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ガラスの街
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ガラスの街の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.12pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全34件 21~34 2/2ページ
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ポール・オースターのことを全く知らず、探偵もののミステリー小説だと思い読み始めたので、後半からのカミュなどの作品を彷彿とさせる不条理な展開は良い意味で期待を裏切られました。 デビュー作ということで荒削りというか、途中やや冗長に感じられるところなどもありましたが、他の作家とは一味違った新鮮さが感じられる作品でした。 この作家の他の作品もぜひ読んでみたいと思います。 純文学が好きな方は楽しめると思います。 | ||||
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当初、邦訳が日本でリリースされた時、ミステリーとして紹介されたことに訳者の柴田センセは、解説でえらく憤慨しているようだが、この作品、確かにミステリ仕立てではある。 「私」は、ウイリアム・ウイルソン名義で探偵マックス・ワークを駆り立て盛り立てているミステリ作家ダニエル・クインと純文学作家(?)ポール・オースターの共通の友人である。その「私」が語っているんだから、そのように、どのように、いかように思われても、まあ、仕方のないことだ。 クライアントの夫、ピーター・スティルマンと同じ名前を持つピーター・スティルマン教授のキリスト教原理主義的な「天地創造」説話もなかなか面白いし、さらには英語の言葉遊びは外国人読者としての日本人が読むに際して、これまた興味が深くなかなか面白い。 「幽霊たち」「鍵のかかる部屋」と続くニューヨーク三部作の第一作目ということで、これが日本デビュー作みたいなものだけど、この作家は、当初から凄かったんだな。 日本では、今や、英語の教本にも使えるようなテキストも出しているので、これはこれでお勉強になる。 | ||||
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刊行されるまで17の出版社に出版を断られたのだそうだ。この作品の話である。 ある日の夜、物書きを生業とするひとりの男性の家に電話がかかってくる。男性とは違う人物、探偵を探しているという間違い電話だ。 「自分はそんな者ではない」。男性は電話を切る。しかし、電話は以降もかかってくる。次第に興味が沸いてきた男性は、ある日電話をとって言う。そうです、と。私があなたが探しているその人です、と。 その後、物語は主人公に電話をかけてきた人物をめぐる事件を追うかたちで展開していく。その過程で、主人公は「自己と他者」「言葉とその意味」といった、思索的、文学的なテーマと衝突する。 これらの要素はポール・オースターの作品には頻出するものだが、エンターテインメントとして見ればおそらく異質であり、出版を断られたのはこの点が受け入れられなかったかもしれない。 ではこの作品は「面白くない」のかというと、けっしてそうではない。訳者の柴田さんが解説でおっしゃっているように、『ガラスの街』は「ふつうに面白く」、とてもスリリングな時間を読み手に提供してくれる作品であると思う。 思索的であると同時にスリリングであるとはどういうことか。 まず、くだくだと書かれた小難しい理論の部分とは別に、お話の展開そのものが興味をそそるということが挙げられる。作中でも「醜悪な解答」と表現された、主人公がある人物の調査中に発見したとある事実のショッキングさは、文学的な議論とは関係なく、読み手に強いインパクトを与えるはずだ。 もうひとつ、しかし、そのくだくだしい部分が深められていく様子こそが面白いということもある。 「自分が」「誰かを」「観察し」「それを言葉にして残すとはどういうことか」。こうした問題について考えることで主人公の意識が変容し、どこかに自分を連れていってしまうその様子、道程が、読んでいてとても続きを気にさせたし、興奮させられた。 喪失と希望の獲得。あるいは、何かを対価として、どこか、おそらくは境地とか破滅とかそういう言葉で表されるべき決定的などこかにたどりつくこと。実は、本作に描かれているのは物語として異質どころか、ありふれた一つのフォーマットである。そこに思索的な要素を含め、かつ読んでいてスリリングな内容に仕立てられているとなれば、それは一級品と呼ぶしかない。最後まで読んで不可解と感じる人がいるだろうことは否定しないけど、本作の結びの一文に強く同調しつつ、何がしかの感慨とともに読むのを終える人もたくさんいるだろう。このレビューがそんな人たちの一助になれば嬉しい。 | ||||
