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日はまた昇る
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【この小説が収録されている参考書籍】
日はまた昇るの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全46件 21~40 2/3ページ
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この小説をこの翻訳で読まずして、何を読むというのか。 あまりのレビューの少なさと評価の低さに唖然とするしかない。他の翻訳も決して悪い訳ではない。しかし、リズムと達意、広がるイメージ、申し分ない翻訳に、ただ感謝するのみ。 | ||||
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ノーベル賞作家ヘミングウェイの最初の長編小説です。 以前、誰かが21世紀になって、作家的地位が劇的に暴落した作家としてヘミングウェイとノーマン・メイラーの名前を挙げているのを目にしたことがあります。十代から二十代の前半にかけて、そのふたりの作家を愛読していた者として、若き日の自分を否定されたようで、いつかまた読み直したいと思っていたので、年の瀬の迫ったこの時期に、改訳ではなく、あえて昔読んだ新潮文庫大久保康雄訳での再読です。おそらく三十年振りでしたが、さくさく読める簡潔な文体と、いくつかの読みに誘う人物造形と人間関係は、十分現役感に溢れる名作だとの印象を新たにしました。翻訳自体も、他の大久保康雄訳でかまびすしく言われるような違和感や誤訳感(という語があるか定かでなく、誤訳があっても気づけたか心許ないですが)もないように思います。 ところで、五十を峠を越えたいまから振り返ると、本書であったり、ほぼ同時期に読み始めたフィッツジェラルドであったり、ウォン・カーウァイであったりに、自分が思っている以上に影響されたんだなぁと、だからどうだ、いまさらどうだというわけでもありませんが、すこししみじみとしてしまう今日この頃です。 | ||||
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戦争により性的不能に陥った主人公ジェイクの旅物語。スペインでの闘牛の描写は迫力満点。ジェイクの恋や美しい自然描写、ワインなどのお酒の描き方まで、ヘミングウェイらしさが詰まった小説。 ヘミングウェイの小説の中で個人的にはこれが一番好き。 | ||||
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●古典的な物語の場合、主人公の前に、社会、世間、他者という大きな壁が立ちはだかる。 壁を打ち破ればハッピーエンドになるし、壁の前に倒れれば悲劇となる。 しかし、この小説は、そういう古典的な物語ではない。(したがって賛否が分かれると思う。) ●本書の主要な登場人物は、禁酒法時代のアメリカを離れ、ヨーロッパで自由を謳歌する若者たちだ。 彼らは、酒、恋、祝祭、闘牛etc.に明け暮れる。 彼らは自由だ。 けれども、その心には、茫漠とした砂漠が広がっているように思える。 彼らの前には、(古典的な物語にあるような)人生を賭して立ち向かう壁がない。 彼らはスペインに出かけ、フィエスタを楽しみ、闘牛にうち興じる。 けれども彼らの旅は、命を賭けるような恋や革命ではない。 彼らは、その血を沸き立たせ、精神を充足させることはない。 彼らはどこへでも行ける。 けれども、どこにもたどり着かない。 この小説は、物語を失った若者たちの(ハッピーエンドでも悲劇でもない)物語なのだと思う。 ●ヘミングウェイはこのあと、「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」という戦場を舞台にした大作を書く。 死と隣り合わせの世界で、生きることや死ぬことを凝視する。 明日をも知れない環境の中で、一瞬の花火のように燃え上がる恋を描く。 おそらく、切れ目のない倦怠に包まれた時間を描いた「日はまた昇る」のような作品は、若い時に、たった一度だけ書くことのできる小説なのだと思う。(私は、本書を読みながら、文体は全く異なるが、梶井基次郎の作品を思い出していた。) | ||||
