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ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン



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ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパンの評価: 2.61/5点 レビュー 83件。 Fランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点2.61pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全83件 1~20 1/5ページ
No.83:
(1pt)

パロディか?

空想だか真実ぽい。というのがSFの魅力だが。
この小説にはそのらしさが全く欠除。
数ページでやめた。
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120986
No.82:
(2pt)

全体的に消化不良。何を伝えたいのかわからない。

太平洋戦争に対する日本の勝利と、そのために米国に対して原爆を用いたらしい、という流れは、重く深刻で、これはすごい…と思わせたが、それらは冒頭のわずかな部分のみ。メインは昼行燈のような石村と天皇に忠誠を誓う特高の昭子とのバディものとなり、大幅にスケールダウン。肉体の機械化とか二足歩行ロボットとか、サイバーパンク以来のガジェットを満載してはいるが、どれも必然性が感じられない。そもそも歴史改変モノであることで、なにか語りたいことがあったのか疑問(それすら日本人の天皇に対する絶対性をネタ的に用いて弄んでいるようにしか思えない)。理屈抜きの娯楽アクションというわけでも無いし…うーん…上下巻の長編で、何を言いたいか伝えたいか、最後までピンと来ませんでした。
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 下 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 下 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120994
No.81:
(1pt)

自分には合いませんでした。

日本文化の描写が気持ち悪くてディストピアSF小説としても不快感の方が勝ります。
下巻の冒頭まで読んで挫折しました。
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120986
No.80:
(4pt)

〈戦後的フィクション〉を生きない、知性のために

.
三部作最後の『サイバー・ショーグン・レボリューション』の邦訳版も刊行されたので、そろそろ読まねばなるまいと、買ってあったシリーズ第一作である本書を手に取った。

購入当時は、日本のアニメを中心とした「オタク文化」の影響を強く受けた作品、ということで注目した。
私は「オタク」世代ではなく、その前の「マニア」世代だが、私個人にマニア気質はなく、単なる「ファン」だと思っている。しかし、かの宮﨑勤さんと同年生まれなので、日本の「オタク文化」の動向には常に注目してきたから、その海外における影響という面にも興味があった。もちろん、同じ興味から、スピルバーグ監督の 『レディ・プレイヤー1』も観ている。

で、そんな私が、本作をいま読んだ感想としては、正直「こんなものかな」という感じで、たしかに日本のアニメの影響が、道具立てだけではなく、キャラクターの描き方などにも表れている。例えば、本作のヒロインと呼んでいいだろう「槻野明子」は、典型的な「ツンデレ」キャラだ。
要は、人物の描き方が、「文学的なリアリズム」に立脚したものではなく、アニメキャラ的なのだ。大塚英志だったが提唱した「まんが・アニメ的リアリズム」によって描かれているのである。

私は、テレビシリーズの『鉄腕アトム』の時代からアニメを視て育ってきた人間なのだが、「小説」に関しては、必ずしも、そういったものを求めているわけではない。いや、アニメやマンガには、ずっと接してきたからこそ、「文学」には「文学でしか描き得ないもの」を期待する気持ちが強いので、「まんが・アニメ的リアリズム」で書かれたものの多い、いわゆる「ラノベ」は(否定する気はないが)、よほど評価の高い作品以外は、娯楽としてさえ読もうとは思わないのである。

したがって、私は本作の「ラノベ」的な部分については「こんなものかな」以上のものは感じなかった。ただ、本作で評価できるのは、多くのレビュアーに、あまり顧みられていない「歴史批評」的な部分である。

本作が「改変歴史SF」であるというのは言うまでもないが、そのことによって著者が描いているのは「もしも立場が違っていたら、私たちはどのように振舞っていただろうか」という、そんな真摯な「問い」である。問題は「どんな世界になっていただろうか」ではなく、「私(たち)は、どのように振舞っていただろうか」なのだ。
具体的には、「第二次世界大戦を、枢軸国が勝っていたいたとしたら」「アメリカが敗戦して、日本とドイツがアメリカを分け合うかたちで占領していたとしたら」、「私たち」は、はたしてどのように振舞っていただろうか、という問いでなのある。

