■スポンサードリンク
火星年代記
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
火星年代記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.49pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全69件 41~60 3/4ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これは、私が子供のころにTVでやってたSF。なので、私はTVの映像作品の方が馴染みがあります。 原作を読んだのはつい何年か前で、最近また読み返しました。何回読んでも新鮮さがある作品です。 私が幼いころから抱いているSFに対するイメージは「未知との遭遇」「未知への恐怖」「バッドエンド」で、その源流はこの作品だと思ってます。それほど強烈に印象に残る話が多いです。 この作品はオムニバスなのですが、どの作品も根底にうっすらと恐怖が流れています。それはやはり、自分の知る現実とは異なる世界が描かれていて、そしてそれらが、読み進めながら結末が予想できないゆえの恐怖なんだと思います。 世界観の描き方も素晴らしいですが、人物描写もすごいです。人間の心の闇を覗くような描写が多いと感じます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ここに描かれているのは、今から60年前の宇宙移民イメージだ。 星新一や手塚治虫が共有した未来世界である。 ジェット機の延長のようなロケットで惑星間を行き来し、必要とあらば人間と見分けの付かないロボットも登場する。 「火星」は、開拓するべき新大陸の象徴だ。 従って、現代文明に対する批判が盛り込まれる。 生物学や物理学とは無縁の「空想未来物語」だ。 文明や人間についての寓話集である。 火星人にしろ地球人にしろ、「よくわからない相手は、とりあえず銃で撃ち殺せ」という行動原理がアメリカっぽい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本書はまさに火星のクロニクルを描いています。 地球から第一探検隊が火星を訪れる。 火星には火星人が住んでおり,地球から訪れた地球人はすんなりとは受け入れられない。 そして第2,第3の探検隊が失敗に終わり,第4探検隊のメンバーの一人スペンダーが,火星人たちのたどり着いた「生きること」に対する思いに気づく。 「生とは,さらに多くの生を生み出すことであり,よりよい生を生きることことです。」 その後大量の地球人が火星にやってくる。 幸福だから来た人,不幸だから来た人,何かを見つけるために来た人,何かを見捨てるために来た人,大きな夢を持って,あるいは全く夢を持たずに,人それぞれの理由でやってきます。 それでもやはり人間は愚かな行為を繰り返してしまう。 そして作品全体には「寂しさ」のようなものが漂う。 新たなクロニクルの始まりという希望を残して・・・。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
火星人との邂逅。 それだけでわくわくした作品だ。 年代記に描かれた時代に入ってしまったけれども、いささかも色あせることがないのだ。 ブラッドベリの普遍性は、個々でしっかりと発揮されている。 100万年ピクニック。 生きていくということは、こういうことなのだと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
【概要】 1950年発売のレイ・ブラッドベリの最高傑作。 内容はSF×幻想×ホラー×風刺など色んな要素が混ぜこぜの連作短編集。 第一章「ロケットの夏」、第二章「イラ」などを読むと「すごい詩的な幻想小説だなあ・・」ときっと思うでしょう。 しかし次の章の「地球の人々」ではガラっと印象が変わって「なんだこのブラックユーモア小説はww」ときっと思うでしょう。 んでもってその後の「月は今でも明るいが」になると「なんだ・・このガチンコ小説は・・・」と、どんどん目まぐるしく内容が変わっていきます。 タイトルや表紙だけじゃ内容が想像しにくい小説。 ほとんどの章が30ページ以下で読みやすいので、とりあえず読んで欲しい。 【注意】 解説には「26のオムニバス短編」と書いてますが話がちゃんと最初から最後までつながってますので、順番に最初から読んでいったほうがいいです。初めて読む人は短編集というより長編を読むという心づもりの方がいいかも。 (ただ長編よりは全然読みやすく構成されている) 【新版になって変わったところ】 収録作が若干変更されています。「空のあなたの道へ」が「荒野」と差し替えられて、「火の玉」が新たに加えられています。 しかし荒野も火の玉も既刊の「太陽の黄金の林檎」「刺青の男」から持ってきたモノです。 他のすべての収録作も「新訳」と言うわけではなく、旧版を所有してる人はそんなに新鮮味はないかもしれません。 あとは年代が1999年から2030年に変更されたのと、ブラッドベリの序文が追加されたぐらい。 (もちろんすべてブラッドベリの意向)。旧版を持ってる人はそこらへん注意。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
