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充たされざる者
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充たされざる者の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.09pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全70件 41~60 3/4ページ
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長すぎる夢、それも悪夢だ。つまらない。つまらない夢からいつまでも覚めない。悪夢だ。☆二つにしたのはつまらないからだが、再読したらつまらなくなくなるかもしれない。ふふふ…。 | ||||
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イベントを前に街で人々に話しかけられ,巻き込まれるピアニスト. 不思議な夜はどんな収束を迎えるのか? なんとも説明しにくい小説である. まず背景や経緯を明かされないまま,主人公が巻き込まれる会話に面食らう. 登場人物の背景も説明されないので,会話の流れで推測していくしかないのだが, 会話は多くの場合,一方的で,同じ言葉が繰り返されることも多い. そして,物語の密度の割に恐ろしく長い. 脇を固めた重厚な作品ととるか,冗長なだけととるかは読者次第ではあるが, テンポよく進めれば,1/5程度で足りてしまうかもしれない. こういう摩訶不思議な世界観が面白いと感じる読者もいるのかもしれないが, 個人的にはなんだか精神病の妄想を読まされるようで 今ひとつのめり込めなかった. | ||||
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本作は、もちろんカフカのパスティーシュである訳で、中でも”城”を意識しているのだろう。ただし、主人公は測量技師ではなくピアニストである。たどり着こうとしてもたどり着けない、何か分からないが自分の行動を執拗に邪魔立てしてくる邪悪な世界。人物像や地理的位置関係もあっという間に変化する。評者には、その試みは大いに成功していると思われる。カズオ・イシグロの作品では、現時点で最も長大であるのも、これが夢であるからだ。彼の愛読者でも、本作を失敗作と断じる方も多いのだろうが、”私たちが孤児だったころ”も後半、迷宮をさまよう話になるし、彼の資質の深い所にこのような不条理作を書きたい、と言う願望が眠っているのだろう。いずれにせよ現時点では(”忘れられた巨人”が最新作)、そのような資質が全面展開している点ではいわば極北にある。だから、ある意味では読者を選ぶだろうが、全体の構図はよくわからないままでありつつ、細部の描写は読ませるので、長大な小説を好む方にはぜひお勧めしたい。 | ||||
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とにかく文庫で900ページを超える大著なので、旅行に持っていってちびちびと読み進め1週間弱でようやく読了する。小説を読む本源的な喜びを感じることができるのではないだろうか。 基本的に一人称で語られる物語なのだが、遠くにいる他者の行動が目の当たりに見えたり、彼らの過去の記憶までもが語り手に再現できたり、ドアを開くとかけ離れた場所につながっていたり、声を出そうとしてどうしても出せないことがあったり、「これは著者の見た夢をベースにしているのではないか」と思う。 風景・建物等の描写がビビッドで、著者の他書のように映画化されたらさぞ面白かろうと思うけれど、難解に過ぎるかな。 | ||||
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整然とした白昼夢の世界に迷いこんだかのような不確かな感触は、主人公が登場人物の視点にシフトした語りにより自他の境界が曖昧で、さながら作者の頭の中に囚われたかのようだ。そのうえ登場人物それぞれの語りは虚構と現実というより一層身近な建前と本音を表現している。そして、ただあきらかなことは…「時計がない」 | ||||
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コミュニケーションを取らないせいですれ違う人々のエピソードがたくさん出てきます 勝手に奥さんの気持ちを「察して」不安になってずれた努力をして卑屈になる人や、勝手に偉い人だと人を決めつけてあれこれ世話を焼いて「なんであいつは特別扱いなんだ!」と怒る人々が出て来ます あと、人間が暗黙の察し合いで作り上げがちな、上下関係に関するエピソードもよく出てきます あの会合はこの街の上流だ、とか私たちの婦人会は偉い人たちに認められた上等なものなんだ云々とか。 こういうのもコミュニケーションをとる以前に勝手に無意識のうちに作り上げられた上下意識ですよね。 文章の書かれ方もまた人間の認識の仕方の独りよがりさを暗示しているかのようで、たとえば、初対面の町の住人として出てきた女の人がいつの間にか長年連れ添った妻であるかのような過去エピソードや会話が続いたり、主人公の独白かと思えばまるで地の文みたいに、他のキャラクターの、主人公が知り得るはずもない心理や過去を語り出したり、 他キャラクターのエピソードが主人公の過去と奇妙に一致していたり、 キャラクターの人格と物語の境界が曖昧です。 でも、人間の脳みその中身を文章にするってこういう事なのかもしれません 我々は皆同じ世界に住んでるというのは大きな勘違いなのかもしれません | ||||