ここで言う「私たち」とは、作者の場合「アメリカ人」であるし、読者である私の場合は「日本人」となろう。つまり、この作品が問うているのは、「勝者と敗者」の双方であり、「勝者の視点と敗者の視点」を相対化し、逆転させる視点の確保だと言えよう。

例えば、私たち日本人は、先の大戦の「結果」について、ながらく「敗者の立場」からしか見てこなかった。
「原爆を落とされて、ひどい目に遭った」とか「国土が灰燼に帰して、ひどい目に遭った」とか「中国からの引き揚げで、ひどい目に遭った」とか「シベリア抑留で、ひどい目に遭った」とか「ソ連は終戦直前に条約を破って攻め込んできた、ひどい国だ」とか「軍部政府に騙された」とか、逆に「GHQに洗脳され、憲法まで押しつけられて、いまだにひどい目に遭っている」とかいった具合で、自分たちが遭遇した「被害」的側面ばかりを強調し、その「加害者」を批難ばかりしてきた。
また、だからこそ、日本が被害を与えた(加害した)東アジアの国々が経済力をつけ、日本(による、戦後賠償的な経済支援)に頼らなくても済むようになると、「従軍慰安婦」や「朝鮮人強制労働」などの賠償問題が噴出して、嫌が上にも日本の「加害者性」を突きつけられることにもなったのである。

つまり、もしも先の戦争で「日本が勝っていたなら」、きっと「現実の日本が被ったような損害」を、他国に対してより「いっそう強いていた」だろうし、そのことに寸毫も良心の呵責をおぼえず、むろん「反省」もしなかっただろう、ということなのだ。
そして、本作には、そうした「日本の(勝ち負けに関わらない)本質」が、やや誇張されたものだとは言え、的確に描かれている。本作は、間違いなく「日本的精神史」批判となっているのである。

ただし、これは、現実には「勝者」であったアメリカに対しても、裏返したかたちで向けられている批評だと言えるだろう。
つまり、アメリカが敗戦して、戦勝国である日本やドイツに「ひどい目」に遭わされれば、自分たちが「無垢の被害者」ででもあるかのように思い込んで「自己美化」に励み、自分たちが「現実の勝者」として為したことなど(例えば、原爆の投下などといったことを)「仮定的に」想像することもできなかっただろう。
(無論、それでもアメリカは、日系人の強制収容について、謝罪し賠償した点で、敗戦後日本よりはマシかもしれない。原爆については、被害が大きすぎたために、政治的な公式謝罪は困難かもしれないが、個人レベルで過ちを認める人たちが、パヨク呼ばわりされることはないだろう)

そして、さらに言えば、本作における、少々「荒唐無稽」とも思えるような「極端さ」は、しかし、単に「まんが・アニメ的リアリズム」に拠るわけではなく、著者の「韓国系アメリカ人」という立場に由来する、ある種の「現実的リアリズム」に立脚するものともなっている。
と言うのも、著者は幼少期に韓国で「軍政下における、激しい民主化運動」を、その目にしているからである。つまり、彼は、子供心にではあれ、「反体制ゲリラ闘争」を目にしており、「世の中が変わるかもしれない=勝者と敗者が反転するかもしれない」という世界を、肌身に感じていたのだ。

だから、1970年代以降の「実力闘争のない、平和な日本」に生まれ育った読者が、本書に込められた「実感的リアリズム」を理解できないのは、ある意味では仕方ないことなのだろう。本書に描かれたような「極端なこと」は、現実には起こりえず、批評的な誇張として描かれたものであろうと、そう無難に考えてしまう。

しかし、現実の歴史から目を逸らさず、歴史的事実に学ぶならば、私たち、戦後の「平和ボケした日本人」が想像もできないようなことを、私たちの曾祖父や祖父や父たちが、現実に行なってもいたのである。
無論、そんな人ばかりではない。けれども、それは現にあったし、小説に書けるような非道な行ないなら、現実にもどこかで現に為されていたはずなのだ。