およそ空想科学小説と名のつくもので、これほど叙事詩的な魅力をそなえた作品が他にあるのだろうか。伝統的なSFのアイデアを かりながらも、まったく違う世界観をブラッドベリは構築してみせた。 主題となるのは、タイトルにも冠してある通りで年代記。地球から火星へのアプローチを短編や、さらに短いショートショート形式で 連鎖させ、火星を植民地化していく過程を年表として読ませる。めくるめく好奇心の底流に、優れた文明批評を織り交ぜた珠玉の作品だ。 私的に「二〇〇五年四月 第二のアッシャー邸」の件は、考えさせられると同時に面白いなア。この精神は全然現代にも通じる。むしろ 今なんかジャストフィットしてるのかも。無味乾燥なぐらい合理的に生きているようでいて、まったく合理的じゃない感覚に共感できる。 理性的な〈逃避〉を《過激》としてしまう。創造力の源ともなる〈空想〉を、いやその空想することさえ《危険》とみなしてしまう。 この感覚。。便利この上ない社会において、強迫観念とも呼べるもどかしさが出てくるのはなんなのか。。もちろん本質は常に二律背反 で、今ほど創造性に満ちた時代も珍しく、めまぐるしく創造している。一方で、それらにまったく新しさを感じないのは何故か?もはや ミーハーになろうにもなれやしない。暴走するのは危険だ。だから抑圧して規制するのは当然の流れではあるが、一歩間違うと〈正直〉で あることさえ《剥奪》している。この、おどろおどろしいけど愉快なエピソードに一流の風刺を感じてしまう。正直なんだよな。 そして、なんだかんだひっくるめて最後は感動的なんです。人間ほど愚かな行為をする存在もいないが、人間ほど諦めない存在もいないの。 常に、いまから ここから の精神。透徹したブラッドベリの眼差しが何より最高だ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ブラッドベリといえば、「華氏451度」を思い浮かべるかもしれないが、面白さではこちらが断然上。 精神的成熟を欠いた物質文明の発達、科学万能主義への痛烈な批判を、抒情豊かな文体と哀愁漂う優れた物語によって表現した、「SFの詩人」レイ・ブラッドベリの最高傑作だと私は思っている。 「1999 年1月 ロケットの夏」から「2026年10月 百万年ピクニック」まで、火星を主題にした26の短篇が収められた連作短編集。 ブラッドベリにはほかにも素敵な短篇がいくつもあるけれど、たった一冊だけと言われたら、わたしは迷わず持ってくるだろう。 きらきらと輝く詩情の美しさ、みずみずしさ、透明感がもうほんとに綺麗。ダークなムードの作品もありますが、それもひっくるめてその宝石のような幻想の煌めきにうっとりさせられてしまうほどだ。 小笠原豊樹氏の訳文も、「名訳とはこういうのを言うのだろう」てなくらい見事なもの。素晴らしい読みごたえを堪能させられた一冊。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
美しい文章とは、何だろうか。加藤典洋は『言語表現法講義』の中で、「人の美しさ」というものはない、ただ「美しい人」がいるだけだ、とプルーストの言葉を引用し、美しい文章というものも同じで、「文章の美しさ」などというものはなく、ただ「美しい文章」があって、一人ひとりが自らの感性で「よい」と感じるようなものなのだ、と言っているのだが、この『火星年代記』は、まさしく、ただ「美しい文章」である。 本のレビューというものは、私の感性が感じた何かを、誰かに伝えるためにあるものなのだが、私の感性が「よい」と感じた「美しい文章」というものを伝えるのは、ことさら難しい。例えばここで、「詩的で、透き通っていて、優さが滲み出しているような文章で、美しい」と評したとしても、詩的であるとか、透き通っているだとか、優しいだとか、そういった凡庸な言葉に落とし込んだ瞬間に、ただそこにあった「美しい文章」も、私が感じた「誰かに伝えたかった何か」も、決定的に損なわれてしまう。『火星年代記』は、読みにくい箇所を多分に含んだ訳も含めて、そのような「美しい文章」である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
人間は決して完成品ではない。 大昔にできた旧式の本能を用いて未来という未知の世界を生きていかなくてはならいのだ。 人間の宿命をSFという形で語る本書は、そのリリシズムあふれる文体と鮮烈なラストシーンとによって、今後も長く語り継がれることになるだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
