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火星年代記
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火星年代記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.49pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全69件 61~69 4/4ページ
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叙情的っつーか情緒的なSFを書くブラッドベリの代表作。SFっつてもSF的な小道具は単に手段でしかなく、別にスタイル的にSFにしようとしてるわけではない。そんなことよりなんともウェットで感動的な場面が連続するとても素晴らしい本である。短編連作みたいになっていて、たくさんの登場人物が年代ごとにいろんな出来事に出くわす。それが後半徐々につながってくるあたりも見事な出来栄え。僕がこの人を大好きなのは、自分で書いてて自分で涙もろくなってるだろうなぁ、って感じられるこの情緒的な部分なんです。 実はずいぶん昔にも読んだことあったんだけど、最近友だちが読んだと言っていて何だかうらやましくなってまた買ってしまった。うらやましいっていうのは、あの読み終わったときの感激をフレッシュに味わえるのがうらやましいのである。せっかくなのでみなさんもぜひお買い求め下さい。小説家になってブラッドベリみたいに書けたらなあ、とまで思いました。 | ||||
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詩と散文と純文学とSFと風刺とサスペンスと警鐘とブラックユーモアと幻想が全て調和を保ったまま一冊に入っている。 鳥肌がたつ程面白い。 「月は今でも明るいが」「夜の邂逅」は絶品。 友人に勧めて貸しては読み返したくなり、5冊目を買いました。 この本の為にお金を使う事は全く惜しく感じられない。 | ||||
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「火星人は宗教や・芸術と生活を混ぜ合わせることに成功した」とか 「地球人が100年以上も前にストップしなければならなかったところで、 ちゃんとストップした人たち」という表現がある。 また、 火星人は「何故生きるのか」という問いを捨てたと書いてる。 なぜなら、「生そのものは、すでに良いものだったから」と説明されている。 そういうところに、僕は深い感銘を受ける。 | ||||
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「火星人は宗教や・芸術と生活を混ぜ合わせることに成功した」とか 「地球人が100年以上も前にストップしなければならなかったところで、 ちゃんとストップした人たち」という表現がある。 また、 火星人は「何故生きるのか」という問いを捨てたと書いてる。 なぜなら、「生そのものは、すでに良いものだったから」と説明されている。 そういうところに、僕は深い感銘を受ける。 | ||||
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あるときは火星人の視点で、あるときは惑星探検家の視点で、そしてあるときは地球から離れられない人の視点で。またあるときは幻想的に、あるときはコミカルに、そしてあるときはシニカルに。変幻自在に火星と地球の二つの世界を行き来するこの古典的名作は、人間や火星人の逞しさも、脆さも、愚かさも、そして無為なバカ騒ぎでさえも詩的に表現してみせる。 正直なところ、この古典的作品を読むにあたって、それほど多くを期待したわけではなかった。この作家の他の短編集を読んだ感触では、その深い詩的表現が、私には荷が重過ぎて言わんとすることがストレートに伝わってこないと感じていたからだった。だが、この作品では火星年代記という一本の背骨が通っているため、短編の集合体でありながらその世界に没入することがずっと容易で飽きさせない。特にラスト30ページ付近の淡々とした描写には、忍び寄る恐怖と哀しみを覚えずにはいられなかった。そして最後のページでは...(後は読んでのお楽しみ)。 すでに50年も昔の作品で、時代設定は20世紀末から21世紀にかけて、つまり我々の住む現代となっている。ここでも現実世界は小説に追いつけなかった。そして幻想文学が(他の長編・短編に見られるように)ここでも焚書の対象なのは、この作家のちょっとした被害妄想の兆候かと思わせ面白い。 | ||||
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ブラッドベリの代表作といわれていながら、なんとなく読むのを躊躇していた本作。 読みはじめこそページも進みませんでしたが、第3章あたりから一気に引き込まれていきました。 全体は26章(解説には13の短篇と記述)になっているので、かなり序盤ということになります。 ブラッドベリの短編集を読みなれた私にとっては手法的に異色でしたが、物語自体もブラッドベリのようでブラッドベリでないような・・・少し不思議な感覚で読みました。 美しく捕らえられ、描かれる火星と人類の姿の対比には、常に物悲しさが漂っといるようで、なんともいえない読後感があります。 | ||||
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この本の素晴らしさは、内容とイラストが一致していて、最後まで一気に読ませるところにあると思います。 映像にもなっているのですが、本の迫力には勝てません。 タイトルが全てを物語る作品です。 ブラッドベリの発想の豊かさ、それを支えるイラストの素晴らしさ。 小さな本の中に大きな宇宙が広がります。 最後の文章のために読み進める自分がいることに気づいたとき、火星が自分のものになります。 | ||||
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昔、むかし、ある太陽系の第三惑星に、人類という種族が住んでおりました。 彼らは、「火星」と名付けた第四惑星に、ロケットに乗って移住していきます。 すでに、滅んでしまった火星人の思い出と、ある夜に神秘な邂逅を果たします。 ところが、ふとしたことから世界戦争によって滅亡してしまいます。 最後の家族が、本当の火星人として運河にその姿を映したところで、年代記は終わります。 未来の年代記の作者は、人類という種族の、愚かさから気高さまでのすべての感情を描き切ります。 二度と取り戻せない人類という存在を哀悼するのです。 | ||||
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ファンタジーというジャンルでドラゴンが愛されるように、SFというジャンルでは火星が愛されている――そう聞けば、いかにもそうだと思うお人が多いでしょう。それほど、その種のイマージュは氾濫しているようです。ですから『火星年代記』という素っ気ないタイトルだけ見れば、「またお決まりの火星ものか」という感慨をいだくお人も少なくないと思うのです。 けれどもちょっと待って欲しい。これは火星人が地球に来襲してくる猟奇的な物語ではないのです。 これは、火星移民の話。 形としては、たくさんの短篇をつないだ連作形式になると思います。個々の短篇はときに詩のようだったり、ときに風刺劇のようだったりして、実に変化に富んでいます。 文量的にいったら「二〇〇一年八月 移住者たち!!」のあたりはとても少ないのですが、読んだときに胸に広がるイマージュはただごとではありません。というのも、ロケットが発射される前にたいていの人が気分が悪くなるそうですが、その病気は「さみしさ」と呼ばれたのですって。 さみしさ――わたしたちはいつでも、広大な宇宙のただ中にひとりぼっちで立っていることを、そういう言葉が思い出させてくれると思うのです。そういうのって普段は忘れているようなことですが、本当は決して忘れてはいけなかったことなんじゃないかと思うのですよ。 | ||||
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