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悠木まどかは神かもしれない
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悠木まどかは神かもしれないの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全19件 1~19 1/1ページ
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最後の終わり方が少し残念だったけどでも和の気持ちがオダギリスに向いてたことを知ってとっても嬉しかったです!叶わぬ恋で終わると思っていたけど以外と二人は似合うと思う 後批判に対する批判って訳じゃないけどもう少し純粋に楽しめないのかなぁ? | ||||
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帯は「真鍋かをり」、解説は「角田光代」と、新潮社の作家にかける意気込みは感じるが、 「新潮社文庫編集部では持ち込みの小説は受け付けない」という内規を打ち破った、とプロフィールに書いてある。 が、読んでみると、それほどの作品か、と思い、 新潮社文庫編集部も、そろそろ人材不足なの?と突っ込みたくなる。 | ||||
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何も考えずにスラスラ読めます。 しかし、軽薄な文章(っというかノリ?)の書き方は好きではないので、星一つ減らしました。 | ||||
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主人公は平凡な小学生男子、舞台は彼が通う塾と、帰りに友人と立ち寄るハンバーガーショップ。 大きな事件が起こるわけではなく、小学生の日常と、小さな事件や少しの成長の物語です。 でもそんな日常の中に登場する、明るく非常識な大人たちに対しての、主人公の彼の心の中でのツッコミや、小学生どうしの会話のテンポが良くて、楽しい気持ちで読みすすめられます。 それになんといっても悠木ジョシがカッコいい!小学生ならでは、小学生だからこその格好いいところと可愛いところを持つヒロインだと思います。 物語の中の期間は短くて、あっという間に彼らとのごくちいさな冒険は終わってしまうのですが、でも、彼らにきっといろんな未来があるんだということを感じさせる余韻のあるラストだったように感じました。 | ||||
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これは「買ったら負け」だと思ってましたが、どうしても批判したくなり、買って読んでから批判することにしました。 正直、読むに値しない駄作です。 まず、話題になったタイトルについてですが「まどかマギカを知らなかったとは考え難い」「知らずにつけたタイトルだとすれば、とんでもない無知か無能か恥知らず」という反応がありましたが、個人的には「それをまるで素晴らしい偶然か奇跡のように語る新潮文庫編集の感覚の異常さ」に、非常に不愉快な気分になりました。 とはいえ、作品の内容が本当に素晴らしいものならば、そんなのは些末なことです。 ゴーストライターが代筆した作品が評価されたり、受賞した作品の著者が有名人だとわかってベストセラーになったり。 偶然でも、いかに如何わしくとも、素晴らしい作品がより多く読者に届く機会が増え、出版業界が活況するなら、いいではないですか。 素晴らしい作品、であるならば。 読み始めてみるといきなり、友だちを「○○キョージュ」「○○ジョシ」と呼び「〜なのですか?」といった喋り方をしていて、あまりの気持ち悪さに面食らいます。 なんかセンスが古いです。 青春小説にしては、あまりに同時代性を感じません。 全編にわたって、作者が抱く現代社会への不平や不満が散見されます。 幼い頃から学習塾に通って、勉強一辺倒に過ごす子どもたちに対する不満。 政治家、官僚、社会に対する不満。 外見が良くないのに、思い込みばかり激しい人への不満。 子どもにキラキラネームをつける親への不満。 本作の主人公は小田切という少年でも、悠木和という少女でもなく、篠原というオッサンだった、という印象を受けます。 要はこの篠原というオッサンに、作者自身が言いたい事を言わせて、子どもたちにひと言物申したい、そんな作品ではないのかと。 