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リヴァイアサン
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リヴァイアサンの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.96pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全16件 1~16 1/1ページ
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ベトナム戦争こそがソ連がアメリカに仕掛けた最大の破壊工作だと言ったアメリカの作家兼映画評論家がいた。競合する相手が互いに似て来るというのが社会学的真理、ciaだのfbiだのが、アメリカ国内で今も対テロ作戦を続行中、本書に遠いヒーローとして名前だけ出て来るジョン・ブラウンは十九世紀の反奴隷制運動の活動家、軍隊を組織して米軍兵器工場を襲撃、アメリカの奴隷制史には欠かせない人物。僕が個人的に翻訳している『西洋文化と奴隷制の問題』(1968年ピューリツアー賞)をどこの誰も出版してくれない。もっとも自由主義経済自体を否定している本なので、EUでも受け入れられていないかも。 | ||||
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単行本1999年12月25日初版にて読了、 オースターは初読だが、作風がもっと純文学風だろうとかってに誤解していたのだった、 本作の場合、ミステリ風の中間小説調で始まり、後半には活劇調も増し、少しの退屈も感じないまま読み通した、 訳文がこなれた日本文になっており、とても読みやすく読書のスピードも軽快だった、 訳者による解説に”誰の物語ともいえない”のが本作の特徴と書かれており、オースターのカタログではそうなるようなのだが、今年2022年に読む限りでは、語り手である小説家による本人と彼が密に関係した小集団による群像劇として誰でも素直に楽しめると思う、 本作は1992年発表であり、クエンティン・タランティーノが映画レザボア・ドッグスを発表した年である、 以降のタランティーノ作品の充実やポール・トーマス・アンダソン監督の活躍を知っている私たちならアメリカの物語の語り方としてなんの違和感も感じずに済む、 読後感は爽やかだが全体としてそこはかとない甘さがあり、なにか物足りないものを感じもした、 今日現在の視点ではテロリスト・テロリズムに同情的な語り方に見える点と語り手である小説家が自意識過剰気味ゆえだろうか、人の目ばかり気にして他人の気持ちや思考に鈍感すぎるように思う、 以下蛇足、 最後の一文も最終パラグラフも一流作家らしい見事さがあり、上等な小説としてはこれで良いと思うが、読者レベルを少し下げてより分かりやすくするなら、もう一章あってもよいだろう、 と思ったら以下の小説のようなものを思いついた、 ハリスが一人でやってきたのは彼の思いやりだったのだろう、 もし私がリヴァイアサンの原稿を彼に渡さなければ、おそらく私にFBIへの出頭を促す予定だったに違いなく、私が彼の意向に従いFBIを訪問した場合、最悪そのまま身柄を拘束される可能性もあったのだと思う、 原稿を受け取り流し読みしたハリスはさすがに驚いていたが、とりあえずこのまま局へ持ち帰り、あす今後について電話すると言い残して帰っていった、 翌日、ランチをとっているとハリスから電話があった、 原稿でおよそサックスの行動はわかったので、これから支局も動員して裏付け捜査が始まる、 ついてはあなたにも局へご足労願うことになると思うので当分州外へは出ず、いつでも連絡がつくようにしてほしいとのことだった、 テロリストの活動を知りながら放任した責任はあるので、なにがしかの罰を覚悟した半年ほどが過ぎた頃、起訴猶予となった、 エージェントと相談した結果、リヴァイアサンは発表することにした、 人名とエピソードを時系列を再整理し、高校生でも読書好きなら楽に読めるレベルに推敲して発売してみると予想以上の反響を呼び、結果私のキャリア最大のヒット作になってしまった、 私をゲイリー・シニーズが、サックスをトム・ハンクスが演じた映画まで作られそちらは大ヒットしてしまい、いまでは私の本よりも映画のDVDのほうが有名な状態である、 ディマジオの16万ドルの出所はけっきょくFBIでも突き止められなかった、 ハリスがつぶやくには、カルト教団の軍資金の可能性が高いらしいが、盗難届が出されるはずもなく結局迷宮入りだった、 カルト教団はその後さらに犯罪集団との付き合いを強めてゆき、最終的にFBI&アルコール・タバコ・火器取締局と派手な銃撃戦を行い壊滅させられた、 リヴァイアサンがヒットした私はいちおうの流行作家の仲間入りである、 TVに出演し、あちこちで講演やキュレイターを頼まれ、生活はずいぶんとうるおい安定した、 その後も創作は数年に一作、合間にはエッセイや文芸批評を必ず出版するようになる、 サックスの記憶もだいぶ薄れた頃、あの日がやってくる、 2001年9月11日、 未了 | ||||
