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日の名残り
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日の名残りの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全354件 301~320 16/18ページ
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「私を離さないで」をよんでから、すっかりカズオ・イシグロのファンになりました。この作品も平易でありながら、抑制のきいた文体で印象深い作品となりました。映画もみたくなりました。 | ||||
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夕方の、日がかげようとする時、ふと、窓の外の静けさに驚いた経験はないだろうか。多忙であった一日の出来事が疲れとともに脳裏によみがえる時間。人生にもそんな時機があるのだろう。初老を迎える頃、引退するには早すぎ、しかし、振り返るには十分な経験と実績を培った年頃。イシグロの代表作『日の名残り』は、第1次大戦後の英国の伝統的な屋敷に仕える「執事」のそんな人生の「名残り」を味わう作品である。 巨大な屋敷を運営する執事は、現代のホテルマネージャーに近い。多くの使用人を指揮して、屋敷で開催される国際会議を切り盛りし、宿泊の世話を含め、訪問客に適切なサービスを講じていく。 初老を迎えた「私」(執事)は、かつて、共に屋敷を支え、苦楽を共にした女中頭に再会するために1週間ほどの旅に出る。父もまた優秀な執事であった幼少の頃の思い出。屋敷で繰り返される国際政治をめぐる重要な会合。当の女中頭との葛藤。道中で蘇る過去の記憶を辿りながら、多忙であった仕事の日々を振り返る。 しかし、なぜ、彼女は突然、結婚し、自分から離れてしまったのか。記憶に残る様々な場面からはその答えが見つからない。齢を重ね、再会を果たして、彼女の告白とともに、お互いの想いの一端を共有したからと言って、すでに人生はやり直しが効かない。「もしかしたら実現していたかもしれない別の人生」はもうこない。仕事に大半の時間を費やしていく職業的な人生の黄昏を、悲劇的にではなく、静かに、しかし確実なタッチで語り続けていく。 この作品は、ジェームズ・アイヴォリー監督によって1993年に映画化されている。 | ||||
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カズオ・イシグロの作品に共通することだが、ドラマの展開よりも、穏やかな主人公のモノローグによる人生のさざ波を描いている。ドラマティックな人生を歩んでいる人も中にはいるのだろうが、普通は取るに足りない出来事が積み重なって人生は進んでいく。その人生を確信を持って生きるとそこには自己欺瞞が必ず隠れている、それを私と同い年のカズオ・イシグロは描き続けている。 ストーリーを展開させないとならないと筆を進めている大半の作家たちの苦悩をカズオ・イシグロは簡単に吹き飛ばし、着実な筆力で長編小説を書き上げる。これは素晴らしい能力だと思う。 | ||||
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イギリス人でもユーモアに悩む人もいると知れてホッとしました。ジョークの一つも言えないクソ真面目でもいいじゃないか!!っと思う反面、真剣にユーモアについて取り組んでコケる主人公に親しみを感じ、尊敬しました。 | ||||
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イギリスでブッカー賞を受賞したこの本、じつはイギリス人の友達に進められて読みました。 きっと、イギリスではもう見れない景色なのかも知れません。でも、だからこそイギリスの人が 「読んで欲しい、お勧めの本」 にあげる1冊なのだと思います。 | ||||
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老執事の回想? 芸術性は高くても退屈そう、という事前予想は完全に裏切られました。 面白い。退屈なページなど全くありませんでした。その面白さがどこから来るのかを考えると、 ・執事の世界が想像を絶するものであった。 ・一人称の語りがいわゆる「信頼できない語り手」で、ウソが微かに見え隠れするあたりがスリリングであった。 波瀾万丈のストーリーも、暴力も、セックスもなくても、こんなにわくわくと面白い純文学が成り立つのだというのは、幸福な驚きでした。 日本語訳も素晴らしい。英国執事が日本語以外の言語を使っているとは信じられなくなります。 | ||||