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特に日本では、村上春樹さんの影響でヘミングウェイよりフィツジェラルドを重んじる傾向がありますが、是非、フィツジェラルドファンにも、この作品を読んで欲しいと思います。但し、他のレビューにもあるように、個人的には、大久保康雄さんの翻訳でないとヘミングウェイの本当の良さが伝わらない気がするので、新潮文庫には、現在の新訳と並行して大久保康雄さんの翻訳版を何らかの形で再販して欲しいです。その大久保康雄さんの巻末の解説にもありますが、ヘミングウェイ自身は、「ロストジェネレーション」と呼ばれることに、少なからず抵抗があったようです。が、この作品の享楽的で刹那的な若者たちの姿を洗練された文章で爽やかなほどに描く背景には、「喪失感」や「孤独」「虚無感」といった、晩年、彼が自ら命を絶つに至った大きな理由の一つが、既にムードとして不気味なほどに漂っています。そして、この作品により、ヘミングウェイは、『価値の喪失』という新しい価値観を、アメリカに、そして世界に、鮮烈に提示してみせたことにより、「ロストジェネレーションの代表」となりました。それがたとえ、彼の意志に反していたとしても、彼が世界に提示してみせたものは、それほどに衝撃的かつエポックメイキングなものでした。そういう点からもヘミングウェイという現代文学に、未だに巨大な影響を及ぼしているこの作品を、フィツジェラルドファンを含め、是非、多くの方に鑑賞して欲しいと思います。 | ||||
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ノーベル章作家ヘミングウェイの最初の小説。会話が主体であるので、読みやすく数日で通読可能。途中、スペインの情景描写が続くが、当地を旅行した人には楽しめるだろうが、それ以外の人には楽しめないかもしれない。題名から、明日への希望が湧くような小説を想像するかもしれないが、これは聖書の伝道の書(コヘレトの言葉)の冒頭からの引用で、“日“は昇るけど沈んでしまうので、無常ではかないものの象徴。それに対して、大地の方は不変なものの象徴ということを、ヘミングウェイは述べたかったようである。つまり、この小説では、朝から酒を飲んで、享楽的に過ごす、富裕な作家らの退廃的な生活を描くのは主題の一つではあるが、彼らにはそれだけではない部分があるということ。ヘミングウェイのスタイルは、描かれた小説の一部を氷山の一角として、全体の解釈は読者に委ねるスタイルということもあって、この小説の解釈は多岐にわたる。主人公が、美人で奔放なブレットを独占しようとしない深い愛情とそれを理解しているブレットとの関係は、美しいが、結果としてとる二人の行動は、まったくブレットの欲望のままで、主人公のジェイクは、友情も信頼もそれによって失っていく。伝道の書は、知識があっても、この世はコントロールできない無情な世の中なので、飲んで食べて楽しみなさいと前半では述べている書で、聖書研究者の中でも、どう解釈するか評価の分れる書である。本作の読後に、伝道の書の第1章を読めば、ヘミングウェイが彼なりのこの部分の聖書に対する解釈を書いた小説ともとれる。解説に小説の結末が書かれているので注意。 ブレットを小説史上最悪の悪女としている論もある。朝から酒を飲んで、パーティーを好み、一緒に同行した男性がいるにも関わらず、その旅先で、新しい若い男を誘惑したり、恋人の前で、別の男との恋愛を平気でする。特に本人には美人ということ以外、なんら魅力はなく年齢も34歳というのに思考に成熟したところはなく、職もなく、お金も持ち歩かず(自分で支払うつもりなどない)、男同士の友情も、恋敵にして、殴り合いの喧嘩にしてしまう。殴られてしかるべきは、この女のほうなのだが、ジェイクの目で小説を読んでいる読者も、何故か魅力を感じてしまう存在。実生活にも、こういう美人はいるが、巻き込まれた人の行く末は、この本に書かれてあるとおり。この本の、その他の魅力は、スペインでの釣りの描写(釣り好きの著者らしい)とスペインの牛追いまつりと闘牛の描写(好きになる人と嫌悪する人に分れるかもしれないが)。ユダヤ人に対する差別が、小説に書かれているのは、批評家に指摘されているとおり。最後に、次のセリフは印象的。“君は、人生がどんどん過ぎ去ろうとしているのに、その人生をすこしもうまく使っていないと感じることはないかね?もう人生の半分近くが過ぎ去ってしまったと感じてぎくりとすることはないかね (p15)” | ||||