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読んでみたが、少なくとも読みやすさはある。どこかの大作家のような読者を困惑させるために書いてあるレトリックはあまり無い。しかし、最後の最後までストーリーが理解できない。何が言いたいのかという起承転結も分からないまま。リアル本に換算して、900ページも読まされて、何も理解できないのは問題がある。しかし、おなじ1点でもアインランドのは実質マイナス100点ぐらいだが、これは編集さえ機能したら少なくともこの出来は改善されると見込める。 | ||||
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日の名残り、埋もれた巨人に次ぐ私にとってカズオイシグロの三冊目。世界的ビアニストであるライダーが欧州の都市を講演と演奏の為に訪れ、その間に繰り広げられる家族や市民との交流やイベントが何とも凄まじい。この短期間の滞在をこれだけの長編に仕立てあげる人は過去にはドストエフスキーしか知らなかった。 | ||||
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「私を離さないで」「日の名残」がとても面白かったのでなんの前知識もなく読んでみたが、序盤から?の連続。主人公のライダーの記憶がいつのまにか他人の記憶と混交してしまうし、距離感覚も時間感覚もぐちゃぐちゃ。それでも面白くてはすぐに読破してしまうのは、エンタメ作品として高いレベルで成功しているからだろう。カフカ作品との類似を挙げるコメントが目立つが、個人的には「百年の孤独」に似た読後感があった。奇妙なまちの奇妙なひとびと。すれ違う会話。予定調和を拒む展開。イライラとカタルシスが詰まった名作です。 | ||||
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複数のコミュニティと関係を持ちながら、どのコミュニティにも属することもできず、互いに分かりあえず、誤解と意図しない行動のみが増幅していくもどかしさ。最後の場面にあるように、行き違った名も知らぬ人との食事や会話を唯一の救いとしてしか見いだせない、ある種の人たち。設定も時代も書き込み様も随分違いはしますが、大量のドタバタを読む進めた後に、『トニオ・クレ―ゲル』のような寂しさと一抹の救いを味わうことができるような気がします。他にもありましたが最初100ページ程度読んだところでは『失敗作?』という感じが付きまといましたが、最後まで読んで損はしないと思いました。 | ||||
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これはSFだ。 しかも、ヒューゴー賞クラスの傑作SFだ。 なぜヒューゴー賞を受賞しなかったのか? 『日の名残り』の作家がSFを書くなんて、誰も夢想だにしなかったからだ。 イシグロの作品中、これまで読むことを避けていたものである。 半端じゃない厚さ、その上、出版当時の英米の批評はほとんどが酷評ばかり。 カフカ的不条理小説らしいが、それではますます読む気になれない。 (『城』を読むのが苦痛だったことを思い出してしまう。) しかし、実際に読んでみたら、実に面白いじゃないか! イシグロそのものだ(あたりまえだが)、しかも、もしかしたらこれまでのイシグロで最高傑作じゃないだろうか。 イシグロは登場人物たちの記憶をよみがえらせることで小説を作り上げる。 この小説でもまた、語り手のライダーを中心に、さまざまな人物たちの過去の記憶が次々に浮かび上がってくる。 他のイシグロ作品と違う、特異なところは、過去の記憶が現実の中に、少なくとも小説中の現実の中に実体化することである。 ホテルのポーターに頼まれてその娘に会ってみると、彼女はライダーの妻ソフィーであった。ソフィーの息子のボリスの父親はもちろん彼だ。 バスで出逢った車掌は昔の同級生のフィオナじゃないか。 人間ばかりではない。過去に存在したモノも実体化する。 ホテルの部屋のベッドから天井を見上げてみると、昔自分が住んだ家であることにライダーは気づく。 レセプション会場の駐車場に着いて、ふと気づくと、子供の頃によく乗った父の車が朽ち果てた状態で放置されている。 そのような既知の人物やモノだけではなく、多くの登場人物がライダー自身のダブルとして機能し、彼の過去をさまざまによみがえらせる。 指揮者ブロツキーやホテルの支配人ホフマンはその代表だ。 ライダー自身の両親や妻や息子との関係が彼らを通して相似的に実体化し、物語化していく。 不条理小説として実験的かつ驚くべきものとされるのかもしれないが、読んでいて既視感につきまとわれた。 ライダーに倣って自分の過去の記憶に探りを入れてみると、あった、あった。 1960年代のイギリスのテレビドラマ「プリズナーNo.6」。 ヨーロッパのどこからしい「村」に拉致された諜報部員がそこから脱出しようとして失敗を重ねる。これとそっくりだ。 他にもアラン・E・ナースの「悪夢の兄弟」とか、時間の中に閉じ込められる「時間刑」を受けた男の話(タイトルは忘れた)等々、60年代のSFが次々に思い浮かぶ。 