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競売ナンバー49の叫び
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【この小説が収録されている参考書籍】
競売ナンバー49の叫びの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.75pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全28件 1~20 1/2ページ
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やや表象華美な翻訳と感じた。ストーリーはなかなか面白い。 | ||||
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まったく頭に入らない、時間の無駄、つまらない。無意味だと思う。 | ||||
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おもろいっす!!! 簡単しょ。涙あり笑いありっす。アメリカ版のカフカっしょ。全部、お笑いっす。全部がユーモアとギャグで、アメリカ映画的笑いとアメリカンコッミックみたいな感じ? 時代や国が違い、オレらには理解できない部分がある。すべる? 外す? ピンチョン的な笑いを理解できなく難解だと感じる部分多数。ユーモアとして、一番分かりやすいのは、最後の方で、エディパが精神分析医を訪ねるシーンで、分析医が心を病んでいて患者に向かい発砲する。エディパは、人質になり診察室に医師と立てこもる羽目になるが、医師が引き出しから薬莢を探している間、不用意にもライフル銃は、エディパの目の前のテーブルに放置されている。容易くエディパは銃を手にして、医師を脅し、事件はあっけなく終結する。事件自体が馬鹿げていて面白いし、その間の言葉のやり取り一挙手一動が面白い。銃を構えて、医師よりも優勢になったエディパは、診察室のドアの前で待機している警察官に、「入ってきて」と言うと、警官は「鍵がかかっていますよ」と言うあたり、または、立て籠もりの最中に警察官が「テレビの人が、ちょっと窓から撮りたいようなんですけど、今のままキープしておけますか?」と言う。これってお笑いしょ! 難解でも何でもなく、作者は物語を楽しんでくれることを要求している。 一頁毎にお笑いがある。前作「V」でも、例えば「実存主義警察官」という言葉があるが、これは何でしょう? 難解ですか? 実存主義の警察官、笑えませんか? 警察官の職務は、実行力と機敏さと実務第一・現実重視が大前提です。それが実存主義的に、事件・事故等を文学的・哲学的に深堀し解釈ていったら警察官は務まりません。コメーディの主人公になるだけですね。さて、競売ナンバーに戻りますと、エディパが、久しぶりに夫に会う。夫は、LSDで人格が変わり、別人になっていた。その話す内容が面白すぎる。しかし、エディパにすれば、とてつもなく悲しい。一行毎にユーモア! 話は変わり、最も重要な主題について・・・エディパは、ピアスの遺言執行人として、遺産を調査するにつれて謎は深まる。「謎の組織」の形跡を嗅ぎ付ける。私たちがこの現実の果てに、現実の背後に別な世界があり、それによって支配されているような? 管理されているような? 運命論のような? 私たちとは、全然、別のところで、理不尽にも人生はすでに決定されているような? 不条理って言うか? マトリックスの内部に気づかないうちに、私たちが存在しているような感じって、結構よくあることっす。カフカ的っす。「審判」にガチ似てるっしょ。しかし、エディパの「謎の組織」の発見は、自分自身だけの妄想・パラノイアなのではないかと疑う。そんな感じがエディパを不安にさせ、エディパを悩ます。2つに一つしかない選択。①「謎の組織は実在する。」あるいは、「⓶エディパ自身がパラノイアである。」エディパは、1か0のデジタルな問いの中に住んでいる。最後に真相を解く重要人物、謎の組織のバイヤーが、「競売ナンバー49」を落札するかもしれない。その人物に会うことで、エディパが狂っているのか、世界が狂っているのか明確になる訳だが、そこんとこで物語は深い余韻と息詰まるよう緊張感・切迫感の中に終わっているっす!! 余談になりますが、全編が、美熟女エディパのキュートで爽やかなお色気に満たされていることも読者は、見逃してはだめっしょ?! こんな儚く美しい、ペーソスに満ちた作品を天使のような翼をもって、軽々と書き上げたピンチョンは、やっぱ、大天才っす!!!! | ||||
