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(短編集)
浄土
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浄土の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全22件 1~20 1/2ページ
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正常な精神をお持ちの方には、お勧めできません。これを面白いとか興味深いと考える人は、どこかイカれているものだと思われます。 私にはかなり面白い読みものでしたが。 | ||||
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気持ちが | ||||
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ばかばかしい限りのギャオス、なんてよく書く勇気が出るもんだ。この独特の文体は、すらすらと出るものなのか、推敲しまくった結果なんだろうか。いずれにしても中毒性がある町田語。 | ||||
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本書は短篇七篇からなるが、そのうち前半四篇が一人称の語り、後半三篇が三人称の語りで構成されている。後者の語りはやはり一歩引いたところから発せられるものであるが、その叙述のおかしさとおもしろさは、前者の語りに勝るとも劣らない。 表題が暗示するように、本書にはそんな心地よさがあるが、かと言って、本書の中に「浄土」らしい場所や風景は出てこない。おそらくそれは何かのメタファーであって、たとえば「フィクション化された世界」と言えるかもしれない。「ギャオスの話」と「本音街」にはどちらも非日常的な世界があり、また、「犬死」、「あぱぱ踊り」、「自分の群像」には自己防御や自己飾りのために築かれる思考体系の虚無的な世界があり、そして「一言主の神」には一言でものごとを作り上げる記号的な世界がある。 そうしたフィクション化された世界にこそ、浄土があるのかもしれない。 | ||||
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町田康はタイトルのつけ方が絶妙です。 本作品集収録作は「犬死」「どぶさらえ」「あぱぱ踊り」「本音街」「ギャオスの話」「一言主の神」「自分の群像」と、いずれもぐんぐんに興味を惹かれ、読まずにおれない見事なタイトルです。 作品は2001年から2005年までの間に発表されたもので、最高傑作長編「告白」が発表されるころまでに執筆されたものです。 それだけに、いずれの作品も短くコンパクトでありながら、なんともしがたい状況がひしひしと伝わり充実しています。 タイトルレビューの 「俺の身体全体に毒を撒き散らせ。俺の身体を腐らせたいなら腐らせやがれ。その腐乱が俺の栄光だ。」 は「どぶさらえ」からの一節。 町内会費を払っていないという負い目から、町のどぶ掃除を押し付けられた「俺」。 全員敵ばかりの町内会で唯一、清楚な富久縞さんという女性が手伝いに来てくれることを期待しつつどぶに入る俺。 にゅるにゅるした気色の悪いヘドロや線虫のようなものが長靴の中に進入してきて、もうやけくそのように自分を奮い立たせる。 かといって決して幸福になるわけではないのだが。 「自分の群像」では珍しく女性が主人公。 同僚の男がまったく仕事ができず、責任も取らないどうしようもない男で、その分自分にばかり仕事が回ってくる。 不満たらたらである。 誰も責任をとらずいいたいことをいうばかり。 「人間にとって責任のない立場で正論を唱えることほど気持ちのよいものはないのである」 ラストが衝撃。 | ||||
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饒舌にしゃべり倒す文体で突き進む、町田康の短篇集。突拍子もないシチュエーションにギャハハと笑い、文体の勢いにウオッと叫び、シニカルな結末にウームと唸る。そんな作品集になっているかと。 ビバ!カッパ!という発話の感触を武器に彼岸と此岸の境界を超える「どぶさらえ」や、巨大怪獣に翻弄されるどーしょーもないアホたちを描いたアホな作品「ギャオスの話」。特に面白かったのは「本音街」、本音しか言わないすがすがしい街を描いたシュールで笑える短編だ。 この人の作品を読むのは初めてなのでタイソーなことは言えないのだが、乱暴にいうと、ハナクソをほじっているような文章だ。ハナクソにはなんの意味もない。でも、町田さんは色んな方法で、我々には真似できないやり方で、アクロバティックにハナクソをほじってみせる。そんな印象。パンクです! | ||||
