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(短編集)
嗤う伊右衛門
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嗤う伊右衛門の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.48pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全79件 21~40 2/4ページ
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断言する。 後世に残すべき名作。 極上のラブストーリー。 いや、ラブストーリーなんて表現はやめよう。 恋愛小説、恋愛映画なんて嫌いだという人が多いから。 俺もその一人。 だけど、この本は違う。 恋愛モノ嫌いでも、充分に、いや、充分以上に楽しめる。 京極作品で、初めて読んだのがこの『嗤う伊右衛門』。 テーマは四谷怪談。 ホラーでもない、甘い恋愛小説でもない。 胸に迫って迫って仕方がない、そんな小説だった。 その後、京極作品を色々読んだが、この本に勝る京極なし。 この本を読まずに『姑獲鳥の夏』あたりを読んで、 「京極夏彦って、なんか苦手……」 と思っている人がいたら、今作をぜひ読むべし。 俺も『姑獲鳥の夏 』系は苦手。 | ||||
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京極夏彦の本はよく読んでいたんだけど、これはなぜか敬遠。もともと四谷怪談とか、怪談ものは好きじゃなかったのもある。でも食わず嫌いだったな。 この小説は全く怪談ではない。お岩と伊右衛門の悲しい愛を描いた恋愛小説と言うべき。 お岩の性格描写が巧み。武家の娘とはこうだったのだろう。そして彼女が狂わなければならなかった悲しみ。読んでいて胸が詰まった。 最後のラストシーンの美しさをたとえようがないぐらいだ。 | ||||
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京極夏彦=妖怪ものとくれば、新説四谷怪談もこうなるのかと感心した次第。それもまったくのフィクションではなく、「江戸雑話集」などの故実にのっとり、非現実的なホラーが、ミステリー小説に生まれ変わっています。伊右衛門やお岩の人物像も大きく変更されており、もともとの怪談話より、リアルな愛の物語へと昇華されており、作者の力量に脱帽するばかりでした。こちらのお話の方が、怪談話より数段いいですね。 | ||||
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かの有名な「四谷怪談」をベースにした物語です。 しかしこの作品は、私の持っていた四谷怪談のイメージを思いっきり覆しました。 笑ったことのない生真面目な浪人、伊右衛門。 気高くまっすぐな意志を持つ美しい女、岩。 しかし岩の顔の左半分は、病によって醜く崩れてしまった。 ふたりの周りの人々は、みな心に闇のようなものを持っている。 罪悪感、嫉妬、得体のしれない苛立ち、それらが引き起こす惨劇を、何一つ飾ることなく描ききっている。 その悲劇に翻弄されながらも、すれ違いながらも、ふたりは愛し合った。 たとえそれがどんな形であっても、美しかった。 これは幸せな物語ではありません。 しかし、私たちが思う幸せとは違う幸せもあると、考えさせられる一冊だと思います。 | ||||
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「人の器量の善し悪しは心根の美しさに関係ない」。確かに綺麗な人でも不器量な人でも、優しい人もいれば底意地の悪い人もいる。功名心の強い人もいれば慈悲深い人もいる。それでも器量はその人の性格に大いなる影響を及ぼすのだ。 四谷怪談のお岩さんを、新たな構想でパスティッシュした本書。崩れた顔を持つ岩の哀しみがひしを胸を打つ。「どのような容姿、境遇であろうとも我は我」と考える岩の強さはそう考えることで己を保っていた岩の弱さをも含んでいる。おどろおどろしい女の怨念を具現化したような四谷怪談の「お岩」とはあまりにも対照的な京極夏彦の「お岩」。同じ話をベースとしてこれほどにまで別の世界を違和感なく構築する京極氏の力量にただ感服する次第である。 | ||||
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この作品は四谷怪談を現代風にアレンジした作品と理解しています。作品というものはどうしても時代の制約を受けてしまう。昔の話のままでは古臭くてしょうがないので今風に作り変える。どう作りかえられているかが作者の腕の見せ所だと思います。四谷怪談は物語の展開に深みがあり扱い作品なので、いろんな時代に新たな創作がなされてきたのではないでしょうか。この作品が、これまでの設定を大きく変更し、怪談を恋愛小説に昇華することに成功したという点で優れていることは論を待ちません。 | ||||
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京極堂シリーズとは、少し違った。だが、謎はある。 四谷怪談のリメイクという珍しいものだ。だが、四谷怪談のようなおぞましさはなかった。ただ、淡々と進んで行く。人も淡々と殺されて行く。 だが、ラストがなんとも良かった。淡々と進んで行くから、良いのだろうか。 しかし、最後の『嗤った』が怖い。 | ||||
