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ペスト
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【この小説が収録されている参考書籍】
ペストの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全304件 241~260 13/16ページ
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コロナウイルスが世界的に蔓延してるっていうこともあって、日本でもこの翻訳がなかなかよく売れてる。amazonnで注文して、1週間後にようやく読むことができた。ま、それはそれとして、なかなかに面白くはあったが、コロナとは違うペストの世界、キリスト教社会、隔離社会、云々&等々 194*年、アルジェリアの要港オランで発生したペスト。前半三分の一くらいまでは、都市全体の封鎖もあって、緊迫した状況が続く。死者も周りの人間も含めて増えてくる。が、しかしだ、それから後は、相当だらだら&またまただらだらとしてだな、なかなかに&相当にかったるい。 で、登場人物が価値観、生き様を語り合ってるうちにだ、あっという間にペストは終息しちまう。老医師の開発した血清の効果もあったにせよあっという間だ、でも1年近くかかってるんだけどね・・・ 新型コロナと比較して読んでも、ま、いいけど、相当違う。オランの住民は、マスク、手洗いをしないし、飲食街でどんちゃん騒ぎ、劇場映画館は満員、で、ペストは増え続ける。当たり前じゃんとコロナを知る今となってはおかしな風景。これがカミュの描く”不条理”の世界っていうことなんだろうか。 戦後間もない時期にリリースされたっていうこともあって、直前のナチスとの戦争のこともあるんだろうか。 今、読むにはこれっきゃない!っていうほどのこともなかったなっていうのが正直な感想、コロナも終わって何年か後にもう一度読んでみるのが正解かもね。 PS(2020-04-11) Eテレ「100分DE名著」再放送で、中条省平先生と内田樹先生の解説を聞くことにより、「そうか、そういうことだったのか!」って、深読みができた。さあ、近いうちに、もう一度読もうか! | ||||
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単なる感染症と医師の闘いの物語ではなく、人間が不条理に対しどう生きればよいかを示した作品です。 『不条理』とか「意味を持たないこの世界を、意味を求めずに生きることができない人間の生き方」と説明しても理解してくれる人はほとんどいません。しかしカミュがこの作品で主張したことはそれなので、読むのならそれを理解しなければもったいないです。 もうすこし簡単に理解しようとするならば、カミュが第二次世界大戦で人間同士が殺し会うのを目の当たりにしたことを考えてみるとよいかもしれません。 「互いに殺し会う人間をペストから救うことに何の意味があるのか」これを深く考えて突き詰めると「この世界に意味はなく、意味のない世界に生きることに意味がない。戦争で多くの人が死んでも世界に何の意味もなく、ペストで多くの人が死んでも世界に何の意味もない。しかし人は生きようとする。世界から生きる意味を与えられないのに、人はどうやって生きていけばいいのか」これに対するカミュなりの答えが『ペスト』に書かれています。 『異邦人』の虚無的なムルソーと『ペスト』の正義感に溢れているようなリウーは真逆の人間と感じられ、読者を困惑させます。「シーシュポスの神話」を読み、カミュの言う『不条理』を理解すれば、『異邦人』と『ペスト』の両方の理解に役立つと思います。 | ||||
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是非読んで損はない本です。 | ||||
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高校生のころ、「名作を読まなくては」という義務感に駆られて、この「ペスト」や、「戦争と平和」などを 読みました。正直、当時の自分にとって、どれもそんなに面白い本ではなくて、何故こんなに評価され、歴史に 残ったのか、疑問に思ったものです。 2020年春の現在、読んでみて、驚きました。 これが「自分の物語だ」という事に気付いたからです。 (はてしない物語の、バスチアンのように) 名作というのは、ある状況において、人に「これは自分の物語だ」と 思わせる力があるからこそ、年月をけみしても、求められ続けるのでしょう。 「ペスト」は、この数十年、多くの日本人にとって「自分の物語」ではなかったかも しれませんが、今、我々は、この物語を「自分の物語」として読める日がやってきました。 まさに、いま読むべき本だと思います。 | ||||