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「一言主が森ビルを出してから三月ほどたったある日も 臣下がやってきて言った。」 この本に出てくる作品の一つ、『一言主の神』に出てくる この一節が妙にツボで、電車の中でしばらく声を殺して 笑うことになった。 町田康はその文体ゆえに大きく好き嫌いの分かれる作家 だと思う。しかし、この本が取る短編集という形式に あっては、比較的広い方々に面白がれるようになっている のではないだろうか。怒涛のごとく連続する言葉に「ああ もうダメだ。疲れた」となる前に、一つの作品が終わるからだ。 「はは、むちゃくちゃなこと書いてるなあ」と思ってへらへら しながら読んでいるうちにすぐに終わる。だから、興味のある 人、以前中編・長編を読んだが受け入れられずor付き合いきれず ギブアップした人にこそ勧めたい。「あれ、でたらめやってる ようで実はこういうところはすごいんじゃないか?」という ようなことは、たぶんもう少し好意的な人がやったらいい のであって、本当は誰でも脱力して馬鹿笑いできる、間口の 広い作品群であり作家なのだと思う。 物語を書くための言葉たちは誰にも等しく与えられていた。 にもかかわらず、町田康のような言葉の使い方をし、それで こんなにもデタラメな、かつ愉快な作品を書く作家は彼自身が 現れるまで登場しなかった(たぶん)。私は町田康が文壇に出てきた ときのことを知らないが、きっとそのときの人々は、それまで 絶対の限界だと思っていた文学の壁がめりめりいいながらぶち破れていく 音を聴いたのではないかと思う。そしてその先に広大に広がっている 文学の新世界を目にしたのではないかと思う。そんな文学の 浄土が顕現する傑作七篇、食わず嫌いせずに読んでみてください。 | ||||
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町田康のぶっとび短編集。 どの作品も相変わらずの町田節を味わえるが、個人的には「犬死」、「あぱぱ踊り」、「一言主の神」が良かった。 なんとも言えぬ、人の下らん拘りを深く掘り下げて書く力量には脱帽というか、深いシンパシーを感じる。 この手の感情は誰でも感じるのでは・・・。 大衆が取っている行動に対して批判精神丸出しで見るのだが、しかし、みんながそうしているのには深い理由があるのでは・・・と、思い、自分も恐る恐るその領域に足を踏み出しいていく・・・で、結局、後悔する。 町田康の文学には、常に「過剰な自意識」、「他者に対する批判」が渦巻いている。 | ||||
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読了。 読みやすい本だった。 どぶさらえとあぱぱ踊りと自分の群像がよかった。 作風が舞城王太郎と似ていると感じた。 | ||||
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町田の世界は、単純で瞬発的なパンクのエネルギーというより、ねちねちと執拗なラップの文体(すなわち精神)によってつくられている。「結婚式ゴルフ遊山旅行句会パーティ知り合いの引越し家具の配送などがあって」にみられる読点のなさはラップだろう。 どの短編もいいが傑出していたのは『どぶさらえ』だった。矢細、横安倍といった奇妙な名字が寓話のような効果を出しているし、「学がない癖に狡猾な田舎のキャバスケのような女」や「烏賊と酢とゴムを混ぜたような臭い」といった直喩の喚起力、「茶道的躊躇」「町会費滞納菩薩」という複合造語のもつ迫力は類まれな言語感覚の表出だ。この短編の最もイーポックメイキングなところは「ビバ、カッパ」という真新しい観念/心象風景のニーチェ的提示である。冒頭の3ページ半が「ビバ、カッパ」の説明に費やされていてそれ自体もう超アンビシャスなのだが、繰り返しや無駄は全くないし、ダレることもない。『どぶさらえ』はどんな話なのか、と聞かれれば、私は悟りの境地にいたる段階を主観と客観の間を軽やかに往復しながら描いたものだ、と答えるだろう。悟り境地に至ると「ビバ、カッパ」はViva! Kappa!となり魑魅魍魎が後をついてくる。どぶ川にこそ入ったことはないが橋を見上げた時のむこうとこっちを隔てている距離というのは経験したような気がするし、橋の上にいる者が空をみてしまう時の置いていかれたような感覚も身に覚えがある。身に覚えがあるのにその場その場でやりそごしてしまっている経験や、苦々しいけど発露せず心の中で燃えカスみたいになっている洞察をほりゃぁ!と眼前に突きつけるのが町田の流儀なのだろう。 | ||||