だから、本書を「やや荒唐無稽な、思考実験的・歴史批評作品」だと考えるのは、間違いだ。
「これくらいのことなら、人間は何度でもやってきた」そんなことを描いた、ある意味では「普通にリアルな作品」だと、私たちは、そこまで想像力を働かせるべきであろう。

したがって、本作が「まんが・アニメ的リアリズムによって書かれた、少々荒唐無稽なラノベ的作品」だから「SFではない」などと言っているような読者は、「SF」について、ろくに考えたこともない読者だと言えよう。
「SF」の、一つの定義である「スペキュレイティブ・フィクション (Speculative Fiction) 」とは、文字どおり「思弁」することが出来て、初めて読める小説なのだ。
したがって、作品の表面(=物語)を掻い撫でにすることしか出来ないような読者に、「SF」を云々する資格など無いのである。

.
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120986
No.79:
(4pt)

〈戦後的フィクション〉を生きない、知性のために

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三部作最後の『サイバー・ショーグン・レボリューション』の邦訳版も刊行されたので、そろそろ読まねばなるまいと、買ってあったシリーズ第一作である本書を手に取った。

購入当時は、日本のアニメを中心とした「オタク文化」の影響を強く受けた作品、ということで注目した。
私は「オタク」世代ではなく、その前の「マニア」世代だが、私個人にマニア気質はなく、単なる「ファン」だと思っている。しかし、かの宮﨑勤さんと同年生まれなので、日本の「オタク文化」の動向には常に注目してきたから、その海外における影響という面にも興味があった。もちろん、同じ興味から、スピルバーグ監督の 『レディ・プレイヤー1』も観ている。

で、そんな私が、本作をいま読んだ感想としては、正直「こんなものかな」という感じで、たしかに日本のアニメの影響が、道具立てだけではなく、キャラクターの描き方などにも表れている。例えば、本作のヒロインと呼んでいいだろう「槻野明子」は、典型的な「ツンデレ」キャラだ。
要は、人物の描き方が、「文学的なリアリズム」に立脚したものではなく、アニメキャラ的なのだ。大塚英志だったが提唱した「まんが・アニメ的リアリズム」によって描かれているのである。

私は、テレビシリーズの『鉄腕アトム』の時代からアニメを視て育ってきた人間なのだが、「小説」に関しては、必ずしも、そういったものを求めているわけではない。いや、アニメやマンガには、ずっと接してきたからこそ、「文学」には「文学でしか描き得ないもの」を期待する気持ちが強いので、「まんが・アニメ的リアリズム」で書かれたものの多い、いわゆる「ラノベ」は(否定する気はないが)、よほど評価の高い作品以外は、娯楽としてさえ読もうとは思わないのである。

したがって、私は本作の「ラノベ」的な部分については「こんなものかな」以上のものは感じなかった。ただ、本作で評価できるのは、多くのレビュアーに、あまり顧みられていない「歴史批評」的な部分である。

本作が「改変歴史SF」であるというのは言うまでもないが、そのことによって著者が描いているのは「もしも立場が違っていたら、私たちはどのように振舞っていただろうか」という、そんな真摯な「問い」である。問題は「どんな世界になっていただろうか」ではなく、「私(たち)は、どのように振舞っていただろうか」なのだ。
具体的には、「第二次世界大戦を、枢軸国が勝っていたいたとしたら」「アメリカが敗戦して、日本とドイツがアメリカを分け合うかたちで占領していたとしたら」、「私たち」は、はたしてどのように振舞っていただろうか、という問いでなのある。

ここで言う「私たち」とは、作者の場合「アメリカ人」であるし、読者である私の場合は「日本人」となろう。つまり、この作品が問うているのは、「勝者と敗者」の双方であり、「勝者の視点と敗者の視点」を相対化し、逆転させる視点の確保だと言えよう。