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一九四※年にアルジェリアのオランで発生したペストに対して、必死に闘う市民たちの姿を描いた小説です。オランが閉鎖されるという描写が、現実に起きていた中国・武漢の封鎖と重なり、こうした時に人はどういう心理状態に置かれ、どう行動するのか、現在進行形の新型コロナウイルスの感染拡大と引き比べながら、興味深く読みました。 特に印象深かったのは、二か所です。 一つは、パリに残してきた愛する女性のもとへ行こうと、何度も市からの脱出を図ろうとしていた新聞記者ランベールが、主人公の医師リウーに、「僕は行きません。あなたがたと一緒に残ろうと思います」と述べたところ。リウーが、幸福のほうを選ぶのになにも恥じるところはない、と言ったことに対し、ベルナールは、「自分一人が幸福になるということは恥ずべきことかもしれないんです...現に見たとおりのものを見てしまった今では、もう確かに僕はこの町の人間です、自分でそれを望もうと望むまいと。この事件はわれわれみんなに関係のあることなんです」と返し、ペストとの闘いについて、リウーらとの連帯の意志を示す。 もう一つは、リウーが、保健隊に志願したジャン・タルーと共に、夜の海で一緒に泳ぐシーン。「再び服を着てしまうと、二人は一言も発することなく帰途についた。しかし、二人は同じような気持ちをいだいていたし、この夜の思い出は二人にとって快い思い出であった」。二人は特に言葉を交わさず、二人が手をかいで泳ぐ音だけが聞こえてきそうな静かなシーンだけど、再びペストとの闘いに臨もうとする二人の強い連帯感が感じられて、とてもいいシーンでした。例えば、親友同士というのは分かり合っているから、あまり、言葉を交わさないですよね。 分けのわからないモノ(この場合はペスト)と対峙したとき、人というのは、互いに助け合ったり、励まし合ったりするのではないか。作家カミュは、そういった、人に根差す連帯感への信頼というものを信じているのではないか。この小説を読んで、そう感じられました。新型コロナウイルスとの闘いから、新たな文学の力が生まれてくることを信じています。 | ||||
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電子版で持っていましたが、家族にも読ませたいので買いました。 コロナウイルスの混乱下でぜひ読んで欲しい本です。 | ||||
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絶望せずに闘って生き残り、死ぬまで生きる勇気をくれる物語。 「ペストに襲われ、外部とまったく遮断された一都市のなかで悪疫(あくえき)と戦う市民たちの記録という体裁をとった物語」(464頁)です。 時は、194*年の四月から、翌年の二月の開門(434頁)まで。 舞台は、仏領アルジェリアのオラン市。 この物語では、熱病ペストの発生による感染を拡大させないために 街の人々を外部と遮断、隔離しようと、市の門が閉鎖(都市封鎖)されます。 この不条理な密閉空間の中に閉じ込められた人々は、さまざまに反応し 変わっていきます。ほとんど変わらない人々も描かれます。 著しく変わった登場人物: 神父パヌルー、判事オトン、新聞記者ランベール、密売人コタール ほとんど変わらなかった登場人物: 医師リウー、旅行者タルー、老官吏グラン、喘息病みの爺さん 「人々は相変わらず、同じようだった。しかし、それが彼らの強み、彼らの罪のなさであり、そしてその点においてこそ、あらゆる苦悩を超えて、リウーは自分が彼らと一つになることを感じるのであった」(457頁) 主人公の医師リウーは、ほとんど変わらない人間と一つになる人物として描かれています。 変わらないことが、人間としての強みであり、罪のなさ? 人間は、歴史の教訓から学び、未来の感染症の大発生を防ぐように変わっていくべきでは? この物語においては、門の閉鎖(都市封鎖)は、なんと翌年の二月まで続いたのです。 一番不条理と感じたのは、 医師のリウーにもよくわからないまま、ペストが終息したことです。 死ぬかと思われた下級役人グランが奇跡的に回復したことです。(391頁) ペストの病原菌が発見され、抗生物質という治療薬が開発された後でさえも、 なおかつ、20世紀末に発生したペスト。人間がコントロールできないペスト。 人々の「開門のあとに続いた歓喜」(434頁)は大きかった、と描かれます。 医師のリウーにもそれは分かるんですが、…… この物語の最後の一節を引用します。 「事実、市(まち)中から立ち上る喜悦の叫びに耳を傾けながら、リウーはこの喜悦が常に脅(おび)やかされていることを思い出していた。なぜなら、彼はこの歓喜する群集の知らないでいることを知っており、そして書物のなかに読まれうることを知っていたからである――ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古(ほご)のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠(ねずみ)どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを」(458頁) 感染症の大発生は、今後も消滅することはないのかも。 