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"なぜならここには数知れぬ市民がみずからの意思で合衆国郵便を使って通信しないことを選択しているからである。"難解さで知られる著者の最初の一冊として紹介されることの多い本書は、読書のもつ"理解したい"という固定概念や思い込みを破壊するポストモダン文学の試みが流石の秀逸さ。 個人的には、とはいえ。著者の本は初めて(笑)となるのですが。冒頭からの偽も含めた圧倒的な情報量と解説の多さに(世界文学によくありますが)導入部分で挫折しそうになりましたが、やはり中盤以後の、主人公がまるで望んだように頻繁に立ち現れる陰謀説の描写以降から最後までは圧倒的な面白さで引きこまれました。そして読後の感想は2つ。1つは、この実験的な作風はアメリカ版筒井康隆に近い?というもの。あと1つは、どこかデジャブがあるなと思ったら、公開中の映画"アンダー・ザ・シルバーレイク"( https://m.youtube.com/watch?v=uuuClxVtJ5o )とよく似ているなというもの(検索すると、やはり同様の感想をもつ人がちらほら)。いやあ。楽しい本でした。 頭で起承転結を理解するより、感覚的に楽しみたい誰かに。そして本書が発刊された1960年当時のアメリカに関心がある誰かに。そして映画アンダー・ザ・シルバーレイクが好きな人にオススメ。 | ||||
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学生時代に読んだサンリオ文庫のやつを読み直してみた。 最後の競売の前のところまでは一応何が書いてあるかはわかったが、最後にエディパがいままで集めた情報を総括しているところは最初は意味がわからなかった。さらにそこを読み直すと、サン・ナルシソやパラノイア、デジタル・コンピュータに象徴される現代のアメリカ社会とそれに取り残されてしまった(追放されてしまった)人々がテーマと言うことか。トライステロはそれを描くためのエンジンで、最終的には存在していても存在していなくてもいいんだろう。 遺産執行人になったエディパがトライステロの謎ばかり追いかけているのは不可解だった。もっとほかにもやることがあるんじゃないか? | ||||
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若かりし頃から挫折を繰り返していたピンチョンを、新訳になってついに読破できました。やはり新訳のほうが読みやすいと思います。持ち歩いて読むと挫折するのはわかっていたので、自宅でキャラクターや展開のメモを取りつつ、少しずつ読み進めました。正直、それでもやっぱり難解なので理解できていないですが、理解できなくても楽しめたという感じです。もう少し安くなったら、新訳の「V.」や「重力の虹」にも手を出したいと思ってます。 | ||||
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以前 タマフルの薦められていたのを思い出し、読んでみました。 難解との触れ込みがあったため、丁寧に読んだが、どこをどう面白いと感じて良いのかは分からずじまいでした。 | ||||
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翻訳者のおかげでちくま文庫版よりも読みやすかったし、解説が小説の読解におおいに役立った。 でも、ピンチョンは相変わらず高い山だ。それは遠くの方にそびえ立つ宇宙人の砂遊びの跡のような、相変わらずなんだこれは、という感じ。 星4つなのは、自分がアメリカ人でないために(西洋人でないために)、その歴史を自分のアイデンティティーと結びつけられないから。つまり、外からふーん、ふーん、と納得したようなつもりになったり、勉強になったと思い込んだりするくらいで、要するに自分にとって切実なものがないのだ。「重力の虹」では、小説世界の背後にある巨大な力が、今日の日本も容赦なく覆い尽くしていることから、他人事ではなかったのだが、「競売」はそこまでいかなかった。 自分は日本人だから、そもそもにおいて、世界は多様で無常であるという価値観を自然と受け入れているし、『Aか非Aか、どっちつかずはだめ』という二者択一の思考の徹底がなされてきた国とはずいぶんかけ離れた国の中で教育を受けてきたから、いろんな神や信仰が混在している良くも悪くもいい加減な感じの国に生きる自分としては、天国か地獄か、正義か悪か、一人の神と迷える子羊たちか、とか、常に二者択一を強いるような教育はただただ疲れるなあ、なんでそんなに切羽詰まってるんだ、とため息をついてしまう。 ピンチョンもそういう世界にいることに疲れたんじゃないか。だからメキシコに逃れたりして、ふらふらしたんじゃないだろうか。 