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ずっとお城で暮らしてる
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ずっとお城で暮らしてるの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全32件 21~32 2/2ページ
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ミステリー小説には肉体的苦痛による恐怖と精神面でじわりじわりと痛めつける恐怖があると思う。 このお話は後者にあたる。 田舎町の資産家ブラックウッド家で6年前毒物による殺人事件がおき生き残りのメアリ'キャサリンと姉コンスタンスと 辛うじて生き延びたジュリアン伯父さんと3人で殺人現場のおきたお屋敷で暮らしている。 ジュリアンおじさんは6年前の事件の事を一語一語書き漏らしの無いよう思い出しては記録している。 村の人々からはこの姉妹が親族を毒殺したのではないか、、と 限りなく黒だと確信しメリキャットに嫌がらせを働く、そんな村人はみんな死んじゃえばいいのに!とメリキャットは思う。 食料を買う時以外は一切外出せず外界とも一切遮断の生活をしている。 ある日従兄弟のチャールズが家に居候に来たことにより家族の関係もきしみはじめる。 正直この話を読んで日本の犯罪史における毒物カレー事件の林真寿美被告がものすごく重なりました。 リアルタイムで毒物カレー事件を見てた時、限りなく黒に近いグレーの被告のうちに押し掛けて 豪邸を囲んだカメラ取材クルーにホースの水をぶちまけたりしてた姿を思い出してしまった。 このお話はすべてメリキャットの語りで書かれているが始めは彼女は被害者の様にも見えるのだが後から加害者であり 村人が彼女達にした事は至極最も当然と思える行為だったと見える。 ブラックウッド家に来たチャールズは常識人で彼女達に外の世界に触れる様に努めるがどうも読み進めるとなんかキナ臭く感じてしまう。 最後はバッドエンドかハッピーエンドか聞かれたら彼女達の中ではハッピーエンドだと思うが 第三者から見れば姉妹がとても奇妙で近寄りがたい怖い者になっている。 肉体的損傷によるイタミの描写は無いものの精神的損傷によってできたのではないかと思われる おかしな価値観がこの作品の怖さをを築き上げていると感じました。 一日でさくっと読めてしまう内容ですが読後この本を誰かに言わずにはいられなかったです。 | ||||
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主人公のメリキャットは18歳にもなるのに その精神年齢は12歳のままです。 6年前に一家を襲った事件により 心の成長が止まっています。 そして優しげな姉・・・とんだくわせものです。 だって自分を慕う妹を利用したともいえます。 まあ、そのことで自省の念からかひきこもりになっていきますが・・・ 夢の世界に住む姉妹の前に現実・・・ 守銭奴の親戚が出現することで危ういバランスの姉妹の世界が変わっていきます。 心が12歳の少女はまたしても結果がひきおこすものを 想像することなしにやってしまいます。 究極のひきこもりの哀しい魔女たち・・・ そんな感傷をいだきました。 鬱っぽい気分のときは読まない方がいいと思います。 なんというか暗澹たる思い・・・ | ||||
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狂気に満ち満ちたホラー小説です。 決してこの本では怪奇現象、 幽霊等は一切出てきません。 人間、と言う存在から恐怖を書き立てる 稀有なホラー小説ともいえましょう。 とにかく登場人物の居所、行動そのものが どこか怪しいのです。 それにメイン人物二人が住んでいる場所も 殺人事件(?)があったといわれるいわくつきの場所。 それに会話にもところどころに毒物の話が 出てきますし 恐怖が最高潮になるのは 語り手であるメリキャットが 突如家に入り込んできた侵入者を 「排除」するところから。 狂気に満ち溢れていきますから。 とにかく陰鬱な雰囲気が 文章全体から出てきます。 二人への近隣住民の敵意など 夜に読むときついかもしれませんよ。 | ||||
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2種類の翻訳本があるのですね。わたしが読んだのは山下義之:訳のほう。 次は市田泉:訳の方も読んでみよう。 どこか違和感のある冒頭。文章や翻訳がおかしいのではなく、物語り自体がすでに 意図的におかしい。メリキャットとコニー、二人の姉妹の穏やかでいびつな日常。 メアリー・キャサリンの無邪気な狂気。姉コンスタンスの乖離した理性。 二人だけの安逸で絶対なる世界。 そして、どこまでも甘く爛れたカタルシス。 なんとなく怖いんだけど、ずっと浸っていたいような。ずっと読んでいたいような。 ホラーやサイコパスものと言えなくはないけれど、あえて"ゴシック・ロマンスの傑作" と結んでみたり。 | ||||
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怖い怖いといわれている主人公のメリキャットですが、とってもスナオな可愛い子です。自分たちの平穏を壊そうとする無理解な(ごく一般的な)ひとたちに対する敵意は烈しく、「しねばいいのに」と、直接的ですが、その感情が常にぶれないので、見ていて、一途で健気で愛らしく、彼女を取り巻くすべての悪意から彼女を守ってあげたい!いやなものから遠ざけてあげたい!誰も彼女を苛めないで頂戴!という気持ちになります。 メリキャットが誰よりも愛している姉のコニーは、穏やかで家庭的で、どこまでもメリキャットに好意的で、愛して許して包み込んでくれていて、この子もまた、守ってあげたい!と思わせる可愛い子です。 メリキャットの、理にかなった攻撃的な思想より、コニーの大きな大きな大きすぎる愛情こそ、ぞっとするかもしれません。 読みながら、メリキャットの嫌悪するものは本当に醜いものに感じるし、メリキャットが素敵だと思うものはとてもキラキラして見える。ぐいぐい引き込まれます。 今までもこれからも、大好きな本です。 | ||||