作中で、最も重要な場面は、子どもたちを前に、篠原が「エリートに生まれた以上、社会や弱者のために生きるのが義務だ」「金儲けはするな、保身に走るな」「今の政治家や官僚のようになるな、もっと優れた人になれ」と説き、子どもたちはそれを感動しながら素直に聞く、という場面です。 なるほど、それは素晴らしい道理かもしれませんが、この篠原という人物はというと、職務中に仕事をサボって来客と駄弁り、うすら寒いセンスを疑うようなオヤジギャグを連発し、部下からは無能だ邪魔だと言われ、素性の分からない客に接客の仕事をさせ、一般常識や教養では小学生に遥かに劣り、他人を威圧する外見と語気の荒らさで相手を押さえこむ、そんな人物です。 子どもたちから最も冷めた目で見られそうなこんなダメな大人が、突然こんな説教をして、果たして心に響くのでしょうか? 世の中や弱者のためにと言いますが、何故「世の中や弱者のために生きなければならないのか」それに足る根拠は、残念ながら作中では示されていません。 篠原は言います、「勉強バカになるな」「小学5年で世の中の何がわかるのか」と いかにも、今の世の中をダメにしているダメな大人が口にしそうな、ありきたりな台詞です。 勉強漬けで成長した子どもたちは豊かな心を育むことは出来ないのでしょうか? 魅力ある人間にはなれないのでしょうか? 世の中の決まりごとに従わず、身勝手な解釈で生きて、不平不満を漏らすばかりのオッサンが、本当に魅力ある人間なのでしょうか? 長く生きてきて、物事や人生、見えてくるものの反面、見えなくなるものや、決めつけで視野を狭めることも、あるのではないでしょうか? 小学生の男子はエッチなことばかり考えていて、肥満の男子はいつも食べることばかりを考えている。 そんなの、人のほんの一面ばかりを見ての決めつけです。子どもを半人前に見て馬鹿にしている大人の視線です。 子どもたちに期待し、願いを託すのは、間違っているとは思いません。 けれど、世の中に不平不満があるのなら、大人自身も、自分の生きる世界で、自分の持てる力で努力をして、行動して、そして子どもたちにその背中を見せればいいのではないでしょうか。 とにかく、篠原というオッサンは仕事しないし、ダメ過ぎます。ちゃんと働け! 青春小説にも届かない、バカミスにすらなっていない、こんな陳腐な作品を評価する人がいるとしたら、新潮編集部の関係者か、作者と同世代のオッサンなんじゃないかと思います。 タイトルの話に返りますが、読み終えてみて、あまりに内容とタイトルが解離していると感じます。 内容と装画のイメージも、全く合わないです。 あとから取ってつけたように、本文で「悠木まどかは神かもしれない」「はたまた神か?」と書いているあたりも、あまりに雑です。 悠木和が人智を超えた存在のように書かれているわけでもなく、昨今ネットで使われる「神」のニュアンスとも全く違う。 それどころか「悠木和は普通の女の子であり、ダサダサのイモイモ」だと書いてしまっている… 新潮文庫は、人気アニメに便乗して嘘をついて話題づくりをしたと、断言します。 ライトノベルを彷彿とさせるタイトルに、ネットで活躍している人気イラストレーターを起用して、人気アニメに便乗をして、公式ツイッターで虚言まで吐いて、それで出来た作品がコレですか? いかに現在の文学作品は無価値で、読まれるべき作品もなく、語られる言葉も語る人もいないのか、はっきり理解しました。 新潮文庫の体質はあまりにも異常で、編集部には作品を読む目も、時代を読む感覚もありません。 より魅力的なキャラクターや、より刺激的なエンターテイメントを求めるならば、一般小説など読まずにライトノベルを読めばいいのでしょうね。 それが、私の結論です。 | ||||
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筑駒・開成が有望視され、将来の官僚エリートまで視野に入れている塾通いの小学生たちに、いつもゆるゆるのオヤジが「選ばれた者こそ、他人のため・弱者のために働け!」と檄を飛ばすくだりが、大人から子供へのメッセージとして、なおかつ官僚批判として効いてるなあと、意外に感動できました。 最後まで読むと溜飲が下がりますよ。そして、子供に読ませたくなります。 「バカミス」だけど、小学生または、その親御さんにふさわしい作品。 | ||||
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皆さん、中身のことを一生懸命批判してますが、私は、本のカバーだけで満足です。CDでジャケットを気に入って買うようにカバーに惹かれて購入しました。 本の中身は、カバーイラストの女の子の紹介程度の物なので、こんなに可愛い娘なのだから、本の中身が薄くったっていいじゃないか。 読むよりも持っているだけで幸せな本は少ないですよ。 ライトノベルの表紙は、これでもかって感じで飽きてきたので、このイラストは買いです。 | ||||
