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クリスマス・キャロル
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【この小説が収録されている参考書籍】
クリスマス・キャロルの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.02pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全47件 1~20 1/3ページ
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字が大きく、ふりがなもあるので、すべての年代の人にも読みやすい名作となっている。 | ||||
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クリスマス・キャロルは、チャールズ・ディケンズの手がけた短編小説。物語の主役は、エベネーザー・スクルージという金にしか興味がない冷酷な老人です。クリスマスの夜、彼の元に7年前に亡くなったビジネスパートナーの霊と、過去・現在・未来のクリスマスの精霊たちが訪れました。彼らはスクルージに、自らの行いの結果として待ち受ける悲惨な未来を見せつけます。果たしてスクルージは心を変えることができるのか?クリスマスの本当の意味を理解することができるのでしょうか? 私はこの本を読んで、スクルージの心の変化に深く共感しました。彼は最初クリスマスを嫌っていたのですが、最後にはそれを愛するようになります。彼の行動、財産を分け与えること、ボブの家族に手を差し伸べること、甥への謝罪は、まさに奇跡のよう。彼は自分の人生を見事にやり直したのだと思いました。 | ||||
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銭奴・金の亡者のドケチ強欲ジジイ・スクルージ。 クリスマスを楽しく祝う心を持ち合わせていない彼は クリスマス・イブの夜に、亡くなった友人マーリーの亡霊と出会う。 このままではいけないと忠告を受けるスクルージ。 続いて過去・現在・未来を司る精霊と出会い、 今までの、そしてこれからの自分と客観的に向き合う。この旅の果てに、ドケチジジイはどこへ辿り着くのか…。 自分の事を客観的に見つめてみると、思ったよりまるでひどい人間だ、みたいな事があるかもな一冊。 ひどいと感じられるうちは大丈夫なのかしら。 改心、という言葉でまとめられがちな物語ですが、 翻訳者の方のあとがきは少し異なる見解でした。 古典新訳文庫は翻訳者のあとがきが毎回面白い。この本ではスクルージのもともとの精神性は 真っ直ぐである事に強く触れられている。ドケチジジイの改心劇、ではないのだと…。もとから善良な素質が、暮らしにすり減ってこうなったのだと。 当時の社会の変化も大きな要因となっていると語るあとがき、読み応え抜群。 物語を楽しみつつ、スクルージという人気キャラクターを深く掘り下げる一冊。 | ||||
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若い人にこそ呼んで欲しい本.分量はそれほど多くない.多少,当時のイギリス社会についての詳細な記述で冗長な部分はあるが,それもディケンズの文体として,軽く読み流せばいい.後半,スクルージの変貌を周囲の人は笑うが,スクルージ自身は一向に気にしなくなる,どうすべきか気がついた瞬間に,人は変われ,そして,枝葉末節なことは気にならなくなる.人のために善をなし,人生を楽しく生きる.本文の後にある解説に,古典文学を読む意義が書かれていて,それも共感する. | ||||
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クリスマス・イブの夜に読み始めクリスマスを迎えた。慈悲の心、寛容さ等包まれ迎えた朝は美しかった。イブにスクルージーと共に善人になる体験。小説だけでなく映画化されても美しいストーリー。 | ||||
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映画にも舞台にもなる名作ですが、小説ならではの魅力を楽しみました。 翻訳の、この独特な文章表現をじっくり味わうのがポイントです。 クリスマスといっても、今の日本のクリスマスの雰囲気とはだいぶ違うのでその辺も読み込みポイントだと思います。 翻訳小説好きの人にはオススメです。 あまり小説読まない方には読みづらくて太平洋かもしれません。 | ||||