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感想: 恐怖とは「生活を成立させている現実への認識を脅かすもの」と捉えると、事理は明確になるような気がします。 あるいは、わたし達は、何(どの現実への認識)を排除しなければ、生活ができないのか? わたし達は何を思って生活していますでしょうか。 何が生活の根幹にある価値観なのでしょうか。そしてその前提になる記憶とは? 自分の持つすべての記憶について、それが現実だと確認・証明しながら生きている人はほとんどいないでしょう。 (常にすべての自分の記憶を確認・証明している人がいるとしたら病気です) だからこそ、私たちは盲目の現実を生きているという迷路に陥れられる可能性を排除する事ができないはずです。 そのため私たちは、「ある者たち」は排除しなければ生きていけない。 そしてそれは、罪です。 と思いました。 うーん・・・どうも言葉にしきれません。そんな残余が残ります。 なので、良い作品です。 主題はまったく異なりますが、感触・趣はニコール・キッドマン主演の映画「アザーズ」と似てると思いました。 | ||||
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壮絶な負の感情がぶつかり合う小説です。長編と言うにはページ数も少なく、2日程度で読みきってしまいましたが(時間がある方なら一日で充分でしょう)、読後感のもやもやはずいぶんながいことつづいています。 冒頭、語り手の少女メリキャットが村人から蔑まれながら、家(お城)に帰り着くシーンから始まりますが、ここからは村人の集団の悪意がひしひし伝わってきます。集団対個人。ここで感じる恐怖はいじめを見るときの嫌悪感にちかいです。一人の少女が大人にも子供にもよってたかってからかわれるのを見ていると、メリキャットがなんどもつぶやく「みんな死んじゃえばいいのに」のせりふも当たり前に思えてきます。城に閉じこもって外を怖がる姉と、体の不自由な伯父を、無邪気な妄想の魔法で守ろうとする少女。メリキャットの印象は初めそんな感じでした。 しかし読み進んでいくうち、メリキャットの中の敵意が底知れないものだということに気がつきました。この敵意は無垢で無自覚でした。村人達のブラックウッド家に対する悪意は自覚的でしかも彼らはたった一人でブラックウッドと対峙することはできません。いつも徒党を組まないといけない。しかしメリキャットはいつもたっと一人で敵意をむき出しにしています。メリキャットに感じる恐怖は怪物を見る感覚に近い。 つまり「ずっとお城で暮らしてる」をよむホラー好きの皆さんは二種類の恐怖の相克を楽しめるわけです。 村人の燃え上がるような悪意とメリキャットの冷たくてゆるぎない敵意の対決。最後はどちらが残るのでしょう。 | ||||
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本著で出てくる狂気は普段は体裁とか常識等がはばかっていて表には表れないがほとんどの人間に潜んでいるのではと。 もしも登場人物のように同じ感情をいだき、同じ局面に出会ってしまったら同じ行動を取っているのではと。 想像力豊かな人が読むと、かなり来ると思います。 私のような鈍感な人間ですらその風景がありありと浮かんできましたから・・・。 | ||||
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Shirley Jacksonの『We Have Always Lived in the Castle』(1962年)の翻訳。 1994年にも学習研究社から山下義之氏の訳で出ているが、それとは別の訳。 『たたり』や「くじ」で知られるアメリカの女流ホラー作家だが、本書もめちゃめちゃ恐かった。 超自然的なものとかは出てこないのだが、人間の狂気と悪意が「可愛らしく」描かれており、ぞっとさせられる。 寝る前に読むのは絶対にやめた方がいい。 | ||||
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村の中でも旧家のブラックウッド家、ワケあって村中の人から忌み嫌われていて、姉妹と彼女らの伯父の三人で、ほとんど屋敷から出ずに暮らしている。訪問客もほとんどなかったが、それなりに楽しく毎日を送っていたところに、いとこだという若い男が現れたことで、平穏な日々が壊れ出していく・・・。 シャーリイ・ジャクスンは幽霊屋敷ものの傑作として名高い「山荘綺談」(「たたり」より「山荘綺談」のほうがピッタリ)や短編「くじ」の作者として著名ですが、本作もなかなかのもの。「山荘綺談」では超自然的なものを扱っていたのですが、ここではそういったものは一切出てきません。それでも怖い。とても怖い。はじめは村の人々に邪険にされる姉妹に同情するのですが、読み進めていくうちに、無邪気さの中にある狂気、残酷さに背筋がヒヤリとしてきます。幽霊など出てこない分だけ余計に怖い。 怖い小説は好きだけど、最近あふれ返っている「ジャパニーズ・ホラー」とやらに食傷気味の方もいるでしょう。そんな方は、一昔前の作品に目を向けてみては。中でもシャーリイ・ジャクスンの諸作はおすすめ。十分な怖さと満足感が味わえること、請け合いです。 | ||||
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うまい作家だなあと思う。 小さなエピソードを重ねて、人の仮面の裏側を暴いてていく。 幽霊も怪物も出てこない。 出てくるのは人間だけ。 そこが、こわい。 良い本だが、手に取った後での注意点をふたつ。 ひとつ、本文を読む前に解説を読んではならない。 ひとつ、ジャクスンの代表作『くじ』『たたり』を未読なら、本文を読んだ後も解説を読んではならない。 | ||||
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本書は、病める女性の内なる狂気と錯乱、これに尽きます。 「あれ、自分はひょっとすると周りと少しずれた時空に属しているかもしれない」という感じは、誰しも一度は抱いたことがあると思います。 本書はその雰囲気を極限まで推し進めたらというジャクスンの思考実験であるとも読むことができて、そういう意味では『くじ』と並ぶジャクスンの代表作です。 | ||||
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