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映画を見てからこの本を購読しました。 思ったより映画が原作に忠実に作られているように感じましたが、やはり「1人称による視点のずれ」の効果など、映画では表しにくい部分もありますし、主人公の長いモノローグなどは、テーマを掘り下げるのに重要な部分なので、時間的・場面的制約のある映画より、小説の方が理解しやすかったように思います。 …いくつかあった人生の重大な転機において、ある意味極めて皮相な「品格」や「忠誠」に固執したがために、それと気づかぬうちに、ことごとく(より倫理的、人間的生き方への)軌道修正のチャンスを失っていった主人公が、イングランド西部への旅の途上、過去の記憶を反芻し、また、いくつかのハプニングに見舞われるうちに、徐々にその虚飾があらわになり、旧知の元女中頭との再会を経て、遂に真実と向き合わざるを得なくなってしまい、後悔と絶望の念に駆られる…。 何も大きな事件は起こりませんし、抑制的な筆致でひたすら淡々と回想が進むのですが、読後の深い味わいは格別です。 そして、ある意味悲劇の主人公を見守るイシグロの視線には、暖かなものがあるように感じます。 老境に差し掛かった、決して幸せとは言えないであろう執事の人生を、否定している訳ではありません。もちろん全面的に肯定しているわけでもありません。 取り返しのつかない事柄への後悔と感傷、それも人生の一部であり、それでも生きている限り、前に進むべきだ、進むしかないのだということを感じさせてくれます。 また、様々な価値観や利害が対立、衝突する現代社会において、「品格」や「偉大さ」を他律に求めた生き方の限界というか、悲劇が提示されていますが、他方でその古典的なストイシズムが、大英帝国の凋落と歩を一にして失われつつある古き良き伝統や文化への郷愁と相俟って、独特の哀しさと美しさをこの小説に与えています。 近いうちに原書でもう一度読みたいものだと思いました。 | ||||
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NHKBSでアンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソン主演の映画「日の名残り」を見て原作を読みたくなり、購入。イシグロ氏の作品ははじめて。原作のこまかなディテイルを膨らませて、すばらしい映像に仕上げた脚本、演出も見事だが、原作も英国小説の伝統をしっかり踏まえた王道の作品。日本出自のイシグロ氏がこの作品で多くの賞を得たのもうなずける。他の作品も読んで見たい。余談だが芥川賞作品など、最近の作品は読むに耐えない薄っぺらなものが多い。小説を書くものはやはり本格小説を嫌というほど読んで蓄積した上で書いて欲しい。以上 | ||||
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ヨーロッパ近代史の知識をほぼ持たず、カタカナ人名になじみのない自分がこの物語を楽しめるのだろうか?と不安を抱えて読み始めました。しかし、主人公スティーブンスの滑稽なほどの生真面目さにどんどんと引き込まれていきます。 長い執事生活で初めての長期休暇。初めてのドライブ旅行で触れる風景や庶民の暮らし。道中、回想から徐々に明らかにされていく主人公の人生。旅の目的地で元同僚と会い、主人公は重い事実を受け入れます。 「過ぎ去った時」へのはるかな哀惜が全体を覆い、華やかな場面もにぎやかな場面も常に切なさが感じられます。現在から過去のあちこちへ描写が飛ぶのにまったく違和感なく読め、印象的な思い出の積み重ねで全体が紡がれる構成は素晴らしい。こんなに上質な小説と出会えたことを感謝します。 私にはとても悲しい結末に思えたのですが、前向きと捉える解釈もあり、人生のどの地点で読むかで感想が変わりそうです。 | ||||