ピンチョンにとっては、この小説の中でギャグやパロディに包んだアメリカの裏側は切実極まりない問題で、だからこそ、その天才の脳を他の学問ではなくて(細分化、専門化された現代の学術研究ではなくて)小説という自由に分野をまたぐことができて、世界をありのままに、仏教的に言えば縁起的に、力業でとらえる試みが可能な分野を選んだのではないか。 そう考えると、やっぱりこの人は天才だ。1つの分野にはおさまり切らないのだ。まるでダビンチだ。 さらに強烈なのは、ピンチョンがスーパーオタクであるということ。普通のオタクは1つの狭い世界に閉じこもり、外の世界には無関心だが、ピンチョンはスーパーオタクだから漫画もアニメも、歴史も科学や物理学も、オタク並みに知っている。それらを1つにしてしまう、そのスケールの大きさ、大胆さ、独創性、馬鹿馬鹿しさ、理解のし難さ、を味わうためにピンチョンを読むのだと自分はわかった。 | ||||
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「匣の中の失楽」で作中人物が読んでるシーンがあったのが気になって 手をだしてみた次第なのですが。 翻訳の精度が信用しきれないのもあって、これは原書も見ないとあかんのかなぁーとか。 そもそも、こんなに解注がないと理解出来ない作品て何なのかな~とか。 「殺すも生かすもウィーンでは」を読む限り、 少なくとも”優れたストーリーテラー”として、ピンチョンが評価されているわけではないですよね。 | ||||
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読めなかったです。 意味不明でした。 海外の純文学は、体にあわないとわかりました。 | ||||
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本作はすでに別の出版社が文庫化しており、値段は千円を下回り、その後でハードカバーの本書が出版された、値段は約3倍、訳を推敲し、注釈が増強されたとしても、買い物としてはまさに逆光といえよう、 出版社がどれだけこの作家に肩入れしているかがわかろうというものだが、理解に苦しむ、文庫化を拒否し続け、全集が結果的に成功を収めたらしいガルシア・マルケスのなんと後継に位置づけようとしているのだ、 先入観なしに、初めて読んでみての感想は、つまらない、の一言に尽きる、 面白くもなんともない、この作家に小説を書く才能はない、 難解というので身構えた部分もあったが、こけおどしに過ぎなかった、 その反動か、この作家の上っ面の部分、「オレは頭がいいんだ」といううぬぼれが、鼻についてしかたがなかった その者の知性、広い意味の頭のよさは、自己の客観視との間で相対的に決まってくる、 自分が凡才にすぎないのではないかという疑念、抑制を保てるかどうかで決まる、たいした器でなくとも高い知性を獲得できるのだ、そのため「科学的思考」においても、常に文系的知性が理系的知性を凌駕している、数学や物理ができるから頭がいい、というのは早とちりで、根幹にあたる論理性とは別のもの、これは法学や哲学で培われる、といえば奇説に聞こえようが、このたびの「細胞の発見」にまつわる事件で、科学者というのは少しも「科学的でない」ことが露見したのではないか、この事実を直視すれば、結局のところ、科学者たちが文系的知性(法学者)に解決を委ねている現状が、こっけいでもなんでもないことがわかる たしかにこの作家はIQは高いのだろう、しかし、血筋やファミリーの財力で守られた城に安住していたのでは、どの分野に手を出しても、それに見合った成果はさほど得られない、とくに小説では生の体験が求められる、競争を勝ち抜くことの原動力となったであろう高IQの副産物、既成の秩序に対する適応性の高さ、卓越した記憶力、それに付属する努力不足、不真面目さ、そいった世間的に「天才」を捏造する正負の混沌とした材料の一切を剥ぎ取って、その者の精神が初めて作品に結晶するのではないかと思う 本作は第二作のようだが、何本書いてみても、この作家にさして向上は見られなかったはずだ、 なぜならこの者に真摯な姿勢がない、だらけて見せる、というのと本当にだらけているのでは意味が相当違う、必要があって難解になるのと、不必要に難解にするのとでも意味に開きがある、わざと明解に書かないのと、がんばってもごちゃごちゃになる、の二つを比較しても答えは同じだ、 本作は、作者の力量不足で難しくなっている、内容に深みがありそうに見えて、すぐにコツンと底にぶち当たる、自意識過剰で危機意識が足りず、整理能力に欠け、浅はかな人格を形成するにいたった作者が、あらゆる場面でその浅知恵を臆面もなく披露している、勘違いした評論家が、セルフプロデュースの達人ではある作家と手を組んで、込み入ったマーケティング活動を展開し、現在までそれが功を奏している、ただそれだけのことだ、数ページ読んだだけで、この作家に精神的な生活が皆無であることが知れる