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チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』の本は数多く出版されているが、大型絵本『クリスマス・キャロル(新装版)』(チャールズ・ディケンズ作、ロベルト・インノチェンティ絵、もきかずこ訳、西村書店 東京出版編集部)に止めを刺すといっても過言ではないだろう。 クリスマス・イヴのことだが、強欲冷酷な利己主義者で自分の殻に閉じ籠もる老実業家スクルージの前に、7年前に亡くなった共同経営者マーレイの亡霊が現れる。マーレイは、過去、現在、未来の精霊が順にスクルージを訪れることを言い残して去っていく。精霊たちが示す光景を見て心を改めたスクルージは、人々に善行を施し、共にクリスマスを祝う。こういう粗筋の原作の魅力もさることながら、もきかずこの訳が絶妙な上に、ロベルト・インノチェンティの絵が何とも素晴らしいのだ。読者は誰もが、自分も当時のロンドンの下町にいるかのような気分にさせられてしまうことだろう。 「心の冷たさは、スクルージの外見をも凍りつかせた。とがった鼻をさらにとがらせ、頬をしぼませ、足どりをこわばらせた。目を血走らせ、薄い唇を青ざめさせた。また、彼の冷たさは、その耳ざわりな声にもはっきりあらわれていた。スクルージの頭や、眉や、すじばったあごは、白い霜でおおわれ、身のまわりには、つねに冷えびえとした空気がただよっていた。暑さのまっさかりにも、スクルージがいるだけで事務所は冷えこみ、クリスマスだからといって、寒気が1度ゆるむということもなかった」。 「『わたしの時間は少なくなった。急げ!』。(過去の)精霊のこの言葉は、スクルージに向けられたものでも、目に見えるだれかに向けられたものでもなかった。が、その効果はたちまちにしてあらわれ、スクルージは、またもや自分の姿を目にすることになった。さらに年を重ね、はたらきざかりの男になっている。その顔には、もっと年をとってからできた、けわしく固いしわこそなかったが、そろそろ用心深さと貪欲の影がさしはじめていた。目は、きょろきょろ、がつがつと落ち着きなく動き、すでにあくなき欲望という木が根をはっていること、成長するにつれてその木がどこに影を落とすかということを告げていた」。 「『あなた様(未来の精霊)がお示しになっている墓をよく見る前に、ひとつおたずねしたいことがあります。これまで見せていただいた幻は、将来必ず起こることなのですか? それとも、起こるかもしれないというだけのことなのですか?』。それでも精霊は、そのかたわらにある墓をさし示すだけだった。『人が生きていく道すじは、どういう末路を迎えるかを暗示しているのですね。生き方を変えなければ、末路も変わらない。けれど、もし生き方を変えれば。末路も変わるのですね。あなた様は、これまで見せてくださったことで、そうおっしゃりたいのでしょう!』。精霊は、依然、身動きひとつしなかった。スクルージは、ふるえながら、はうようにして精霊に近寄り、その指が示すものに目をやった。そして、だれにも世話されず、ほったらかしにされた墓石の上に、自分自身の名前を認めた。エビニーザ・スクルージと。『あのベッドに横たわっていたのは、このわたしだったのか!』。スクルージは叫び、へなへなとくずおれた」。 私も生き方を変えようかなと思わせる作品である。 | ||||
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ディケンズの名は小学生の頃から知ってはいた。「クリスマス・キャロル」という作品も知ってはいた。1960年代の終わりころ我が家にあった小学館版少年少女世界の名作のイギリス編の中にあったはずだが、イギリス編はほとんど読んでいなかったと思う。なぜかイギリスの文学は重く暗いと思っていた節がある。特にディケンズは重々しい感じがしていたような気がする。実際に60歳をとうに過ぎて今年初めてディケンズの作品を読んでみて、いかに思い込み、先入観があてにならないものかを知ることとなる。本作を読むとほんわかあたたかい空気に包まれる。巷では様々な格差が拡大していると指摘され、文学やアニメの世界ではディストピアを描く作品もたくさんつくられ、確かに現実も生易しいものではないようにも思える。そんな中で、たとえ1年で1度きりであっても家族、友人たちと一時を過ごせることの楽しさ、喜びがえがかれている本作を読むと、ひと時ほっと息をつぐことができる。 その勢いに任せて、光文社版の「クリスマス・キャロル」を底本として坂田靖子さんがコミック化した「クリスマス・キャロル」も読んでみた。「並はずれた守銭奴で、人の心を石臼ですりつぶすような情け知らず」と作者から指摘されている主人公スクルージが、深いところではそうではないという人となりがうまく表現されているし、原作の面白みがより引き立っている。 | ||||
