬼を退治したら「イギリス版桃太郎物語」 になるのだが、そうではなく、老夫婦が、ずっと前に家を出て行った息子に会う ために旅に出て、老人なりの冒険をするという、老夫婦が主人公の物語だった。 冒険物語だけあって、旅の途中で鬼が出てきたり、戦に巻き込まれたり、竜を 退治(退治したのは老夫婦ではなく、旅の途中で知り合った戦士なのだが)したり する場面が描かれている。 だが、この小説でメインとなるテーマは「冒険」ではなく、「記憶」と「怨恨」 だろう。「冒険」を描きたいのなら、若者を主人公にする方がダイナミックに なって面白いのだから。老夫婦が息を切らせながらヨタヨタと山を登る場面など、 読んでも面白くない。 当時は、ブリトン人とサクソン人との凄絶な戦争があり、それによって兵士 だけでなく村人(民間人)も多数が殺戮されたのだが、その記憶を『忘れる』ことで、 両民族が平和に共存しているという状態だったという設定である。しかし、人々に 戦争や殺戮の記憶が蘇ったら、怨恨も蘇るのか?それなら、『忘れた』ままにして おく方がよいのか? この小説は、そういう難しい問いを投げかけていると思った。だから、人生 経験が豊富で『忘れた』記憶も多く、悲惨な戦争も体験している老夫婦を主人公に したのだろう。 | ||||
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ノーベル文学賞受賞のカズオ・イシグロの作品。 私も多くの人の例にもれず、カズオ・イシグロ氏がノーベル賞を受賞したという事で氏の本を読んでみたくなった一人である。 正直何をテーマにした小説化も知らず、題名の「忘れられた巨人」に惹かれて読み始めた。 多分寓話的な要素の多いファンタジー小説じゃないかと思う。 翻訳が素晴らしいせいか非常に読みやすかった。 しかし、正直この本のテーマとなるとちょっと自分には解り難かった。 巻末の解説を読んでやっと多少解った気がした。 面白くなかったかと言われるとそうではないが、ほかの人に勧めるとなると微妙な感じだろう。 舞台は、アーサー王が亡くなって何十年か経過したブリテン島。 島の人々は、ほとんど気が付いていないが、記憶を呼び起こすことが難しくなっている。 そんな中、老夫婦が遠く離れた土地に住む息子を訪ねる為、村を出て旅に出発する。 普通に鬼とか妖精・竜などが出てくるのでファンタジー小説の体裁なのだが、明らかに何かの寓話であるような雰囲気が強いと感じた。 ブリテン島に住む人々のものの忘れ方がすごい状態で、昨日の事すらちゃんと思い出せなくなっている。 しかも誰もそれを気にしてはいない明らかに不思議なシチュエーションの中物語が展開していく。 イングランドの先住民族であるブリトン人と外来のサクソン人の確執なども絡んでくる。 様々な登場人物が出てきて、様々なことが起こるが、全て何らかのメタファーなんじゃないかとも思えてくる。 読んだ後に非常に不思議な感じが残った本であった。 | ||||
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やはり、賞は政治が絡み社会が軋む問題に直面する欧州が、 移民感情の不安性を昇華した作家を選択した。 訳者が「訳者あとがき」で言いたかったことであろう。 欧米が直面している問題を寓話に落とした現在性の強い普遍的な問題を扱った作品で、 ガラパゴス化している日本人にはお伽噺だ。 カズオの心は母国を忘却するのが怖くて、 脳が本能的に何度も記憶を再生していたのではないだろうか。 だが、本人には何故繰り返し記憶が蘇るかはわからない。 幼少期の記憶が存在理由の根拠と埋め込まれていたのだろうか。 この忘却による存在理由消滅の不安が 幾多の作品を生む原動力になった思う。 2013年4月15日「ボストンマラソン爆弾テロ事件」 は特にカズオを強振したことだろう。 母国をかつて抑圧した事実を取り戻した復讐事件は 同じ移民で敗戦国民の出自を持つカズオには衝撃だっただろう、 予想した通りだと。自分が抱えていた存在の問題は、 破壊という形でも進行し、とんでもない方向に行きかねないのだと。 2017年12日10日更新NHKインタビューでのカズオの発言にて やっと私には「巨人」の正体をつかめた。曰く(抜粋)、 「・・・あらゆる社会には埋められた巨人がいると思います。私がよく知るすべての社会には、大きな埋められた巨人がいると思います。今アメリカでは、「人種」という埋められた巨人がいると思います。それが国を分断させています。なぜなら、それは埋められたままだからです。・・・ ・・・これは日本にとって、多くの暗い記憶や日本が犯した残虐行為を、第2次世界大戦直後に押しのけなかったとしても可能だったでしょうか? 不可能だったかもしれません。日本のようなよい社会をいかにして築けるかは、無理にでも物事を忘れることにかかっているのかもしれません。・・・ 確かに日本は多くのことを忘れましたが、日本は自由世界におけるすばらしい自由民主主義国家になることに成功しました。それは無視できない成果だと思います。・・・」 作品には自国、英国人の対立の物語、アーサー王物語が必然的に選択された。 そこでは、父アーサー王と殺し合う実の子モルドレッド。 アーサー王の養父名はエクトル。当書の主人公名はアクセルで似ている。 アーサー王物語では、最期のアーサー王は実子とその配下を皆殺しにした後、 瀕死の状態で、高貴な女性達と小舟に乗ってアヴァロンの島へ行く。 物語を奪胎しており、対立問題が普遍的であることを示している。 主人公の夫婦は、異国で不安な自分のアバターであるから 年老いていなければならぬ。 始まりから鬼(犯罪者)や竜(権力の手先)が話題に出て 自己を脅かしたものを暗示する。 鬼に捕らわれ、呪いの傷を持った少年はイシグロの少年時代。 その傷は不安の象徴だろう。 カズオが書かざるを得なかった意図は美しく 本人は作品化に満足しただろう。 しかし歴史については認識が甘過ぎ失敗作だ。 権力が、個人の自己防御のように 恣意的に歴史的事実を歪曲しては不味い。 正々と歴史・事実を公開し批判に耐え得る権力こそが王道だろう。 それでも国家・民族・個人が融合せざるを得ない大きな潮流の中で、 後世、対立構造を解消させる先駆的作品との評価がされると思う。 多忙な読者はラスト9ページから読んで良いと思う。 そこには女に裏切られた男の深い怨念と許しが書かれる。 男は腑に落とされ、女は嬉しく感動に落涙することだろう。 つらい体験がないとその一文が読み切れないので、作品をより難しくしている。 カズオの読者は、袖触れ合う者にも、 「驚くほど寛大に受け入れてくれた」 と思われるように接するのではないか。 カズオのお蔭で100年後、 人類は驚くほど寛大になっているかもしれない。 今回の実験作品を糧にした、今後の作品に期待したい。 | ||||
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忘却は力なり。 忘却力なんて言葉もあったっけ。 でも忘れ去れることと、忘れ去れないことがある。 忘れ去った記憶を取り戻したいという思いもある。 それらが何をもたらすのかは、一様ではない。 最初は老夫婦の退屈なお話かと思ってしまいました。 その後は冒険ファンタジーめいてきて。 いやはや大変重いテーマをこんな風に書けるんですね。 | ||||
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