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晴子情歌
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晴子情歌の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.20pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全33件 1~20 1/2ページ
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(上・下巻通してのレビューです) 母・晴子から息子・彰之への長い手紙と、彰之の青春彷徨的な漁船員生活が交互に語られ、親子三代にわたる家族とゆかりの人々が現れては過ぎ去っていく津軽年代記。波瀾万丈の人生を乗り切ってきた晴子の芯の強さ。息子は少しマザコン気味かも。古い人々の記憶をたどるような懐かしさを感じます。 | ||||
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高村薫作品の信奉者として手に取るも、挫折。しばらくして再度試みるも諦めていたところ、今は亡き旧友から背中を押されて三度目の挑戦。一気に物語世界に没入した。置かれた境遇にあがらうことなく飄々と全てを受け入れて、生を全うする晴子の見事な生き様。究極の理想のかたち。 | ||||
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きれいな商品をお送りいただきました。ありがとうございました。 | ||||
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無事に届いております。ありがとうございました。 | ||||
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「晴子情話」高村薫をやっと読了した。 上下2巻に1ヵ月半もかかったことになる。 何しろ、最近読んでいたミステリーなどのテンポの速い物語とは全く異なって、いつになっても物語が動き出さない。 母から来た昔を回想する何十通もの息子に宛てた手紙と、東大を出て漁船の作業員となった息子の現在が、交互に延々とただ描かれいく。 過剰なまでの描写、そしてそこにこめられているらしい過剰なまでの観念。 高村薫という作家はよくドストエフスキーにも譬えられるけれども、確かに学生時代に読んだドストエフスキーの遅々として進まない物語への苛立ちとには、何かしら共通のものを感じた。 途中で辟易としながら、何度も投げ出そうと思いつつ、ある時点からはそれにも慣れて、物語の中へと入っていけるたのは、ちょっと意外でもあった。 作家がこの小説で何を描きたかったか、というような問いは無意味だが、ぼくが感じている何か陰鬱な読後感もまた、作家が伝えたかった何かには含まれているだろうとは思う。 この次には「新リヤ王」上下2巻が続くのだが、すぐにそちらに行こうかどうかは大いに悩ましい。 | ||||
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「晴子情話」高村薫をやっと読了した。 上下2巻に1ヵ月半もかかったことになる。 何しろ、最近読んでいたミステリーなどのテンポの速い物語とは全く異なって、いつになっても物語が動き出さない。 母から来た昔を回想する何十通もの息子に宛てた手紙と、東大を出て漁船の作業員となった息子の現在が、交互に延々とただ描かれいく。 過剰なまでの描写、そしてそこにこめられているらしい過剰なまでの観念。 高村薫という作家はよくドストエフスキーにも譬えられるけれども、確かに学生時代に読んだドストエフスキーの遅々として進まない物語への苛立ちとには、何かしら共通のものを感じた。 途中で辟易としながら、何度も投げ出そうと思いつつ、ある時点からはそれにも慣れて、物語の中へと入っていけるたのは、ちょっと意外でもあった。 作家がこの小説で何を描きたかったか、というような問いは無意味だが、ぼくが感じている何か陰鬱な読後感もまた、作家が伝えたかった何かには含まれているだろうとは思う。 この次には「新リヤ王」上下2巻が続くのだが、すぐにそちらに行こうかどうかは大いに悩ましい。 | ||||
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早い対応と、丁寧な梱包で、とても良かったです。 | ||||
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後編も、晴子と息子との手紙のやり取りで物語が進んでいきます。 晴子の生きた戦前と、息子の生きた、戦後。 描かれる時代が交錯するので、構成を意識しながら読む必要があります。 全編中盤以降から息子の従事する漁業についての描写が多くなりますが、 何よりその漁業についての正確な描写に驚かされます。 単にイメージで記述されたものではなく、実際に現場に足を運んで多くの漁業関係者にリサーチしたのでしょう。 戦前戦後を通して生きた、晴子という一人の人物の生きざまがメインなのですが、 平凡寄りな晴子の人生が、ここまでの文学小説に昇華されたことが何より高村さんのすごいところかと思います。 圧倒的な情報に裏打ちされた描写+人物の描写で、とてつもない濃厚な作品で体力を消耗するほどですが、生きているうちに一度はこういう作品に触れられて良かった、そして、読み終えられて良かったと思います。 | ||||