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クリスマスの時期になると読みたくなる、何度読んでも感動する名作です。イギリスのクリスマスの風景描写も美しく、人として大事なことが説教くささなしに描かれています。温かい気持ち大切なことを思い出したい時にぜひおすすめします。 | ||||
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小学校の頃に父が読み聞かせてくれてから30年ほどして、自分の子供たちに読み聞かせるために再読。さらに下の子のために再読してレビューを書きます。30年の間、ディケンズの小説を読んだことはまったくなかったのですが、僕の感想は「ディケンズすげー!!」です。 すごいと思う一つ目の理由はその想像力です。読み始めてすぐに感じた率直な感想は「これはハリーポッターじゃないか!」ということでした。JKローリングが影響を受けていたのでしょうか。ググってみたところハリーポッター自体よりもその後に彼女が書いた小説について、ローリングをディケンズの後継者だとみなす記事があるようですが、僕はハリーポッターしか読んでいないのでハリーポッター・シリーズそのものに類似点があるというところを指摘したいです。まずクリスマスキャロルで幽霊に連れられて過去を見に行くところはハリーポッターが Pensieveを使って過去を見に行く場面と状況が似ています。しかもその際の場面転換で景色が溶けていく描写などはまったく類似しており、まるで現代の映画でのCG表現を文字にしたようです。幽霊たちの外見もハリーポッターに現れる幽霊や Dementer に似ているようだし、鎖やロウソクなどの小物の使い方も似ているように思います。まったくSFXが存在しなかった時代にこのようなものを想像することができたディケンズはすごい! 次にすごいと思う理由はストーリーです。生命の危険を伴うような極限的な体験をした主人公が、これまで気づいていなかった生の実感に目覚め、物事を捉え直し、感謝を感じ、周囲の人に対し心を開き、人生を変えた。そしてそのような体験談を視聴者とシェアすることで、視聴者にも同じような意識を持ってもらいたい、というメッセージ性。これは、まさにTED Talksの一つのパターンではないでしょうか。これが現代に本当に起きた物語だったら、スクルージはTED Talksに登壇してスライドを使って3人の幽霊について語り、スタンディングオベーションを受けているでしょう。今なお価値を高く認められるストーリーだと言えると思います。 描写も素敵です。クリスマスのロンドンの描写も非常に活き活きとしていて楽しくなります。これが意外にも、解説によれば当時のロンドンではクリスマスの風習が衰えており、ディケンズの創作だというのだからますます驚きです。文体は適度に華美にレトリックが効いています。トム・ソーヤのマーク・トゥウェインほどやりすぎではありません。古典では読み難かったり差別的で今読むと眉をひそめさせられる表現があったりすることもありますが、この本についてはそういうひっかかりはまずありません。 子供たちは最初の方では怯えていましたが、恐ろしいのは序盤だけでした。子供たちはその恐ろしい部分を越してからは(ごく一部を除き)リラックスして楽しみながら教訓を吸収し、最後には感動した様子でした。 | ||||
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本のタイトルがかなり有名で、様々な本で比喩として述べられる「スクルージ」など、かなり前から気になっていた本ですが、読んでみてなんとなくこの本に対して抱いていたイメージと違っていて、それが面白く感じました。 偏屈さが際立っていますが真面目で仕事一筋のスクルージが、最後は自身のあり方を変えて人への接し方、生き方を変えていって報われるのは良かったなと思いました。スクルージの周りにいる人たちと比べてがんばっているのに報われないのはさすがに可哀想過ぎるように思えたので。 スクルージの過去、現在、未来と、過去だけでもかなりスクルージの心の持ちようが変わっているのに畳みかけるように現在でプレッシャーをかけ、未来でスクルージの心に止めを刺しているのは、短い小説ながら迫力があるように思いました。 | ||||