いつか再び、流行する日が来るのかも。 原作者カミュは、「ペスト」を単なる伝染病としてではなく、 死すべき運命の人間の内なる病(罪)としてとらえます。 人間の内なる病として、人々の命を奪うペストや戦争をカミュは描きました。 犠牲者の立場に立つことを認識し、 死刑という<殺人>にためらいを感じ抵抗します。 ペストの大流行(パンデミック)は、14世紀から15世紀にかけてアジアからヨーロッパに広がり、 19世紀にも発生し、20世紀末にも発生しました。 ペストの病原菌は、北里柴三郎によって発見され、抗生物質という医薬品が開発された後でも、 人間社会を脅かし続けているのです。 日本では絶滅したかに見えるペストですが、 世界の他所から国内に持ち込まれる危険性は残っている今日の状況です。 ペスト感染者数(WHOデータ)の推移の画像を添付します。 「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもない」以上、 いつでも、何回でも人類を死の恐怖にさらすことでしょう。 できることは、経験を記録として残し、記憶に留めておくことだけ。 昭和四十四年発行の本書『ペスト』は、令和二年三月三十日現在、八十七刷。 過去のペストの流行が「書物のなかに読まれうる」という著者カミュの予言は、 この『ペスト』という文庫本が日本でも世界でも息長く読まれ続けていることを思えば、 当たっています。 災害はいつも忘れたころにやってくる。 『ペスト』の原作が出版されたのは、1947年。 《備考》 「市の門が閉鎖されてしまう」(96頁) 「純良な酒は黴菌(ばいきん)を殺す」(114頁) 「おれはペストにかかったとわめきながらその女を抱きしめた」(116頁) この物語の中での人々の言葉と同じような言葉は、今でもテレビから聞こえます。 都市閉鎖の時の人々の言葉を読んで、考え続けています。 この物語『ペスト』が書かれた1947年から、七十年以上も経った現在、 感染症に対する社会の姿勢、個々の人々の状況、反応は、変わってきたのでしょうか? まったく変わっていないようにも感じました。 「自分」だったら、どう振る舞うだろうか? 試されているような気もしました。 | ||||
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新型コロナウイルス感染が拡大している今また世界中で本作が読まれているようです。 なぜなのでしょう? 未知のものだけに恐ろしさから?歴史から学びたい?世界がどうなるのか知りたい?何かしらの答えを求めて? ペストは菌による感染症で致死率が非常に高く人から人への飛沫感染もあり肺炎などの合併症とコロナに類似する点もあります。が 結論から言えば本書には新型コロナに対する答えはありません。残念ながら… そもそも「ペスト」はナチスだそうです。 カミュは一貫して不条理を描きます。 人生には避けることも自身の力ではどうすることもできないことが起こります。 しかし 新型コロナの影響で起きた問題の数々 アジア系人種に対する差別 ネットにさらされる感染者の個人情報 他国だけでなく同じ国民間での疑心暗鬼 排他主義や利己主義… 本書にはそれらに対する答えはあります。 信仰さえあればペストなどにかからないと言っていた神父が最後にはどうなったか たまたま訪れた地でペストに見舞われる記者は職務より恋人を残してきた故郷に帰りたい。 医師ベルナール・リウー 志願によって組織された保険隊 ペストをまえに人々は変わり団結します。 いま世界に求められるものです。 ひとりひとりの行動が大切な人の命を守る。 ペストは駆逐されます。 新型コロナにも人類は打ち勝つ日は必ず訪れます。 …たしかに読みづらさはあります。 訳者の宮崎嶺雄氏は1908年生まれです。 ペストを訳したのは1950年です。 今から70年も前の翻訳ということです。 | ||||
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知人に頼まれたので、詳しいことはわかりませんが、とても良かった‼️とのことです | ||||
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新型コロナウイルスが蔓延している2020年3月末に、あらためて本書を読んでみた。 ペストについての科学的情報や、医療現場での具体的対処法を期待して読むと、期待外れに終わると思う。また、ウイルスのアウトブレイクに関するパニック小説とも一線を画する。 ここで書かれているのは、都市の閉鎖(ロックダウン)のような、周りから隔離された(著者は「追放」と言っている)状況で、人々はどう考えるか、どう行動するか、という問題への哲学的・文学的な考察である。 なので、主題は別にペストでもなくてもよかったのではないか。戦争でも、宇宙人襲来でもよかったのだと思う。 このような状況でも、自分のすべきことを誠実に続けていくことが、不条理と闘う姿勢なのだと感じさせる。 | ||||