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二十世紀初頭パリに集った若きアメリカ人たちの酒と女と遊びの日々。旅と祭りの日々。 解説によれば、そんな狂騒が可能だったのはドル高を背景にアメリカより楽に暮らせたから。 まだ二十代のくせにみなやたら金払いがいい。 不況日本しか知らない日本の若者はどう読むんだろ。 主人公の年齢を一回り以上越え、暮らしに追われる身となったいま読み返してみると、共感はできない。 ちっ。おまえらもっと働けよ。 でも、自然描写の瑞々しさはやっぱりいい、と思った。 もっと抑制的な文章のような気がしてたけど、意外に冗長で甘い。 それも含めての瑞々しさなのかも。むだなところまで目と心が届いている、そんなあり方自体が若い。 二十代の日々の輝きややるせなさ、どうしようもなさをすべてひっくるめて見事に封じ込めた作品だと思います。 | ||||
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パリで主人公の男が友達と遊んだり、釣りにいったり、スペインで闘牛を観るというお話でした。が、私は最初全編を通読した時、個々のエピソードは明確で判り安いけれど、全体として何がテーマの小説なのかよく判らなかったので、後ろの解説を参照しながら読み返して何となくわかったつもりになりました。 全体のテーマとしては失われた男性性の回復が主題になっているようです。戦争で体の機能の一部が失われた主人公が男として復活できるかがこの小説の要諦になっていて、主人公が体験することも、例えばボクシングを観たり、釣りをしたり、闘牛を観たり、自転車競走のことを聞いたりとこの当時の男性向けスポーツが多数描かれていたり、男性性を強調するところが多く、また去勢牛についての雑談や釣りの「竿」、途中で主人公が読んでいるA・E・W・メイスンという作家が男のロマンを主題にした冒険小説を得意としていた人だったりということが「男性」の暗喩になっているようです。また最後に暗示されるエピソードも主人公のその後の未来をポジティブに描いているらしいです(が、ここら辺は読んだ人それぞれ意見が判れそうですが)。 これも解説に書いてあることですが、著者は氷山の海面にでている8分の1を描くことで水面下の8分の7を書くという作風だそうでかなりの精読を要しますが、それだけの苦労をして読む価値は十分あると思いました。個人的にはラウリー「火山の下で」以来の疲弊を感じました。新訳だそうですが、昔の訳は読んでないし原書も読めないので比較はできませんが、スラスラ読めていい訳だと思いました。ただ、一寸だけ出てくる伯爵のセリフで「〜じゃよ」という部分がありましたが、実際にこういう喋り方をする人はいないと思うので少し不審に思いました。この辺は訳者の方と編集者の方の見識を問いたいです。 ヘミングウェイは中学の頃ダラダラと読んで以来何十年かぶりで読みましたが、大変面白かったです。この人とフォークナーは新訳で且つ文庫で全部読めるといいですね。 | ||||
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自分にとってのヘミングウェイのベスト3の1つ。 スペインに行ったときに,ヘミングウェイの足跡をたどる時間がなかったのが残念。 一見、暗そうな話の中に、希望が見えて来るのがヘミングウェイの人間性の証しなのだろうか。 | ||||
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思いもよらぬことが起こっても、それはすでに知られていることである 人生に対するこんな既視感が小説全体をおおっている。 しかし、それでもなお人生が愛に見合う代物であることが感じられる作品になっている。 思いのままに過ごす若者が持つ虚無感とその中でなお湧きたつ生命の躍動を 誇張のないありのままのかたちで伝える文章。 いっそ爽快なくらいのショック 初めての闘牛で退屈したりしたら恥だぞ、ロバート 恋人を旅立たせて、ある男と馴染ませる といった高見浩の訳語も良い。 戦傷で性行為不能となった主人公ジェイクが 享楽的に生きる奔放な友人たちをシェイクして、エゴの闘いの場にいざなっていく。 かれの人生観は、雄牛どもを闘牛場にいざなう去勢牛のものとも言える。 本当は、事態は不可避的に進み、主人公は常に受け身であるのに むしろ蚊帳の外にいることさえあるのに 終盤で、自分が打算的にヒロインや仲間たちをわざと闘牛場にいざなったかのように言うさまは 人生に対する彼の大きな諦念を感じさせる。決して嫌味になっていない。 読後感が爽やかなのも 登場人物がみな魅力的であるからだろう。 ただ自堕落なわけではない、信頼を寄せるに足る善良さを芯に備えている。 | ||||
