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邪宗門
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【この小説が収録されている参考書籍】
邪宗門の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.57pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全47件 1~20 1/3ページ
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ひのもと救霊会が自滅的な武装蜂起をして壊滅した後、救霊会指導者行徳仁二郎の次女阿貴は、京都警察病院の一室に監禁されていた。ポリオの再発によって健全だった左足まで麻痺し、さらには左手にも及び、首と右手だけがかろうじて動くだけの病人になっていたからだ。そんな阿貴を心配して見舞いに来てくれる信者もわずわかながら残ってはいた。しかし担当の看護婦は邪険で、阿貴の頼みにもソッポを向いて知らん顔したりする。下の世話も嫌がる。それでも彼女は生きようとする。「私が今一度この病を克服し、わたしの信仰心によって、この看護婦さんの邪慳さをも和らげることができたとき、その時こそ、私は真の、ひのもと救霊会の継主となるのだから。神さま、神さま。どうか私に、生きる力をお与えくださいませ」。 この本を最初に読んだのはずいぶん昔だ。色々な場面を折々ランダムに思い返すのだけれど、最後まで忘れないのは、この阿貴のエピソードではないか、そんな気が最近、するのだ。 | ||||
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著者(高橋和巳)の人間観察とその心理描写の鋭さが素晴らしいと思った。教主の人物描写も人格の大きさ、宗教家としての幅の広さを感じさせる描写は優れている。大本教をモデルとしていると思うが、教団としての成り立ちや国家権力と立ち向かう教団としての存在意義を失うまいと、闘う教団の群像が生き生きと描かれている。 | ||||
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① すでに絶版の新潮文庫版では「たまわんこと。」になってますねえ。259頁。(昭和46年11月30日発行 昭和58年8月30日16刷) ② 推薦するのは誰であるのか、という点では、東京大学出版会による東京大学教授アンケートで「邪宗門」がトップ10に入ってましたねえ。2010年代だったかと。UPにありましたね。 | ||||
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下巻第469頁:尾智少年が打ちつづけていた文面が、改めて胸に迫る。神部駅の冒頭シーンから、是非堪能して欲しい。 | ||||
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大本教をモデルにしながら作者のイマジネーションで描かれているがそのリアリティーには驚かされる。壮大な叙事詩で圧倒的な読後感。宗教、国家、革命、権力、転向、ユートピアなど様々なことを考えさせられた。破滅に向かう武装蜂起は後のオウムを予見していたかのごとしである。まさに日本文学の金字塔といえる。団塊の世代のおばさんに高橋和巳の話をしたら「和巳、和巳」とアイドルのように呼んで大喜びしていた。早逝が惜しまれる。 | ||||
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底本となったのは「高橋和巳全集」第七巻(小説7邪宗門(上)) ですが、後に刊行された「高橋和巳全集」第二十巻390頁に掲載 されている補記追補が反映されていません。 ・第一部十六章「諫暁」の最後の部分(本文庫288頁) 校正前「深くこの意を察したまわんこと。」 校正後「深くこの意を察したまわんことを。」 出版社には数年前に連絡しましたが、2021年7月30日発行 の第6刷でも訂正されていません。「日本文学の金字塔」と本作品 を持ち上げるのであれば、本来の、あるべき形で読者に提供して下 さい。 (訂正されたことが確認出来るまでこのレビューは消しません) | ||||
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無し | ||||