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ペスト大流行にさらされる、1940年代のアルジェリアの要港オランを舞台としたアルベール・カミュの小説。毎日百人単位で人々が亡くなっていくのに、町が封鎖されて外部へ出て行くことすら許されないあまりにも不条理で極限的な状況の中で、人々がどう考え、どう行動したかが、リウー医師の目とその相棒の旅行者タルーの手帳を通じて語られる。最年少ノーベル文学賞受賞者らしい、その圧倒的な表現力と見事なまでの描写力には感嘆の念を禁じ得ない。 本屋さんのレジのところに置いてあったので、思わず手に取って買ったが、おそらく今回の新型コロナウイルス騒動がなければ永遠に読むことはなかった本だろう。さすがに、今回のコロナは、ペストほどには恐ろしくないと信じたいが、過去のスペイン風邪の例もあるので油断はならない。 物語の途中でパヌルー神父が、このペスト流行は神の怒りによるもので、ひたすら悔い改めをすることによって、神の怒りが鎮まるのを待つしかない旨述べるシーンなんかは、さすがに「鞭打ち巡礼」までは出てこないものの(似たような狂態は登場するが)、ヨーロッパの人口の四分の一が失われたという1348年のペスト大流行の時から人類はちっとも進歩していないように感じさせる。 ただし、オトン判事の息子がペストとの壮絶な戦いの末に命を落とすのを目の当たりにして、この神父が、「皆さん。私どもは踏みとどまる者とならねばなりません」とより人間的?になっていることや、タルーの、「誰でもめいめい自分のうちにペストをもっている」「人は神によらずして聖者になりうるか」という言葉からは、この神父自身が”踏みとどまれなかった”ことも含めて、カミュ自身のある種の宗教観のようなものを読み取ることができるように思われる。 それにしても、世の中何が起こるかわからない。恐ろしいものである。改めて過去の歴史の教訓をあだやおろそかにしてはいけないと痛感する。これからの日本が、いや世界が、リウー医師の言う、「際限なく続く敗北」の連鎖に陥らないことを願うばかりである。 | ||||
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現在、日本も直面している伝染病とそれに対する政策の問題を見事に描いたノーベル文学賞受賞のカミュの名作。 訳が少し古いのが玉にキズだが・・。 | ||||
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せんだって NHK "100分で名著" で取り上げられていたので,購入しようと思っていました.新型コロナウィルスの流行で,一体何の予言だったのかとびっくりしました.読んだつもりになっていたけれど,大人になってからきちんと読み直すべき名著というにはたくさんあるなと思います. | ||||
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オランの夏、すべてはすでに起きていた。感染の始まりと不気味な拡大。初期の無関心から過度の恐怖へ、そして無力感ゆえの沈黙へ。都市の封鎖。脱出の試み。生活必需品の欠乏。医師の疲弊と絶望。新型コロナウィルスを体験してみると、描かれた物語が非常にリアルなものだったことに驚かされる。群像のキャラ立ちが鮮やかで予想外に面白い。 | ||||
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コロナの影響で売れていると聞いて購入しました。感染症と闘う医師と、それを助ける数人の友人との関係がよかったです。誠実であることが重要であるという考えに共感します。 | ||||
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不条理(理不尽)をどう乗り越えるか。医師リウーの奮闘や仲間との連帯、愛する人を思う心、犠牲者に寄り添うこと、自分にできることをするなど多くの教訓が読み取れる。 重いテーマではあるが、読後は晴れやかな気分になる。 COVID-19パンデミックの今こそ読むべきではないか。 | ||||
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カミュの「ペスト」は「白鯨」に刺激を受けて書かれたものという解説を読んで、ペストは「悪」の象徴と分かりやすく、ペストに対する反抗は、全体主義やファシズムへの反抗と読み変えやすく、当時の戦後の風潮が、この作品のベストセラーに貢献しているのは、明らかです。 「白鯨」は、まだ解釈の幅があり、批評家の解釈を多様に引き起こしますが、「ペスト」は、問題意識が明確な分、時代を経つにつれて、その意義が少しずつ薄れていくのが分かります。 カミュの「反抗」により人間が繋がるという一時性は理解できます。この「反抗」は、作中ではペストという疫病に対してですが、例えば、反米や反韓とも置き換えれますし、フェミニストによる反男性への団結やマルクスの反資本主義、アジア圏の反西洋とかにもいえます。 