■スポンサードリンク
ペスト
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
ペストの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全48件 41~48 3/3ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
文章が難解でかなり読み難い。翻訳のせいかも知れませんが。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
現在のこの監禁状態を小説にすることは、何であれ実際に存在するあるものを、存在しないあるものによって表現するのと同じくらいに、理にかなったことである。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
翻訳が古いせいか、文章が頭の中に入ってきづらく、言い回しが難しくて、読んでいてもどかしかった。しかし、おそらくカミュの文体がそういうインテリチックなのだろう。ぼくには合わなかった。 解説にも、「想像や感情に訴える要素は極めて少なく、むしろ主として頭脳に訴える作品」とあるが、だとすればなぜカミュはこの題材――この題材を通じて語ろうとした自らの思想を、小説という形式で語ろうとしたのか。解説によれば、この作品は六年もかかったいわば労作であり、それはペストに関する知識や小説の複雑な構造に現れていると思うが、ぼくには「異邦人」のような強烈な独創性を感じることができなかった。 確かに、ペスト=戦争=殺人、というとらえ方にカミュ独自の視点があることはそうなのだが、そもそも毎年のように天災に見舞われる日本に暮らすぼくにとっては、ペストもまた天災以上のなにものでもなく、それがどんなに人間の姿形を醜く変形させ、人間を徹底的に苦しめた末に死に至らしめるのだとしても、ぼくはそれを悪と見なすことができない。もちろん、天災は嫌だし、憎い。しかし、その憎悪は人間を襲った残酷な運命に対してであって、自然の猛威に対してではないのだ。 というわけで★三つだが、それはカミュの文学への信頼と情熱がこの作品を読むことで十分伝わってきたからである。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
世評と真逆のことを言うのは勇気がいるが、つまらない小説だった。カミュを知らないわけではない。『異邦人』や『シジポスの神話』に描かれる実存主義と反抗を絶賛してきたのだ。だがこれは何だろう。前作の評判で気をよくした作家の「受け狙い」か。 ペストをナチスに「読み替える」という解釈があるそうだが間違いだ。ナチスの暴虐は西欧社会の明白な失敗の結果であって、ペスト細菌に転嫁できる話ではない。ナチスが突然「異界」から襲撃してきた、とする連想は無責任である。ペストはペスト、ナチスはナチスだ。Forget it! 『ペスト』というタイトルの作品はこれが最初ではない。1722年の昔、ダニエル・デフォーが1655年ロンドンのペスト大流行を材料にしたルポルタ-ジュ風小説がある。当時ペスト菌などは発見されておらず空気伝染と考えられていたので、46万ロンドンっ子は慌てふためいた。疫病の発生から終焉迄の詳細を追うにはデフォーの方が総括的で生々しい。カミュが描くオランの情景の大半は、デフォーのパクリかと疑えるほどだ。 カミュの『ペスト』はルポルタ-ジュではない。疫病と戦う人々の「連帯」を描いているのだ。しかし本書は彼がこれまで追求してきた「反抗」とは趣を異にする。もちろん彼お得意の「実存主義風」な味付けはたっぷりある。しかし『異邦人』に描かれた宗教や世間との息詰まる対決はここにはない。小説構成に不可欠な対決者(antagonists)が不在なのだ。登場者全員が、神父も含めて、リウー医師の働きに敬服し、彼を手助けしてしまうのだから、緊張感があるように見せつけて全く緊張感を欠く物語になってしまった。 パヌルー神父の二つの説教はこの小説の一つの山場である。最初の説教は、東日本大震災の際に「天罰だ」と述べた都知事の発言と変わらないが、二度目の演説は「神の為されることは不可解だ」、我々にはその神を「全否定するか全肯定するか」の選択肢しかないと、人間にとって神が負担になっていると読める信仰告白をするのだが、もともと神を信じてないリウー医師はそれによってたじろぐ様子はない。 10名ほどの登場人物の行動は詳細に描かれる。ペスト蔓延期間中にその何人かが死に、何人かが生き残るが、その選択は作者の恣意に任されている、と考えられる。死亡するのは門衛、「高等遊民」のジャン・タル-、リシャール、パヌルー神父、オトン判事、フィリップ(オトン判事の幼い息子)、リウーの妻、コタール(密輸業者で逮捕後罪が暴かれて処刑されるだろう)。