『私を離さないで』で「改変歴史ものSF」を書いたイシグロは、やはりSF好きだったのだ。 しかも、『充たされざる者』はSFとしてとてつもなく上出来だ。 この場合SFとはScience Fictionではなく、卓越したアンソロジスト、ジュディス・メリルがSpeculative Fictionと呼んでいたジャンルのことである。 イシグロの次回作はThe Buried Giantとアナウンスされている。 SFファンならJ・G・バラードの「溺れた巨人」The Drowned Giantをすぐに思い出す。 これは絶対に本格的な「思弁小説」に違いない。出版が待ち遠しい。 このレビューを書いたあと、考え続けていたことがある。 イシグロの小説はすべて(改変歴史ものSF『私を離さないで』も含めて)「歴史小説」なのに、この小説には「歴史」がないのはなぜなのだろう? しかし、最近になってこの疑問は解けた。 イシグロは20世紀という悲劇の世紀に生きた「平凡な」人々の鎮魂歌を書き続けていた。 彼は「喪の仕事」を続けていたのだ。 この『充たされざる者』は、彼の「喪の仕事」の究極的な形なのだ。 なぜなら、ここに登場する者たちは、語り手ライダーを含めて、すべて記憶の中でしかよみがえることのない死者たちだからである。 | ||||
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前作の「日の名残り」の完成度があまりに高かったので、作者は次の手をどう打つかかなり悩んだのではないだろうか。で出来上がったのが、このとてつもなくシュールな作品であった。読んでいて先が全く読めないし、それどころか今どこにいるのかすら分からなくなる。 この小説が凄いのは、それが比喩的なレベルを超えて、読んでいるこちらの頭の中までぐちゃぐちゃになってきてしまう辺りだと思う。例えば移動中に電車で読んでいて、目的の駅で本を閉じて降りたとする。すると、まるで起き抜けに現実か夢の続きか一瞬わからなくなるように、いま自分がどこにいてどこへ行こうとしているのか混乱してしまうのである。 これはやはりイシグロの圧倒的な筆力が成せる業なのだろう。細部は徹底的にリアルなのだが、文脈はたえず揺れ動き全体像ははっきりしない。でもぐいぐい読めてしまう。よく比較されるようにカフカや村上春樹に近いが、イシグロが頭ひとつ抜けていると思う。きっと、全体を貫く構成というか構想が強靭なのだ。決して明確には示されないけれど。 わたしはイシグロの作品では「わたしを離さないで」がいちばん好きだが、そこへ至る転機になったのがこの「充たされざる者」だったのではないだろうか。「日の名残り」も名作だが、作者がそこにとどまって同じような作品を書かなくて本当によかったと思う。そういうチャレンジし続ける姿勢も含めて、イシグロは本当に凄い作家だなあと思う。 | ||||
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カズオ・イシグロの持ち味であるはずの、練られた構成とか、効果的な伏線とか、 話術のドライブ感とかは、はじめから放棄されているような作品。 カフカ的でもあるが、むしろ、ヌーヴォー・ロマンとか、アラン・ロブ=グリエを彷彿とした。 こういうプロットもなにもないシュール一辺倒な話は、本来私がもっとも苦手とするもので、 通常ならとっくに途中で放棄しているはずだが、けっきょく最後まで読ませてしまうのは ひとえに作者の卓越した文章力(文体)によるものだろう。 | ||||
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素晴らしかった。 100人いれば100通りの捉え方をする作品であろうし、 その評価も分かれるだろうが、ひとつの小説としては完成されていると思う。 私にとっては読み終わったあと、長い夢から目覚めて、なんだか凄い夢を 見たんだけど断片的にしか思い出せない。 といった感覚でしょうか。 どのページを開いても場面場面が短編小説のようでもあり、 心地よい不協和音はまさに夢の世界でした。 | ||||
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カズオ・イシグロの他作品に較べると、「実験的」という言葉がよく使われる本作。本国でも発表直後は評価が分かれたらしいが、残念ながら、僕の場合はダメだった。簡単に言うと、カフカの「城」なんかに似通った内容である。21世紀にカフカ流の不条理文学を反復することの「実験性」の程も疑問なのだが、僕の星付けが渋い最大の理由は、この同時代屈指のストーリー・テラーに単調なカフカ的世界を僕が求めていなかったため、肩透かしを食らったからである。(普通にやってくれてりゃ、それで良かったのになあ、と。) なお、作家本人はブラック・ジョークとしてこの作品を書いたと語っているが、カフカもその作品を友人達に朗読したら、皆笑い転げたという不思議なエピソードが彼の妹により残されている。ただ、カズオ・イシグロの本作もカフカの諸作品も、日本語で読んでいてどこまでそのユーモアが伝わってくるものなのかは、よく分からないというのが実際のところではないだろうか。(訳者によると、本作の場合、ちょっとした言葉使いに英国中産階級特有の逆説的言い回しを前提とした掛詞が含まれているらしい。) | ||||