この「反抗」による団結は一時的なものに過ぎないので、結局は、その反抗の成功により、団結が失われるという危機が訪れてしまうという悲劇が立ち上がります。しかし、同時に、「反抗」すべき悪に対して、「反抗」しないことも許されず、結局、「反抗」の渦に呑まこまれる。「反抗」の勝利は、終結ではなく、あくまで始まりであって、そこから、新しく社会を建て直すことに、視点を動かしていかなければならない。 「戦う操縦士」のサン=テグジュペリの「人は何かに反対して死ぬのではなく、何かのために死ぬのです」というセリフがありますが、当然、カミュも「反抗」による繋がりの一時性を知りながら、思索を発展していくことになります。 サン=テグジュペリは、犠牲の精神や人間主義にファシストや社会主義に対する返答を提出し、戦争へと向かい、カミュは、まだ「反抗」の先を見すえきれずに、それでも戦いへと実存的にのぞみ行きます。 | ||||
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悪性の伝性病「ペスト」にみまわれたある街。住民のパニック・デマ・エゴイズムを淡々とした筆致で描かれます。そして自らおかれた立場や職務に対する「誠実さ」だけを頼りにペストと戦う医師や協力者たち。今でも通じる人々の描写と物語の普遍性に驚きます。新型肺炎の感染拡大という深刻な状況が報じられている現在、この小説を想起された方もいらっしゃるのではないでしょうか?亡くなられた方々にお悔やみを申し上げるとともに感染の終息を願うばかりです。 | ||||
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好みではないのですが、必要に迫られて泣きながら1週間で読みました。重苦しい気分で読み終わりましたが、読んだら読んだで充足感はありました。 仏領アルジェリアの要港で1940年代に起こった架空のペスト禍について最後には書き手が明らかにされる淡々とした記録と、そこに別の市井の人物の非常に主観的な手記が挿入されて、描かれていきます。ペストの前兆であるネズミの大量死から始まり、病人の発生、行政の事なかれ主義、そして市の閉鎖をさっと描いた後で、主人公リウー石を中心に病禍と戦う人々、ペストが蔓延していてもわが身は安泰と安堵し、密輸に走り、病禍を楽しむ人物が描かれます。もっともその人物はペスト終焉後に報いを受けますが・・・。多くのお民衆の姿が挿入的に描かれます。その落差が変な感じですね。町を脱出する機会を目前にしながらそれをやめた人物の気持ちの変化を読み取れず、残念無念。 | ||||
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北アフリカの街オランでペストが発生し、町全体が外部との交通をシャットアウトされる。 別に突拍子もないSF的な展開があったりするわけではないので、詳細な内容については読んでいただければいいのが、この状況は今日、西アフリカで流行しているエボラ出血熱と似ているのではないだろうか。そういう意味ではペストに限らず重い感染症が都市部で流行したらどうなるか、街が封鎖されるとともに街の中にも隔離区画が作られたり医師たちが苦闘するあたりなど、感染爆発についての興味深いシミュレーションとして読むことが出来るだろう。昨今の西アフリカの状況を想起させるため、エボラ出血熱について描かれたノンフィクション『ホット・ゾーン』などと併せて興味深いかもしれない。 また、隔離という人権を考えるに当たって極めて重い措置について考えるにあたり、北条民雄『いのちの初夜』などと併せて読んでいただけるとよいだろう。特に『いのちの初夜』は、病気に対しての誤った知識と誤解に基づいた処置がどのような結果をもたらすか、という意味においても一読の価値があるように思われる。また、病気としては発病後数日で劇的に症状が進行して死に至るペストと数年間掛けて少しずつ体を蝕むハンセン病では絶望の中身が自ずと違ってくるのではないだろうか。などなど文学の観点で病気を見るとどうなるのか、という点は興味が尽きないだろう。 ただ、文豪カミュの本ということでさぞや難しいだろうとお思いかもしれない。戦後70周年という時節柄かナチスオタクが多いのか何なのか知らないが、amazonのレビューにも散見されるのだが、ナチスがどうとかというのはあまり気にしないほうがいいだろう。大体本文にはどこにもナチスなんて単語は出てこないし、この小説は街が病に覆われて苦闘する人たちの記録であり、素直に読めばそれにこそ目が行くだろう。そう考えるとナチスがどうとかという超解釈以前に今、エボラ出血熱などの最前線で人々がどのような苦闘をしているのか、それにこそ思いを馳せるべきだし、文面を素直に読めばそう読めるだろう。私たちは先進国で高度な医療に保護されて暮らしているが、その保護に預かれない人たちは多いのだ。今苦しんでいる人たちに思いを馳せたい。(2015年5月17日に私が別のサイトで投稿したレビューを再投稿しています) | ||||
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