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息子へのプレゼント用に購入しました。小学校高学年ですが、幼い頃から、ディケンズの映画やアニメーションでの同タイトル作を観ていたので、原作をずっと読みたがっていたところ、引っ越しでみつからなくて、同じ本を探していました。年齢高めな内容ですが、人生観に大切なことが学べオススメです。 | ||||
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初めて読みましたが、むしろ爺さんのが良い人で金の無い人々のがしょーもないなと感じてしまう。 自分もそんなしょーもない人間ですが。 | ||||
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チャールズ・ディケンズ著の有名なクリスマスストーリー「クリスマス・キャロル」の大型翻訳本。 翻訳も読みやすく、雰囲気が大事にされている。個人的に同物語は当時の「雰囲気」をいかに表現するかが重要だと感じているが、その点評価は高い。また、インノチェンティ・ロベルト氏は「百年の家」でも有名な独特なタッチの絵を描く画家としても知られているが、彼の描いたクリスマス・キャロルの挿絵は「少し寂しげだけれどもどこか温かい」という同物語の舞台を大変うまく表現している。 大型本であるため、クリスマスの時期の旅先で物思いにふけながら、、、という読み方には向いていないが、自宅でゆっくりと読みふけるにはもってこいの本であると思う。少々高額であるが、購入する価値は十分にあると思う。 星を5つではなく4つにした理由は、過去に出版されていたものから本体カバーが変更されてしまったことに対する残念な思いから。(過去の古い版では、表紙カバーは豪華な濃紺の布生地のようなもので包まれており、雰囲気が良く出ていた。)現在発行されている新版はハードカバーであるものの通常の書籍と変わらない一般的なもの。ただし、本文・挿絵に変更はなく、この点だけで言えば評価としては星5つである。 | ||||
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並はずれた守銭奴で知られるスクルージは、クリスマス・イヴにかつての盟友で亡きマーリーの亡霊と対面する。マーリーの予言通りに3人の精霊に導かれて、自らの辛い過去と対面し、クリスマスを祝う、貧しく心清らかな人々の姿を見せられる。そして最後に自分の未来を知ることに。 | ||||
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シャイロックと並んで守銭奴で有名な老人、スクルージ。 クリスマスイブにスクルージの下に3つの聖霊が訪れ、過去、現在、未来を見せる。 その光景にしがみつき、打ちのめされ、変わっていくスクルージ。 キリスト教の宗教的意義を超えて、多くの人がクリスマスを祝う心の奥にある「人を大切に思うこと」の暖かダイレクトに感じられます。 | ||||
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大人になり、改めて作品を読んだ。 主人公の描写が、読みながら頭の中で映像化される。 読み進むにつれ、後書きにもあるように、主人公はケチな悪人ではなく、生真面目な融通が利かない人なのだ。 貧しく、寂し少年時代がこの後の生き方に影を落としている。 書かれた時代風景と著者の自伝が重なる事を訳者の説明で納得。 クリスマスの家族で御馳走を囲む場面が目に浮かぶ。 時代共に消えゆく「良きクリスマス」を感じる名作。 | ||||