それにしても出版社はもう少し冷静に対処すべきではないか、例えば裏表紙に「超大作」の文字が躍っている、「白鯨」や「ドンキホーテ」でも、「超」はつけないのが普通だ、「超」に似つかわしいのは「源氏物語」や「失われた」であり、ハードカバーで上下におさまる長編に「超」はおかしい、もう一つ、「ノーベル賞候補」、これは候補者を公表しない賞であり、機密が厳重に管理されている、「ノーベル賞候補」というのは口伝にのぼる話題で活字にすべきではない、候補者は50年後に公表されることになっている、大出版社がそこまで煽る必要があるとは思えない、あるとすれば、誰かが真価を知ってしまったからだろうか | ||||
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「ピンチョンは難解だが面白いぞ」 そんな皆さんの春風レビューに背中を押されて、買ってみました。 確かに難解です。でもちゃんと話の筋はわかるし、面白い。 でも、なんか、こう、あの、なんというか。 1から100までずっとこう、緊張しっぱなしなんですよね。 弛緩がない。緊張の線が張り詰め続けている感じ。 音楽でいうと、ギターがずっとチョーキングし続けているというか。 話に緩急がないわけじゃないんだけど、緊張の線は緩まない。 だから、読んでて疲れる。 その「疲れ」が「話の面白み」を超えてしまったので、途中で読むのをやめました。すいません。 ちなみに僕が好きなアメリカ文学の作家は、ヘミングウェイ、ナボコフ、ヘラー、バロウズ、ヴォガネットあたりです。 | ||||
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きっと自分好みの作家だと思いながら、なかなか読めなかったトマス・ピンチョン。というのも圧倒的な量に恐れおののいてしまうのだが、この本は、長さも手頃で、ストーリーも分かりやすくて、入門書としていいかも。 「ヴァインランド」、「スローラーナー」ぐらいしか読んだことのないピンチョンだったが、新潮社から「トマス・ピンチョン全小説」シリーズが出てから、全冊購入し、チャレンジしようと思ったけど、やっぱり、読み始められず、積読状態。それじゃいけないと、一念発起し、まずは手頃なものと選んだのがこの本だった。 やっぱり簡単というわけではなかったけど、かなり私好み。解注があっても難解だけど、インターネットの発達した現代に読むとアンダーグラウンドなコミュニケーションといったところは、1966年に書かれたこの作品の持つ意味がまた違ったふうに読めて面白い。 これで、ウォーミングアップは終わった。いよいよ、「全小説」に取り掛かろう。 | ||||
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佐藤良明の懇切丁寧な翻訳と注解に導かれて、今回はかろうじて最後まで読みおせたが、いったいこれは何なんだ。 熟れた人妻がサンフランシスコの黄昏をダシール・ハメットの探偵小説の主人公のようにさまよい始めるが、その彷徨はセリーヌの夜の果ての旅路よりも謎めいて不可解だ。 かつて淡く付き合っただけの大物実業家がヒロインに委託しようとした膨大な南加の土地、株、切手コレクション。その莫大な遺産は、とうとうアメリカ合衆国全体へとふくれあがる。 他方では12世紀以来北イタリアに居住していたタッソ家が16世紀にブリュッセルで開始した郵便事業が次第に欧州全域に拡大し、フランスでの事業完遂を達成するためにかの仏蘭西大革命まで引き起こした!そうなんだが、野心的な一族はアメリカ大陸へも進出しようとして、ここ桑港一体で数多くの国家権力と人民大衆を巻き込んだ一大陰謀が繰り広げられるのであるんであるんであるう。 どうだ、驚いたか! この奇妙奇天烈荒唐無稽の阿呆馬鹿小説の野放図さに! しかしこの古今東西にわたる複雑怪奇な世界を、形而上学的超高層から非形而上学的最深部に至るまで小さな大脳前頭葉一個で大精査想像創造し、ちびたトンボ鉛筆ただ一本で書きに書き殴るピンチョンの旺盛な作家根性には脱帽の他ない。 | ||||
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何の予備知識(作者については読後に調べたので)もなく漠然と手に取ってしまった私にとって、難解さが疑問でした。 難解さ自体に何か目的があるのかと思いつつ、少し面倒になりながら、かといって放り出すこともできず… 読み終わってみて、やっぱり解りませんでした。 が、少しだけ、何かが引っかかる。 もう1度読んでみよう、確かにそう思わせます。 理解できなかったので評価に迷いましたが、もう1度読んでみようと思えたことで星3個としました。 | ||||