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いい話 | ||||
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オースターの作品はこれまで「ムーン・パレス」「孤独の発明」「ガラスの街」「幽霊たち」「鍵のかかった部屋」「偶然の音楽」と読んできて、今回は本作である。これまで読んだ作品の中で一番新しい作品だが、1992年作だから25年前の作品である。 無我夢中で読んでしまい、ストリーテラーとしての才能には毎度ながら感服するが、内的な感銘が弱い気がする。 読後「だから結局何なんだ」と自問してみて、読者としての自分自身は表面的で浅はかな読みに終始してしまったと反省したが、作品自体もストーリーの劇的な展開に傾きすぎるあまり、主題の掘り下げが不十分だったのではないか。 本作は従来の作品よりも登場人物が多様化し、従来にはない社会性や政治思想的な側面もあり、そこに新しさがあることはあった。だが、そんな新しさが活かされたというよりは、テーマやモチーフの散漫さや消化不十分さを否めないのが残念である。 思うにオースターは遠心力よりも求心力の秀でた作家だから、様々なモチーフを同時進行させながらポリフォニックな文学的世界を構築するタイプではなく、主人公の内面世界を深く掘り下げる方が向いているように改めて思われた。 作者の求心力を体現すべきサックスは、作者の得意な性格破産者的な絶望と暗闇を抱えた人物である反面、善人で社交的で誰からも愛される好人物でもある。 確かに魅力的な人物であり、申し分のない人物設定であり、サックスこそが本作の中心テーマを追究する担い手に違いない。 だが、この主人公が最終的に爆弾テロに向かう必然性の説得力が弱いように思うし、サックスと妻ファニーと、もう一人の主人公で語り手でもあるピーター・エアロンとの三角関係は大胆で強烈な設定でありながらサックスの反応は案外あっさりし過ぎている。 結局オースターが一番描きたかったものをつかめそうでつかめないそんな歯がゆさがどうしても残る。 いや、しかし、瑕疵を挙げてけなすのは本意ではないし、本作は読まないほうがいいというつもりもない。 オースターの苦心の跡として一読の価値はあると思うし、引き続き他の作品も読んでオースターという作家を私は見届けたい。 | ||||
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人それぞれが心の闇に持つ、その闇の中に潜むリバイアサン。もう一人の自分という得体の知れない化物をどうやって上手く飼い慣らすのか。 まず感心するのは、登場人物像の奥行きと深さと重さだ。誰もがそれぞれに独自のリバイアサンを心の闇に抱え、一見何不自由なく生きている。オースターの作品には人生の”何でもあり”が詰まってる。彼のファンの一人から贔屓目に言わせてもらえば、整備されたアスファルトならフィッツジェラルド、原生林の中を走らせたらカポーティ、何でもありのオフロードなら著者の領域である。 彼の文才は上記の偉大なる二人に比べても勝るとも劣らない。天才的というより多才的。傑作というより力作。よくもここまでいろんな事を考えつくもんだなって、読む度に感心する。 この本は、ものを書く事でもう一人の自分と上手く共存する男と、物書きを諦め、心の闇の中のリバイアサンに支配され、宿命に運命を重ね合わせる男との友情の物語。"現実の国家は腐敗しても、その現実の国家が目指す理想の国家は理念として生き続ける"と、訳者の柴田氏も語っておられるが、人の心が腐敗してもその人の持つ理想と理念は、死んだ後も延々と行き続ける。 爆発魔に成り下がった狂気の怪人が、最後は自ら爆死してその波乱と奇才に満ちた生涯を誰にも知られることなく終える。それを知ってるのは、生涯最高の友人でもある売れないこの本の主人公でもある小説家のピーターだけだ。 