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夏の裁断
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夏の裁断の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.16pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全10件 1~10 1/1ページ
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初見時は素直に、定型的な島本理生作品として――つまり傷を負った主人公の再生物語としてベタに筋を追って読んだ。 ただ、この種の作品にありがちな、女を病ませるDV男がただの関わってはいけない男というだけでなく、男も病んでいるのだと描く所が懐深く、面白く思ったのだが… 今回再読して、島本理生の作家史においてもの凄く重要な作品だったのだと気付かされた。 『夏の裁断』は芥川賞候補になるも又吉と羽田圭介に破れ、著者が純文学を卒業するきっかけとなった作品として有名だが… この作品には異性へのトラウマや母娘問題といったわかりやすいテーマ以外に、「書くこと」や「本」に関連する言葉が多い。 著者は主人公に「(文学は間口が狭く、)本当に救いたい人を救えない」と明確に語らせていて、芥川賞候補の作品でありながら、自身の手足とも言うべき純文学を否定し、それを「裁断」していくという、とんでもない構造の作品になっている。 そしてこの主人公の思考の転換と「純文学の切断」は、恐らく島本理生本人のパラダイムシフトであり……このことに気づいちゃったら、そりゃあ純文学卒業しちゃうわな…と。 個人的には島本理生の純文学が好きだったからやめてほしくはなかったし、ここで芥川賞を獲れていたら…と以前は思ったものだが、きっと芥川賞を獲れても獲れなくても、純文を卒業してたんだろうな。 | ||||
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なんの問題もないです 満足 | ||||
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技量は言うまでもなく高い。場面転換の思い切り、会話の無駄のなさ、散りばめられた警句じみた文章。 著者以外にこの言葉を紡げる者はいないと思う。 無駄のない質の高い文章は透明感のある世界を読者に現出させる。と同時に、男女の相互理解の難しさ、過去と現在の自分自身の関係(あるいはその断絶)、距離感といった問題を読者に提示する。様々な読みが可能であり、純文学の懐の深さを味わえる作品だと思う。 その一方で、物語の筋だけを追っていくと、千紘に対してストレスが溜まる(特に男性読者は)。 やめておけと心理学の教授が忠告するのに、自身の中で激しい葛藤もないまま柴田にふらふらと近づいていくし、ほとんど気まぐれに猪俣君を呼びつけては気晴らしのように寝る。(ストーカー気質だが)普通の男性寄りの猪俣君が不憫に思えてきて、最後には「教えてあげない」と千紘にはねつけられてしまう。ここで帰らなかった猪俣君はえらい。「このメンヘラが」と心中で罵って帰ってもよさそうなところである。 でも波風を立てない猪俣君のおかげで、千紘は最後に自己完結して小説が終止する。 面倒見のよい猪俣君のおかげで千紘だけでなく小説の崩壊も押しとどめた。彼のおかげでこの作品が成り立っている。 | ||||
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非常に短く、読みやすい。島本理生らしい吸い込みやすく、無駄の少ない文体だった。 読み進めるうちに不安を煽られるところが読み手を選ぶかもしれない。個人的にはホラー映画を観ているときのような、「もうそっちに行ったらダメだよ、危ないよ」というハラハラした気持ちで読んだ。 「取り戻したいものは過去にしかない」という反面で、過去なんてものは当人にすら現実か否か判然としないものだという曖昧感がよかった。 面白い!と手放しには言えないけれど、考えさせられるものはあった。 この作家にはそろそろ芥川賞を取ってほしいなぁ。 島本理生さんの食の描写が好きなので、今回はそれが少なめで残念でしたw | ||||
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カタルシスがあった。 本作では、主人公の女性が性的なトラウマを抱えている。 トラウマというものは忘れられたらどんなにいいものか、と思う。 今後をプラスに変える原動力になれたら、とも思う。 忘れたいと思えば思うほど、 原動力にしたいと思えば思うほど、 トラウマの意味を考えてしまう。 意味を考えれば考えるほど、 その深みに嵌まっていってしまう。 その解消の引き出し方にどこかあっけなさも感じたが、 読ませる物語力と、読みやすさがあった。 島本さんの作品は今回が初だったが、他の作品も読んでみたいと思った。 書くことに対してとても器用な方なんだなという印象を受けた。 | ||||
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本来Amazonで買っていない本(書店で購入済み)にレビューを書くのはあまりしないのだが、何故本作が芥川賞を受賞しなかったのか不思議でしかたなかったのでここで吐いてみる。 多分この作品を批判するのは男性なのかなぁと思う。主人公が男に対して弱い部分があり、一回は拒否したものの後日あった時何故か惹かれる。 女ってこういうものなんです。急にキスされると拒否するけれども、一旦離れてまたあった時、よくよく考えれば悪くなかったかも…とそんな程度になる。 島本さんは凄く上手にこの矛盾した気持ちを書いていて、物語に簡単に入り込めた。凄く良かった。 | ||||