例えば、私たち日本人は、先の大戦の「結果」について、ながらく「敗者の立場」からしか見てこなかった。
「原爆を落とされて、ひどい目に遭った」とか「国土が灰燼に帰して、ひどい目に遭った」とか「中国からの引き揚げで、ひどい目に遭った」とか「シベリア抑留で、ひどい目に遭った」とか「ソ連は終戦直前に条約を破って攻め込んできた、ひどい国だ」とか「軍部政府に騙された」とか、逆に「GHQに洗脳され、憲法まで押しつけられて、いまだにひどい目に遭っている」とかいった具合で、自分たちが遭遇した「被害」的側面ばかりを強調し、その「加害者」を批難ばかりしてきた。
また、だからこそ、日本が被害を与えた(加害した)東アジアの国々が経済力をつけ、日本(による、戦後賠償的な経済支援)に頼らなくても済むようになると、「従軍慰安婦」や「朝鮮人強制労働」などの賠償問題が噴出して、嫌が上にも日本の「加害者性」を突きつけられることにもなったのである。

つまり、もしも先の戦争で「日本が勝っていたなら」、きっと「現実の日本が被ったような損害」を、他国に対してより「いっそう強いていた」だろうし、そのことに寸毫も良心の呵責をおぼえず、むろん「反省」もしなかっただろう、ということなのだ。
そして、本作には、そうした「日本の(勝ち負けに関わらない)本質」が、やや誇張されたものだとは言え、的確に描かれている。本作は、間違いなく「日本的精神史」批判となっているのである。

ただし、これは、現実には「勝者」であったアメリカに対しても、裏返したかたちで向けられている批評だと言えるだろう。
つまり、アメリカが敗戦して、戦勝国である日本やドイツに「ひどい目」に遭わされれば、自分たちが「無垢の被害者」ででもあるかのように思い込んで「自己美化」に励み、自分たちが「現実の勝者」として為したことなど(例えば、原爆の投下などといったことを)「仮定的に」想像することもできなかっただろう。
(無論、それでもアメリカは、日系人の強制収容について、謝罪し賠償した点で、敗戦後日本よりはマシかもしれない。原爆については、被害が大きすぎたために、政治的な公式謝罪は困難かもしれないが、個人レベルで過ちを認める人たちが、パヨク呼ばわりされることはないだろう)

そして、さらに言えば、本作における、少々「荒唐無稽」とも思えるような「極端さ」は、しかし、単に「まんが・アニメ的リアリズム」に拠るわけではなく、著者の「韓国系アメリカ人」という立場に由来する、ある種の「現実的リアリズム」に立脚するものともなっている。
と言うのも、著者は幼少期に韓国で「軍政下における、激しい民主化運動」を、その目にしているからである。つまり、彼は、子供心にではあれ、「反体制ゲリラ闘争」を目にしており、「世の中が変わるかもしれない=勝者と敗者が反転するかもしれない」という世界を、肌身に感じていたのだ。

だから、1970年代以降の「実力闘争のない、平和な日本」に生まれ育った読者が、本書に込められた「実感的リアリズム」を理解できないのは、ある意味では仕方ないことなのだろう。本書に描かれたような「極端なこと」は、現実には起こりえず、批評的な誇張として描かれたものであろうと、そう無難に考えてしまう。

しかし、現実の歴史から目を逸らさず、歴史的事実に学ぶならば、私たち、戦後の「平和ボケした日本人」が想像もできないようなことを、私たちの曾祖父や祖父や父たちが、現実に行なってもいたのである。
無論、そんな人ばかりではない。けれども、それは現にあったし、小説に書けるような非道な行ないなら、現実にもどこかで現に為されていたはずなのだ。

だから、本書を「やや荒唐無稽な、思考実験的・歴史批評作品」だと考えるのは、間違いだ。
「これくらいのことなら、人間は何度でもやってきた」そんなことを描いた、ある意味では「普通にリアルな作品」だと、私たちは、そこまで想像力を働かせるべきであろう。

したがって、本作が「まんが・アニメ的リアリズムによって書かれた、少々荒唐無稽なラノベ的作品」だから「SFではない」などと言っているような読者は、「SF」について、ろくに考えたこともない読者だと言えよう。
「SF」の、一つの定義である「スペキュレイティブ・フィクション (Speculative Fiction) 」とは、文字どおり「思弁」することが出来て、初めて読める小説なのだ。
したがって、作品の表面(=物語)を掻い撫でにすることしか出来ないような読者に、「SF」を云々する資格など無いのである。