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クリスマスの季節が近づくと、この小説が映画化・舞台化されるなどして、よく話題になる。残念なのは、主人公の商人スクルージが社会にとって迷惑でしかない、カネの亡者として描かれていることである。たしかにスクルージはカネの亡者かもしれないが、見えない形で、社会に恩恵をもたらしている。 まず、スクルージが長年商売を続けられているということは、多くの取引相手を満足させていることを意味する。取引相手はスクルージの性格を嫌っているかもしれないが、それでも取引を続けるのは、商売相手として信頼できるからである。スクルージは取引相手を満足させることで、間接的に取引相手の顧客も満足させ、社会全体の満足向上に貢献している。 また、スクルージは稼いだカネを貯め込んでいることから、守銭奴と非難されるが、カネを貯め込む人は社会に貢献している。銀行に預け、あるいは株式や社債を買えば、カネは企業の投資に使われ、生産力を高め、社会を物質的に豊かにする。 もし金融機関を信用せず、稼いだカネをすべてタンス預金にしたらどうだろう。この場合も社会に貢献する。世間に出回るカネの量が減り、物価が安くなるからである。 今の世の中では、物価が下がること(デフレ)は悪いことで、物価安をありがたがるのは無知の証拠だという迷信が広められている。しかし実際には、物価安は個人にとっても社会全体にとっても、良いことである。 そしてスクルージは、なんといっても、争いを好まない平和的な人物である。暴力は振るわないし、他人の物を奪うこともない。頭にきて「死ねばいい」と口走ってしまうことはあっても、行動に移しはしない。死者から物を奪い手柄を誇る盗人には、怒りを燃やす正義感もある。 社会に平和的な人物が一人でも増えれば、社会はそれだけ平和になる。スクルージはその意味でも、社会に貢献している。 社会をより平和にするために、スクルージにあえて一つ注文をつければ、自分の価値観を他人に押しつけないよう気をつけてほしい。クリスマスのお祝いをいう甥に向かって、スクルージは「めでたい理由がどこにある? 年が年中、素寒貧のくせにして」と毒づく。しかしカネがなければめでたくないというのは、スクルージの価値観にすぎない。甥が反論するとおり、カネがなくても幸せという価値観もありうるし、あっていい。 しかしこれも、スクルージだけを責めるのは酷だろう。スクルージの周囲の人々も、クリスマスは祝わなくてはならない、という自分たちの価値観をスクルージに押しつけているからである。「価値観の多様化」は平等でなければならない。 おそらく作者ディケンズの意図とは裏腹に、この小説を読んでいくと、スクルージが悪い人間ではないことがわかる。訳者があとがきで「人が何と言おうと誹ろうと、スクルージは断じて悪人ではない」と書いているとおりである。 しかしそれは、ディケンズが正直で優れた作家だったあかしでもあるだろう。商人というものの姿を、不自然なウソを交えず活き活きと描いた結果、それは暴力を振るわず、略奪もせず、争いを好まない人物にしかならなかったのである。政治家ではこうはなるまい。 スクルージに対する誤解を解いたうえで、平和を祈るクリスマスにふさわしい作品として読み継がれていってほしい。 | ||||
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ディズニーのアニメーションを何度か見ていますが読むのは初めてです 19世紀半ばに発表された本作 日本でも明治以降繰り返し翻訳されています 皆さんご存知だと思いますが スクルージという強欲で嫌われ者爺が精霊の導きによりクリスマス精神を思い出し、本来自らが持っていた-失ってはいなかった-人間らしさを取り戻すという話 このキャラクターは一度お目にかかったら忘れることはないでしょう 本書を読むことでアニメーションでは見落としていたストーリーの裏側、側面まで『見る』ことが出来ました 優れた古典文学作品には変化し続ける世界の根底にある『変わらないもの』が描かれています 未来永劫読み継がれていくことを願います | ||||
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最近は言われなくなったが、10年くらい前までは、クリスマスといえば、ディッケンズの「クリスマスキャロル」の物語場面が語られた。人類の存続する限り、地球の各地でクリスマスは祝われるし、人が貧しさと隣接して生きなければならない条件は変わらない。そういうものだと思う。毎年、クリスマスのたびに「クリスマスキャロル」を読んで、ディッケンズの精神の遺産を自分の心によみがえらせるのは、よい健康法である。 | ||||
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