高校生の頃、定石どおりに有名なSFだけを読み、それでこの手の本を卒業した私だが、この作品だけは手元に置いてある。一つ一つの話が示唆に富み、考えさせられる。特に、せっかく移住してきた人々が、地球で核戦争が始まったと聞いて我先にと帰っていくのが面白い。その後の、だれもいなくなった家で、機械だけが同じように時を告げ、食事をつくり、それを下げ、また翌日も同じことが延々と繰り返される話には、まいった。全員が引き上げられたのではなく、男女1名ずつが残され、最初はあちこちに電話をかけてはお互いに会おうと試みるが、会ってみて幻滅し、その後は会わないように逃げ回るという話も、なかなかだ。 人間の愚かさ、悲しさを見事に描き切った作品、ぜひ読み継がれていってほしい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本書のテーマを一言で言えば、《科学の発達による、人間の精神的荒廃への警告》という所だろう。 若い頃は古臭い作品だと思っていたのだが、今読むと、ブラッドベリの警告の正しさに、思わず慄然としてしまう。 20世紀の後半ぐらいから、私たちが忘れてしまった大切な《何か》が、ぎっしりと詰まった作品である。 単なるノスタルジーでは終わらない、21世紀を越えた今だからこそ、広く読まれるべき、あまりにも重要な名著だと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
人類は火星に移民します ところが伝染病で全滅してしまいます 残った人々は再建を試みますが・・・ 珠玉の短編集です SFの歴史に残る名作です | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「われらはもはやさまようまい こんなにおそい夜の中 心は今なお愛に満ち 月は今でも明るいが」(本文より) 火星年代記の火星人は侵略しない。 彼らはむしろ侵略され、人間の鏡であり、ある種の理想でもある。 火星へ行く、新しい土地へ行く話のはずなのに、なぜか感じるのは「故郷」「帰る場所」への人間の心だった。 帰る場所、それはいとしい人間の腕の中だったり、思い出の中の生まれ故郷だったりする。 たとえ別の場所にいっても、人は自分の居場所を捨てきれないのだな、としみじみ思う。 人間は、美しい火星を、地球らしく(この場合はアメリカらしく)する。 また、死んでしまったはずの人間を、わかっているはずなのにそれでも望んでしまう。 しかしそんな人間たちの愛すべき愚かしさを、冷笑するのではなく、火星人を通してせつなく描いているところは、まさにブラッドベリ。 「月は今でも明るいが」「夜の邂逅」「第2のアッシャー邸」が、小話として気に入った作品。 いいSFである。 宇宙へのロマンと、人間への愛情に満ちた目、美しい文章。 ヒューマニズムに過ぎるという批判があって当然だが、それでも価値があるように思う。 せつなさが、しんしんと浸みてくる良作。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ブラッドベリといえば、これ。 SFといっても、これ。 26の短篇・ショートショートの織り成す、一見リアルで幻想的なストーリー。 垢抜けていない詩的な表現と、リズミカルにして目くるめく展開とのコラボで、独特な切なさを描き出している。 惨酷で、情緒的で、のんびりとしてて、呆気ない、不思議な読み応え。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「1999年1月 ロケットの夏」から「2026年10月 百万年ピクニック」まで、火星を主題にした26の短篇が収められたオムニバス作品集。ブラッドベリにはほかにも素敵な短篇がいくつもあるけれど、たった一冊だけと言われたら、わたしはこれを持ってきます。短篇の粒が揃っていますしね、きらきらと輝く詩情の美しさ、みずみずしさ、透明感がもうほんとに綺麗。ダークなムードの作品もありますが、それもひっくるめてその宝石のような幻想の煌めきにうっとりさせられてしまうのです。 どの短篇も素晴らしいなかで、格別のテイストに酔っぱらっちまった作品を三つだけ選ぶとしたら、「夜の邂逅」「イラ」「第二のアッシャー邸」でしょうか。殊に「夜の邂逅」は珠玉の名品。サンリオSF文庫のブラッドベリ短篇集『万華鏡』で初めて読んだのですが、胸がいっぱいになりましたねぇ。数あるコンタクトもののなかでも、まず最高級の作品でしょう。 小笠原豊樹氏の訳文も、「名訳とはこういうのを言うのだろう」てなくらい見事なもの。素晴らしい読みごたえを堪能させられた一冊。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