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ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 下 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 下 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120994
No.78:
(4pt)

〈戦後的フィクション〉を生きない、知性のために

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三部作最後の『サイバー・ショーグン・レボリューション』の邦訳版も刊行されたので、そろそろ読まねばなるまいと、買ってあったシリーズ第一作である本書を手に取った。

購入当時は、日本のアニメを中心とした「オタク文化」の影響を強く受けた作品、ということで注目した。
私は「オタク」世代ではなく、その前の「マニア」世代だが、私個人にマニア気質はなく、単なる「ファン」だと思っている。しかし、かの宮﨑勤さんと同年生まれなので、日本の「オタク文化」の動向には常に注目してきたから、その海外における影響という面にも興味があった。もちろん、同じ興味から、スピルバーグ監督の 『レディ・プレイヤー1』も観ている。

で、そんな私が、本作をいま読んだ感想としては、正直「こんなものかな」という感じで、たしかに日本のアニメの影響が、道具立てだけではなく、キャラクターの描き方などにも表れている。例えば、本作のヒロインと呼んでいいだろう「槻野明子」は、典型的な「ツンデレ」キャラだ。
要は、人物の描き方が、「文学的なリアリズム」に立脚したものではなく、アニメキャラ的なのだ。大塚英志だったが提唱した「まんが・アニメ的リアリズム」によって描かれているのである。

私は、テレビシリーズの『鉄腕アトム』の時代からアニメを視て育ってきた人間なのだが、「小説」に関しては、必ずしも、そういったものを求めているわけではない。いや、アニメやマンガには、ずっと接してきたからこそ、「文学」には「文学でしか描き得ないもの」を期待する気持ちが強いので、「まんが・アニメ的リアリズム」で書かれたものの多い、いわゆる「ラノベ」は(否定する気はないが)、よほど評価の高い作品以外は、娯楽としてさえ読もうとは思わないのである。

したがって、私は本作の「ラノベ」的な部分については「こんなものかな」以上のものは感じなかった。ただ、本作で評価できるのは、多くのレビュアーに、あまり顧みられていない「歴史批評」的な部分である。

本作が「改変歴史SF」であるというのは言うまでもないが、そのことによって著者が描いているのは「もしも立場が違っていたら、私たちはどのように振舞っていただろうか」という、そんな真摯な「問い」である。問題は「どんな世界になっていただろうか」ではなく、「私(たち)は、どのように振舞っていただろうか」なのだ。
具体的には、「第二次世界大戦を、枢軸国が勝っていたいたとしたら」「アメリカが敗戦して、日本とドイツがアメリカを分け合うかたちで占領していたとしたら」、「私たち」は、はたしてどのように振舞っていただろうか、という問いでなのある。

ここで言う「私たち」とは、作者の場合「アメリカ人」であるし、読者である私の場合は「日本人」となろう。つまり、この作品が問うているのは、「勝者と敗者」の双方であり、「勝者の視点と敗者の視点」を相対化し、逆転させる視点の確保だと言えよう。

例えば、私たち日本人は、先の大戦の「結果」について、ながらく「敗者の立場」からしか見てこなかった。
「原爆を落とされて、ひどい目に遭った」とか「国土が灰燼に帰して、ひどい目に遭った」とか「中国からの引き揚げで、ひどい目に遭った」とか「シベリア抑留で、ひどい目に遭った」とか「ソ連は終戦直前に条約を破って攻め込んできた、ひどい国だ」とか「軍部政府に騙された」とか、逆に「GHQに洗脳され、憲法まで押しつけられて、いまだにひどい目に遭っている」とかいった具合で、自分たちが遭遇した「被害」的側面ばかりを強調し、その「加害者」を批難ばかりしてきた。
また、だからこそ、日本が被害を与えた(加害した)東アジアの国々が経済力をつけ、日本(による、戦後賠償的な経済支援)に頼らなくても済むようになると、「従軍慰安婦」や「朝鮮人強制労働」などの賠償問題が噴出して、嫌が上にも日本の「加害者性」を突きつけられることにもなったのである。