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哲学・宗教的な内容なので,筋は面白いのだが読むのに大変な苦労がある。しかも面白いと言っても明るいシーンがほとんどなく,常に虐げ続けられている宗教団体…という感じで暗く読み続けるのが相当苦痛で,読むのが速い私でも相当時間がかかった,途中で気分転換で別の本読んだりしてて,しかも上下とあるので2か月くらいかかって読み終わりましたが,結局救われないどころか,終わり方が一番悲惨という…(涙) 太平洋戦争の前に生まれた新興宗教というか民間信仰というか,あるとてつもなく貧乏な女性が発狂する寸前に神が下りてきて,身の回りの人たちに奇跡を起こしまくるので神様と崇め奉られ,全国に百万を超える信者を集め組織的に動こうとする。目的はやはり「世直し」的なものになり,戦前で言えば治安維持法とか特高から弾圧を受け,宗教の本山などはダイナマイトで吹っ飛ばされたりという無茶苦茶。教主は警察に捕まり組織もメタメタに。 そうこうしているうちに太平洋戦争になり,信者も戦地に引っ張られ活動そのものも縮小したり,戦時中に国家の悪口言ってたら大変な事になったり,新天地を求めて満州に行き新天地でも布教しようと頑張っていたが,敗戦で全滅。日本の地を再び踏む事が出来なかった。 日本の信者たちも何百万人が数千人レベルに減ってしまったが,幹部が何とか盛り返そうと各地の残党に対して声掛けをはじめ,組織としてやり直そうとするのだが,結局世直しの方向に向かって,武力蜂起し町を自分たちで納めるまで行った。しかし米軍や日本の警察に壊滅させられ,何とか逃げた首謀者は,断食で生き仏になってしまい,一緒に生き延びた女性はその瞬間に舌を噛み切って死ぬ…というもはや救いようのない話。 この大筋の中に,色恋が出てきたり,福岡の炭鉱の話が出てきたり,昭和天皇に直訴するシーンとか,もう本当に色々な場面がちりばめられながら,明るい所は1ミリもなくむなしさが残る…。 貧者とは何ぞや、支配されるものなり 支配とは何ぞや、悪業なり 悪業とは何ぞや、欲望なり 欲望とは何ぞや、無明なり 無明とは何ぞや、執着なり ああ、如何にして執着をのがれんや、ただ信仰によってのみ 信仰とは何ぞや、救済なり 救済とは何ぞや、死なり 死とは何ぞや、安楽なり | ||||
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きれいな状態で満足してます。 | ||||
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梱包、納期、本の状態全て良し。毎日の読書。 | ||||
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高橋和巳は1960年代に矢継ぎ早に重厚な力作群を発表してベストセラーを連発した作家であるが、1971年に39歳の若さで没している。その後、なぜかこの作家は急速に忘れられていき、古本を探さないとその小説を読めない時代がしばらく続いたが、かつて全集を出版した河出書房新社が数年前にいくつかの代表作を文庫で復刊し、今に至っている。『邪宗門』はある新興宗教団体の隆盛と壊滅を壮大なスケールで描破した彼の最高傑作である。時代は昭和初期から終戦直後まで、舞台は日本国内各地の他、満州や南洋諸島を包含し、宗教活動にとどまらない当時のさまざまな日本人の生活を多面的に描いている。かつてフランスの作家サルトルは全体小説を唱えて『自由への道』を書いたが、『邪宗門』こそは人間の精神と肉体、人間が形成する社会や国家をまるごと捉えた全体小説のすぐれた達成ではないかとの思いがある。ただ、暗く底光りするような作風は高橋の持ち味であるものの、さらにメルヴィルや埴谷雄高のようにユーモアを持ち合わせていればと、それだけが残念ではある。ともあれ、せっかく復刊されたこの文庫版が末永く刊行され続けることを願ってやまない。来年は没後50年に当たる。 | ||||
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とすら感じさせる半世紀以上前の大傑作。 明らかに著者の「思考実験」ではある本作のその壮大さと緻密さと過激さの中にある多様性に読了後しばし圧倒されました。 あまりに一ページあたりの密度が濃く、一気に読めなかったために毎晩寝る前に10ページずつ程度を読み進めて半年かをかけて上下巻を読み終えましたが、ずっと読んでいられる。 「怒涛」のような思考の流れで時間の流れと人間の業をぶつけられます。 「男たちが敗戦の中で茫然としている中動いているのは全て女だった」 「人のやさしさに報恩すべき地盤がない以上それは負債にしかならない。放浪の人生に人の感情を豊かにする経験の数々を読みたがる人々は人間が3度3度飯を食わねばならない存在である事を忘れている。常時食の問題が念頭を去らぬどんな経験もその人の人格を豊かにはしない」 「人は幸いによって身を律するのではない。どのように死ぬかで人の名誉を全うするもの」 満州に渡った救霊会が全滅していく描写は、想像を絶する凄まじさです。 文章によってプライベートライアンの映像を見せられているような「体験」をさせられたのは初めてです。 ここまでの思考を内包して人は生きることが出来るのか。 そしてそれを文として表現できる凄さ。 大傑作です。 | ||||
