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(短編集)
嗤う伊右衛門
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嗤う伊右衛門の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.48pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全79件 1~20 1/4ページ
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これ、怪談じゃないじゃん(笑 伊東喜兵衛はムカついたけど、最後スッとした。最終的に岩と伊右衛門は愛し合って逝ったんだなぁ。これは自分の解釈ですが、岩が死んだ後後追いしたんだろうなぁ。後、巷説シリーズの又市が出てるの驚いた。又市の振り回されっぷり面白かったです。 | ||||
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皆さん的確なレビューをされてるのでわざわざ私が下手くそなレビューを書かなくても良いかなと思ったのですが、どうしても書きたくなりました レビューというか自分語りのような駄文ですが書かせてください。 京極先生の作品を読んだのは学生時代に取り憑かれたように集中して読んだ京極堂シリーズのみでしたが、特に魍魎の匣が本当に好きで何度も読み返しました。 独特の世界観に引き込まれる文章力が圧巻で、 読後世界の見方が少し変わったような気になったことを思い出しました。 社会人になってしばらく忙しい日々を送る中本を読む機会からも遠ざかっていましたが、今回切迫早産のため入院になり時間が出来たため、京極先生の読んだことのない小説を読みたいなぁと思いこちらの本を購入しました。 先生の本には今基本的にはあまり使うことのないような言葉がよく登場するので、私は初見の際はわからない言葉が出てくると意味を調べながら読み進めます。それでもさすがは京極先生、気付くと物語の中に引き摺り込まれていて、1週間ほどかけてちまちま読もうと画策していたのに続きが気になり過ぎて2日で読み終えてしまいました。 読後、少しもやっとなったところも正直ありましたが、総合的に本当に素敵な純愛物語を読ませてもらったなぁと感じました。 強姦のシーンが多くあるので、苦手な方は注意ですね。 梅が本当に最後まで不憫でした。 ちょっとネタバレになってしまいますが、 ↓ 犯された相手の子をおろすこともできず犯され続け、その後逃げ場を求め好いた人と一緒になり望まぬ子を出産、旦那の関心は自分に向かず、更にその後も憎い強姦相手に旦那公認の元乱暴に犯され続け、結果赤子に手をかけてしまいそのことに怒った旦那に殺される。 救いようが無いな…と思いました。 確かに罪のない赤子の命を奪うのは心が締め付けられますし、もちろん間違った選択だったんですけど、 梅のことまで殺す必要はなかったんじゃないのってそればかり考えてしまいました。 まぁそれを言い出したら…うーん…笑 途中から梅の置かれている状況が酷すぎて、感情移入しすぎたのかなぁ 文章力、読解力共に低くてお恥ずかしい。 とにかくもう一度ゆっくり読んでみようと思います。 あ、読んで損は絶対に無いですよ! | ||||
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内容は皆さんよくご存じの四谷怪談のお岩さんです ですが古典で良くあるような、「うらめしや」ってな感じではなく 逞しくそれでいて儚い、幽霊のようにたち消えることのない人間としてのお岩さんが書かれていて なかなか魅力的なキャラクターとして立っていました 結末は「やはり」といった感じでしたが、悲しくもとても美しいと思います。 京極夏彦というと、京極堂シリーズを代表する辞書とも形容されるぶっとい本を書き、それを攻略していく事が一つの楽しみ方ではあると思いますが この本のように、スッと読ませる様な本もあるとこの本で知りました。 初めて読まれる方は、こちらから入ってみては如何てでしょうか? | ||||
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長く尾を引く重っ苦しい読後感・余韻。全編漂う不気味なムード。さすがとしか言いようがない。私は、これを恋愛小説というよりも、作者のスタンスである「人間の中にこそ魑魅魍魎が住んでいる」=愛を含めた人間の闇を最高クラスに描写した物語だと思いました。 | ||||