つまり、もしも先の戦争で「日本が勝っていたなら」、きっと「現実の日本が被ったような損害」を、他国に対してより「いっそう強いていた」だろうし、そのことに寸毫も良心の呵責をおぼえず、むろん「反省」もしなかっただろう、ということなのだ。
そして、本作には、そうした「日本の(勝ち負けに関わらない)本質」が、やや誇張されたものだとは言え、的確に描かれている。本作は、間違いなく「日本的精神史」批判となっているのである。

ただし、これは、現実には「勝者」であったアメリカに対しても、裏返したかたちで向けられている批評だと言えるだろう。
つまり、アメリカが敗戦して、戦勝国である日本やドイツに「ひどい目」に遭わされれば、自分たちが「無垢の被害者」ででもあるかのように思い込んで「自己美化」に励み、自分たちが「現実の勝者」として為したことなど(例えば、原爆の投下などといったことを)「仮定的に」想像することもできなかっただろう。
(無論、それでもアメリカは、日系人の強制収容について、謝罪し賠償した点で、敗戦後日本よりはマシかもしれない。原爆については、被害が大きすぎたために、政治的な公式謝罪は困難かもしれないが、個人レベルで過ちを認める人たちが、パヨク呼ばわりされることはないだろう)

そして、さらに言えば、本作における、少々「荒唐無稽」とも思えるような「極端さ」は、しかし、単に「まんが・アニメ的リアリズム」に拠るわけではなく、著者の「韓国系アメリカ人」という立場に由来する、ある種の「現実的リアリズム」に立脚するものともなっている。
と言うのも、著者は幼少期に韓国で「軍政下における、激しい民主化運動」を、その目にしているからである。つまり、彼は、子供心にではあれ、「反体制ゲリラ闘争」を目にしており、「世の中が変わるかもしれない=勝者と敗者が反転するかもしれない」という世界を、肌身に感じていたのだ。

だから、1970年代以降の「実力闘争のない、平和な日本」に生まれ育った読者が、本書に込められた「実感的リアリズム」を理解できないのは、ある意味では仕方ないことなのだろう。本書に描かれたような「極端なこと」は、現実には起こりえず、批評的な誇張として描かれたものであろうと、そう無難に考えてしまう。

しかし、現実の歴史から目を逸らさず、歴史的事実に学ぶならば、私たち、戦後の「平和ボケした日本人」が想像もできないようなことを、私たちの曾祖父や祖父や父たちが、現実に行なってもいたのである。
無論、そんな人ばかりではない。けれども、それは現にあったし、小説に書けるような非道な行ないなら、現実にもどこかで現に為されていたはずなのだ。

だから、本書を「やや荒唐無稽な、思考実験的・歴史批評作品」だと考えるのは、間違いだ。
「これくらいのことなら、人間は何度でもやってきた」そんなことを描いた、ある意味では「普通にリアルな作品」だと、私たちは、そこまで想像力を働かせるべきであろう。

したがって、本作が「まんが・アニメ的リアリズムによって書かれた、少々荒唐無稽なラノベ的作品」だから「SFではない」などと言っているような読者は、「SF」について、ろくに考えたこともない読者だと言えよう。
「SF」の、一つの定義である「スペキュレイティブ・フィクション (Speculative Fiction) 」とは、文字どおり「思弁」することが出来て、初めて読める小説なのだ。
したがって、作品の表面(=物語)を掻い撫でにすることしか出来ないような読者に、「SF」を云々する資格など無いのである。

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ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)より
415335029X
No.77:
(3pt)

設定はよい

日本人的には、日本が勝利してアメリカを植民地化した80年代の尋問が回りくどく感じるかもしれない。言葉巧みに失言を誘発させようとする尋問側、それに対してはだいたい「私は”陛下”の臣民です」くらいにいい子ちゃんの言葉遣いをして、でもタラタラ難癖付けられて…てな展開で飛ばしてもいいと思う。

