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ティンブクトゥ
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ティンブクトゥの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.15pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 1~20 1/2ページ
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以前読んだが忘れていてもう1回読んでしまった。 ウィリーのキャラがどうもしっくりこなくて、物語に入り込めなかった。 ミスター・ボーンズも人間的というより人間に都合のいい考え方をしているので、あまり共感できない。 ポール・オースターの作品は「幽霊たち」は好きだが、それ以降の作品は何のためにこの小説を書いたんだろうかと疑問に思ってしまうものが多い。 | ||||
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私には難しすぎる やはり外国の書物は、日本人には馴染めないのか、読んでいるうちにめんどくさくなって、半分も読まないうちにやめました | ||||
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犬目線(!)で描かれる物語 普段はネコ派の俺もこの犬の物語にハマりました 犬好きにオースターの他作品が好きな人にも オススメできる変わった作品って感じ | ||||
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感動しました。 | ||||
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ポール・オースターさんにしては異色の本では? どうして?と思ってしまうところはいつも通りかもしれません。 半分くらいまで誰が主人公なのか分かりませんでした。 「魔の山」を先日読もうと思って手元にあるのですが、この本にも「魔の山」が出てきました。 読め、ってことでしょうか。 | ||||
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久し振りにとても引き込まれる文体です。 犬好きの私としては、犬からの視点ということで興味を持ちました。 今多忙で中断してしまいましたが、是非時間を遣り繰りして近いうちに読み切りたいです。 | ||||
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前作「ブルックリン・フォーリーズ」が面白かったのと、表紙の写真の犬が可愛かったので、購入しました。ウィリーの「放浪の詩人」という設定は好きですし、良い場面もあります。一方、ストーリー的には相方が犬である必然性はあまりなく、その結果、安っぽくないストーリーになっていますが(この点は、訳者の柴田氏の後書きにも指摘があります。)、逆に、犬のストーリーを期待した読者にはやや物足りないのも事実だと思います。まだ、1回読んだだけですので、今後、繰り返して読めば、評価は変わるかもしれませんが。 ストーリー的には「ブルックリン・フォーリーズ」の方が上という評価になります。評価としては、「普通」の星3つとします。 | ||||
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ポール・オースター!本書の作者の名前は、柴田元幸氏編集の文芸誌経由で知ってはいたものの、短編を数編読んだことがあるだけでした。今回暇つぶしの書店ブラつきで、オースター氏の文庫本が沢山出ているのに少し驚きつつ、一番印象的なタイトルである本書を手にとってまたビックリ。表紙のワンコの写真が我が家で現在飼っている犬、ワイヤー・フォックス・テリアの子犬写真ではありませんか。裏表紙にもやはり「犬と飼い主の最高の物語」なんて記してあるので、もう即買い!新潮社は相変わらず商売上手ですね(笑)。 そして読んで大満足。「へっぽこ詩人」ウィリーと、その飼い犬ミスター・ボーンズの、まことにユニークとしか言いようのない物語。しかも全編ミスター・ボーンズの視点から語られているのも面白い。不治の病に冒されて死を覚悟したホームレスのウィリーは、歩行もままならない状態でホームタウンのNYからボルティモアへ赴く。理由はそこに住む高校時代の恩師に会って自作の詩の原稿を預かってもらうため。ところが、彼女の家に着く前に偶然エドガー・アラン・ポーの記念館に通りかかり、そこでへたばってしまう。ポーランド移民の息子でもあるウィリーが「ポーの場所」、つまり「ポーランド」に辿り着いたぜ、とダジャレをかまして力尽きてゆくのには悲しいけど笑ってしまう。ここが前半の山場。その後は一人ぼっちになったミスター・ボーンズの飼い主を求める彷徨の物語。優しい飼い主を見つけたと思っても、なかなかうまくいかない。そしてシンミリのラスト。 ウィリー及び彼の両親の奇想天外な人生、ウィリーのクリスマスの逸話、そしてさまざまな与太話を独特のリズムで語る、まるでジャズの即興演奏のような飛翔する文体は新鮮。さらにミスター・ボーンズの人間以上に人間的な思索に全く違和感を感じさせない表現方法など、作者の懐は深い。もちろん柴田氏の翻訳も最高!!これまた読み終わって大いなる満足感と幸福感に包まれる、数少ない小説と思います。 | ||||