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「京極堂」シリーズ以外では(たしか)初の単行本作品。 怪談界?のスーパーヒロイン、お岩さんのこのキャラ造形、 そして伊右衛門像が出来上がった時点で勝ち!(感想) 哀しく、残酷で、この上なく美しい物語は、そして圧巻のクライマックスへ。 京極夏彦という小説家の恐るべき底力を見せ付けてくれた傑作です。 | ||||
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最後の1ページで号泣。 京極夏彦ってものすごくポジティブな人だな。 怪談として知られるお岩さんと伊右衛門の話を、完全無欠の純愛ものに仕立て上げた。 作品を読んで作者の力量を量るのはあまりしたくないんだけど(結局選択の余地を狭くして自分の首を締める結果になるから。自戒の念を込めて)、この作品に関しては作者の力を感ぜずにはいられませんでした。 あくまでも読み物なので芸術性や文学性は無視しますが、この娯楽性の高さは並々ならない。しかも京極夏彦の作品は(おそらく)すべて本歌取りの二重構造になっているので、二度も三度もおいしく味わえると言う特典付きだ。これがたまらなく好き。 北村薫の『六の宮の姫君』は高木彬光『成吉思汗の秘密』のような点と点を線で結ぶ探求ものだったが、『嗤う伊右衛門』もそんな作りになっている可能性があるんだろうか。いや原始資料の種類から言ってその可能性はあるだろう。だとしたら本歌・改作・探求の三種をこの作品ひとつで味わえる可能性がある訳で、そりゃまた凄いところに目を付けたもんだ。そしてそれを形に出来る度量も凄い。 それにしても、岩と伊右衛門の純愛のかっこよさよ。 どーしても京極作品は『必殺』の匂いがそこはかとなく、する。 | ||||
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1997年6月リリース。鶴屋南北の怪談狂言『東海道四谷怪談(文政8年-1825)』の京極夏彦戯作である。369ページと京極作品にしては画期的に短いが純化した言霊になった京極結界は無駄な言葉などなく、こうなったということなのだろう。本作は小雪の主演で映画化もされている。 語りで結界を作る。京極作品はそういう陰陽師のような世界である。語るか文字になっているかその違いだけである。ただ文字には言葉よりもっと強い力がある。文字から喚起されたこの四谷怪談は余りに美しい。その美しさは美女小雪をもって映像化を蜷川幸雄が試みても遠く及ばない。イマジネーションの中だけで観ることが出来る美しさである。 はっきり言って京極夏彦の最高傑作だろう。この作品に直木賞を与えず、『後巷説百物語』などに直木賞を与えてしまうということが今の文壇のレベルの低さをよく示している。自覚していないだろうが選考委員は勉強のやり直しだろう。 | ||||
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どうして、この人が描く魑魅魍魎の世界はこんなに美しいのでしょう。 漆黒の闇を舞台に、血の赤や肌の白さや蚊帳の朧さなどが際立って、 まるで色鮮やかな絵巻物をみているかのようです。 日本古来の言葉を駆使した文体は、まるで香を焚き染めたかのように匂い立ち、 独特の言い回しや体言止めの多用が、語り手の息遣いがつたわってくるかのごとく 臨場感をかもし出しています。 日本のお化けの物語をこんなに品よく格調高く描ける人は、この人以外に いないのではないでしょうか。大好きな本のひとつです。 | ||||
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有名な「四谷怪談」をベースに、人間心理の闇と怖さを主体にした物語に再構成したもの。京極氏特有の人間の心の襞をさぐる話になっており、「怖いのは妖怪や怪異談ではなく、人間の心そのもの」という主張が貫かれている。お岩と伊右衛門との"愛"も重要なテーマとなっており、従来の「四谷怪談」から受ける印象とはかけ離れている。"小股潜りの又市"が登場するのもファンにとっては嬉しい。 本作では、お岩は疱瘡のため容貌は醜いながらも、高い矜持を持つ凛とした女性として描かれている。一方、伊右衛門は実直で生真面目な男として描かれる。伊右衛門は婿養子に入るのだが、2人は口にこそ出さねど愛し合っている。お岩は自身の容貌のため、男から愛されることはないと醒めた態度を取るのだが、伊右衛門を心の底では愛している。伊右衛門はそんなお岩を気遣いながら、愚直にお岩を愛している。 そんな中、伊東という傍若無人で残忍な上役のため、2人の運命の歯車が狂い始める。伊東の讒言で、お岩は伊右衛門の浮気を信じ込まされる。伊右衛門のため身を引こうとして離縁するお岩。そんな伊右衛門に伊東は自分がなぐさみものした女"梅"をあてがうのだ。しかも、梅は伊東の子を身ごもっていた...。 ここから(表面的な)怪談が始まる。赤ん坊が産まれ、その子を溺愛する伊右衛門。しかし、お岩もその子を我が子(=伊右衛門の子)であるかのように溺愛していたのだ。お岩は家に立ち寄って塀際からその子を眺めようとするのだが、家の者からは"化け者"がやって来たと恐れられる。特に梅の怖がり様は尋常ではない。梅はやって来たのが、自分の恋のライバルお岩であることを知っていたのだ。この辺から、梅とお岩の心は崩壊し始めている。そして、お岩は赤ん坊を攫ってしまい、その後、行方不明に...。 この後、伊東の残虐・奸計ぶりに堪忍袋の緒を切らした伊右衛門は伊東を斬る。その時、梅も斬ってしまう。この辺で、伊右衛門の精神も崩壊し始めている。 最後で明かされる、お岩の運命と伊右衛門の心の襞には、暗澹とせざるを得ない。笑わぬ男伊右衛門が、最後に「嗤う」という描写は心を寒々とさせる。「四谷怪談」を見事な人間心理の描写の物語に再構成した傑作。 | ||||