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まとめサイトやTwitter等で話題になっていたので、スキマ時間を利用して読みました。 内容は全く面白くなかったです。他の方が仰っているように、キャラのデフォルメが気持ち悪いと感じるほど最悪なものでした。 本編よりも、後ろに載っている角田光代さんの解説のほうが面白かったです。 この作者の本は、もう追わないかと・・・ | ||||
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作者の言い訳も見苦しい。 某作品のリスペクトで、くらいいっておけば好感も持てたのに。 万に一つ知らなかったのだとしてもです、それを世に出しちゃいけないでしょう? 編集の怠慢ですね。 新潮文庫も今までお世話になってきましたが、距離を置こうと思います。 | ||||
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自分の小学生時代が、どんな風に大人たちの目に映っていたか知るすべもないが、たぶん「ギャーギャー騒いでうるさいガキどもだ」と思われていたのだろう。この小説に登場する小学生たちは、勉強が出来るさかしげな子たちで、「うるさいガキ」ではない。しかし、子供に対して感じるうっとうしさは抜群である。名前のあとに「キョージュ」とつける、「サスガですな〜」「シビレますな〜」などと宣う。生まれたときからインターネットがある時代の子供って、こんな風にうっとうしいものなのだろうか?現実世界でネットスラングもどきを使う人ほどではないにしろ、この不快感は相当なものだ。 我慢して読み進めるも、色んな意味で頭の悪い大人がでてくるし、その大人のボケに対して主人公の小学生がツッコむのも、思わず呼吸が止まるほどまったく面白くないので、途中、何度も何度も「つ、つまんねえ〜!」と心の中で叫んだ。本当に読むのがつらくて、37回くらい本を閉じた。それでもなんとか我慢して少しずつ読み進め、ラストはそれなりに大団円だけれども、とても『ミステリ』といえるほどの謎がない。『弁当が無くなった』とか『なぜかいつも早く帰る子がいる』とか、それがどうしんたんだ?わざわざ小説にして売るほどの話か?という日常の謎派。『日常の謎』は、問題がシンプルであるほど、解決の鮮やかさが際立つという、実は書くのに相当の技量がいる分野ですが、この作品の解決を読むと…背中につららを突っ込まれた気分になります。最低最悪と言っていいでしょう。商業作品がこんなのでいいのか。 どんなレベルなのかと言えば、これは私の創作ですが、 (謎)『家の庭に昔からあった、どこか笑っている人の顔に見える窪みを持つ、両手で抱えられるほどの大きさの石が消えた。石のあった場所からアリとかダンゴムシとかが這い出てきて、窓から家に侵入してくるので困った!いったい誰が、何の目的で石を盗んだのか!?』 (解決)『……おばあちゃんが漬け物石にしていました。ズコー!』 というくらいです。 かといって『ライトノベル』ほどぶっ飛んだ人物もいないし、大人の演説にここまで子供が感銘を受けて人生を変えられるのかが甚だ疑問だし、そもそも悠木まどかがなにかしたのか?どこが可愛いんだ?どこが魅力的?どこが神?と、疑問点が山ほどわいてくる。 大勢の人から高い評価を受けている作品が必ずしも自分の好みに合うとは限らない。世間の評価が最悪でも最高に面白い小説はたくさんある(『六枚のとんかつ』など)。だから衝動的に本を買うのはやめられないのですが、帯の惹句につられたり、フィーリングで本を買うと大ケガをする、と、何十回も味わったことをまた体験しました。 やんなるな…。 | ||||