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ストーリーとしてはある母と息子の昭和初期の生きざまを描いたものなのですが、 とにかく情報量が多く、文体も昭和のものなのでじっくりと腰を据えて読まないと内容についていけません。 上巻前半は戸惑いましたが、後半になるにつれ文体にも慣れ登場人物の関係性も理解でき、物語への没入ができるようになったと思います。 にしても、昭和初期当時の政治的な動きや、漁業のシーンでの細かい描写、風景や人々の暮らしぶりなど、作者はどれほどの取材や事前調査を行ったらここまで書けるのかと舌を巻く濃密さでした。 これから下巻に進みますが、上巻のストーリーがどのように転結していくのか楽しみです。 *この本を読んでからほかの小説を読むと、晴子情歌に比べ簡単に読める感じがしました。読書力を鍛えるのに適した作品といえるかもしれません。 | ||||
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池澤夏樹編集の「日本文学全集」に「土場」からの抜粋があって、昭和初期の初山別での鰊漁の様子が活き活きと描かれていて、晴子もみずみずしく、これは全体を読んでみたいと思ったのでした。通して読んでみると、どこか醒めたところがありながらもヴァイタリティーを感じさせる晴子と、ひたすら虚無感に満たされた(そしてその虚無感を無理矢理埋めるがごとく肉体労働にのめり込む)彰之と、二人の目を通した世界が織りなす小説であるようでした。 特に強烈な個性を持つ福澤一家がメインになる後半からの小説世界は、読んでいてこれは中上健次みたいだと思いましたが(主人公も同じ「あきゆき」だし)、高村薫さん自身が中上健次の熱心な読者であったとどこかのインタビューで見て、妙に納得したのでした。 通して読んでしまうと、やはり続編の「新リア王」や「太陽を曳く馬」も気になってきます・・・。 | ||||
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海鳴りが聞える。潮の匂いがする。冷たく豊穣な日本海の碧い色が見える。 警察小説の一大巨峰を築いた高村薫が手がけた新作ということで、発売当時この上下ハードカバーを勇んで購入したものの、あまりの変容に読み終えられないでいたが、そろそろいい頃かも知れないと再び本書を手にとった。 さて、今度は度々挿入される晴子の旧字取り混ぜた癖のある手紙文にも引っかからず読み終えることができたのだが、読み終わって感じるのはやはりある重さであり、疲労である。それは何ゆえか。 それは明治大正昭和という、まだ歴史になりきれない近代史の重苦しさなのかも知れない。そしてもう一つ、語り聞かせのような高村薫独特の文体が、読みやすいようでいて神経の集中を強いるからでもある。 最近本を読んでいて感じる不満の一つは、近頃の、特に若手作家の小説に、作家固有の文体が失われたことである。しばらく、丁度この小説が舞台にしている大正・昭和初期の小説を読み返していた所為でそう感じていたのだが、こと高村薫に関してはその「文体」がどこを引き抜いても分かるほど、はっきりとその特徴をあらわしている。反復の多い、最近にしては句点も行換えも少ない文章。正に、「生々しい呼吸の気配や身体の臭い(㊤92頁)」に満ちた文章である。ぼんやりしていると、視線はその長い流れるような言葉を追い、右の耳から左の耳へと通り抜けてしまいそうになる。しかし、その内容を読み取ろうとすると、この物語の中に分け入り、そこに全身を浸す覚悟がいる。 そして私はこの小説の中の風に、潮風に吹かれている。 生きることが、息をするのと同じくらい無意識でありうる現代と違い、この本の中に描かれる生の息苦しいほどの濃密さと切実さは、人はなぜ生きるのかという疑問や、なぜ人を殺してはいけないのかという問いなど吹き飛ばしてしまう。確かにこれは高村薫の作品である。しかし、確かに彼女は変わった。 いや、変化は前から始まっていたのかもしれない。思えば改編された文庫版「マークスの山」で感じた違和感がそれだった。あの時感じた一抹の落胆と失望は、この変容の前兆だったのだ。 彼女は物語のプロットではなく、人間の側に降りてきたのだ。かつての計算された緻密な物語構成能力がなくなったのではない。そしてあの頃でさえ、彼女の人間描写の卓越した能力は特筆ものだった。しかし、あの頃はまだ物語に引きずられていた登場人物が、いまや自ら息をし、自ら語りはじめたのだ。 プロットはあるようでない。言うなればそこに生きている人生そのものがプロットであり、作家の思惑を越えたところで、その意図より強大な歴史の支配が働いている。 高村薫は、この物語の中に母晴子を、子、彰之を、彰之と同じ漁船に乗っている人物に戦争帰りの足立、若い世代のトシオをと、それぞれ歴史を体現するような配置をする。それによって歴史に埋没する個人を浮き彫りにし、また個人を浮き彫りにすることで、逆にそこに描かれなかった同じような何億の人間の生へと普遍化しようとする。 人々の営み、政治の蠢き、鰊漁、南方戦線の物凄さ、そして冷たい海の中で揺れるスケトウダラ漁。時折語られる文学への熱意。「或る憂鬱と、或る酔い心地と、或る快楽的不安」と作中引用された「ジャン・クリストフ」の一文のように、近頃の「純愛」とは程遠い生命に密着した愛情は、この破れ綻んだ人生さえも大きく肯定し、日本海の如く豊かである。 | ||||
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大きな事件があるわけではないが、惹きつけられる。 | ||||