生き残るのはリウー医師、リウーの母、カステル老医師、ランベール(新聞記者)、グラン(作家志望の下級役人)、マルシェ(市の鼠害対策課)等々である、登場人物をフラット・キャラクターとラウンド・キャラクターに分けるとすれば、死者の中で門衛とフィリップ、リウーの妻は、物語進行上欠かせない中立的人物だが、その他はラウンド・キャラクターに分類できるだろう。これらの人々はペスト災害の中で多かれ少なかれ自己変革を遂げた人物である。生き残りは最初から最後まで思想を替えなかったといって良い人々だ。つまりカミュは「連帯」を強調しながら、その「連帯」を否定していると考えられる。これをどう診れば良いか、カミュには「転向者は再び転向する」としたパルチザン時代の不信のトラウマが残っているということか。「排除」を許容する連帯は自己矛盾だ。 一方で、町の人々は全く背景化される。いや背景にもなっていない、描かれていないのだから。フランス植民都市オランは「20万の人口を持っていた。」とされる。その大半がアルジェリア人のはずだが、この町の「アラビア人」に関する記載は、冒頭でパリの記者のランベールが「アラビア人の生活状態について」聞きたいとリウー医師を訪問する一箇所のみ。「黒人」という記載も一つある。この訪問の後リウーとランベールが連れだって街に行く途中「二人は黒人街の路地をずっと下がって行った」という1行。黒人とアルジェリア人は別人か、説明は一切ない。『異邦人』では他者化されつつも「アラビア人」が確かに登場した。本作におけるカミュの被支配者への無関心はエドワード・サイードを(この部分は読んでいないが)激怒させるだろう。 以上を総括していえば、本作は「連帯」という言葉に安易に縋った、解りやすいが通俗的で奥行きに欠けた小説と断罪する以外にない。P,ソディという刊行当時の評論家はこの作品が絶大な人気を得たことについて述べた後、『ありふれた逆説であるが、彼は一般大衆の支持を得ると同時に知識人たちの支持を失ったのである』と述べている」そうである(平田和重氏)が、私も同感だ。『ペスト』は「実存思想」を刺身のツマにしたロマン小説に過ぎない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
テーマ性や物語から伝わるメッセージはとても共感できた。名作と謳われるのもうなずける。 だが、ここぞという箇所に限って文体がマジきつい。何度も読み返さなければ意図するところはおろか、文章の意味さえ理解できない。原典の文体に忠実なら仕方ないが、もし訳者の作家性が出ているのなら許しがたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
殆ど描かれず。キリスト者の信仰が敗北していく過程が痛快。艱難を経た人々の連帯は権力に利用される恐れもある。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読了したのは社会人に成り立ての頃だと思う。 読書というものが、よく消費という悪癖を持つ小生には、この書物がその被害に遭わられた。 小生は外国の翻訳小説というものが、元来苦手である。 それはリアリズム描写に対して、(`・ω・')無駄無駄無駄♪と感じてしまうのだ。 そんなわけでじっくり読むわけでもなく、極限状況での人間の尊厳がどのように守られるか・・・ その点に期待して読んだのですが、如何せん消費的読書では感銘など得られない。 世界的著名なAlbert Camusのペストをこのような読み方でしか知り得なかった不幸に詫びる。 再読はない。何故ならば、小生には積ん読習慣があり、小生を待つ幾千数多の書物が手招きしているのでありやんす(^O^) が故に消費的読書に陥りやすい小生は、(゚д゚)ポカァ〜ンと口を開け放たつのでありやんす・・・ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公の医師と友人のタルーが、テラスで話をする場面がある。 タルーが「人を殺す一切の根拠を否定する」みたいなことを言うところがあって、その通りだなと僕は思ってしまう。 第二次世界大戦で虫けらのように人が殺されて、僕たちは平和な時代を生きていて対照的ではあるけれども、現在でも日本では自殺者が年間三万人近くも出ていて生命の在り方は、まだまだ新しい問題だと思うからだ。 いくら国家が、法律が「人の命を奪う権利」みたいなものを規定していて、あたかも確立されているように感じられようとも、そのような根拠があるのだったら、ぜひとも教えてほしい。それはもっと別の人間の根源的な問題だと思う。正当だと見なす人は犯罪防止の抑止効果で批判するのかもしれないけれども。 人類生誕以来殺害に正当な根拠などありえない。 人間の尊厳などどうでもいい問題だという考え方がまかり通って、何も考えなくなったとき、最も怖い事態になるのだと考える。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!