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個人的には、いろいろ中途半端な感じであまり楽しめませんでした。 (エリートコースを歩むことを自覚するくらいに)成績の良い小学生たちの姿は、 頭の良さゆえの痛々しさも含めてそれなりにリアリティが感じられ、面白かったです。 そういう子たちが頭の良さが大切なのではないと学ぶというのも順当な展開かと思います。 ただ対比として登場する大人たちは微妙…。 チェーンのファストフード店というマニュアル化の象徴のような場所に、 明らかに不適格と思われる型破りな設定(人格・服装)の店長やスタッフがいて、 仕事そっちのけで人生の教訓やエリートの歩むべき道を子ども達に演説するあたりは理解に苦しみます。 バカミスなのか、ライトノベルなのか、リアルな子供の成長物語なのか、 結局それぞれ薄味で、どれにもなり切れなかったというのが正直な感想でした。 普段持ち込みを受け付けていないにもかかわらず、ハードルを越えて採用された傑作という事らしいですが、 そのこと自体がもっともミステリーかもしれません。 | ||||
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知人の強い推薦で手にとってみた。「ラノベか……」。50歳近い大人が電車の中で読むにはちょっと気後れする表紙イラストだ。だが読後にこの気後れは、大きな勘違いであると気付かされる。 本書は一言でいうならば、進学塾に通う小学5年生の男の子の成長物語。しかし、作中一貫して流れる作者の「弱者へ向けられた温かいまなざし」が最後に涙を絞らせるのだ。 主人公は学校の成績はトップクラスだけど、俊英の集まる塾では目立たない成績の男の子。トップの子からいちびられるシーンから物語は始まるのだが、この会話がなんともいやらしい。天才・秀才といえども、場所が変われば凡才となり、偏差値という序列のなかでは弱者でしかないことが示されている。 この弱者がひとりの女の子に憧れることによって勇気を学び、夢を探る。そして「人はなぜ勉強するのか」という問いに対しても、明確なビジョンを持つようになる。このシーンは本書の白眉である。子供から「なぜ勉強しなきゃいけないの?」と聞かれたとき、こんなにも心を震わせる答えがあったとは。そうして子供は、勇気と夢、知恵を身につけて大人になっていく。 「弱者」は主人公だけではない。主人公の両親も、ハンバーガーショップの店員も、そこに集うサラリーマンもみんな弱者として描かれる。なかでも特に、女性店員に向けられた作者のまなざしはことのほか、温かい。 このまなざしの温かさは「人はそれぞれみんな違うからこそ素晴らしい」という多様性から導かれたものではなかろうか、と勝手に推測してみる。聞くところによると作者は豪州在住とか。かの国が白豪主義を乗り越え、人種や文化の多様性を認める国家になったことは記憶に新しい。そんな国の人だからこそ、かくも弱者に寄り添う物語が奏でられるのだろう。 人生は強いとか弱いとか、勝ったとか負けたとか、「かくあるべき」とか、そういう見方をするもんじゃない。勇気と夢と知恵をもっているか、否か。自分とは違う存在に対してどれだけやさしくなれるか、否か。表紙のイラストに気後れしてる場合ではない。 | ||||
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内容はともかく、タイトルがひどすぎます。すでにネット上で話題になっていますが、『魔法少女まどか☆マギカ』の主演声優「悠木碧」と主人公「鹿目まどか」を合成したとしか思えないネーミング。作者も編集者も上司も『まどか☆マギカ』を知らなかったと強弁していますが、本当だとしたら、メディアに関わる人間として、あまりにも無知だと思います。仮に本当に『まどマギ』を知らなかったとしても、似たようなタイトルや人物名が過去の作品にないかどうかチェックするのは、作者や編集者として当然ではないでしょうか。「平野ハルヒ」とか「野沢悟空」とか「加藤サザエ」とか出せませんよね?炎上商法と思われても仕方ないですよ。 | ||||
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タイトルに関しては、過敏に反応するほどのことでもないと思うので別にいいです。 まとめサイトでこの本の存在を知って、あらすじが面白そうだったので、読みましたが……。 正直、期待外れだったなぁという感想。 キャラクター(大人キャラ含め)のディフォルメが効きすぎていて、ちょっと現実感を感じない。 かといってライトノベルのような突き抜けたキャラもいない……。 解説で角田光代さんが、頭のよい小学生特有のキモチ悪さを感じると書いていらっしゃいましたが、 登場人物のキャラのディフォルメ具合をキモチ悪く感じるだけでした。 設定も人物造型も無理があるものが多く、青春小説を期待するとまったく乗れない。もちろんミステリーでもない。 ライトノベル的なものとして読むとそこそこ満足するやも。 文章は小慣れているので読みにくくはないですが、 新潮文庫の内規を打ち破ってまで出す意味は、、、何があったんでしょうか? | ||||