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『競売ナンバー』は志村版2種&英語版を持っていて、精読していたつもりだったんですが、今回の新訳を読んでその考えが改まりました。 文章の端々からピンチョン独特の世界が浮かび上がってくるようで、その明晰さに叩きのめされた感じです。 今後刊行されていく新訳ラインナップも楽しみですね。 | ||||
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本作のテーマは陰謀とパラノイアとエントロピーですが,実はとてもユーモアが効いています。 今のアメリカにはさまざまな形でパラノイアが存在します。 いつか誰かが襲ってくるのではないかとの疑心暗鬼に取り憑かれた国民は,自らを銃で守る権利を主張し, 誰もが銃を持てることで更に銃の恐怖が増加するという悪循環。 そんなパラノイアに取り憑かれたアメリカを,どこか笑い飛ばすような気持ちが,作品の裏にあるのかしれません。 本作品に登場する人物は誰もが普通のようで普通でない,どこか「パラノイア」に取り憑かれたような人が次々に現れます。 「おがくず」という言葉を聞いただけで昔のことを思い出し過剰に反応する主人公の夫ムーチョ。 合い鍵を使って勝手に部屋に入ってくるロックバンド「パラノイア」のメンバー。 本作を本気で読み解こうとすれば,奥が深く本当に難しい作品なのだと思いますが,戯画化された登場人物たちの言動や振る舞いは ユーモアにあふれどこか微笑ましい気さえします。 | ||||
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難解極まりないと言われるトマス・ピンチョンの作品の中では、比較的取っつきやすいと言われているようです。 でも、すごく難物でした・・・。謎が謎を呼ぶ複雑なストーリー展開。詳細な脚注を見ながらでないと、とても背景の意味を汲み取れません。 それでも、言わんとするメッセージは割とストレートで、「この世は陰謀に支配されているのではないか?」。特にアメリカの社会の「パラノイア」を描こうとするものらしく、確かに、大量破壊兵器があると思い込みイラク戦争をしてしまったり、ケネディ暗殺の政府陰謀説がいつまでたっても消えないことなど、時としてパラノイアとしか思えない世界に入り込むアメリカって言うのは、住んでみて実感として感じるところではあります。 ただ、今から40年以上前の「問題作」なので、その「問題」のありようも、何となく古く感じます。SF小説とも言えるストーリーの飛びっぷりも、突き放したような距離感のある語り口も、今ではちょっと古いです。翻訳のせいなんだろうか・・・。 なお、本作が生まれるきっかけとなったとされるメキシコ(スペイン生まれ)の画家レメディオス・バロのエピソードは、非常に興味そそるものです。女流のシュールリレアリストで、何とも幻想的な作風で、かなりはまりました。トマス・ピンチョンのインスピレーションを大いにかき立てたであろうと、大納得です。 | ||||
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ものすごく不思議な作品。 総じて難解なのです。 多分1回読んだって到底理解できない まるで空の上にいるかのごとく世界。 でもその読みにくさが 逆に読む意欲を掻き立てるのです。 意地でも読破してやるぞ! という感じの感情をね。 決して煮え切らないという作品ではないものの 癖があまりにも強すぎます。 なので、玄人好みの1冊でしょう。 悪い作品ではなく、読者を選びます。 | ||||
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難解、分厚い、歯が立たないみたいなピンチョン作品の中でも分かり易い作品ですよ〜というレビューを読んで、それじゃあと初めて読んでみました。 事実、親切な注解が、かなり理解を助けてくれました。写真や図版もいいですね。読み終わった後で、ネットにピンチョン・コムというものがあって、そこでは全作品の詳細な解説頁があることも発見しました。こちらは、図版がカラーで見れます。ユーチューブでは、ピンチョン本人の声も聞けます。予想と違って、力強い声なんですね。 それにしても、驚いたのは、1966年の作品に、映画『マトリックス』の世界観が出てきた部分です。ジャンクでコミカルな部分と、史実に沿った大胆な解釈が渾然一体となり、正統なネットワークと非合法ネットワーク、はたまた孤立するためのネットワークなど、過去を語りながらの、この未来予測には、ただただ驚くばかりです。 | ||||
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