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充たされざる者
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充たされざる者の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.09pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全70件 61~70 4/4ページ
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ISHIGUROの作品の中で最も長いこの小説を実を言うと、途中で投げ出してしまおうかと思った。ありえないことが次々と起こり、結末が見えてこないので呆れてしまったのだ。こう言ったことは彼の作品を読み始めてから初めてのことである。これまで読んだISHIGUROの作品と余りにもかけ離れている。けれどもISHIGUROらしく、最後には救いを与えてくれる。 しかしここまでよくも“THE REMAINS OF THE DAY”の作者がまったく傾向の違う本を書いてしまうとは、恐れ入った。例えば片脚のかつての名指揮者が、事故に遭ってヤブ医者に義足を切断されたにもかかわらず、これだけでもありえないことだが、アイロン台を脇に抱えて指揮台に上がるなんてことをよく考えついたものである。ここまでひどくなくとも、“あれ”、“えっ”と思うことはいくらでも出てくる。 ISHIGUROの他の作品と傾向がだいぶ異なるとは言え、彼の文章はいつもどおり精緻である。途中で諦めかけたので偉そうなことはいえないけれども、ぜひとも挑戦していただきたい。最後の描写は、“THE REMAINS OF THE DAY”に似ているんだよね。 | ||||
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今年、2011年はまだ折り返し地点だが、恐らく本作は今年に読む小説のベスト5に入る作品になるだろう。小説という表現形式を可能な限り高い地点まで推し進めたこの作品は、語り手=人称という設定自体が野暮に思えるほどすこぶる幅と広い懐も持った小説だ。一応、主人公として設定されているライダーの主観と現実はたちどころにズレ始め、ありとあらゆるガジェットの混交の中に織りなされてゆく。この作品に分析はいらない。カズオ・イシグロ氏の卓越した才能と技術の中に身を委ねれば、不条理も条理も、言いかえればリアリズムも非リアリズムもどうでもよくなり作品の中に吸い込まれてゆく。文庫で900ページを超える大著だが、僕はこのめくるめく作品が終わってしまうのが残念でならなかった。 | ||||
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イシグロは寝てる時に見るおかしな夢をそのまま表現できるすばらしい作家だと思う ストーリーそれ自体より、この幻想的な悪夢を見ているような感覚に嵌ってしまいます 「わたしたちが孤児だったころ」もそうですが、読者までもこの迷宮に巻き込んでしまい、危ない。 うまく表現できないが、とにかくヤバいな。これから読む人は気をつけた方がいいぞ そして訳者泣かせですね。この世界観を損なわずにうまく表現するのは結構大変な仕事だと思った | ||||
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カズオ・イシグロの初心者として、3冊目のこれを読了し、今その面白さと美しさに“圧倒”されている。 著名なピアニスト、ライダーの行く手に、人の心そのものと、人の縺れた関わりの間にある迷路が次々にたち現れる。出口を失って彷徨い、また道を発見したかと思うと、さらに新たな迷路に迷い込む。 物語はcaricature仕立てで、曲りくねった心象の連鎖が延々と執拗に辿られるにもかかわらず、その心象が投影される不思議な建築や空間の描写の美しさには意表を衝かれる。 現代音楽のマレリー、カザン、ヤマナカなど架空の作曲家がたびたび登場するが、カリカチュアライズされているにも関らず、不思議にそのゴシック的空間の中から、“垂直線”の透明かつ不協和な音がリアルに聴こえてくるから不思議だ。 ・・・いつかこの続編をぜひとも読んでみたい。深い心の迷宮と東欧風の風景が交錯するシックな闇と、精緻に彫りこまれた建築空間の内部に響き渡る、光のようなカザンのカデンツアを聴いてみたい。 | ||||
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主人公がある町にやってきて起こる出来事。 一見何の変哲も無いような小説に思えるが、読んでみるとこれがどうして・・・。 これでもかこれでもかと主人公の前に立ちはだかる不条理な出来事。 救われる結末なのか?いったい事態は好転するのか!?と思い始め、ページをめくるのがもどかしい。 「いったいどうなるんだ!」と叫び出したくなりながら、それでも本を投げ出さずに読んだ。 ハラハラする長い小説だが、私が読み終えた後発したのは「充たされなかった・・・」という言葉であった。 タイトルは小説を読んだ人も含まれるのか? 私自身も「充たされざる者」?と思い、つい笑ってしまった。 読後の「充たされない度」は満点である。挑戦するつもりで読むのがおすすめ。 パラドックスのようであるが、「読んだ!」という充実感とともに、カズオ・イシグロの小説に益々興味が湧いたのであった。 | ||||