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まず最初にいいますが、私はこの小説を読む気になれません。 理由は内容以前の問題だからです。 本を出版するにるにあたってタイトルを含めた内容を調べるはずです 似たり同名だったりしないかとか、まずい語句が含まれいたら大変ですからね。 そしてまどかマギカはご存じのように人気のある作品で映画化もされています。 ですのでその名前は少し調べれば、というよりネットで検索すればすぐに出てきますよ。 なのにこの小説の出版にかかわった方は 作者をはじめ編集の人など誰一人まどかマギカを知らなかったと下手な嘘をついてます。 そんな人たちが出版した小説なんてとてもじゃないですが読む気にはなりませんよ。 仮に知らなかったのが真実だったとしても、 主人公が悠木和(まどか)という名前だそうですが それをタイトルに入れるときにまどかと名前を開いた理由も不明ですし それにまどかの名前とその声優さんの苗字が偶然に一致する確率だってそう高くはないはずです。 ですのですべてがすべて嘘だと物語っているわけですよ。 なのに「知らなかった」と嘘をついて 出版社の信用を落とすだけだとなぜ気づかないんでしょうかね。 この出版社の本は前はたまに買わせていただいていたので 別に出版社が嫌いとかではありません。 ですのでこういうことをして、しかもそれを認めない姿勢がすごく残念です。 | ||||
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日頃より積読山がそびえ立ち、一生かかっても手に入れた全作品を読破するのはムリではないかという恐怖に襲われ始めた今日この頃、 自分の読書傾向には全く入らない本作品を入手! 何だこれは・・・? ・・・文句なしに面白い。 中学受験を前にした「オダギリス」ら100円チーズバーガーズの凸凹3人組と、彼らを取り巻く心優しくややセコイ人間味にあふれた人たちが、 男前でミステリアスな美少女「悠木ジョシ」を中心にして織り成すドタバタ学園ミステリ。 時代は違え、自分の小学生時代の異性を意識し始めた頃のかすかな記憶がオーバーラップし、小学生ならではの狭い世界の中の自己認識、 もっと砕けて言えばガキなりのせこさやうざさもたっぷり盛り込まれていて、ある意味「あるある」小説として大人から小学生まで楽しめる 読者年齢を問わない少年小説としても、大傑作でした。 私の場合は、夢中になって読み進むうちに、登場人物の誰かに昔の自分を見つけてしまい、一人でニヤニヤしたり照れたり馬鹿みたいww また、本編だけでも素晴らしいのに、巻末の角田光代さんの解説が本編以上に素晴らしくて、何だか人生哲学の指南までしてもらったみたいで、 得した気分になりました。 願わくば、「100円チーズバーガーズ」としてシリーズ化され、彼らが人生の荒波を乗り越えてゆく大河小説化してほしいですね。 特に、オダギリスと悠木ジョシとの、再会や成長は、絶対に読みたいと思いました。 あと、表紙イラストの長い髪の美少女も良いけど、私のイメージは「榮倉奈々」だったなぁw | ||||
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『日本文学史上最低の探偵登場! 胸キュン系バカミスの大傑作!』という いかにも怪しげな帯の惹句に思わず釣られて、何の気の迷いか購入に踏み切ってしまった。 もし過去に戻ることが可能であれば、そのときの自分を殴り飛ばしたい。 読み終わった今なら断言できる。最低なのも馬鹿なのも、この作品のことであると。 おそらく新潮社の編集は「この本を出版しなければお前の家族を○す」とでも脅されていたのだろう。 そうとでも考えなければ、このような駄作、否、駄作未満の作品が商業出版されるとは思えない。 別にミステリとして期待していたわけではなかった。 たまにはミステリ以外を読むのも気分転換にいいかな、という軽い気持ちで手を出しただけである。 それでこのような核地雷を引き当ててしまうとは。メガトンの不発弾を処理した経験のある私でも驚きである。なんという因果なのだろう。 これは私に対する「ミステリ以外は読むべからず」という神の思し召しなのだろうか。 面白くないとか、つまらないとか、そういう次元ではないのだ。 そのような形容をしてしまっては『つまらない』という言葉に対して失礼だ。 