SFの金字塔、と言われていながらも今なお人々の心を離さないブラッドベリの代表作です。手に取ったきっかけは大学生協の推薦文でした。その中には、「中盤の火星探検隊同士の会話がいい」といったことがありました。 実際に読んでみて、読む前のとき抱いていたイメージとのギャップにまず驚きました。本作における火星人は地球の侵略を企むわけでもなく、普通にゆったりとした住宅で幸せそうな生活を営んでおり、地球人と同様に嫉妬深く、けれども防衛に関してのみは恐ろしい面を見せる、いわゆるステロタイプの火星人とはまったく異なる存在でした。 推薦文にもあった、第四探検隊での反乱事件、それに続く対話の場面はどこまでも美しく、宇宙を背景とした火星の虚無と優美に満ちた荒野を私は確かに感じました。ブラッドベリが抒情詩人と言われるゆえんでしょう。訳であっても、その美しさの片鱗は感じ取れます。たとえば各話の副題のうち印象的なものを挙げてみましょう。「ロケットの夏」「月は今でも明るいが」「空のあなたの道へ」、そして最後の「百万年ピクニック」。どうでしょう、単なるSFと一蹴できない優雅と悲哀とがこの作品にはあるのです。 また、この作品はファンに相当に愛されていて、アメリカではすでに現実の時代と矛盾してしまっている箇所を、より進んだ年代のものに修正する、という動きもあるようです。五十年以上前に出版されたものでありながらこうしたことが起こるなど、本当にこの作品とブラッドベリは愛されているのですね。 この物語の形式、文字通り「年代記」は雄大で悲愴なロマンを感じさせるもので、おそらくこれ以外では作品の魅力は半減だろうな、思わされました。それと、この作品は「地球年代記」でもあるのだと気づきました。読み進められた方もきっと同じような感情を抱くのではないかと思います。 私は本書を昨年、二十のときに読んだのですが、読み終えたときまず思ったのは、「もっと早いころに読んでいればその世界にもっとのめり込めたのに」というものでした。これは私の想像力の貧困のためかもしれませんが、もし何かの縁でこのレビューを読んだ十代、とりわけ中高生の方には、一度本書を手にとることをお薦めします。もちろん、大人が読む分にもいっこう構いません。ちなみに私のお気に入りは「夜の邂逅」「空のあなたの道へ」そしてもちろん「百万年ピクニック」です。(注.年代記という形式上、選んで読むことはお薦めしません) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
地球人はロケットに乗って火星に向かった。無邪気さと無遠慮さを胸に抱きながら。しかし、第1探検隊も、第2探検隊も、第3探検隊も地球に還ってこなかった・・・・・ それでもなお、地球人は火星を目指した。そして第4探検隊が見たものは・・・廃墟と荒野だけであった。火星人はほぼ絶滅し、火星文明は滅んでしまったのだ! かくして火星は地球人のものとなった。地球人は火星へ火星へと、津波のように押し寄せた。移民してきた地球人たちは火星文明の遺物を破壊し尽くし、自分たちの好きなように火星を作り直した。しかし、我が世の春を詠う地球人たちについに報いが訪れた・・・ 精神的成熟を欠いた物質文明の発達、科学万能主義への痛烈な批判を、抒情豊かな文体と哀愁漂う優れた物語によって表現した、「SFの詩人」レイ・ブラッドベリの最高傑作。 13の短編と13の散文詩的掌篇から成るオムニバス形式の巧妙さは、O・ヘンリー賞を2度受賞した短篇の名手ならでは。オープニング、ラストはもはや芸術だ。 私は原書を読んでないので何とも言えないが、小笠原氏の訳には定評があり、本作品の翻訳も実に見事だ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
めちゃめちゃ面白い。 もう五十年以上前に発表された作品であるのだが、こんなに面白くていいのだろうか。 まず、ストーリー自体が非常によくできている。 哀愁ただよう筆致と、乾いた世界観。 そこに漂うのは虚無と狂気と悲しみ。 たしかにその当時の現代を皮肉った作品となっているのだが、そんなことを気にしなくても普通に面白い。 火星を舞台にした連作短編といった趣で、リーダビリティも高い。 とってもお勧めの作品です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
冷戦下に書かれたSFの代表作のいくつかを読んで気づいたことがあります。 未来の暗い想像図が描かれている事が多いのです。 「火星年代記」も明るくありません。 しかし暗いともいいがたいのです。 もっと根本的な絶望や虚無を感じさせます。 読んでいて憂鬱になってしまいました。 鬱状態になってしまいました。 文学作品を読んで心が乱れがちな人は注意した方がいいと思います。 悲しくなるのではありません。 感情そのものが蒸発しそうになるのです。 ブラッドベリのようにSFを書く人はいないとよく言われるそうですが、この作品を読んでよくわかりました。 「火星年代記」以外の作品はまだ読んでいません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
その昔、友人にフレドリック・ブラウンと共にこの著者を紹介されたときを今でも忘れない。 「僕の地下室においで」「霧笛」「ウは宇宙船のウ」・・・。 その中でも「火星年代記」は金字塔といっていい。 心揺さぶるノスタルジーと、生き残りをかけた火星人の魔法。 そう、魔法はブラッドベリの十八番だ。 カーニバル、ハロウイン。 子どもも大人も魔法にかかる季節。 避雷針売りも、カーニバルの見世物もひとときのおどろおどろしい幻燈だけど、妙にひきつけてやまない。 ブラッドベリはそういう魔術に長けた作家である。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!