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読み進めているとドップリと作品世界に巻き込まれ、日常的な意識に霞がかかってくるような「危険な」作品だ。これこそ小説であり、大部の文庫本の半分も読んでくれば、それは心地よくなる。とは言え、作品世界は不条理の連続。しかも、主人公のピアニストは次々と現れてくる不条理をその都度肯定していく。また、主人公に関わる登場人物たちは、主人公の過去に関わったことのある人物たちであると、主人公は「思い出す」ようになる。それは欺かれているのか、幻想世界の錯覚なのか・・・・。過去にあらざる記憶。それは本来、矛盾なのだが、主人公は彼の周りに立ち現れてくる人びとによって、様々な期待をかけられることで、過去を想起し、彼らとの過去があったかもしれないという想念に落ち着き、彼らのために生きようとするのだ。 そう、この不可思議な世界、これこそ小説にしかなし得ない世界であり、しかもこれこそリアルな作品ともいうこともできるだろう。 松浦寿輝の『半島』にも、本作と似たようなテイストがあるが、主人公が右往左往しながら、それでも事態を肯定的に受け止めてしまうという究極の不条理(これこそ現代社会ではないか)の描写において、イシグロよりはロマンチックに過ぎる。つまり不徹底なのだ。 | ||||
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Kazuo Ishiguroの作品を、原書で読みたくなって、アマゾンで検索してみました。村上春樹の英語訳をほぼすべて読み通したら、なんとなくその気になって。「わたしを離さないで」と「わたしたちが孤児だったころ」は1−2年以内に日本語訳で読んでいたので、没。もちろん何の本に限らず、数年前以上に日本語訳で読んだものを、原書で読むことはよくありますが。「日の名残り」も最近、DVDで見たので没。初期の日本人が主人公のものは、なんとなく読み気がしなくて、没。で、結局これを読んだのですが。なんか、あらずじがカフカみたいだし、ちょっと変わった設定だったので。しかし、正直言ってちょっとつらかった。真ん中くらいで、おもしろくなくなってきたのですが、途中で止めるのももったいなくて読み終えました。最後はちょっと、もり返しましたが。日本語訳はまあ、読まないと思います。後、2001年宇宙の旅でクリント・イーストウッド主役で出てることになってますが、これはどういう意図があるのでしょうか。ライダーの混迷ぶりを現している?まあ、どうでもいいですが。 | ||||
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ブッカー賞を受賞し、映画化もされた『日の名残り』に続く、 日系イギリス人作家カズオ・イシグロの長編第四作。 デビュー作と二作目では、戦後間もない時期の日本を舞台に、 価値観の転変に適応できずに苦しむ人々の姿を丁寧に描き、 三作目となる『日の名残り』では、一転して舞台を英国に取り、 英国人以上の緻密さで執事の人生を描いてみせたイシグロ。 その彼が次の作品の舞台に選んだのは、 場所はもうひとつはっきりしないが中欧のどこかではあるらしい、 芸術熱の盛んな中小都市であり、 主人公のピアニスト、ライダーはそのキャリアの節目となるような 重要なコンサートを目的にこの街を訪れることになる。 冒頭、ホテルのエレベータに乗る場面で、 ライダーの荷物を手にする初老のボーイ、グスタフが、 自らに課した職業上の倫理を口にし始めるところで、 読者の誰もが思わず微笑みを浮かべずにはいられないのだが、 そんな読者をよそに思わぬ方向へと逸れ始めたストーリーは、 もはや正統的な純文学の枠組みに復帰することはなく、 逸脱に次ぐ逸脱を重ねたかと思うと、 何とも寝覚めの悪い悪夢の連続のような世界を紡ぎ出していく。 あれほどの成功を収めた『日の名残り』の次に、 失敗作と呼ばれることを恐れるどころか、 読者の期待を絶対に裏切ってやろうと言わんばかりの 変化球の極みのようなこの作品を持ってくるあたりに、 イシグロの作家的悪意を感じ、なぜか嬉しくなってしまった。 | ||||
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長くて、わけが分からない。高名なピアニストがある街を訪れ、公演の前の数日をその街の正体不明で極めててわがままな人達に振り回されながら過ごす、というお話。相当のイシグロ通じゃないと読み通すことは出来ないんじゃないか、という気がします。でも私はこの作品が一番好き。 彼の作品の主人公はほとんどが、それがどのような職業であれ、自分の仕事については相当に完成度の高いプロフェッショナルなのですが、それでいて内面的にはある矛盾を抱えていて、しかもそれに対してのアプローチがお茶目と言うか幼いと言うかちょっと変な人物、というのばかりです。その一番極端な例がこの作品の中のピアノの先生でしょう。だから面白いんですよね。 抑制の効いた、冷静で知的な語り口が売り物のイシグロさんが、とうとうその箍を外して好きなように書いちゃいました、って感じがして、嬉しかったです。それでいて感じ入ったり、思わず考え込んでしまうような部分もたくさん。イシグロ初心者には向かないかも知れませんが、イシグロ通になりたいなら、しっかりと読破して味わって見るべきです。 | ||||
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高名なピアニストが、文化的意識の高い小さな町の大イベントに招かれた。しかし待っていたのは、教養ある家庭に育った妻に対し深いコンプレックスを持つ滞在先ホテルのマネジャー、離れていった妻への激しい欲情を吐露する指揮者、そして町の問題点を必死に説明し、援助を求める人々の群れだった。その人々の悩みや苦悩を聞きながら、彼は自分自身の過去へと深く入り込んでいく。その町は彼にとっても縁の深い町だったのだ。この物語では「日の名残り」のスティーブンスによく似たプレフェッショナリズムに徹するポーターが古き良き帝国の時代の香りを伝えている。 | ||||
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