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何気なく、しかし鋭い、でも間接的で、暗示的な心理描写と 徐々に骨格づけられていく主人公の 人となり、性格やその方向性、時には偏り… (この偏りがキーだと思います。記憶のフィルターがかかってますし。記憶というのもポイントでしょう。最後には悲しい感じで着地するのですが。) 大事件が起こるわけでないのに、旅での出来事と回顧録が入り乱れながら進む内容にどんどん引き込まれます。 淡々とした出来事の中にしっかりと印象付けられた心の動きや(偏っている可能性があるにしろ)主人公の洞察が深く、 文章を扱うのにもこんなに質の違いが出るのか、と感嘆しました。 私は、スティーブンスが父親を亡くした時、つまり世紀の重要会議の途中、それまで険悪なやり取りが多かったミス・ケントンとの間で交わされた会話、 スティーブンスがミス・ケントンに2度ほど述べたことに対して、ミス・ケントンが答えた全く同じ返事、 そこに慕情のような直接的ではない美しいものを感じました。 話の骨格自体ですが、作者が日本ルーツをお持ちだからか、日英が島国同志で気質やその他政治に関するスタンスがが似ているからなのか、 執事という日本ではいまいち理解が及ばなさそうな職業人の話なのに、ザ・異国という印象がありませんでした。忠誠心、誇り、騎士道、武士道、共通項があるのでしょう。 あと、こんなに素晴らしく心を打ちながらもところどころに作品の流れを変えない上品な面白味、クスっとできる場面が沢山ありました。 生命の神秘やジョークの練習、面白かったです。ディケンズが好きなのでこういう英国らしいウィットとかユーモアが大好きです。 男女の掛け合いと心理描写というか交錯みたいなものは「高慢と偏見」をなぜか思い出しました。すばらしいです。 ハッピーな話でないことはもちろん、老執事の良き想い出の回顧でもないのです。振り返ると自分のやってきたことが無益だったかもしれない、 自分の価値の根幹が揺るぐような想い出です。だからこそフィルターがかかる。 でも美しい悲しさでした。文章の美しさも最高です。邦訳も原文も。 物質的には無の状態から文法を操って文章を作ったことが人の心を揺さぶるなんて、言葉ってすごいな…とか根本的な事にまで感動しました。 | ||||
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イシグロ氏の小説を初めて読みましたが,第一次世界大戦を契機に衰退して行く英国の権威と,その象徴である貴族階級の最後の栄光を執事の目から描くという独特の作風に強い印象を受けました。描写も細密で,恐らく,実際の歴史的時代を背景とすることによって,ストーリー展開にリアリティを持たせることに成功しています。 主人公は,職業人として自ら仕える主人の執事としての職務を忠実に果たし,一つの頂点を極める。しかし,過ぎ去った時間を振り返ると,その完璧さ,自らの感情を抑制することによって執事としての完全性を得た犠牲として,美しい女中頭の想いを拒み,男性としては孤独である。 同時に,その職務への忠実さが,結果的かつ間接的にナチスの英国における影響力拡大に加担したという事実を否定出来ないことに気づいてもいる。 時計の針を戻すことの出来ない限りある人生というテーマを提示され,深い感動を覚えた。 | ||||
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タイトルは秀逸です。 映画は数回観て、いつか、必ず、原作を読もうと 思っていました。今回やっと文庫を手にすることに。 さて、先に映画があって、後から原作という順番なので、 読んでいても、どうしても映画のシーンが頭に浮かびます。 アンソニー・ホプキンス演じる、執事スティーブンスの 映像抜くにして、この原作は読めないという私の事情。 それにしても、映画は映画のよさ。 小説は小説の味わい、といったところ。 小説では、休暇をもらった執事がフォードで六日間の 旅に出て、昔の女中頭に再開する旅に出るという設定で、 その間に過去を懐かしみ、旅で出会った風景や人々を 描くという設定。 全体を通して、「大英帝国の興亡」といった時代背景を、 いち執事の独白と人生の様々なエピソードから構成すると いう、一見地味、しかし、読むと、なんと味わい深い話か、 と深い感動を覚えずにはいられない、珍しい作品です。 人生いろいろあるけれども、すべてはみな、懐かしい思い出。 そんなことを、ダーリントン・ホールという、狭い空間で繰り広げられた 時代のヒダに立ち会った裏方から告白するという巧みな技によって、 影絵のような時代の流れを、万物は流転す、といわんばかりの 比喩で落日を描く、佳作です。 | ||||
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カズオイシグロはたぶんほぼ全作品読んだと思う。テーマとしては「浮世の画家」と同じだ。終戦後の日本を舞台とした「浮世の画家」の方が後の感じがするが、実は「日の名残り」の方が後だ。戦争の「悪者」側に付いた父/主人を持った子/執事が違いである。カズオイシグロのすごいところは、自分が体験したことでもないのに細かい心のヒダまで描くことのできる想像力を持っているという所だと思う。この作品も読み進めるうちに細かい執事の回想から次第に話の全容が浮かび上がってくる。 | ||||