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普段あまり本を読まない人にもおすすめできる。 自分は文学的な批評は出来ないので、単純に言いたいことは「最後まで読め」です。 最終章は、本当にこの作品の総括。最後の台詞に鳥肌が立った。 『日はまた昇る』 The sun also rises. | ||||
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今まで、ゲームやテレビにはまってて読書とは小学生低学年以来疎遠になっていた自分。 このままじゃ良くないということで、なんとなく図書館でこの本を借りてきました。 ヘミングウェイにした理由は、名前は知ってるけど本を読んだことはなかったから。 で、読んだ感想ですが、正直なとこ、淡々とした語り口で読書始めには敷居が高かった;; でも、巻末の解説で当時の時代背景を知ったことで、 第一次世界大戦後のアメリカに生きる30代前後のロスト・ジェネレーション感が伝わってきた。 そして、この本に出てくる登場人物はその後も同じような感じで生きていくんだろうなと。 晩年、ヘミングウェイは躁鬱により命をたったとのことですが、 この小説からもヘミングウェイの躁鬱感を感じました。 哀愁ともいえるのだろうけど、たまに読むぐらいがちょうどいいかも。 | ||||
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初めて読んだのが、高校生の頃だったから今からもう数十年前のことになる。その時は、まだまだ洟垂れ小僧だったので、この本の面白さはからきしわからなかったし、読む終わるのに結構時間がかかったような気がする。再読してみてこの本の面白さに改めて気がついた。 この数十年、個人的にいろいろと学ぶことがあったし、いろいろな経験を積んできた。いろんな本を読んできたし、この本の背景になっている歴史的状況もわかってきた。フランス、スペインの地名にも聞き覚え、見覚えのあるものが少なくない。 だから、今回は一気に読み終えることができたのだと思う。それも、多くの興味と感慨を持って。 恋多き女性ブレット・アシュレイと彼女を取り巻く元カレ、婚約者、元夫、行きずりの若き恋人、そして「僕」、個性的な彼らの熱情がスペイン・パンプローナのサン・フェルミンのフィエスタの始まりと呼応するかのように爆発し、そしてフィエスタの終わりとともに急速に冷めてゆく・・・・・。 登場人物はそれぞれが何らかのコンプレックスを抱いている「失われた世代」の若者たちである。 その後、20世紀にはさらに大きな戦争があったし、21世紀までに、我々は何度かの局地的な戦争を経験することになる。いつの時代も若者は何かを得、何かを失っていく。 私が読んだこの岩波文庫版は、1958年リリース時のものであるのにかかわらず、日本語訳が決して古臭く感じられない。それは、作家ヘミングウェイのたたみかけるような短いセンテンスのせいであろう。こういう簡潔な訳になってしまうのだ。 時間をおいて何度か読み返したい名作の一つである。 | ||||
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当方にとっては、つつましやかながらもやや多感な10代後半に読んで以来、時々思い返すように拾い上げて新たに想いふけるという楽しみをもたらしてくれる名著だった訳ですが、最近「新訳」が出たことを知り、そちらと比較しながら「それじゃぁ、原文は?」ってんで、英文も買って読み、その結果、3冊所有という状態になりました…もぅ40代にもなったのに(苦笑)。 ズバリ言うと、最近の翻訳も良いのですが、大久保氏の翻訳も<かなりイケてる>と思うのです…私の印象+言語感覚だと。でもそれは恐らく、具体的な個々のセリフや訳の正確さといったレベルのみならず、レイアウトやフォントのスッキリ加減や読み手の立ち位置にも関わるモノでもある気がするので、万人に向けたレビューの公平性には欠けると思いますが、もし仮に「この翻訳/装丁では、今後入手できない」のであれば、寂しいと同時にももったいない、と思うのです…どうでしょうか?新潮さん? あー、直接関係ないですが、この作者の他の有名な作品は、(日本語も含めて)あんまり好きでは無いんですよね…たぶん「重たい」からだと思いますが。 | ||||