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人間関係における「違和感」や「距離感」を感じるということは、どういうことなのか。 その壁を取り除いたり、低くすることは可能であろうか。どうすれば可能なのか、を問うて いる。文字や言葉は信頼できるのだろうか。相手の心になかなか届かない、気持ちが通じな い淋しさ。メッセージが理解してもらえない焦燥感。 「プレーボーイの編集者・柴田さんへ、恋ごごろを一方的に寄せていた三十歳の女流作家 が、見事失恋した」という、作家 萱野千紘の単純な恋愛物語ではない。 ひと夏の鎌倉を舞台に物語が進展していく。千紘は母から、亡くなった祖父の家で一万冊 と云われる蔵書の「自炊」(デジタル化)の、裁断を依頼される。柴田さんとは、二年前に 知り合い、二か月前に父が亡くなった頃まで交際していた。 裁断中に千紘を訪ねて鎌倉に来る友人でもあり、イラストレーターである猪俣君と逢って いる時も、この二年間の柴田さんとの甘い思い出が浮かんでくる。 この思い出話が時系列的でなく、読者は混乱するが、千紘のその時の感情に合わせて思い出 すので仕方がない。 読者は千紘に感情移入し、柴田さんとの逢引は危険であり、無意味だよと教えたくなる。 男とはこんなもんだとアドバイスしたくなる。千紘も次第に柴田さんの言葉や行動が 徐々に信じられなくなっていく。千紘が相談にのってもらい適切な助言を求めるのは、恩師 の大学教授(心理学)である。 柴田さんとの交際は、「そこにはなに一つ意味なんてなかっ た。とっくに全部忘れてるよ。やったほうは」、「卸し金で身を削るような献身はもうやめ ようよ」と、自分の違和感を大事にするように諭される。教授との会話は、著者のテーマで あり人生論でもあろう。 そして、柴田さんとの会話録音と過去のいきさつをまとめた手紙を会社に投函する。怖い 女の一面を覗かせる。そこまで復讐するのか。男の自業自得かな。 著者は、主人公を取り巻く人間たちとの、「違和感」、「距離感」と、それに付随する 「吐き気」(作品中に何か所も登場する言葉)を感じる「言語」や「会話」のもどかしさを 描写したかったのであろう。 「好き」だとか「生きてください」の言葉の信頼感はあるのだろうか。相手に心底届いてい るであろうか。 蔵書が多い祖父はこれだけ読んだのに普通の人間だった。「なんだ、本っ て」という活字への不信感。 かたや、物語の本筋とは無関係そうだが、千紘の履く「サンダル」が深刻な場面で、滑稽 な登場の仕方でユーモアを醸し出す。 夏の鎌倉で自分の書いた小説(「文字」)を裁断し、返らない過去も裁断し、新しく生ま れ変わろうとしている自分がそこにいる。 信頼できない男に近づいて苦い経験をした体験談とも読めるし、母親と娘の葛藤物語でも あるし、一女性の精神的な成長話とも読める。様々な読み筋がある。 文章は、清冽で繊細で想像力豊かな描写が多い。珠玉の文章を味わえる。 千紘の「サンダル」はどんなデザインだったのだろうか。気にかかるところ。 | ||||
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島本さんの作品は『ナラタージュ』を最初に読みました。この作品は、文學界に掲載されていて、島本さんの名前を見つけ、読みました。作品自体、長くはないですから、登場人物は自ずと限られるのは、小説を多少書いた経験のある者なら理解できます。嫌な男、精神に問題のある男を描いていることも、現代の社会に投げかけている問題の一つでしょうか…。主人公の女性は、そのぬかるみにはまり込んでいくが、何とか持ち直して終わりとなります。心理学的なものがきちんとしていないと、やはり他の作品は読みづらいのですが、島本さんは、ある程度そちらの方面も学んでらっしゃることが、ふとした一節にも現れている気がしました。『七緒のために』あたりから、これは発達障害をテーマにしているのかな?と感じるようになりました。何はともあれ、次回こそは芥川賞を是非!! | ||||
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今回の芥川賞受賞作二作品とは比ぶべくもありません。うますぎます。一流の職人技を感じます。抑制のきいたすっきりした文章、現実から回想へのスムーズな移行、読んでいて安心感を覚えます(内容に関する感情は別にして)。ここ数年の芥川賞受賞作と比べても秀でている作品だと思います。なのにどうして受賞できなかったのでしょう。本作品には反社会的テーマが潜んでいるからでしょうか、それとも芸術性より利益性、文章力より集客力を重んじる文学業界の失態あるいは凋落なのでしょうか……。文学に限らず、本物や優れたものが正当に評価されない日本社会の現状が悲しいです。 | ||||
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芥川賞がおかしいのは芥川賞の伝統だが、今回はこれがダントツの出来で、受賞すべきはこちらであった。ダブル受賞なのに落とすなんて信じられない。純文学というのは、人間のこういうやや無気味で理解不能な行動を描くのが本義である。 | ||||
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