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オブ・ザ・ベースボール
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オブ・ザ・ベースボールの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.50pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全18件 1~18 1/1ページ
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文学でギャグを体現しつつ、権威に中指をおったてる剛腕。作中の落下者同様に読者も地平線の彼方まで吹っ飛ばされる。 | ||||
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途中で落ちに気付いてしまったけど、 しっかり描写されてくれていたので助かった。 しかし面白い。 | ||||
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円城塔の純文学路線におけるデビュー作らしい。芥川賞受賞の「道化師の蝶」みたいな感じか。確かにハードSFを全面に出さず、「読み易い」。が、無論従来の「文学」に当てはまるような作品ではなく、説明を放棄した不条理文学と言えば一番近いだろうか。表題作は年に1度だけ人間が空から振って来る町で、その人物を助けるのを仕事としたレスキューチームがバットで打ち返してしまった話。しかも打った男と打たれた男は同一人物だと言う...何だか妙にペーソスの漂う話だった。そしてもう一作は、博覧強記な作者の読書歴をベースにした作品。 読み易くはあるが、作者の作品は基本理解不能である。だが、読んでいて不思議なくらい心地良く、なぜか読後感も良い。まるで脳内麻薬のようなもので、癖になるので注意が必要。円城塔はそんな作家である。 | ||||
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円城塔さんの本を読むのは3冊目。 『Self-Reference ENGINE』を読んだ時は「でもね、わかんないけど面白い、それが小説だよね。」と書いた。 『バナナ剥きには最適の日々』を読んだ時は「おもしろいんだから、わかる/わからないなんて、どうでもいいんじゃない?」と書いた。 面白いと言いながら、わかることを放棄したような感想。 本書も頭を捻りながらも面白く読んだ。 難解だ、不条理だという評もあるようだが、これよりもっとわからない小説は他にあるし、 個人的には小説に条理を求めているわけではないし。ただ、頭を捻る分、運動不足の脳が疲れる。 「オブ・ザ・ベースボール」「つぎの著者につづく」の2編を収めた本。 「オブ・ザ・ベースボール」 人が落ちてくる町に野球チームのようなレスキューチームがあるという設定だが、 落下という現象と、そんなことあるの?という存在についての話と考えれば、 というか、読み手側が何らかの前提を置いて読めば、気軽に面白く読めるように思う。 「つぎの著者につづく」 文章の成立ということを考えると、文字や文字の連なりとか、書き手/読み手とか、 出版とか、読む機会や書棚とか、いろいろな事柄が思いつくが、 それらについてさまざまな文章・思考を引用してしつつ、 書くこととは、読むこととは、その間にある文章とは、などが綴られているように感じて、 意外と(?)楽しく読めた。 いずれも、とにかく書き続けるよという著者の意志のようなものが読後に漂って、 じゃあこっちも読み続けるよ、と思うのだった。 | ||||
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とても軽快な語り口で語られていく落ちてくる人を打ち返そうとする不条理な物語。ほかの作品もそうかもしれませんが、円城さんは二重否定を頻繁に使ったり必ず理系のアイデアが詰めこまれていたりと語り方がとても独特でなかなか小気味よくて素晴らしいのですが、物語単体ではストーリーラインがあまりないという印象を受けます。好き嫌いがはっきりと出る方だと思います。 | ||||
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表題「オブ・ザ・ベースボール」については 星新一の話を長くした感じだった そのために星新一なら五頁ほどで終わる話を永遠と百頁近く読まされていうような気になって 後半はきつくなった 一方、もうひとつの話については まあこちらもなんだかよくわからない話を 只々一方的に聞かされている感じだった でも思いのほか苦痛には感じなかった 全部理解しているわけではないけど妙な中毒性を感じた ある人にとっては癖になるかもしれない | ||||
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表題作と次の著者につづくのギャップが面白い。 ファウルズの何もない感じが好き | ||||