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日本語訳を2種類読んだ後に「原文だと、どうなの?」との想いが消えず、原典を当たろうとペーパーバックなどを調べていたら、本書が<日本製>で買えると発見し購入しました…新刊でも安かったし(笑)。しかし、予期せぬ最大のポイントは、巻末に難しい(?)表現の「参考訳」がついていることで、私のような素人には大変にありがたいです〜! この著作は(一般に)シンプルな表現がウリであると語られていますが、英文だと更に「力強さ」を感じる気がします。こんな簡素な単語/表現の羅列で「このような素晴らしい話」が描けるという事実に改めて感動…とは言っても「奥深さと難しさ」もありまして、英語力の弱い当方が読み進むのはいまだ難航中です(やや泣)。 | ||||
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『日はまた昇る』はあまりに有名な作品ですが、 大人になってはじめて読みました! 最初、英語を朗読を聞きながら読みました。 そのあと意味の確認のために日本語訳も読みました! どこがどうという事はひと言では言えませんが、 心に残る作品!そこが名作の名作たるゆえんなのでしょうか、、、 ともかく一度読むと忘れられない作品です。 『老人と海』が好きな方はぜひとも、、、 | ||||
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いわずとしれたヘミングウェーの名作ですが、、、 女の立場で読むと、、、 ひたすらに「男の体臭」のようなものを感じます! 当たり前ですが、女性的感性をまったく感じないことに、 逆に驚きます! 軟弱な文学が多い昨今、真のハードボイルドを感じることができました! | ||||
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ヘミングウェイによる彼の代表作の一つ。 著者自身の実体験をモチーフにした作品。 「戦争で負傷し性行為不能になった」という主人公ジェイク。 彼を軸に元恋人や友人グループ達の人間模様を、 フィエスタに湧くスペイン、パンプローナを主な舞台に描く。 心にも体にも重い傷を負った主人公ジェイクと、元恋人のブレット。 お互い愛する人からその証を決して得ることができない。 苛立ち、諦め、そして絶望。 付かず、離れず、紛らわす。 その二人の微妙な距離感が何とも絶妙だった。 また、フィエスタの躍動感溢れる描写が素晴らしい。 活字からその熱気が、砂埃を通してビシビシ伝わって来るようだ。 さらにカフェと葡萄酒、そしてバラエティー豊かな料理の数々が非常に食欲を掻き立てる。 読んでいる間中、食べたくなり、飲みたくなった。 | ||||
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P273〜の、主人公が人生観を語る部分が良い!と思います。言葉の使い回しがカッコ良く、考えさせられ、人生の一面をうまく表現していると思います。 | ||||
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ざわめきと焦燥の文学。 主人公ジェイクの姿はヘミングウェイー自身か? 時に苦悩し自信回復したりを繰り返す。 「人生は祭りだ・・」この言葉の意味は、本書読んで初めて理解できるではないか? 拳闘、牛追い祭り、恋愛、葡萄酒、渓流釣りと印象的なシーンが多い中、私は登場人物達がうまそうに飲む葡萄酒が印象に残っている。 いつか渓流釣りをしながら、冷やした葡萄酒を飲みたいと思いながら果たせないでいる。 | ||||
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