彼の生涯の友人であるサックスの狂気に満ちた犯罪の一部始終を、ある日突然聞かされる。ピーターに出来る事は、沈黙と彼の物語を小説にすることだけだ。自分に対する義務と彼に対する友情が良心を曇らせてしまう。しかし、サックスが自らの生を犠牲にし、最後には、心の闇深くに脈々と佇むリバイアサンを抹殺する。 彼が自らの狂気と錯綜から自分を開放したように、ピーターも自らの義務と彼への友情から我が身を開放する。"彼はもう死んだんだ、全て話しても構わないさ"と言い放ち、小説化する予定だった書き溜めた分厚い原稿をアッサリとFBIに手渡す。彼が必死で涙をこらえるこのエンディングには、流石にこちらまで熱くなる。まるで、チャンドラーの『長いお別れ』を再現するようでもある。ロストジェネ世代の傑作を凌ぐほどの力作と言っても過言ではない。 "深く生きた"男の叫び。まさにそれが聞こえてきそうな”男の物語”である。 | ||||
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迅速かつ丁寧な梱包、ありがとうございました。また機会があればよろしくお願いいたします。 | ||||
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これも古い本だが、いまさらながら、いい小説だ。なぜ、今まで、ポール・オースターを読むのを敬遠していたのか。こんなに、自分にしっくりくる小説家もいないなぁ。 食わず嫌いだったのかもしれない。まだまだ読むべき小説家はいそうだ。 そんなオースターの作品でも、この作品はかなり自分好み。主人公というよりは、その友人が自分には親しみがわく。作中で彼の書いた小説、「新コロッサス」って読んでみたい小説だ。 | ||||
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というくらい、いままでで一番、重く、なおかつ、夜どおし読んでしまうほど、おもしろい。 わけのわからない結果と原因を提示され、「なんでやねん!」とつっこみつつも、好奇心で読みつづけ、「なるほど。そいうわけか」と思った矢先、次にまた「なんでやねん!」とつっこんでは、「なるほど。そいうわけか」と…というのが連続し、どんどん物語に引き寄せられる。そして、その全体の構成がこれと同じ。 ポールオースターってだいたいいつもこんなんやけど、偶然の音楽とかムーンパレスって尻切れトンボって感じがしたのに、これには、完結した感があって、心にいつまでも「リバイアサン」の塊を持てるような気がする。本ってのは、読ませる力(オースターにはどの作品にもある)も大切やけど、残るというのが一番大事な気がする。 | ||||
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奇妙なおかしさがあり、しかし物悲しさもありの長編小説。 謎だらけで展開していきます。 ささいなことで人生は変わるんだ、と妙に納得させられてしまいました。 それはオースターの力なんでしょうか。 ずしんと重く響く作品です。 | ||||
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ここでの評価や他のblog等で評判がよかったので読みました。 ポールオースターの作品を初めて読んだのですが、 とても良くできた作品だと思います。 久しぶりに人に紹介できる作品にめぐり合えて本当によかったです。 | ||||
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ニューヨーク3部作を評して、犯人のいない探偵小説、事件の起こらない探偵小説とよく目にしますが、リヴァイアサンはまさに事件の起こる探偵小説です。 もちろん、共和党政治に対する市井からの批判という側面も、分割された自伝(複数の主人公たちによる分割)という側面も、恋愛小説という側面もあり、一言では規定できないというのは、オースターのいつもの通りです。小説の使命は「現実はいつも君が考えているよりも複雑だ」ということを認識させることだ、と看破したのは、クンデラですが、オースターの小説はいつもその意味で優れています。 「鍵のかかった部屋」を読み終えたとき、「着地点をすべて用意しなくても気持ちがいい、というスタイルがあるのだな」と思ったのですが、リヴァイアサンは絶妙の着地点で、失礼、泣けてしまいました。 わたしにとってオースター作品ベストワンです。 | ||||