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いつの世も敬遠されがちな特殊な新興宗教という環境。 その成り立ちと崩れていくサマ。 そしてそこから再興していく光がやっと見えてくるあたりで上巻は終わりますが本当に面白いですね。 十分現代にも通じる普遍的な言葉に満ちています。 「窮極において人を支えるものは何か。論議でも愛でもない。その者ひとりの孤独と意地である。女には女のみの知る誇りと意地があろう。誇りある女に育て」 「一列平等の理想にも拘わらず、人々は本当は一列平等には耐えられない。崇拝の対象が要り、そしてその人が自信に満ちて指導することが必要なのだ」 再興への道を千葉潔がどう辿るのか。 | ||||
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高校生の時、教科書のエッセイで高橋和巳を知り、20年位迄は繰り返し読みました。邪宗門も愛読した小説です。しかし、今、思うのですが、氏が『連合赤軍』を目の当たりにするまで生きていたらと。もうひとつの【憂鬱な党派】を読むかぎり、仲間を総括の元でリンチ殺人の予想はないように思われる。別なセクトとの暴力沙汰はあっても世間を震撼とさせる『連合赤軍事件』までは。これを目の当たりにしていたら彼の書く物が変化したのでは。これは望んでも仕方がないが高橋和巳があと数十年長生きしていたら。 | ||||
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高校時代、大学時代に繰り返し読んでいました。 自分が宗教について考えさせるきっかけとなった小説です。 エンターテイメント性もある小説と思いますが、個人的には、若い方にも、宗教について考える上で一度は読んでいただきたい小説と思います。(この点、反論も多いと思いますが......) | ||||
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簡単に言うと、おっぱい母乳ラノベ。それを大本がモデルの架空の宗教団体の興亡でコーティングしている。 | ||||
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簡単に言うと、おっぱい母乳ラノベ。それを大本がモデルの架空の宗教団体の興亡でコーティングしている。 | ||||
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40年ぶりに読了。いま読むとどうかなと思って読み始めたが、やはり圧倒的な読後感だった。これが小説というものだ。ほとんど時代性を感じさせない。高橋和巳の数ある作品の中でも、これだけは歴史に残るだろう。いやむしろ時代とともに奥行きと輝きを増してきている。これを読むと、いまどきの現代小説など読む気が失せてくる。大きな作家だった。こんな作家が39歳で逝ってしまったなんて、つくづく惜しまれるな。(なお巻末の佐藤優の引用だらけの穴埋め解説は、まったくの駄文で不要)。 | ||||
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高校生のとき,この物語のモデルとなった教団の血族の美貌のお嬢さんが,京都の私立高校に通っているという噂を悪童仲間がしていた。 大学に入ってしばらくすると闘争がはじまった。そして△△党主導の▽▽職員労働組合に潰され敗れた。そして鬱々と暮らしがあったのだが,その頃の自分を支えてくれたのが読書であった。高橋和巳で頭のなかをしちめんどくさくし,福永武彦でふやけさせた。 『邪宗門』はそのなかの1冊。たぶん単行本で読んだと思うのだが定かではない。このころの河出書房は元気があった。 「人間として」という季刊誌の編集もやっていたなあ。 | ||||
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40数年前に読んだわけですが、今読み返したくなる社会状況です。当時の単行本は大事にとって置きたいので文庫本を買いました。読み返しても『最高の日本文学』と改めて思います。『悪魔は一人の心の中には住まず、群衆の中に宿る。無責任という、悪魔のもっとも好む装いのもとに----。』これまさに今の日本人でしょう。 | ||||
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