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まず主人公が異国の地に到着するところから始まる。そこでホテルに泊まるとすぐにエレベーター係と直ぐに親しくなりその家族とも親しくなり、色々パーティーなどに行き他にも親しくなり何かあれこれ頼まれたり、遊んだりなんだりが延々続くという小説。 そこで語れる会話も曰くありげだったり、全然意味がなさそうだったり、謎めいた展開が900ページにわたって繰り替えされる話。 中心のプロットもなんら解決しないまま主人公も何処かに去っていきます。一般の小説を読んだ際のカタルシスも一応ありますが、何だか多少はぐらかされた印象は否めませんでした。 他に読んだ方にたような感想をもたれたとでしょうが、この小説の場合謎めいた不条理な小説を書こうという旨、そういう話を書いた作品のようなので全ての解釈が成り立ちかつ全て成り立たないと言えると考えられると思いましたがいかがでしょうか。働いてみたりしてみると世の中、不条理なことが多いのでそれを本の形にして表現したようにも感じましたが、安易でしょうか。 個人的にはカリンティ・フィレンテ「エペペ」やヘンリー・ジェイムス「大使たち」を思い出しました。 これだけの分量を文庫にしたのも驚異的。最近は造本技術も発達したのでしょうか。 | ||||
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一見日常性から離れた不条理が満ちている内容である。しかしよく読んでみると、我々普通人が、自分の意図やイメージと異なる思いもよらない事象が次から次へと襲って来たときに感じる際に「日常的」に感じる「訳が判らない事象」への「不安心象」を一人称で巧みに描いている。際立つ主人公とストーリー性がある従来の小説から一歩はみ出た異色の文学である。 | ||||
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この著者の本を1作目から愛読しているが、これは4作目の異色のともいうべき作品。ライダーという世界的な天才ピアニストがある町に到着するところから物語は始まるが、そこからすでに不思議な、尋常とは思われないものが入り込んでくる。例によって様々な人物による会話が中心に物語が展開するが、いくつものパラレルワールドが錯綜する、息の長い小説である。今までのイシグロのリアリズムから一転した、画期的作品といえよう。ただし、読み切るのに相当の覚悟がいる。 | ||||
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ブッカー賞を受賞した「日の名残り」に続くカズオ・イシグロの第四作目の作品。 この小説はかなりシュールだ。 舞台はドイツ?オランダ?オーストリア?はっきりしない。とにかく読者に情景を思い起こさせない中欧の架空の都市。時間もなんか混乱している。いったい今読んでいる場面は朝なのか昼なのか夜なのか。地理的な位置関係もまったく想像できない。遠いところかと思っていると近い場所であったり。人間関係すら他人なのか家族なのかわからない。 しかし、決して駄作ではない。絵画や音楽にシュールなものが許されるのであれば、こんな小説もありかな。「何だこれは!」と思いながら、いつの間にかストーリーに引きずり込まれていき、先へ先へと読み進んでしまう。 読後感は?なんとも形容しがたい。ただ面白かった、というところか。ウィットに富んでいる。 かなりの長編だが、カズオ・イシグロの真髄を知りたければ是非一読を。ちなみに私は現代の作家の中でカズオ・イシグロが一番おもしろいと思う。 | ||||
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中欧のある小さな町から、 往年のピアニストであるわたし(ライダー氏)はコンサートと講演のために招待されます。 町中の人々は音楽による癒しを求めているそうなのですが、 その町のとあるホテルに着くやいなや、 彼と接触しようとする関係者が後を絶ちません。 単に接点を持ちたいという下心の許容範囲を大幅に超え、 それぞれ自らが抱えている不満や過去・現在の解決の着かない問題、 心情を次々に吐露します。 あるいは家族の頼みごとを持ちかけてきます。 なんて勝手きわまる人たちでしょう。 ライダー氏はコンサートに備えるべくピアノに向かい、 会場を下見し、会場のピアノのコンディションを把握し、 十分なもてなしを受けて座っているはずの両親の前で 堂々と演奏をする日のために集中したいはずです。 目的にたどり着けないまま、タイムリミットは近づいてきます。 出番の直前、我慢しきれずにライダー氏自身の不満を コーディネーターに延々(気持ちは痛いほど分かる)訴えますと なんと予定の出演時間はとうに過ぎて・・・。 読み始めてから2週間、 わたしも目的に永遠にたどり着けないという悪夢に襲われ、苦しみました。 最初は陽の目を見ることのない小市民の内面を代弁している話なのかなと思いましたが、 ポーターのあまりの饒舌さにすぐに異常を察知しました。 今は、カズオ・イシグロの世界に遊んだ充足感に満たされています。 一方で、人間の独善性と自己正当化をうたっているといわれるこの作品から 開放される幸せをも感じています。 本文だけでも上巻434ページ、下巻361ページ、計795ページの大作です。 | ||||
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