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数ページで読むことをやめた。 数少ない作品。 ほかのオースター作品にいきますw | ||||
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間違い電話を受けた主人公が電話の依頼―探偵―を請け負うことから始まるこの小説は、かなり凝った仕立てになっている。 ペンネームを使っている作家が自作に登場する探偵と自分を重ねて行動するのをオースターなる人物(著者とは別人)の友人が語るという小説をオースターが書いている。 物語の展開も振り子のようになっている。電話の主=依頼者の言語機能・身体機能。依頼者をその状態にした男(探偵のターゲット)が街を彷徨うような行動。その男の奇妙な言語論。ここまでミステリー仕立てで進んできて、オースターなる人物が登場する。彼のドン・キホーテにまつわる物語論。その後、主人公は街を彷徨い始め、やがて見張りを続けながら喋ること・動くことをしなくなる。そして最後は依頼者のアパートメントへ。 物語るとはどういうことか。物語る際に使う言葉とは何か。物語る者とは誰か。物語る自己とは何か。 読み進めるうちに語られている内容の豊饒さとは逆に自分が揺らいでいく、薄まっていく感覚が募る。しかし、不思議なことに読み終えたときに残るのは寂寥感、絶望感ではなく、なにかに包まれている感じ。ちょっと違うかもしれないが、仏教的な無/全とはこんな感覚ではないか。 こんなことを読後の感想として書いてきたが、けっして小難しい実験的な小説ではなく、次のページ次のページへと自然と指が動く、とても面白い小説でした。 | ||||
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本書は今から10年以上前にアメリカで出版された作品で,今更こんなことをいうのもおかしな話ですが,本書は「圧倒的に新しい」,そう感じさせてくれる作品です。 オースターの作品は,本書とあわせてニューヨーク三部作と呼ばれる「幽霊たち」「鍵のかかった部屋」を先に読んでおり,また「最後の物たちの国で」「ムーンパレス」「幻影の書」といった作品も傑作でしたが,この「ガラスの街」には,前述の作品とは違った,オースターのデビュー作ならではの「新しさ」を感じたのです。 作品を積み重ねるうちに作家の技巧は上達し,小説の完成度という意味で,「幻影の書」は本当にすばらしい作品でした。それと比較すると,本書の物語は理不尽なスタートを切り,呆気にとられてしまうほど,理不尽に展開していきます。 それでも本書は面白い。 特に謎の人物ピーター・スティルマンの登場シーンは,とてつもなく可笑しいながらも物語のスジが見えた瞬間ゾクリとさせられる名シーンです。 訳者あとがきによれば,本書が出版されるまでには17社の出版社から出版を断れたといいます。それは,本書を「新しい文学」と感じるか,ミステリー的な結論を求め,小説の体をなしていないととらえるかの違いなのかもしれません。 幸いなことに,本書は多くの読者に受け入れられ,ポール・オースターは現代アメリカを代表する優れた作家としての確固たる地位を獲得しました。現在では,本書を含めたニューヨーク三部作は,世界文学ベスト100に選ばれるほどの評価を得ています。 どこか現実感と非現実感が融合したような世界観の中,「結局偶然以外何ひとつリアルなものはないのだ」と主人公によって述べられる本作は,簡潔な文章で読みやすく,かつユーモアも感じられる良質な作品です。 | ||||
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大都市圏のマンションに住めば、隣の住人が誰で何をしているかなんてことがわからないのは、もはや常識だ。 ネットで出会った人のプロフィールが全部真実だなんて想像は妄想に近いし、署名記事だって、ホントにその人が書いたのかわからない。 そんな時代に生きる我々の、無意識的な不安を、この本でオースターは描き切ったと思う。 この本で特徴的なのは、ナレーター役の人物以外が全て「非対称なコミュニケーション」を取っていることだ。 コミュニケーションをキャッチボールとするならば、あたかも全員が別の方向にボールを投げて、しかも全員がボールをキャッチした気になっているような状態。 読了して驚くのは、登場人物達のあり得ない希薄感だ。 どんな人物が作中に登場したのかは明確に覚えている。しかし、そのどれもが本当にその人物だったのか定かではない。 それぞれ作中では重要なロールを果たしていた筈なのに、全てが完結した後、そのどれもが特に重要でなかったことに気づく。 コミュニケーションにおける明確な断絶性と、それを際立たせるような、オースター特有のアクの強さ。 何日かに別けて読みたい本です。 | ||||