アメリカは元来イギリスの植民地支配から独立して始まった国家であり、あちらの文化をちょっとかじってないと物語のディストピア感がよくわからないように感じた。先に下巻の巻末は解説をお読みいただいたほうがまだ先入観を間違えずに読めるかもしれない
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120986
No.76:
(1pt)

心から不愉快な小説

上下買ってしまったので一通り読んだ。
日本人が読むと良い気はしない偏見、そして必要異常なグロ表現。
ストーリーの終わりも方も良くない。
すべての面で小説でこんなに嫌な気分になったのは初めて。
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120986
No.75:
(5pt)

エピローグの衝撃がスゴイ

メカ同士が戦うというパシフィック・リム的な要素よりも、しっかりとした人間ドラマが描かれているのが気に入った。フィリップ・K・ディックの歴史改変SF「高い城」とよく比べられるけど、どちらもオリジナリティがあって楽しめた。読者をドキドキハラハラさせる生死を賭けたゲーム「USA」での展開は、何か最終的にどんでん返しがあると分かっていても、心臓をドキドキさせながら読み進めた。

そして、最後のエピローグの衝撃がスゴイ。物語の根底にあったのはこれだったのかと。エピローグで明かされる事実が、プロローグとなって大きな物語が紡がれた。主人公のベンが、こんな大きな十字架を背負いながら生きてきたとは、驚きである。
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 下 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 下 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120994
No.74:
(4pt)

上巻では戦国時代がそのまま続いているようなディストピアが描かれる

もし日本が戦争に勝利して、米国を日本の一部(日本合衆国)にしてしまったらどのように世界になるかを想像したSF作品。上巻は物語の世界観を説明している。特高警察の昭子の皇国に対する狂信ぶりなど、ディストピアっぽい世界が描かれる。もし日本が戦勝国になったとしても、実際にはこのような世界にはならなかっただろうと思いつつも、もしかしたらと思わせるくらいのリアルさがある。人体改造やスマホのような通信端末など、第二次世界大戦後にはなかったガジェットが使われており、SF独特の雰囲気が出ているのが良い。表紙の“メカ”は上巻の最後の方で活躍を開始する。下巻ではメカが大暴れするのだろうか。そして、検閲局の紅功(べにこ、ベン)は何に巻き込まれて、どこに連れて行かれるのだろう。まだ物語の入口にいるところだと思う。楽しみにして下巻に続く。
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120986
No.73:
(2pt)

力士に指輪をさせるのは完全にシルムやブフも侮辱することに繋がることになってますよ。

発想は面白いですが、キャラクターも独特で嫌いではないです。
ただ歴史の偏見や、日本や自国の文化に対して理解が薄かったのが残念です。
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120986
No.72:
(1pt)

底が浅すぎる

あまりに底が浅くある種のイデオロギーに支えられただけの世界観の上に成り立った物語であり、名作「高い城の男」とは比較の対象にすらならない作品だった。
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120986
No.71:
(1pt)

全ては下に繋がりますが、軽くは読めません。

Kindle版で半額だったことと時代背景に興味あったことから買いましたが、失敗でした。
この作者の作品はとある傾向が強く見られ、他の方のレビューでも書かれていますが、最初は読まないで読んでみたら、何だこれと思い、初めてレビューを見たら、得心しました。

ロボットが出るから、SF小説の一括りであれば、そうなんですけど、私はこれはSFでないと思います。
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120986
No.70:
(1pt)

字が大きく、地の文も短めで、読みやすいが・・・

良い点は、ただそれだけかな。

ハヤカワSF文庫でも珍しい位、会話ばかりで、本質はライトノベルに近い。
文中にはの日本の名詞<宮本武蔵、天皇陛下、皇国、姓名(石村、昭子)など>が多用されているが、殆ど関連がなく意味合いなく突っ込んだ印象が強い。固有名詞を突っ込んだため、短めの内容の癖に分かりにくい。

表紙にはロボットが描かれているが、ロボットは冒頭と最後にチラッと出るだけで戦う描写はない。
とにかく意味のない会話が長々続いていくタイプですね。
加えて殆どが、大日本帝国のグロテスクな拷問だったり、気味悪い描写(肉電話)ばかりで一向に動きがないのもダメ。