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ニューヨーク3部作では見せることがなかった作者の社会性を前面に出した作品である。最近のインタヴューなどからも明らかなように、オースターは共和党による政治をかなり悲観的に捉えている。しかし、アメリカが根底に抱えているデモクラシーという理念は決して悪いものではないのだ、ということを彼はこの本ではっきり説いている。いくらアメリカが悪い方向へ進もうとも、現状を打開できる手段はデモクラシーによるしかないのだと彼は主張している。ブッシュ政権が力を握っている今でこそ、この本は読まれるべきなのかもしれない。 | ||||
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『偶然の音楽』に続く、ポール・オースターの長編小説。 今回の『リヴァイアサン』では、実際に時が流れるのは6日前から「いま」に至るまでのたった6日間(語り手ピーターが、この話を書きはじめてから書き終わるまでに費やした時間だ)。だが、話の舞台はこの6日間にあるのではなく、6日前の友人サックスの爆死が起きるにいたるまでにある(この爆死がピーターをして話を書く気にさせた)。なぜサックスが爆死をしたのか、その回想と告白をピーターがえんえんと書くわけだ。 重要な登場人物は全部で10人くらい出てくる。テレビガイドでよく見る相関関係図を見ているようだった。ただこの小説の場合、引かれるラインの数がとても多い。語り手ピーターと爆死したサックスのラインを中心にして、人物から人物へと「親友」「片思い」「セックスフレンド」などいろんな種類の矢印が放たれる。 これはプロだから当たり前なのかもしれないけれど、それだけの相関関係(それと起きたエピソードの時制関係)を著者自身が頭の中で整理して、かつ読者に自然に植え付けるその離れ業は見事だ。各人物の奥底にある心理を、10人以上にわたって細緻に描写するのだから、まったくこの著者の人間に対する洞察力とはすごいものがある。 ある偶然によって話の展開が進むことはこれまでのオースターの作品によくあった。今回も後半のある重要な場面で、まったくの偶然がサックスの死に至る遠因をつくるシーンがある。ただ、偶然が物語を支配するトーンはやや薄くなった気がする。それはそれで、偶然にあまりにも頼り過ぎるのもどうかと思うので、よかったと思う。「自由の女神」がこの物語の象徴としてたびたび使われる。アメリカ人にとっては、心に響く何かがあるのかもしれない。日本人である自分にとっては、そうした象徴性から感じられるものは少なかった。 | ||||
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オースターがこだわっているように見える二つの問題は、「人は世界に対して全く無関心になれるのか」と「人が一瞬にして変われるのか」という問題のように思える。人は一瞬にして変われないから、破滅した人間(この本ではサックス)も、実は破滅する前からずっとそれを待ち望んでいたのだ、ということになる。すると主人公がサックスを物凄く強い男だと思って崇拝していた頃から、サックスには弱い面もあったことになって、主人公はその両面性に混乱する。この本では善悪、強弱、正誤の両面性が繰り返し出て、主人公は世界を簡単には割り切れないものと知り、いっさいを超越した無関心に浸されていく。無関心は力を生み、この作品の場合、主人公の小説執筆が進む(だからこの本のサビは、ラストよりずっと前の、サックスに不倫がばれる場面にある)。 世界に対する簡単な割り切ったものの見方が横行する中で、オースターのこの両面性に対する配慮─分厚いものの見方─がどのような力を持つのか(今はまだはっきり書けていないと思う。主人公の執筆している小説の中身がそれに当たると思うのだが、それが空白のままなので)。彼はこの点を中心に据えて、分厚い質感の作品を作り続けていくと思う。 | ||||
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ストーリー展開にどんどん引き込まれた。時代も70年代から90年と身近なので、映画のような感覚でイメージが湧きやすく楽しめました。オースターの他の作品や監督・脚本した映画をもっと読みたく、見てみたくさせる作品 | ||||
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