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福澤晴子の半生を綴る物語。 読み手は、頁を進めて行く毎に彼女自身の事や廻りの人や環境を少しづつ獲得し、彼女の端から重りつつ彼女の目や耳を通して感じる様になる。そして、北方の地で時の大河に棹を差す様になり、最初は少女として福澤家を外から眺め、次第に大人の女性として大家に溶融してゆく。 手紙という一人称の媒体だから、身近に福澤晴子を感じ感情移入できたのだろう。 此の物語を読んでいる間は、彼女の五感を通して感じていた気がした。 又、物語の合い間に、ある事柄に対して多角的表現で執拗に文章を重層化させてゆく。 作者の凄味を感じる部分だ。 久しぶりに別の人生を生きた気がしたのだった。 | ||||
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図書館で借りて読み始めましたが手元に置きたくなって購入しました 高村作品は推理小説ばかりでしたが これは初の純文学作品ということで興味がわきました 旧仮名遣いと現代文が交互に書き分けられていて文体そのものも内容もとても読みごたえがありました | ||||
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日本にこんなすばらしい作家がいることを多くの人はしらない。人の一生はこれで集約されている。自身の生涯のようでした:感激!! | ||||
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綿密な取材にもとづく、普通の母子の壮大な物語。 「新リア王」を読まねば! 髙村薫が作品を発表している時代に生きていて良かったよー。 サイコーだっ! できれば電子版を出して欲しいです。 | ||||
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近頃ミステリーしか読んでない自分ですが充分楽しめました。 上巻じっくり読んで下巻も、のつもりが一気に読み終えてしまい少し後悔しています。 ミステリーとかと違いオチとかないし、ノンフィクションでもないので内容的には好きずきあるかとは思いますが。 久々に濃密な小説が読めて満足です。 ...なんて凡庸なこと書いてはいましたがその後に「レディージョーカー」を読んで、なんだかちょっと甘すぎたかなと反省しました。 晴子こそジョーカー(=ババ)だったんじゃないかなと、少なくとも福澤家にとっては。 海に出た息子に呑気に山ほどの手紙なんか書いて送ってるけどなんだかね〜、その息子が追い詰められてるのもそもそもはね〜とかいろいろ思えてきて仕方がありません。 だいたい高村薫先生書くところの女性がそんなに太平楽な筈がないと思う。本人にその意思がなさそうなところが余計にたちが悪い。 等々読み手の勝手な戯言ですが、いろいろな読み方ができるのもやっぱりこの本が良く書かれているからだと思います。 | ||||
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お家で、お外で、何度も読むので、どちらも必要なんです。読み返す名作本は内外に多くありますが、読み返す頻度は高村薫作がNO,1になってました。 | ||||
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作者はこの作品のテーマを何処においたのであろうか。まるで私小説の如く、作品自体に物語性は薄い。母親が遠洋 漁師になった息子に何通も手紙を書く。その中で描かれるその母、晴子の一生。特に昭和の戦中から戦後にかけて、 東北や北海道を舞台に、子守から始めて、やがて東北の商家滝澤家の三男坊の嫁に訳も分からずなってしまう。 その夫と他の女に出来た子をわが子にせざるを得ない晴子。やがて夫の出征中に夫の兄の子を孕む。一見暗い話では あるが、晴子の明るくて、芯の強い性格のせいか、決して暗い感じはない。全編を通じて、まさに高村の面目躍如のその 文章力の凄まじさ、表現の桁違いの凄さ。あえて戦前の表記を使うことで、まさに情歌の如く、流れるような文章、 ひょっとしたら、作者は物語性ではなくて、そのような文章を描きたくてこの作品を仕上げたのか。この作品の後に、 「新リア王」が書かれるが、ここでは戦後に日本政治の風土や、依って立つところが描かれるという。その意味、この 「晴子情歌」の特に後半は、次回作品のプロローグに過ぎないのか。自分の出生と、戦後日本のあり方の中で翻弄される 息子彰之が次回作の主要キャラクターになるのであろう。 | ||||
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後半に入り、晴子も少女から大人になり、生の終わりを迎えるところで物語が閉じられます。 こう書くと、いかにも女の一代記のように見えますが、再読して一番心に残ったことは、 晴子という女性が日本文学に現れたまったく新しいヒロイン像だということ。 最近の日本の小説では、「女を描く」となると、やたらに毒々しく欲望まみれのものか、 母なり女なりの型にはまったものが多いのですが、「晴子情歌」には、上質なイギリス小説 (V・ウルフ、A・ブルックナーなど)を読んだあとと同じ余韻を味わいました。 一人ひとりの人物に命の息吹きがあり、それぞれにいろいろな人との関係がある。 特に、晴子と淳三の伴侶としての30年間には、「ああ、こういうつれあい方もあるのだ」と涙がにじみました。 読み終えてすぐに、もう一度単行本を読み返そうという気持ちになりました。 | ||||
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