荒涼館
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第4巻は、第3巻で佳境に入った交錯する物語がそれぞれ大団円に向かって展開し、ジャーンダイス訴訟もついに結審に至る。 しかし、大団円は一様ではなく、喜劇と悲劇の入り交じったほろ苦いものである(古典演劇の原則通り、喜劇は町人の結婚、悲劇は貴族の死で終わる)。 まず、第3巻末のタルキングホーン弁護士殺人事件は、無実の元騎兵ジョージの逮捕で冤罪事件の様相を呈するかに見えたが、バケット刑事の活躍で鮮やかな真犯人逮捕劇となる。見込み捜査と自白の強要ではなく物証を粘り強く固めて犯人に迫る手法は、後のシャーロック・ホームズを予言するかのようである(コナン・ドイルは当然ディケンズを読んでいるはず)。 主人公エスタとその実母の物語は、殺人事件の捜査と絡みつつ、手に汗握る逃避行と追跡の物語となる。ロンドン郊外の悪路を、馬車を宿駅で乗り継ぎつつ行く鉄道敷設前の交通事情が描かれていて興味深い。 エスタの物語はジャーンダイス氏との婚約にもかかわらず、2人の求婚者が登場する展開となるが、最後は予感どおりのどんでん返しの喜劇で終わる。ここではジャーンダイス氏がまさに後見役になるわけだが、あまりにも善人すぎて存在感が希薄に感じる。 何代にもわたり多くの人を巻き込んで続けられたジャーンダイス訴訟は、新たな遺言の発見の後に終結するが、終結の理由は遺言内容ではなく訴訟費用が尽きた(遺産が使い尽くされた)という痛烈な皮肉の結末であった。末尾の著者序文によると実際に大法官訴訟ではこのような事件は少なくなかったという。 訴訟制度と弁護士に対する著者の批判は全巻通じて非常に厳しい。 また、旧世代の貴族社会はシニカルに描かれ、隆盛を極めたデッドロック邸の没落はまさに「神々の黄昏」である。 全巻を通じ、多数のキャラクターを誇張されたカリカチュアとして登場させ、物語と事件を交錯させつつドラマチックに展開して読者を飽きさせない手法は、後にドストエフスキーが手本としただけのことはある。 | ||||
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第3巻は、エスタの物語と訴訟をめぐる事件が交錯しつつ、ドラマチックに展開していく。 エスタの物語は、意外と早く訪れた実母との対面と親子関係を隠さなければならない苦悩が描かれる一方、父のようなジャーンダイス氏からの結婚申込という劇的な展開となる。このどちらについても、ディケンズの小説的な企みによりさらなる展開やどんでん返しが予感される。 エスタは「おまえはお母さんの恥」という幼少期から繰り返し叔母に言われた言葉に苦しみ続け、実母との対面後も自分が死んだ方がよかったのかと悩むが、やがて自分が生まれたことで罰せられることはない、「女王もその生まれの故に〔神から〕ご褒美を頂くことはない」のだと悟る。このあたりは主人公の芯の強さというだけでなく、身分制社会の桎梏から個人が解き放たれ、自我に目覚めつつあった当時の社会状況が読み取れる。 なお、エスターが感染症で醜くなったことが繰り返し強調されるが、これは天然痘のことなのであろう。現代の読者にはわかりにくいところである。 他方、ジャーンダイス訴訟は遅々として進まず、関係者の混迷はいよいよ深まっていく。 リチャードは「訴訟の魔力」に引っ張り込まれてジャーダイス氏と対立し、さらには借金で将校の地位を売却するに至る。リチャードを食い物にする抜け目のないヴォールズ弁護士や、無責任に付和雷同するスキンポール氏が訴訟社会のカリカチュアとして描かれる。 そして、最後はタルキングホーン弁護士の謎の死である。これは殺人事件としてえん罪の様相を帯びてくる。 (第4巻レビューへ続く) | ||||