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町田康の作品「パンク侍、斬られて候」読んで面白いな、 と思い、「告白」を読んで町田ファンになっていた。 いずれも長編ですが、本書は短編集となっています。 収録されている「あぱぱ踊り」「本音街」なんかは面白 かったです。 町田康の作品は、日常における些細な不条理を合理的解釈 しようと折り合いを付けるが結局破綻しちゃったみたいな 印象を受けるものが多く、本作品でも自分の心の動きとして こんなことあるあるといったシーンが書かれているように 思いました。 町田康風に日記を書いたら面白いかな。 | ||||
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町田康の作品はそんなに読んでいないのですが、この短篇集を読んで、こんなにも強烈な個性を持った作家だったのかと改めて再認識しました。 そこから繰り出されてくる文章は、何の修飾もなく直接的に伝わってくるものです。例えその表現が「PUNK」であろうとも、そのアイロニーがシニカルであろうとも、胸にどんと来ます。それは、日頃私たちが出来るだけ内にしまっておこうとしているものが、表面に取り出されてしまうからかも知れません。 「犬死」「どぶさらえ」「あぱぱ踊り」「本音街」「ギャオスの話」「一言主の神」「自分の群像」の7編のどの作品をとっても、なにがしかのものを気付かされてしまいます。日頃、忘れていたこと、忘れようとしていたことを気付かされるのです。 個人的には、サラリーマンなだけに「自分の群像」が一番気に入りました。 そこに登場する様々な人々は、まさに「サラリーマン」です。確かに、デフォルメはされているのですが、「こんな奴確かにいるよな」と、それぞれを見て思います。確かに、こんな毎日だよなと思います。 楽しいと言うのとはちょっと違うのですが、強烈に自分を、毎日を振り返らせてくれる作品群です。 | ||||
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短編7本。いずれも読後感が悪い、それにしても攻撃的、心がざらざらする。 いつものユーモアと偏執的な描写が削ぎ取られているぶん、 心に突き刺さってくる。 帯の背表紙キャッチ、「さらにPUNK!」は、 最近のパンクブームに便乗して若年層を狙ったものか、 「だっせえなあ」と思ったんだけど、 あながち間違いじゃないかもしれない。 心の奥にあった澱みたいなのが曝け出されて、 自分も攻撃的になること請け合い。 読み終わったあとに、 とんと聞いてなかったCOMESの「NO−SIDE」を聞いてしまいました。 すっきりしました。 | ||||
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町田康はだーい好きである。作家としても歌唱家としてもだーい好きである。谷崎その他いろいろ授与されている町田さんですが、無冠のギャオスの話がだーい好きである。 だってバカだもん。だってパンクだもーん。 偉くなって、水道代やゼイキンがちゃんと払えるのは良い事だと思いますが、何気なく踏み越えてそのままいっちゃって欲しい町田康。いえ私にとっては町蔵。わがままな願いでしょうか? らぶゆーまちぞー。世の中」くねくねでも充分美しかったり醜かったりします。でも生きていかなくてはならないので、やっぱり町田康は必要なのです。 | ||||
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短編小説集である。どれを読んでもあの町田ワールドを楽しめる。1.犬死、2.どぶさらえ、6.一言主の神 をベスト・トラックとして推したい。1.でのジョワンナ先生や、2.の「ビバ!カッパ!」といった決めのフレーズが、耳に心地よい(勿論、違和感もあるのだが、この座りの悪いところが町田康の独特の味わいだ)。 3.あぱぱ踊りや、7.自分の群像などは、岡田尊司の言うところの「誇大自己症候群」の症例報告として読むこともできる。あぱぱ踊りに出てくるガタロというのは、桂枝雀の「代書屋」が出所ではないだろうか。 5.ギャオスの話 が『文学界』初出でなく、『SFマガジン』掲載だったら読者に与えるインパクトはどうだったろうと変な想像を楽しませてもらった。 | ||||
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町田康さんの本を読むのはこれで数冊めなんですが、相変わらずわけがわからない展開に、いつものごとく圧倒されてしまいました。 これ普通の人が書くと意味不明の何が言いたいのか理解不能の短編集なのですが、町田さんが書くと、なんとなく意味がわかり、なんとなく言いたいこともわかるような気がする、面白い短編集です。 ただ好みもあると思いますのですべての人に面白いというものではないと思いますが、我慢して読み進めていくときっと面白さがわかると思うので、ぜひ一読はしてもらいたい書です。 なんとなく理解しかかったぞー、と読んできたのですが、最後の「自分の群像」で、あえなくまたまた脳みそにしわをよせる意味不明短編。この作品だけはよく理解できなかった。さすが町田先生。ただでは終わらせない(笑)。 | ||||