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犬が主人公です。文庫の表紙が可愛かったのですぐに気に入って買いました。もともと路上生活者に飼われていた犬で、飼い主は呼び捨てで犬の名前にはMrがついていたりと、設定は面白かった。また前半のだじゃれ・言葉遊びの部分は、よく日本語に訳せたものだと感心しました。オースターの小説をまだ原語では読んだことはありませんが、読みたくなりました。犬の話なのに、あまりにも人間くさいというか、犬になりきれていない感じがしたので、星1つへらしました。 | ||||
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表紙に惹かれて手に取りましたが、久々に読みながら泣いてしまいました。 こちらの作者さんの本は初めてなのですが、全編を通して張り巡らされた繊細な蜘蛛の糸のような詩、または構築された音楽のような美しさを感じました。言葉がシンプルで凝縮されていて全く無駄がない。読んでいるほうも緊張を強いられますが、それが心地よい充足感をもたらしてくれます。いい作品に出会えて良かった!読後感はさわやかですが、まだ涙が出てしまいます。 | ||||
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タイトルにも記載させて頂いたが犬好きである。幼稚園から大学卒業まで一匹の柴犬を飼い、その死に接してからは失う辛さに耐えかね、今は飼う事を止めている。そういう僕ですが、この作品はどうも、どこに主眼があるのかが今一つ掴みかねた本だった。だがポール・オースターの小説の期待に違わず、面白いことは面白い。恐らく犬の生活を通し、更にその人格を思弁的に設定する事で人間の世界をあぶり出したかったのだと思うし、成功している場面もいくつかある。しかし、けっこう重要なテーマをかなり短いページ数で書いたためか、テーマ全体ががっしりつかめず、どうもとりとめない印象が残った。 | ||||
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私は、犬と人間の愛情物語とはちょっと違った読み方をしました。 ボーンズは高い知能を持ちながら、犬としての肉体的制約のために苦難の道を歩む。 ウィリーは文学への高い志がありながら、「イカレタ頭」のために何もなすことができない。 ジェノサイドを生き延びたグレヴィッチも、優しいヘンリーも、裕福で美しいポリーも、誰もがそれぞれの抱える制約のために夢をかなえることができない。 そんな人(と犬)の悲しみに、「でも勝つことができるんだ」とラストシーンは希望をもたらしてくれます。 それは絶望ギリギリの厳しいものではあるけれども。 三人称と一人称が溶け合ったような語り口の絶妙な距離感が、ステレオタイプに陥りがちな設定に深みを与え、読者それぞれに行間を読むことを可能にしています。 (翻訳は美しい日本語。ただ長い言葉あそびの部分はさすがに苦しいので、飛ばし読みしました。) | ||||
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本書にも出てくるが、その昔「ミスター・エド」っていうアメリカ産のTVドラマがあった。「馬がしゃべる そんな馬鹿な!」っていうキャッチー・コピーが評判になったコメディーだったけど、本書は、犬語が分かる人間と人間の言葉が分かる犬のお話。 冒頭の数ページは、主人公ミスター・ボーンズとウィリーのどちらが犬で、どちらが人間かよくわからない。 お互い病弱の身を抱えながら、終始一緒に行動するが、いかんせん、ウィリーが恩師に看取られて先に逝ってしまう。 ウィリーが死んだ後も、ミスター・ボーンズが夢に見るのは、いつもウィリーの事ばかり。その後優しくしてくれるジョーンズ家の人々は所詮家庭中心で、一緒には行動してくれない。苛立たしさがつのる。そしてついに、病気の身でありながら、ミスター・ボーンズは自由を求めて・・・・・ 私のように犬語が分かり、犬語も話せる人ばかりでなく、犬どころか他の動物が好きな人もそうでない人もすべての人にお勧めできる人と犬との友情溢れる素晴らしい作品である。 いつものようにオースターと言えば、この人。柴田さんの翻訳も実に読みやすい。 | ||||
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カバーの犬の写真がとてもかわいい。 1匹の犬(ミスター・ボーンズ)と1人の飼い主(ウィリー)の物語。 前半はあまり展開がないので退屈していたのだが、後半になると急に物語が動き出す。そして、最後に胸が熱くなる。だから、途中で読むのをやめないほうがいい本です。 自分が犬好きだからそうなのかもしれないけど、小説の最後の部分はなんど思い出してもなんだかつらい。犬のミスター・ボーンズはハッピーエンドを求めているし、作者のポール・オースターもハッピーエンドの物語を書いたのかもしれない。素晴らしい小説だとはわかっているのだけれども、悲しい涙が出る。これはきっと魂についての物語なのだろう。人間と犬の魂がひかれ合う話なのだろう。それは美しいことかもしれないけど、凡人の読者としては最後が悲しい。センチメンタルな自分が少しいやになる。 訳者の柴田元幸さんに聞いたところ、カバー写真の犬は、小説のなかのミスター・ボーンズとはまったく違う犬種だけど、作者のポール・オースターの飼い犬には似ているそうです。 | ||||
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ミスターボーンズの愛の深さや、純真さ、そういったところに心うたれます。汚くても、粗雑でも、ウィリーと一緒にいたいという気持ちに胸うたれます。そういう物語を、オースター流の不思議満載のストーリーで読者を最後まで引っ張っていく、ほんとうにいい作品です。 | ||||
