玄鳥さりて
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やはり葉室麟さんの本は心しみます | ||||
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誰にもある幼き頃のあまい思い出、酸っぱい思い出、苦い思い出、誰にもしれたく無い惨め思い出、それに絡む今では会えない友達。そんな時いつも見守って優しくしてくれた人、自分に重ねて玄鳥を偲んだ。 | ||||
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比較的近い時期に文庫化された、作者の三作品の中で他の二作品「約束 」(文春文庫 ) 「青嵐の坂」 (角川文庫)と比較して、本書が最も「純文学」っぽく感じた。言い換えれば、本書は娯楽作品と純文学の境界でギリギリ娯楽作品に踏みとどまるという風情だ。 ここ娯楽作品と純文学の違いを筆者の独断・偏見で乱暴に決めてしまう。概ねハッピーエンドで出来事としてのカタルシスが優先されるのが娯楽作品で、ハッピーエンドとは言い難く出来事としてのカタルシスがイマイチで、観念的なそれが優先されるのが純文学である。またどちらにせよ小説作品として出来が良いとされるためには、娯楽だろうと純文学だろうとどちらも(人間)存在への究極的な肯定を惹起する。そういうわけなので究極的には両者の境界は全く相対的なのだが、本書のように登場人物が皆良い人に移行しなんとかハッピーエンドとなるところはれっき祖した娯楽作品だ。それでも副主人公の末路や舞台となった大名家中の救いのなさは純文学風味が横溢している。 最近隆盛を感じさせる娯楽・時代小説界にあって著者の作品は純文学的風味が濃いのだが、例えば同様に純文学風味が濃い青山文平氏の作品と比較していた場合に、青山氏の作品が純文を志向しつつ娯楽に止まろうとする風情なのに対して、著者は純文学に越境しそうな気配を強く漂わせる。そのあたりは著者の妙味であり本作品はその点で著者の持ち味がとてもよく生かされていることになる。 ところで似たところのある2つの領域の境界という点で、筆者は以前に腐女子・BLに詳しい同僚から様々に教示を受けたことがあるが、話を聞いて筆者はBLというものはホモソーシャルをホモセクシャルに強引に読み換えるものなのかと理解した。この「強引に読み換え」というところに被差別的ジェンダーの怒りが込められているのではないかなどと従来考えていた。この点でも本書ではホモソーシャルがホモゼエクシャルと相互浸透しながら物語世界の重要な骨組みになっていてこの相互浸透の微妙さ加減にとても感心してしまった。そちら方面に詳しい人の意見もぜひ聞いてみたい。 | ||||
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人として大切なものを教示してくれる内容でした。 また何度も読み返したいと思っています。 | ||||
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葉室麟先生 相変わらず読みやすい文章ですね。 なぜ主人公は? という問いに読者を自然に導いてくださいます。 先生、ありがとうございました! | ||||
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