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これを読んで、町田氏の本領はやっぱり短~中編にあると思った。一話一話がタイトにまとまっており、バラエティに富んでいて、それぞれに教訓がある。もちろん、難しいことを考えなくとも、ページを捲ればマーチダワールドがそこここで炸裂しており、それだけで楽しめる。ジョワンナ先生って誰だよ?!とかひとりツッコミしちゃう。 「どぶさらえ」と「本音街」が特にお気に入り。ビバカッパ的心情の描写部分は秀逸だと思う。読了後は、町田氏のビバを叫びながら踊りたくなる。愉快痛快。大傑作です。 | ||||
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町田氏の作品ははじめて読みました。 帯にある「暴発小説集」という、コピーがまさにぴったりの内容でした。 彼の想像力は、いかなるところへでも飛んでいき、そこで次々と町田ワールドを築き上げていくのですね。最初は必死についていく感じだったのが、読み進めているうちに、いつかその独特の文体、シチュエーションに慣れていました。 どの作品をとっても、作者の社会や、人間に対しての「怒り」が根底にあり、さまざまな形で制裁が加えられていきます。「あぱぱ踊り」の柄月といい、「自分の群像」の温夫といい、読んでいて、こちらまで頭から湯気が出そうなくらい、いらいらします。で、自分の周りに大なり小なり似たような人物がいることに気付き、ますます「何とかしてくれ~」と叫びたくなりました。私たちって、こんなにストレス抱えていたんだなぁと、思いました。 私事ですが、「一言主の神」が最後に出した「サファイアボンベイ」、今の私の愛飲酒だったので、ちょっと嬉しかったです。 | ||||
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「告白」をまだ読んでいないので何とも言えないんですが、 これを読んで「やっぱり町田康の醍醐味は中短編だ!!」と 思いました。特にこの短編集は町田さん特有の「抜群のリズム感」 「虚無感」が満喫できる仕上がりになっています☆ 特に気に入ったのは「ギャオスの話」。東京に突然ギャオスが 出現…。ありえないんだけど妙にリアルなんです。 「パンク侍斬られて候」と同じく、虫けらのように殺されていく 人たちを、不必要なまでに描写する手法が好きです。 実は町田さんは「命」を大切に思っていると感じます。 | ||||
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この短編集の凄さっていうのは、もうはっきり言って俺のコントロールの範疇超えてるわけ。どこが、って普通に凄いだけですけど。国の宝くらいな感じなんですよ。つか、どの短編も、設定「ありえない」って感じじゃないですか。それがね、「普通の人の普通の日常を透徹したまなざしで鋭くえぐる」みたいなコピーの小説の何倍もリアルになっちゃってる、というかね。 「あぱぱ踊り」の柄月内次ね、いますよ、身のまわりに。「ギャオスの話」の田村軽夫もね、「自分の群像」の玉出温夫すらいますよ。嘘って、あなたのまわりにもいるでしょ。全く同じ言動してる人たち。もちろん町田流翻訳してあるにしてもね。だから俺も今ね、ついつい柄月内次の喋り方になってしまってるけどね。 というか、内次って語り手と街でばったり会った時から俺俺モードでね、俺は凄いの連発なわけでしょ。で、語り手が何が凄いの、と訊いても俺の凄さは“なんていうか俺自身にもコントロールできない部分で世界を救済してるっていうことになっていくと思いますよ”かなんか言うわけでしょ。何が凄いのか全然わかんない。で、語り手が“あ、じゃあうた歌うとかギター弾くとか踊るとかそういうことはしないんだ”と、わざと小馬鹿にしたように挑発すると、エケメなる店を探している内次は語り手に“エケメで俺の凄さはかなり具体的になるはずですよ”かなんか言うわけ。語り手は、行っちゃうんですよ、エケメに。ないギターは弾けない、とうそぶく内次にわざわざ二万八千円のギター買い与えて。この「ありえない」リアルな設定は、「ありえない」リアルすぎる結末に急速に向かうわけで、そこにある陰惨な町田ワールドを人は笑えない笑えない。 それやっぱり自分が、ないギターは弾けない、自分だからじゃないですか。 あるいは自分だけでなく、“特に某社の某と某”。 怖い短編集だよね。でも町田氏の、文学という怖いギター、普通に凄い。どころか普通じゃなく凄い。そのギターに、悪酔い。 | ||||
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