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円城塔氏の作品を読むのはこれが初めてだった。だから比較ができないのだが、それでも表題作「オブ・ザ・ベースボール」は氏の作品の中では恐らく読みやすい方なのではないかと想像する。 町に一年に一度くらいの割合で人が降ってくる。そのためにレスキューチームの9名が各自守備位置につくが、持っているのはグローブではなくバットである。決してベースボールチームではない。 何故人が降ってくるのか。何故バットなのか。数々の不条理を主人公が論理的に、或いは非論理的に淡々と語っていくのが面白い。 最後に何か大きなオチがあるようなタイプの話ではないので、そういうクライマックスを期待する方は読まない方がいいだろう。 恋愛とか家庭とか会社の人間関係とか、そういうじっとりとした粘着質なものに疲れたとき、こういうからっとした明るく狂っている小説に救われる。頭に浮かぶのは土煙の巻き上がる渇いた野球場だ。決してベースボールの話ではないのだけれど。 表題作の他にもう一作「つぎの著者につづく」が収録されている。 こちらは筆者の厖大な知識にただただ圧倒される。注釈が山のように付いている。ひたすら読みにくい。 ただ、全く知らない人間の文章と同じものを全く知らないまま書くことが可能なのだろうか、という問いかけの面白さがあって、話の筋としては好きだった。 とっつきやすい「オブ・ザ・ベースボール」と読みにくい「つぎの著者につづく」。 両方読んで円城塔ワールドの入り口にようやく立った感じだろうか。 今回は評価を星三つとしたが、気分は「つぎの作品につづく」。 自分が理解できる話であってくれよと願いつつ。 | ||||
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分かる人には分かるけれど、分からない人には全然分からない。 そういう類いの小説で、素人にはホントに難しい。 オブ・ザ・ベースボールのほうは、空から人が落ちてくるという想定外の設定にバットで立ち向かう主人公の独白で進むので、まぁ読めなくも無い。 最後が何となくカッコイイしね。 2作目は読み続けることすら困難。 小説の読み手のことは一切無視して、文学そのものに挑戦するような意思を感じる。 ただし、作者の意図は不明。 Self-Reference Engineなど、他の作品は好きなんですが、これは正直厳しかった。 | ||||
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作者の作品としては、「Boy's Surface」、「Self-Reference ENGINE」、「道化師の蝶」に続いて本作を手に採った。表題作と「つぎの著者につづく」の2つの中編が収録されている。作者の作品の一番の特徴は「読んでも理解出来ない」点にあると思う。その上で、「作品を産み出すチューリング・マシンは作者ではなく、読者の想像力の方」という独創的哲学の下で執筆している姿勢が伝わって来る。 また、次の点にも気付かされた。 (1) 読者が、大学の専門課程以上の数学、計算機理論の基本的知識を持っている事を前提としている。幅広い読者に自作を読んで貰おうとの意図は初めからない。 (2) 作品には何らかの位相が埋め込まれている。 表題作は、平均して一年に一回人間が降って来る田舎町ファウルズ(野球のファールと落下のfallを掛けたもの)を舞台に、何時降って来るかも分からない人間を助けるレスキュー・チームの一員の独白で構成されている。チームのメンバは9名、ユニフォームに身を包み、手にしている道具はバット(!)。作者の作品の中でも特にナンセンス・ユーモアを強調した物で、理解出来ない以上は笑うしかない。見かけ通りの単なるアメリカ的ホラ話とも取れるが、メビウスの環的"輪廻"を扱った物とも取れる。そうした位相構造を朧げに匂わせる詩情溢れるラストシーンを用意する辺り、心憎い演出。「つぎの著者につづく」は、作者の投影である作家がR氏なる作家の評伝を書くという体裁の作品。小説に対する作者の姿勢を知る上では貴重とも言える(例えば、カフカの影響を強く受けている事が良く分かる)が、小説として成立していないのではないか。「道化師の蝶」の原型の様にも映った。 「つぎの...」には消化不良の感を覚えたが、数理をもって小説を構成する稀有な作家との認識を改めて抱いた。今後も期待したい。 | ||||
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本書は、表題作のほか、「つぎの著者につづく」の1編を掲載した、短編集です。 表題作は、第137回芥川賞候補にもなった作品で、そちらに注目して本書を手に取ったのですが、読み終えてみると、印象に残ったのは「つぎの著者につづく」の方でした。 【つぎの著者につづく】 表題作に引き続き、本作品を読み始めると、作風の違いにまず驚かされます。 しかも、「難解」なイメージ。 でも、この作品こそ、芥川賞を受賞した「道化師の蝶」に繋がる作品なのではないか、と感じます。 「道化師の蝶」は未読ですが、捕虫網で「着想」を捕らえる人物の話であるとの情報を得ています。 一方、「つぎの著者につづく」では、こんなストーリーが用意されています。 作家である「私」は雑誌で、自分の作品と「リチャード・ジェイムス」の著作の類似性が指摘されているのを目にする。 ところが、自分は「リチャード・ジェイムス」のことは初耳で、作品はおろか、人物名さえ聞いたこともなかったのだ。 「私」はこの人物のことを調べることにしたのだが。 芥川賞受賞の会見やインタビュー記事を読んでみると、著者の関心は「言葉の不思議さ」にあるようです。 「つぎの著者につづく」は、デビュー作から5か月後の2007年11月に発表されています。 著者の作品は本書しか読んでいませんが、「言葉」をテーマにした作品の最も初期のものではないかと考えられます。 この作品は、しばしば「文学作品」を評する時に言われる「人間描写の巧みさ」「人間の魂の叫び」などとは無縁の作品。 著者は理系人間のようですが、「言葉」というものを数学的な論理思考で解明しようとしているかのようです。 吉本隆明やウンベルト・エーコの著作が脚注に掲げられている本作品は、後年、著者の作品の原点と呼ばれる可能性を秘めているのではないか、と感じています。 (本稿は、2011年10月に掲載したレビューを2012年1月に全面改稿したものです) | ||||
