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ティンブクトゥ
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ティンブクトゥの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.15pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 21~27 2/2ページ
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飼い主に先立たれた老犬ボーンズは、その後何度かウィリーとの放浪生活からは想像もつかない「犬的に」豊かな飼い主に出会うのだが、どうしてもそこに居つくことが出来ない。常に主人としてのウィリーに思いを馳せる(ってのも極めて人間が考える犬性に拠る)。その犬的な葛藤が僕にどんどんページを捲らせる。「おいおい、どうしてオマエはそうなっちゃうんだよ?」。。。そして最後のたったの3ページで読者は驚愕の結末に口をあんぐりと開けることになる。オースター作品の中でも最も「想像のつかない」結末だ。 これは、「愛の分配性」についてのお話である。ウィリーは何一つ持たないが故にボーンズを唯一無二のシモベとし、最大の愛を注ぎ、ボーンズはそれに常に応えている。そのシンプルさは美しい。そして主人の死によって、「一般的な人間は多くのモノを所有し、それが故に愛=共に生きる時間を無意識に分配し続けている」という一般性の複雑さに老犬は気付いてしまう(同時に僕らも気付くことになる)。一般論として、豊かさは複雑さとの葛藤であり、その世界ではシンプルな愛の交換は得がたいものなのだ、と。 人間は、あるいは犬は、幸せを最大化するために生きていることが前提であるにも関わらず、豊かな食事も、一定時間的に優しい飼い主も、雨露がしのげる家さえも最大欲求=愛の非分配性をカヴァリッヂできないのだ。 けっきょくは人は他の誰にとっても周辺(fringe)なのだ。隅っこで端っこなのだ。つっか、実は全ての豊かな者は中心であると同時に隅っこなんだろう。そしてそれぞれがその隅っこで愛を叫んでいる。世界の中心で愛を叫ぶことができたのは、お互いを中心として捉えることが出来たボーンズとウィリーだけだったのだ。 その「気付き」のための物語。オースター作品で最も寂しく、哀しく、理解し難い幸福な結末の1冊である。 | ||||
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皆さんの評価とジャケ買いで読んでみたのですが ダメでした。 ボクには合わない。 眠いし、わからないし、退屈。 主人公の人物に共感も興味も持てない。 ジャンキーな詩人。 こういうの苦手。 最後に期待しようとも思ったのですが、 途中で断念。 読んでいる時間がつまらないし、もったいなく感じ 途中で本を閉じました。 | ||||
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声に出して読んでみるとよくわかるのですが、 日本語のリズムに無理がなくて、耳にものどにも心地よい。 柴田さんの和語のセンスのよさが感じられます。 物語は、冴えない男とそのペットの犬との まったくとりとめもない話なのだと言ってしまえばそれまでです。 でも、毒にも薬にもならないということは、 呼吸をするのと同じくらい、そこにあることが自然だということ。 すっかり自分の生活の一部になっているということ。 それは犬のみならず、何か生き物を飼ったことのあるひとなら、 わかってもらえる感覚だと思います。 生き物を愛する、愛される。 お互いにそんな関係でいられたらいいのに。 年を取るのも死ぬときも、いっしょだったらもっといいのに。 | ||||
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放浪詩人に飼われていて、飼い主に先立たれた犬の話。身も蓋もなく要約してしまえば、飼い主に先立たれた犬が放浪し、車にひかれて、、、という話。 この犬は、話はできないけれど、人間の言葉はすべて理解できる。考え、思い出し、夢をみ、時々妄想?もみる。犬の視点からみた飼い主、飼い主の話していた作家になるように励ました高校の先生の話、家族の話、言葉遊び、などなどが、半ばとりとめもなく続いていて、最初は読むのをやめようかと思った。飼い主の入院風景などが、犬の想像?夢?で語られだし、俄然面白くなった。主を亡くし、食事にも困っていたところを孤独な少年ヘンリーに救われ、精一杯愛し、飼ってくれたけど、、、。そして、小さい頃からの病気で、外見は少女、中身は老熟、、というアリスの一家に必要とされ飼われ。でも、そこも安住の地ではなかった。愛して止まない主人を追って、ティンブクトュへ、、、。 その辺をうろうろしている犬は、こんな事を考えて、こんな夢を見ているのかと思った。道ばたで死んでいる犬は、ひょっとしてティンブクトュを目指していたのかと思った。読み終わって、ものすごく胸が苦しくなった。 | ||||
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本が好き、犬も大好き。それだけでお勧めします。 が、それだけじゃありません。日本語の文章が洗練されていて無理がありません。 | ||||
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行き倒れになったウィリーは病院で高校時代の恩師、ミセス・スワンソンと再会を果たすのですが、その様子を、なぜか「ハエ」になって天井から見下ろすミスター・ホーンズの視線が素晴らしい。ここのジャンプ感は最高。ふたりの会話がいいんですよね。道中、ウィリーからからミセス・スワンソンの聡明さを聞かされていたミスター・ホーンズは、30年ぶりに見る教え子が病院に担ぎ込まれた姿を見た時の反応に仰天します。ミセス・スワンソンは気丈にもこう云うんですな。 《「参ったわねぇ、ウィリアム」と彼女は言った。「あんた、人生滅茶苦茶にしちゃったみたいね」""Jesus Christ, Willam," she said. "You've sure made a mess of things, haven't you?"》 実は、ペイパーバック版では読んでいたんですが、この日本語訳は素晴らしいですね。さすが柴田さん。とにかく、日本語版のp.83-からの会話は素晴らしすぎ。もし、アメリカに、どこか、まだ憧れがあるとすれば、こうした女性がローカルな街に本当にいるかもしれない、と思うからなんじゃないのかな、なんて思いながら読んでいました。 | ||||
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ウィリーは少々ネジの壊れた放浪詩人。彼に寄り添って旅を続ける犬はミスター・ボーンズ。ウィリーはミスター・ボーンズ相手に果てしもなく語りかける。過去の思い出話や処世訓などを・・。ミスター・ボーンズは喋ることこそできないけれど人間の言っていることはほぼ理解できる。一人と一匹は最後のときに向かって旅を続けた。ウィリーの命が消えかかっていたからだ。 ウィリー亡きあと、一人取り残されたミスター・ボーンズは、ウィリーが残した処世術に従って新たな飼い主を見つけるのだが、心にあるのはイカレてたけど優しかったウィリーのことだけ。新しい家を見つけても、一家の状況次第で犬の存在など実に不安定である。むしろ流浪していたときのほうがよほど心穏やかだったのだ。なぜならウィリーとずっと一緒にいられたから。そしてウィリーはミスター・ボーンズのことを天使だと思っていたから。 やがて訪れるミスター・ボーンズの最後のとき。夢に現れたウィリーの試験に合格した彼はティンブクトゥをめざす。そこは死後に人と犬とが再会できる場所なのだ。 ミスター・ボーンズの視点で描かれる人間世界には深いものがある。随所で考えさせられる言葉に出会いはっとさせられる。衣食住だけでは人間も犬も生きてはいけない。そう、愛がなければ。 | ||||
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