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最近「巷説〜」「続巷説〜」を読了したので、本作品を再読してみた。 七年ぶりの「嗤う伊右衛門」は当時とは全く違う読後感を味わえた。 背景には四谷怪談があるわけだが、又市の描く絵と作者の描く絵が 練られて紡がれて、リアリティのある物語になっている。 もちろん一つの作品としても成り立っているわけだが、 「巷説」シリーズを読んでからの方が又市に対する感覚が変わり、 一層味わい深い作品であることに気付く。 | ||||
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『四谷怪談』は、原作で十分おもしろい文学作品です。 その『四谷怪談』を、京極夏彦風にリメイクした作品です。 お岩をはじめ、数人の登場人物から眺める『四谷怪談』は、「怪談」というよりは、「人生」そのものを描いた、『嗤う伊右衛門』という違う作品となっています。 登場人物たちは、現代の京極によって、表面だけでなく、はらわたまでひっぱりだされて、人間臭さを、さらけださされてしまう。 だから、哀しく面白い。 この『嗤う伊右衛門』は、わざわざ『四谷怪談』をリメイクして成功した稀有な作品です。 | ||||
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四谷怪談の話を、京極さんがアレンジした内容ですが、まず、とても感動します。滅多に泣かない私が泣いた程です。特に、最後のお岩の死体を包む様に一緒に死んでいる伊右衛門がとても感動です。その場面を、文章通り想像すると、「臭いそう」とか「虫が湧いてて気持ち悪い」と思ってしまい、感動どころではないですが、そんな事を思う余裕すら与えてくれません。虫が湧いていようが、死体が腐っていようが、美しいものは美しいのです。二人の死体が美しいのです。幸せそうなのです。 二人は死んだからこそ幸せになったのでしょう。 | ||||
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一般的な四谷怪談とは違って 痛々しいほど思いあうお岩と伊右衛門 の悲しい恋。 コンプレックスがあると、人の親切や 気持ちを素直に受け入れることができず それが元で壁を作ったり、人を受け入れない 強すぎる性格になってしまうけれど、 実は岩の美しさとその性格が周りの人を 狂わせてしまった。。。というお話。 ただの恋愛、怪談ではなく京極夏彦だから こそ表現できるグロ、狂気を発する人々 は本当に恐ろしく、その闇に嵌ります。 | ||||
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誰もが知っている鶴屋南北の『東海道四谷怪談』が、 京極夏彦によってまったく違う物語として生まれ変わった。 伊右衛門、お岩、お袖、直助、伊藤喜兵衛と、 四谷怪談でおなじみの登場人物が勢ぞろいするものの、 それぞれの関係、起こる出来事は少しずつ異なり、 それぞれの真意や本質さえも違うキャラクターとして描かれている。 南北作品、京極作品、どちらも悲しい物語だが、 『東海道四谷怪談』が怪奇部分がクローズアップされるのに対し、 『嗤う伊右衛門』は、悲恋物語といった印象。 歌舞伎では、極悪であるがゆえに魅力的な人物として人気の 伊右衛門だが、京極が描く伊右衛門も文句なしに惹きつけてくれる。 | ||||
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変な怪談話より、人の所業のほうが怖い。 伊東の暴力と悪意に満ちたねじ曲がり方も恐ろしいが、 お岩の凛としてかたくなな「正しき心」もまた怖い。 善いことと思ってやったことが すべて裏目に出て、恨みを呼び、怪談となる。 四谷怪談の話を寄せ集めて、こんな解釈が出来ると思わなかった。 最後のシーンは目頭が熱くなる。 あとで読み返すとグロい。 | ||||
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文章が少し難しいので読みづらいかもしれません。主人公はお岩さんと旦那の伊右衛門。話の途中、周囲の人の影響で夫婦が思うように生活できなくなったりして、かわいそうな夫婦です。ただ最後はかわいそうな形ではあったけども夫婦二人で一緒になれてよかったもかもしれません。伊右衛門がお岩を心から愛していたんだと最後になって分かりました。少し切ない最後でした。 | ||||
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最近の読書では京極夏彦にはまっている。映画にもなった「嗤う伊右衛門」。この作品は傑作だと思う。四谷怪談「お岩さん」を下敷きにした物語だけれど、怪異をすべて人の為した業で説明できるようにしている点で一種のミステリーとしても楽しめる。しかし。それ以前に岩と伊右衛門の切ないラブストーリーであり、登場人物それぞれの業が絡み合い織り成す様々な愛憎劇とそれらの背後に潜む悪の権化の謀略が、多くの人を死に至らしめる様はシェイクスピヤ悲劇を思わせる。もともと歌舞伎の題材ゆえ演劇的要素を感じるのかも。ご一読を。 | ||||
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