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これが一番最初に出たとき私はまだ中学生くらいで、普通に推理小説等が好きで、別題別訳で出版されたのは知ってましたが、何故か読まず今回初めて読みました。以前の訳が訳者には申し訳ないですが、駄訳扱いされていたので今回の新訳は嬉しいです。難しいことはよく判りませんが、短い話ながら非常に不安を憶える不条理さに圧倒されました。アートは人を不安にするべきだ、という説がありますが、それを地で行っていると思います。3部作の1冊ということであとの2冊も読みたくなります。「鍵のかかった部屋」も文庫にして頂きたいです。 これの発表される前年、クリストファー・プリーストが衝撃の問題作「魔法」を発表しているのは偶然なのか影響されたのか・・・。 因みにオースターがこれ以前にPaul Benjamin名義で書いたという「Squeeze Play」という小説は翻訳されないのでしょうか。普通のハードボイルドらしいけど、こういう不条理な物を書く人が全うな推理小説を書くとどうなるか?機会があったら読んでみたいです。 | ||||
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オースター作品の中で一番好きな作品です。 4年目でようやく文庫化!! まちに待った文庫化です。 8月31日新潮文庫より発売予定。 文庫でまた再読だな。 | ||||
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当初、邦訳が日本でリリースされた時、ミステリーとして紹介されたことに訳者の柴田センセは、解説でえらく憤慨しているようだが、この作品、確かにミステリ仕立てではある。 「私」は、ウイリアム・ウイルソン名義で探偵マックス・ワークを駆り立て盛り立てているミステリ作家ダニエル・クインと純文学作家(?)ポール・オースターの共通の友人である。その「私」が語っているんだから、そのように、どのように、いかように思われても、まあ、仕方のないことだ。 クライアントの夫、ピーター・スティルマンと同じ名前を持つピーター・スティルマン教授のキリスト教原理主義的な「天地創造」説話もなかなか面白いし、さらには英語の言葉遊びは外国人読者としての日本人が読むに際して、これまた興味が深くなかなか面白い。 「幽霊たち」「鍵のかかる部屋」と続くニューヨーク三部作の第一作目ということで、これが日本デビュー作みたいなものだけど、この作家は、当初から凄かったんだな。 日本では、今や、英語の教本にも使えるようなテキストも出しているので、これはこれでお勉強になる。 | ||||
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言葉と万象との整合性(あるいは非整合性)の不思議へと読者を誘うハードボイルド・ワンダーランド。オースターの綴る一文一文には滋養が含まれているかのように、読書の心地よさにひたひたと浸れる。メタ構造やミステリの文法を含むプロットも、もう超絶的な技巧が精緻に張り巡らされていて、嫉妬さえ覚える。「生成文法」周辺の言語学の素養が多少なりともあると、より深く作品の仕掛けを味わえるかも知れない。3回読んで2回目からすごく楽しめた村上春樹の「ねじ巻き鳥 第一部」の世界に埋没したときと同様、物語との親密なコミットを体感した。 | ||||
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雰囲気は「幽霊たち」に似ているが、まだこの小説家の初期の作品だけあってバランスが悪く、クドい部分も多い。 「幽霊たち」ほど洗練されてない。 この小説を本にする際、かなりの出版社に断られたらしいが、分かる気もする。 ポール・オースターじゃないとこの小説は最後まで読まない。 その点では貴重だ。 | ||||
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人、街角、足元、壁、空…それら各々に名前はあるのか? 目にするすべてのものそれ自体に意味やつながりがあるのか? ただ在るというすべての成り立ちの中で 自分は他とどれほどの違いがあるというのか? 一方を選ぶ…その名で呼ぶ…他と識別する… その時に選ばれなかった方は消えてどこへいくのか? 読みながら、 次第に存在の影が薄くなっていく この男に流れる時間にしばし漂ってみよう。 読み終えて僕が行き着いた先にあったのは、 透明、周囲との同化…そして拡散、 それはすごく孤独だけれど、でも安らぎがあった。 | ||||
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ポールオースターの小説処女作の、柴田元幸による再翻訳版。 雑誌『Coyote』に掲載された翻訳の単行本化です。 舞台はニューヨーク。「そもそものはじまりは間違い電話だっ た。」というフレーズから始まり、物語は淡々と進みます。著 者のニューヨーク3部作(他に『幽霊たち』、『鍵のかかった 部屋』があり)の最初の作品らしく、急激な話の展開はないけ ど、透明で寓話的な世界感が心地良いです。 自分の存在の危うさ、不確かさを意識してちょっと怖くなるけど、 読み応えのある物語です。 | ||||
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