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草原の椅子
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草原の椅子の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.23pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全53件 41~53 3/3ページ
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読んで1年後になってふと思い出してレビューを書いています。この小説は何か一つのテーマを追っているのではない。決してドラマティックに展開してはいかない。人間の周りをとりかこむ様々な環境、それこそが人生そのものであるという事だ。喜び、悲しみ、苦しみ・・・全ての物を受け入れて立ち向かってゆくのが人生、そしてそれを重ねていくうちに人生の意味が理解できてくる、そんな小説です。 | ||||
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最初に私事で恐縮だが、06年末から妻は病を得ている。その妻が入院先の患者向け図書として備置してあったこの『草原の椅子(上・下)』を読み、私に「とても心を動かされた小説だから…」と当書を勧めてくれた。私は、短編集である『胸の香り』を除き、宮本輝氏の長編作品についてはリリシズム溢れる名作『泥の河』や『螢川』以来久しく遠ざかっていたのだが、早速、本書を購入、味読した。結論から先に述べると、熟年男(?)である私の胸底にじんわり染みわたるような感動を与えた小説であった。 おそらく本書の「陰の主人公」は、中学校しか出ていないカメラ量販店のオーナー、富樫重蔵であろう。彼に作者の意想(というよりホンネ)が投射されている気がしてならない。真のヒーローは、本作品の主人公としての制約を免れ得ない遠間憲太郎ではなく、道化回し的なバイプレーヤーである富樫重蔵ではないだろうか。そして、この小説に通底するのは、たとえば富樫の洩らした「一所懸命働いている人間から、だんだん、だんだん、働き甲斐や生き甲斐を失くさせていくのが、この日本という国や」(上巻)といったような“日本(人)に対する落胆・失望”と、フンザの老人が発した「正しいやり方を繰り返しなさい」という“優れたおとなへの方向性(使命)”であろう。 宮本輝氏は、作中において遠間に「子供たちが尊敬できるおとながいなくなったんだ。いまどきの子供たちよりも、いまどきのおとなたちを問題にしなきゃあいけないんだ」(下巻)と語らせている。氏は「あとがき」で「『日本』に『おとな』がいなくなったことを痛切に感じ」、その「おとな」に関する氏なりの定義を述べた後、氏は「『草原の椅子』は、私自身が、優れたおとなたらんとして書いた小説かもしれない」と同書のモチーフ的なことを書している。そういった意味をも踏まえ、この『草原の椅子』は熟年男性向け傑作小説の一つとして数え上げても良いだろう。 | ||||
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読書からしばらく離れていた時期に人から薦められ読みました。宮本輝さんの作品にまたはまりだすきっかけとなった1冊でした。 題名からストーリーを想像することはできませんでしたが、読み終えたあと、宮本輝さんはなんて素敵なタイトルをつけられたのだろう、と思いました。主人公の憲太郎より、その友人である富樫の言葉や生きざまに大いに共感しました。 小さな存在だっていい、傷つこうが失敗しようが、ひたむきに生きていけばいいんだ、と勇気を与えられました。「月光の東」、「優駿」、「錦秋」などの宮本さんの名作と並び大好きな作品です。 | ||||
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久しぶりに宮本輝さんの作品を読みましたが、うーーーん。まあ、おじさん、おじさーん!って感じで、ちょっと入り込めませんでした。どうしても客観的に距離をおいて読んでしまいました。女性に恋をして、その女性と旅に出るあたりも、ちょっとおじさんの理想っぽいし、世の中を否定し、日本はダメだ、日本人を卑下するあたりも、説得力に欠ける気がしました。 あまり魅力的に思えない登場人物(私には)を、お互いに誉めあって、中年男が、おまえはすごい、おまえはえらいって!他のやつらはみんなだめだみたいな・・・。そりゃーないよ。男の子を取り巻く人間は確かにどうしようもない人ばかりだったけど、いい人間に出合って自分達は幸せだ。っていうのもどうかと思う。 ただ、男の子が心を開いた子!供がたくさんいる家族は良かった。 それと、「魔が差す」って言葉。本当に全ては「魔が差して」起こるのかもしれないと思わせた。 | ||||
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夢がもてなくなったといわれるこのごろの世相 夢も希望も、反対に悪なるものも人の心という宇宙を作る星であり、どんな星を見いだしていくのかはその人次第 主人公が見いだした星は、実に平凡でオーソドックスで太古の昔から知られていたものじゃないでしょうか 存在しないはずの空想の世界のひとりの子供の幸せをこれほど願った読者は他にもたくさんいると思います 現代の青い鳥さがしは、時に苛酷で時に生々しい、でもきっと見つかるんだよね | ||||