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主人公の一人称で物語が進んでいく。 彼の人生で初めてかも知れない私用の一人旅。(それにも以前働いていた有能な女中頭を迎えに行くという言い訳を考えて) 旅の中で回想し「品性とは」「偉大な執事とは」と自問する。 やはり執事であった自分の父親のその誇りに思う執務と晩年の姿、そして職務に徹して看取れなかった彼の死。 時代の流れに呑み込まれてゆく前の主(あるじ)であるダーリントン卿に対する忠誠心と尊敬と愛情。 英国の激動の中心にいたという自負と、滑稽なほど忠実に脇役に徹して仕えるその職務に対する矜持。 辞めてしまった女中頭のミス・ケントンの想いにも自分の気持ちにも気づく事すらおこがましいとでもいうような不器用な自己抑制の効いた感情表現。 (心の中ではミスケントンと言っているのに本人との会話ではミセス・ベンと言っているのがかわいい) 新しい米国人の主ファラディ様に合わせる為ジョークの練習をする所も微笑ましい。 旅の途中で会う人々との触れ合い。 ラストの夕日を見ながら物思う場面が秀逸。 物静かで慇懃なクイーンズイングリッシュのナレーションを聴いてるような読後感。 映画もぜひ見てみたい。 そして美しい英語表現といわれるカズオ・イシグロの原書で読んでみたい。 | ||||
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内容に力があり、文に芸があります。 平易な運び、静かな展開でありながら、 次第に持ち重りがして、しっかり読者を動かしていきます。 人生の限りある時間を、もし読書に割くとしたら、こういうものを読みたい。 文学ファンのひとりとして、こういう作品が著され、翻訳されていることは、僥倖と感じました。 どの世代の方も、それぞれに感慨を持たれるでしょうし、 後に読み返せば、また別な見え方で立ち現れてきそうです。 読み返しに耐える奥行きをもつ作品だと思います。 | ||||
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カズオ・イシグロの『日の名残り』を手にしたのは、10年以上前の大学時代だった。当時は、全然読む気になれず、10年以上積読しっぱなしだったが、2011年に『わたしを離さないで』が映画公開されたことがきっかけで、原作であるNever let me goを小説とオーディオブックで聴いてみた。実際に聴いて、読んでみて、かなり衝撃を受け、感動した。それで、積読しておいた『日の名残り』を再び読んでみようと思った。 この小説は、1950年代のイギリスが舞台。有名貴族に長年仕えてきた執事が、雇用主の死により、豪邸がアメリカ人実業家の手に渡り、主人をイギリス貴族からアメリカ人に代わったところから始まる。物語の大半は、執事の独り言と回想で、「品格」とは何か、について熱く語っている。心の葛藤まで独り言で話している(考えている)ことが文字となっているので、なんだか、すごく面白く、読んでいて笑ってしまうこともあった。 主人公の執事が、アメリカ人の雇用主から人生で一度も取ったことのない休暇をもらい、かつての同僚であり思いを寄せる女性のもとに自動車旅行へ出かける旅が中心。その旅と同時にかつての主人である貴族についての回想が繰り広げられる。そして、あらゆる思い出が一度に甦っていく。どんどん読み進められるほど、はまってしまった。 読んでいて思ったのは、封建主義の下の人々がどんな心理なのかが、読んでいて手に取るようにわかるような気がした。主人のために自分のすべてを捧げる文化は、日本にもあるので、多分、日本のサラリーマンには、すごく共感するところがあるかもしれない。ただ封建的と言っても、ネガティブな雰囲気ではなく、貴族には「ノーブレス・オブリージュ」という貴族の義務があり、「品格」があるというニュアンスで。 カズオ・イシグロの小説は、日本人にとって非常に馴染み深い印象を受けるとよく言われている。日本人の感性と似ているとも言われている。これは、多分、日本の文学が、イギリスの文学に似ているからかもしれない。カズオ・イシグロは、「間」をうまく描いていると思う。その絶妙の「間」が日本人の感性と合うのかもしれない。 ちなみに小説のタイトルの「日の名残り」とは、夕暮れのことで、主人公スティーブンスが旅の終わりに出会う、かつて執事であった老人との話に凝縮されている。一日で一番好きな時間は、夕暮れ時だ、というもの。過去の思い出ばかりの年老いたスティーブンスが、残りの日々が人生で一番すばらしいものだ、ということを自分自身で気づき、気持ちを切り替えてアメリカ人の主人に再びお仕えしようとするところで、小説は終わる。 