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振り返ってみればなんてことない話。 落下者をなんでバットで打つのか、とかいった様々なつっこみを拒むところがある。そう考えると一種の不条理を題材にしているとも言えるのだろうか。 面白い点といえばこの作者特有の語り口である。嘗め賺したようなユーモア或いはウィットが中々軽快であるが、受け付けない人にはイライラを誘うだけだろう。 人が落下しているのか、人に向かって地が落下しているのか、とか、各種理論だとか、ひたすらに並びたてられる論理展開は想像をかき立てるものがあるが、明確に想像させないところがもどかしくもあり、また本作品の絶妙な奥行きとも言える。 わからない。けど面白い。その面白さが中身の無い形骸だとしても、別段問題ないのかもしれない。 | ||||
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ファウルズという町では、時折空から人間が落ちてくるらしく、主人公は落ちてくる人間をレスキューする野球チームの一員である。 ただし、レスキューチームが役場から与えられているのはバットである。天空高く落ちてくる人間を助ける役にはまずもって立たない。 昼間、町のほうぼうで落下者を待ち構えて、夜になればしけた酒場で時間を潰して家で寝る。 ランダムなタイミングでランダムな座標に落ちてくる落下者が見事頭上から降りてくることはまずないが、それでも男は空をにらんで落下者を待ち構える。 そうした筋の話が、平たく書かれている。 しかし、その平たさは表面がそうであるという話にしか過ぎない。 不思議な作家である。 Aという事象を滑らかに語ったと思えば、すぐさま割引シールをはっつけることで文章の座標を揺らがせていくような手口で世界をつらつらと描き出す。 詐欺師のような手際であるけれど、素朴なつもりで描かれていて、実際の見た目は物見櫓である。説明しようとしても要領を得ない。 しかし、ラストシーンの主人公を思い浮かべると、なんだかかっこいいのだ。むしょうにかっこいいのだ。 | ||||
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文學界新人賞受賞作。 芥川賞の候補作でもある。 出版される作品としては早川書房から出た『Self-Reference ENGINE』、『Boy's Surface』に続く3作目。 『Self-Reference ENGINE』は読んだが、すごく面白いSFだったので、この作品もそのつもりで読んだら、ちょっと感じが違った。 オブ・ザ・ベースボールはSFっぽい設定ではあるが、とても読みやすい小説。 もう1作、収録されているのは、『つぎの著者につづく』という作品だけど、こちらはとても一段落が長く(2ページ近くになるのもある)、また引用も多くて、難解。 でも、こっちの方が好きかな。 | ||||
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それはどうなんでしょうか? 文章も明らかに日本語の使い方を誤っている部分が多々あるし・・・ 設定は面白いんですけどね。 | ||||
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「人が降ってきて、それをバットで打つ」という設定はとても面白いと思いました。 が、文体?書き方が平坦すぎて眠くなるし、先を読みたいという気にならない感じ 時々何を言ってるのか意味不明な所もあって(これは自分のせいかも)途中で本棚へ埋葬しちゃいました。 | ||||
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先ずはじめに言っておくと、星1つという評価は間違いである。 最低でも星4つ、おそらくは星5つが適当な評価であろう。 敢えて間違った星の与え方をしたのは、根本的な問題として、 この作品が何かの間違いだとしか思われないからだ。 まったく。何ゆえこの作品が一般文芸誌において新人賞を受賞し、 あまつさえ芥川賞の候補になってしまったのか。理解に苦しむ。 どこか早い段階でSFマガジン編集部へこっそり原稿を置き捨ててくるという、 ただそれだけのことが、どうして誰にもできなかったのであろうか。 「世界のなめ方において、群を抜いている」とは、 帯に引用されている、島田雅彦氏による選評の言葉である。 これほど的確な評価は先ずないだろう。 しかし、だからこそ、そういう作品が文学の主流において 一定程度の評価を受けるというのは、どう考えても間違いである。 (もっともこれは本作の評価としての場合であり、 円城塔氏その人が世界をなめきった人間かというと、 Boy’s Surface 所収の Your Heads Only を読むかぎり、 実はかなり切実な問題意識を持っているんじゃないかとも思う。 まあ、現代日本においてクイア・スタディーズが どれだけ切実な問題として取り上げられるかは、期待の程もないのだが) 文學界新人賞受賞作、あるいは芥川賞受賞作としてこの書を手に取る 大多数の人々にとっては、まあ、紛れもなく星1つの作品だろう。 かく言う自分も、常識的なねじを締めた状態では、同様の評価を下す。 ただ、頭のねじを緩めることに快感を覚えてしまうどうしようもない人々、 具体的には同著者の既刊を楽しんで読んだ方々については、 何の疑念も躊躇もなく「みんな大好きEJT!」としてオススメできる。 | ||||
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芥川賞候補になったと聞き手にした。 軽重な語り口と、冷めた視線の主人公は、類似作品が浮かび新鮮味がない。 この作家がこれまで読んできたであろう影響を受けた作家の影が濃すぎる。 | ||||
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