あと、アメリカ人が読めば新鮮かもしれないが、日本人が読むと疑問符が湧くシーンが結構ある。
個人的に「聖戦勝利を祝うために擬人化された艦船が音楽に合わせてドラマを演じる」を始めとして、正当性を欠いた意味わからん事柄が次々並んでいるカオス状態である、作者の正気度を疑う。

最後に・・・・・・お薦めしません。
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120986
No.69:
(2pt)

これはSFとは言い難いですね。

なんというか、核兵器で荒廃した世界的なゲームをやりこんだ人が、もし第二次世界大戦の展開が変わっていればという構想に落とし込んで書いたような印象しかありませんでした。
内容は非常にグロテスクな内容が中心なので、それを好まない人はこの方の作品買わない方がいいかもしれません。

表紙にあるようなロボットは出てきますが、その辺りの構成が曖昧で何々したという結論ありきで終わっており、主人公含め、それらのキャラクターに感情移入は難しいでしょう。
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 下 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 下 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120994
No.68:
(4pt)

ちょっとちんぷんかんぷん

何故巨大ロボットが活躍しているのか、の説明が不足している。しかもこのロボットが出てくるシーンが少なすぎる。
予想外の展開でラストでホロッとする。ミステリー仕立てで結構面白く読める。
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)より
415335029X
No.67:
(1pt)

高い城の男に出会えました(帯のおかげで)

帯のおかげで高い城の男に出会えました。
ロボも中途半端で、ゲーム要素は何で出たのかよくわかりません。表紙で読もうとしてるならやめた方がいいです。がっかりする上に気分が悪くなります。
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)より
415335029X
No.66:
(1pt)

これはSFではない、悪質な反日プロパガンダだ!

表紙に惹かれた人、SFが好きな人、ロボットものが好きな人はこれを読む価値はない。
日本人はゲーム狂いの猟奇的な殺人を好む民族として描写しており、また731部隊による人体実験や南京虐殺、従軍慰安婦などを史実として描いている。
ちなみに肝心のロボット戦の描写はほんの一部しかなく、しかもダラダラと間延びしているわ、臨場感の欠けらも無いわで、クソの様に面白くない。
日本軍人がしたとでっち上げられている、変態的な残虐描写は、馬鹿みたいに執拗に長々と書き綴っている。
コンセプト自体も『高い城の男』の映像作品をゲーム作品に置き換えただけ。
我慢をして上下巻全て読んだが、これ程クソな作品も他にない。
表紙を見て興味を持ったSFファン、ロボットファンの方、読む価値は有りません。
正直星一つも付けたくない。
マイナスが付けられるならマイナスを付けたいくらいのゴミだ。
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120986
No.65:
(1pt)

これはSF作品ではない、悪質な反日プロパガンダだ!

表紙に惹かれた人、SFが好きな人、ロボットものが好きな人はこれを読む価値はない。
日本人はゲーム狂いの猟奇的な殺人を好む民族として描写しており、また731部隊による人体実験や南京虐殺、従軍慰安婦などを史実として描いている。
ちなみに肝心のロボット戦の描写はほんの一部しかなく、しかもダラダラと間延びしているわ、臨場感の欠けらも無いわで、クソの様に面白くない。
日本軍人がしたとでっち上げられている、変態的な残虐描写は、馬鹿みたいに執拗に長々と書き綴っている。
コンセプト自体も『高い城の男』の映像作品をゲーム作品に置き換えただけ。
我慢をして上下巻全て読んだが、これ程クソな作品も他にない。
表紙を見て興味を持ったSFファン、ロボットファンの方、読む価値は有りません。
正直星一つも付けたくない。
マイナスが付けられるならマイナスを付けたいくらいのゴミだ。
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 下 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 下 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120994
No.64:
(2pt)

ジャケ買い禁止

Amazonプライム・ビデオで人気の『高い城の男』の現代版。
表紙のロボットは殆ど登場しない。
世界観は面白い。
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)Amazon書評・レビュー:ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)より
4150120986

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