最後に、なんとなく感じた印象としては、カズオ・イシグロは、『日の名残り』の中で、かつての大国であったイギリスが斜陽の真っ只中であることを執事スティーブンスの人生になぞらえているようにも感じた。かつての栄光と現実の中で、カズオ・イシグロは、夕暮れ時が一番良いものだ、と自分自身を納得させようとしているかのようだった。イギリスで最も権威のあるブッカー賞を獲得したのもうなずける作品だ。 この小説は、アンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソン主演で映画化されているので、ぜひ観てみたい。 | ||||
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もっと勉強していれば良かったです 主人公に影響されて 形だけでも真似したいです こんな雰囲気の映画をもっと探します 後で買って ゆっくり英語の勉強します | ||||
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さすがに代表作だけあって本当に素晴らしい作品でした。 ・読んでる恋愛小説をミス・ケントンにからかわれるところ ・自分の父親にダメ出しするところ ・ユダヤ人召使いをクビにするところ ・落ち込んでるミス・ケントンをさらに落ち込ませてしまうところ(しかも悪気なく) ・最後のプチ告白のシーン いくつもの情景があざやかなイメージとともに思い出されます。 まるで本当にそれを体験したかのように。 つまり、読者の体験と共鳴させるほどの筆力があるということなのでしょう。 ワタクシ思いますに、本当に優れたものというのはいつも何かを思い出させるような気がします。 ほんとの駄作は何もインスパイアーしない。 執事の仕事に意味があるかどうかは主人の行動にかかってる とかいうテーマもあるみたいですが、 僕にとっては執事とミス・ケントンとのすれ違い、もっというと主人公の鈍感さ、気づかいの出来なさがひたすら悲しい作品でした。 というのも当然僕に人の心が分からないからですが。 いわば召使いロボットの悲しみというか。 いつになったら人間になれるのかなってなブルーですね。 まあそれはともあれ、不可避の要因が重なって重大な危機に陥ってしまう悲劇性、そこはかとない喜劇(若い貴族に結婚初夜のことを教えるハメになるところ)、美しい邸宅の情景が渾然一体となって一大交響曲が奏でられていると思います。 たぶんこのレベルだと好き嫌いを超越してるんだと思う。 っていうか、繰り返しになるけど、この作品のキモは、 愛する人とのすれちがい、 相手の気持ちはもちろん自分の気持ちにさえ鈍感な人間の悲しみ だと思う。 早く人の気持ちが分かるようになりましょう。 すでに分かってるひとは別ですが | ||||
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老執事の「旅」が終わりに近づく・・・・・ということは、スティーブンスとミス・ケントンとの再会が近づくということであり、我々読者もその現場に立ち会えるということだ。と、同時に、スティーブンスとのこの旅を導いてくれたこの物語との別れということにもなる。 残り少なくなるページをこれほどいとおしく思う本というものはそうそう沢山あるものではない。私にとってこの本は、そうした数少ない本の一冊になるだろう。 土屋政雄の上品な翻訳が素晴らしく、見事だ。 既に多くの好評価を得ている本書であるので、まずは、読んでいただきたいというのが正直な気持ちである。 | ||||
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「私」と一人称で語られるこの小説における語り手であるスティーブンスは、極めて高い職業意識を持った執事としてダーリントン卿に仕えることに人生を捧げてきた。 新しいアメリカ人主人から短い休暇を得た彼は、イギリスの美しい田園地方を旅し、ダーリントン卿に仕えていたかつての日々に思いを馳せる。ダーリントン卿への敬慕、偉大な執事であった父、そして、共にダーリントン・ホールで仕事をした女中頭、ミス・ケントン…。 品格(dignity)ある執事であろうと、人生を職務に捧げ、忠実に卿に仕えてきたスティーブンス。老年の域に達した彼の回想には、執事としての尊厳とともに、執事として自己を抑制してきた者の哀しみが宿る。彼の見出した希望とは…。 土屋政雄さんの翻訳も本当に素晴らしいです。 | ||||
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