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主人公憲太郎や篠原貴志子、そして富樫やみんなが5歳児圭輔にそそぐあくまでも暖かく、優しくそして愛にあふれたまなざしはこのキツイ日本の世の中にとってまさに一服の清涼剤かのようです。 5歳児を持つ親として、不況にあえぐ日本の国民として、殺伐とした人間関係に問題を感じるけれども何も出来ない〝おとな〟としてとても考えさせられる一冊でした。 作者あとがき欄で宮本 輝さんがおっしゃられていた本当の〝おとな〟の定義 がより心に染み入りました。 幾多の経験を積み、人を許すことができ、言ってはならないことは決して 口にせず、人間の振る舞いを知悉していて、品性とユーモアと忍耐力を 持つ偉大な楽天家。 今の日本に必要なのはこんな〝おとな〟だと感じ入った、私にとって価値ある一冊です。 | ||||
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人と人の出会いやその人々に起こる出来事には日常性は無く、むしろ世の中の出来事を寄せ集めしたかのような、ストーリー。”おいおい”といった感じすらします。 しかし、ひとつひとつの出来事や人に対する主人公の眼差しや感情が、とても自然で暖かさを感じることに安心感を覚えました。 何かを得るとか考えさせられるという感じはありませんが、なぜか癒される著作です。 読むのが、10年若い時期だったら、飽きてしまったかもしれません。 | ||||
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読んだ後に、なんだか元気がこみ上げてきて一生懸命生きようと思う。大きな感動というよりも小さな感動の積み重ね・・。 | ||||
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正直言って、大変がっかりしました。上巻で提出したテーマ、パキスタンのフンザで「貴方の瞳には三つの青い星がある。淫蕩と潔癖と使命である」と老人にいわれ「50歳になった自分にどんな使命が残っているのか」と苦悶する主人公は、下巻では再びフンザへ行き「俺は何者かに護られている。そうでなくてどうして、50才になるまで生きてこられるというのか」と宗教的啓示を受ける。 作者は何故小説という舞台のなかで、大きな構想を発展させる実験を行わなかったのか!現実でのみ格闘して日々を送っている人になにひとつメッセージを送っていないではないか! しかしそれでも、作者はなんてやさしい人なのだろうと思います。 小さいころ親に虐待された圭輔という子を見つめる眼が慈愛にあふれている。 貴志子という女性は肉感的装飾は取り払われやや無機質っつぽくあるが、理想的女性にかわりはない。 やさしい人ばかりで、読んでいても大変リラックスできる本です。 作者はストーリーの中より人物造型の中で,今の日本で失われた人物像を描くことで癒されているようです。 読者もストレス・緊張の多い昨今、この本を読んでいる時は唯一やすらぎのひとときを得ることができ、読後は自分にも他人にもやさしくなれるでしょう。 | ||||
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何故か内なる衝動が癒しを求め、この本を手にしました。 主人公憲太郎は、パキスタンのフンザで老人から貴方にはまだ使命が残っていると理解できる言葉を告げられます。 使命を考えるにしても、自分の現実をみてその落差に戸惑う人が多いのではないでしょうか。 しかし更に進んで、作者は「今の貴方は魔が差しているだけなんだよ!魔は人間としての生命力が落ちている時につけいるんだよ!」と読者に語りかけます。 ここで私は、はっとした気持ちになりました。 そして作者の人間洞察力に脱帽しました。 いま悩みを持つお父さん達には、是非お勧めしたい本だと思います。 読後には、フンザにも行ってみたくなりました。 | ||||
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『中年おじさんに親友が出来た!』 とてもださいテーマだと思う。なのにどうしてこんなに深い作品になっているのだろう?宮本輝が描く人間はいつも四方から描かれている。優しい人がいるのではなく人には優しいところがある…そうでないところもある。それがひとりの人間という姿をとっているということを考えさせられる。本当に価値あるものとはなんであるのか?ということをこの本を読んだ自分自身が問いかけてきた。主人公遠間と冨樫が幼い圭輔に注ぐ視線は涙ぐみそうなほどやさしい。 | ||||
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行きずりのように知り合っていく大人たちと傷ついた子供。心に「魔」を抱きながらも優しく生きていく人たち。遥かタクラマカン砂漠への憧憬を胸に描いて... 「生きた分だけ、心のゴムホースにゴミが溜まる。きれいな水を流しつづければ、いつかきっとゴムホースはきれいになる。いつかきっと...」 | ||||
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この本の一筋がとても印象的でした。わたしたちは、いつでも草原の中にいる、という言葉。駅の雑踏の中にいても、人混みを歩いていても、ビルに囲まれていても、いつでも自分の草原の中にいて、そこで自分だけの椅子に腰を掛けて休むことができる・・・。本当に、そう思いました。しして、自分の大切な人達のことを思い浮かべ、わたしはいつでもここに居る、と改めて思いました。ここで皆のことを思い、祈っている、と。 | ||||
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