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客観的に見れば、決してベストな飼い主ではなかった破滅型吟遊詩人ウィリーのことを、丸ごと受けとめて愛した犬、ミスター・ボーンズ。そのせいで、ウィリーのあとに現れたベターな飼い主たちに、いまいちフィットしきれなかった哀しさ。空想の中ではこれほど自由で雄弁なのに、うっかり犬に生まれたばっかりに、毛皮の牢獄に幽閉されていたミスター・ボーンズも、とうとうウィリーが一足先に旅立っていった桃源郷へと足をむける。ティンブクトゥは、ミスター・ボーンズにとって、ウィリーがいるからこそのパラダイスで、そこがどんなところか?なんてことは、意味がないのだ。なんたる愛。幸せになれよ、ミスター・ボーンズ! | ||||
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オースターの小説が大好きで、翻訳された本はすべて読んできたが、「しゃべる犬の物語」ということでこれまで読むことを敬遠してきた。 が、読んでみると、びっくり。個人的には彼の作品の中では「幽霊たち」が一番の傑作であると思っているのであるが、それに次ぐ、あるいは同じくらいの傑作なのではと思えた。 まず文章が簡潔で詩のようにように美しい。特に個人的にはウィリーがポーの家にたどり着いてからボーンズが「ハエの夢」から目覚めて飼い主の手から離れる前までの文章が申し分なく美しい。 あまりに面白すぎで、「ただ楽しみのため」にこの小説を作ったのではないかと疑ってしまったほどだ。 ちょうど、彼の映画「ブルー・イン・ザ・フェイス」のように。 敢えて不平をいうと犬たちについて彼らが「嗅覚」を中心に世界を成していると詳述したのに、美人の若奥様や緑の映える芝生への描写など、ボーンズの体験したことが若干視覚的叙述に偏っている点が気になりました。 しかし物語が後半に進むつれて、これはそんな面白おかしい通俗性だけを追求した物語ではないことを思い知らされる。 これは、「利己的に生きることを肯定する」現代社会を痛烈に批判する物語なのだ。 「利己的生きる」ことを最大限追求する方々のせいで、ボーンズはスパーキーなどというおよそ彼に相応しくない「名前」をあてがわれ、美人の脚を見てばかりいた医者に病魔の発見を見過ごされ、飼い主たちはディズニーランドに行ってしまった後で独りぼっちで病魔に苦しまなければならなくなってしまう。 これはすべて偶然の連鎖、どれも本当に些細な「利己的」な心の所為なのだが、ウィリーと一緒にいたときの輝くばかりの「利他的な」生活を経験をしてきたボーンズにとって、とても耐えられるものではなかった。 ついにボーンズは「利己的に生きることを肯定する」システムから抜け出すことを試み、決して勝つことのないゲームに挑戦する。 「利他的に生きること」それは、この小説では「遅かれ早かれ、いずれは誰もが確率に追いつかれ」、「最後の回において敗北することになる」生き方と捉えられているようである。 絶命の瞬間において自身の生きた証であった詩作よりも、飼っていた犬の行く末を心配したウィリーのように。 しかし作者は続けて述べる。「だがそれこそがこのゲームのポイントにほかならない。負けた瞬間に、勝つのだ。」と。 作者なりの、天国への階段。ティンブクトゥへ至るための導きの書。 本書を読んで、私はそのように感じた。 | ||||
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オースター・ファンで尚且つ犬好きの僕は、装丁見ただけでやられてしまいました。ただ内容としては、オースターらしい厳しいストーリーではあるんですよね。若い頃の作者のように、文学を志しながらも貧乏でみじめったらしくイカれた若者の救いようのない人生。そんな飼い主に死に別れてからもスピリットの世界で交感し続ける老いた飼い犬。。 表題のテンブクトゥはアフリカのマリに遺跡として残っている貿易都市ですが、ヨーロッパ人からは遠い黄金郷として語られた場所です。少し違いますが、西方浄土のようなイメージで読んで良いと思いますが、そう考えると余計ラストが切ないですね。 | ||||
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オースター氏の作品で、柴田さんの訳であれば、間違いないとは思いましたが、3時間程で一気読みしてしまい、後に温かな気持ちになりました。 本っていいなぁ、小説って素晴らしいなぁ、この作品に出会えて良かったと思いました。 小汚い犬に路上生活者の男、という社会の外れ者をこれほど温かく書けるのはオースターならでは。 語り手の設定や、ストーリーの展開も意外さがあって新鮮。 最後は、Mr.ボーンの幸せを強く願いながら本を閉じましたが、励まされるのは読者の方なんですね。 これから寒くなると、路上以外に住む所のない人や犬には辛い季節だなぁと哀しくなりました。 | ||||
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ポールオースター待望の新作です。「ミスター・ヴァーティゴ」、 「最後の物たちの国で」、「幽霊たち 」と、彼の作品は大好きで すので、本書もとにかく買ってしまいました。 犬の視点から世界を眺めていきます。物語は淡々と進んでいきま すが、ポールオースター作 + 柴田元幸訳 の文章が心地いいです。 犬(主人公)にも段々と感情移入してきます。が、寓話的な感じ が本書にないのが残念でした。ここを一番楽しみにしていたんで すが・・・「犬がしゃべる最初から寓話」なハズですが、物語が 自然なので、犬がしゃべるのが全然不思議に感じられず、それが 逆に災いした気がします。 ちなみに、”ティンブクトゥ”の意味は、同時に読んでた「富の 未来」によれば、アメリカ人共通の”地の果て”だそうです。 「シューシャンクの空に」の”ジワタネホ”みたいに個人的な思 いで使っていると思っていましたが。 最後のシーンはジーンとしたので、星1つ足して、星3つです。 | ||||
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