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第2巻は、多彩な登場人物それぞれの思惑と行動で、物語の姿が徐々に明らかになってくる。主人公エスタの出生の秘密についてもその端緒が見える。 大法官裁判所は夏休みに入り、物語の基底にある「ジャーンダイス対ジャーンダイス」訴訟はのろのろとしか進行しない。弁護士たちの優雅な休暇ぶりやタルキングホーン弁護士の陰謀めいた行動の描き方に、著者の訴訟社会に対するシニカルな目線が感じられる。 それはともあれ、第1巻、第2巻を通じて実に多くの登場人物が描かれ、その名前を覚えるのが大変なほどだが、ディケンズは多様な登場人物の性格・特徴を巧みに描き分け、19世紀英国社会を生き生きと再現している。 貴族のサー・デッドロック氏に対し新興資本家である鉄工所親方ランスウェル氏が、親方の息子の結婚をめぐって堂々と対峙する場面や、「公共の目的」にすべてを捧げ夫の破産や娘の結婚も眼中にない社会活動家ジェリビー夫人と、その娘婿の父である「行儀作法のお手本そのままの人」ターヴィドロップ氏などのカリカチュアは当時の読者の思い当たる人々だったのであろう。この他にも、怪しげな宗教家で大食漢のチャドバンド師や神出鬼没のバケット刑事など、愉快で笑える人物が満載である。 こうした中でも、貧困層の子どもたちの悲惨さや、それを救済しない社会制度の矛盾は厳しく描かれており、ディケンズの子どもたちへの温かい視線が感じられる。 (第3巻レビューへ続く) | ||||
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19世紀前半、ヴィクトリア朝時代の大英帝国の社会と風俗を生き生きと描き出した小説である。 ディケンズの他の小説同様、貴族から下層民衆までの多彩な登場人物が誇張された人物像で生々しく描かれ、人間の善意と悪意が複雑に絡み合った物語が展開される。また、産業革命下の都市社会で貧困に苦しむ人々や、親や社会の援助を十分受けられない子どもたちが同情あふれる温かい視線で描かれている。 この小説ではなんといっても当時の訴訟制度と法曹界の人々が徹底的に戯画化され、物語の中心モチーフとして批判的に扱われているのが特徴的である。 当時のイギリスの訴訟制度については、コモンロー(慣習法)により犯罪や一般民事事件を裁く普通法裁判所に対し、本書に登場する「ジャーンダイス対ジャーンダイス」訴訟はエクイティ(衡平法)により遺言や信託財産などを扱う大法官裁判所で扱われる。後者は陪審裁判ではなく大法官(Lord Chancellor)による裁判である。そして、「ジャーンダイス対ジャーンダイス」訴訟は法曹界で語り草になるほど有名な訴訟で、何代にもわたって続けられているが、もともとは遺言と遺言に記載された信託財産にかかわるものが「いまでは訴訟費用だけが争点になっている」のだという。つまり、莫大な遺産はすべて訴訟費用に費消されてしまい、当事者である相続人たちは困窮に追いやられているわけなのである(!)。 このほか、第1巻ではアヘン中毒で死んだと思われる謎の代書人の検死審問が出てくる。「検死審問」はシャーロック・ホームズや名探偵ポワロでもおなじみのイギリス独特の制度であり、不審死の死因を警察任せにせず陪審で審理するというものであるが、ここでは陪審員たちが現場近くのパブに集合して評議し、死体を実地検分する場面が描かれていて驚いた。刑事手続への市民参加の伝統ということだろう。 (第2巻レビューへ続く) | ||||
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今まで何故か敬遠していたディケンズ。読んでみたらめちゃ面白い。読み始めたらやめられず、何度か泣いてしまった。エスタの一人称で語られる部分は、必ずしも事実全てではなく、彼女が触れたくない部分は省略されることに気付けば、なぜあえて言わないのか彼女の心を推測する読者の楽しみまで加わって、そこまで計算して書いた作者の力量に脱帽です。「大いなる遺産」とこの「荒涼館」が、今のところベストです。同時代のフランス作家アレクサンドル・デュマにも似た、時代を描き、しかも時代を超えて読者を楽しませる、物書きの職人芸。 | ||||
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