この作品の駄目っぷりを的確に表現できる日本語が存在しないことが悔やまれる。 ただ、この作品にも良いところがまったくないわけでもない。 たとえば日曜日の夜に、明日は会社に行くの面倒だな、と憂鬱な気分に浸ってしまうことはままあるだろう。 それは人間ならば仕方がない。どうしたって気が乗らない日は存在する。 そんなときこそ、この作品の出番である。 じっくりと時間をかけて、真剣に読み込んでみよう。間違いなく体調を崩すはずだ。 仮病を使うこともなく、家族の葬式を開く必要もなく、正当な理由で会社を休むことができる。 実に素晴らしい効用ではないか。 ただし、注意点として、上記の方法をあまりに多用するのは危険である。 言うなれば、少しずつ毒を服用するようなものなので、やり過ぎると取り返しがつかなくなり、やがては死に至る可能性も否定はできない。 身体と相談しながら、健康に気を遣って読書しよう。 この作品に対する絶賛が妙に多いことを不思議に思っていたのだが、レビューを書いていくうちに理解できた。 みんな、自分が味わった苦しみを他の人にも体験してもらうために、わざと絶賛評価をして、興味を持ってもらおうと画策しているのだ。 そう考えれば非常に納得がいく。 私も同じことをしようかと一瞬悩んだくらいである。 だが、いたずらに被害者を増やすことはさすがに良心が咎めるので、正直な気持ちをありのままに叩きつけることにした。 それが最も妥当な判断だろう。 この作品を乗り越えたあとならば、これまで駄作と切って捨てた凡百のライトノベルさえ楽しめそうである。 ある意味ありがとう、悠木まどか。 | ||||
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表紙が可愛くて、ちょっと読み出したら、最後まで一気に読んでしまいました。子どもたちの物語なのに、自分が中野の学習塾に通っていた頃を思い出しました。 きらきらと光る文章、そして、みんなの心の中にある真実、思いが詰まっています。いつの時代も、子どもたちはすてきです。たくさんの可能性があって、わくわくどきどきしながら、生きているはず。 そんな大人が読んでも楽しめる物語でした。読み始めると、止まらないので、お手元にバーガーなど、ご用意して、お腹を空かせないようにしてください。この続きが読みたいなあ、と思いました。 | ||||
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知り合いの編集者が、 「新潮文庫編集部では禁じ手とされている、<<無名の新人の処女作の、紹介なき持ち込み原稿>>を受け取ってしまった。読んでみたら、なんだかとても胸キュンで、元気の出るいい小説だった。何とかして企画を成立させたいと思ってるんだが、社内に厳しい壁が何枚も立ちはだかっていて……」 と言ってた小説がこれ。彼のひとかたならぬ苦労話を聞いたから、以下は、多分にバイアスが掛かってしまっているレビューです。 塾に通っている子供たちの話です。超進学塾だから、将来の夢を「霞ヶ関」(=キャリア官僚)などと言うような子もいるのですが、主人公たち(小田桐、野田、望月の3バカトリオ)は、素朴に「広尾」(=麻布中学)とか「駒場」(筑駒、駒場東邦)とか言ってます。 3バカトリオは、いつも塾が終わると、ハンバーガーショップで軽く食事するのですが、そこでの話題はいつも、悠木ジョシのこと。頭がよくて、快活で、可愛くて、群れを作らない。めちゃくちゃカッコイイ女の子なんです。でも彼女にはひとつ、謎の行動がありました。それについて、あーでもないこーでもないと仮説を立てる日々。 このマッテルバーガーの店長の篠原さんは、そうとうマッドな人物で、3バカトリオに推理を強要してきます。なんとなれば、このお店は「推理0円」のお店なのです。 3人に割って入って、迷推理を展開し、それにうっかりそそのかされた3人は……。 魅力的なキャラクターがたくさん出てきます。いいなぁと思って読み進めているうちに、だんだん著者がこっそり仕込んだジャブが効いてきます。最後は胸キュンはもちろん、ちょっとうるうる来ます。 この子たちの成長をずっと読んでいたいと思いました。 直木賞作家の角田光代さんが解説を書かれているのですが、これが秀逸。この小説の一見わかりにくい裏テーマを見事に炙りだしています。 小学生から小学生の子を持つ親の世代まで、楽しく笑いながら読めます。そして最後にぐっと胸に来ます。本当にオススメです。 | ||||
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