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京極先生は最も好きな作家さんで、一番本を買い漁り読みふけっていたと思います。 「魍魎の匣」から始まり、「姑獲鳥の夏」、「狂骨の夢」、「鉄鼠の檻」… などの京極堂シリーズから、「巷説百物語」シリーズも一通り読み、サクッと読める「死ねばいいのに」や毛色の違う「どすこい」などのパロディー物も読ませていただいています。 妖怪大好きな京極先生ゆえ、どのような形で妖怪・怪談話が進み、終わりを迎えるのか、喜怒哀楽表情に乏しい伊右衛門がどこで、なぜ嗤うのか、そんな事を考えながらページを捲っていくと、巷説百物語シリーズの御行の又一が登場!などなど、色々と想像力が掻き立てられますね。 誤読感を一言で述べるならば、「非常に切ない気分」にさせられた、です。 涙もろい方ではあるのですが、最後は涙腺ゆるみっぱなしです(笑) そして、中身についても少しだけ触れると、 必ずしも「正しい事(行い)が必ずしも間違っていない」という訳ではない、という事。 若干わき道に逸れますが、刑事物のドラマ、特に「相棒」で時折見られる、 「今更真実を明るみにした所で、誰も得をしない。どころが、不幸になる人が増えるだけだ。」そういうシーンが頭に思い浮かびました。 歴代相棒がいくら止めようとも、それでも右京さんは天才的な頭脳で真実を解明しちゃうんですよね。結果、多くの人が不幸になる。 さて、いずれ哀しき終わり方ではありますが、それをハッピーエンドととるかバッドエンドととるか 岩の事を考えるとどうなんだろう? 私にはまだまだ理解力・想像力が足りない様子です。 ということで、☆☆☆☆☆ 作家さんって、凄いなーと改めて感じた次第です。 | ||||
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江戸の怪談が好きで,その手の本を読み漁っています.もちろん,鶴屋南北の『東海道四谷怪談』もずいぶん前に読みました.数ある怪談話の中でも,大好きな作品の一つです. 怪談話を追い求めているうちに,いつだったか京極夏彦先生の『妖怪大談義』に当たり,そこで初めて先生の作品を手にしました.『大談義』は小説では無いのですが,読んでいて京極先生に惹かれました. 大好きな四谷怪談を,その京極先生が小説にしているのを知り,期待しながら読み始めました. 期待は裏切られることなく,むしろ予想外とも言えるインパクトがありました.もちろん良い意味での衝撃です. 鶴屋南北の『東海道』は,そのまま読んでも面白いのですが,心底堪能しようと思ったら,ある程度同作の書かれた時代背景を知る必要があります.しかし,この『嗤う伊右衛門』には,そういう知識は必要がありません.もちろん,先に本家(?)の『東海道』を読んでいた方が面白さを深く堪能できるという考えもあると思いますし,また,それだけ『東海道』の方には作品に奥行きがあるという表現も出来るかもしれません.どちらが面白いかは甲乙つけがたいのですが,エンディングは本作品の方が良かったです. これだけ人口に膾炙している作品を本歌取りして,本歌と対等かそれ以上の面白さを提供してくれた京極先生に脱帽です. 怪談好きな人なら,きっと楽しめる一冊になると思います. | ||||
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京極夏彦の小説、実は読むのはコレが初めてでした。 むか~し、テレビの2時間ドラマか何か(映画だったのかな?)で観た記憶があるのですが(京極夏彦本人もチョイ役で出演してたやつですw) その程度・・・の認識です。 京極作品、第一回目は・・・さて何にしようか? って事で、何人かの京極ファンに聞いてみたところ「最初なら嗤う伊右衛門がいい!」との事。 で、読んでみました。 「”上質な恋愛小説”って・・・所詮は四谷怪談、旦那に騙されて顔にアザつくったお岩さんが怒り狂った話でしょ?ww」とか思いながら。 ・・・ ・・・・・・ 何コレ・・・ 細かいストーリーや展開に関しては、まだ未読の方の為に細かくは書かないでおきます。 正直、 私の記憶している四谷怪談とは全くの別物なので、「これを四谷怪談と位置付けて良いものか?」という疑問もありました。 あと、 「なぜ伊右衛門は、出逢ってそれ程時間が経っていない岩に対しそこまでの感情を抱けるんだ?逆に岩は、伊右衛門みたいな不愛想な男のどこに惚れちゃったんだ?この二人、一体どの辺に”ビビッ”と来ちゃったんだ?」 な~んて疑問もありました。 まぁ、こんな考えに至ってしまう私は「現代っ子」なのでしょう・・・いや、子じゃないけど(汗) しかし、そんな陳腐な考えすら凌駕してしまう「圧倒的な情景描写」が、京極夏彦にはありました。 あまり深く書いてしまうと、まだ未読の方に色々教えてしまいそうですし・・・ 何より、熱狂的ファンの方々に「お前!全然わかってね~だろ!この作品の意図はそ~じゃね~んだよっ!!」と総ツッコミ入れられそうなので書きませんが・・・(汗) 見た事も無い(当たり前ですがw)岩と伊右衛門の顔すら、読んでいくうちに浮かんできてしまう・・・これは一体? 「悲しいハッピーエンド」 と言ってよいのでしょうか。 言語のボキャブラリーが貧困なもので適切な表現が出来ないのですが、ラストシーンを電車内等の人前で読まなくて本当に良かった(泣) 確かに、京極夏彦をまだ読んだ事のない人に薦められる作品なのは間違いないですね。 私にこの作品を薦めてくださった方々に、本当に感謝しています。 文句なし☆5です。 次、何読もうかな・・・ | ||||
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いかにも京極堂。 されど京極堂。 ファンにはたまらないと思います。 しかし、本が分厚い。 | ||||
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文体のリズムがよく、どんどん引き込まれました。 だれでもがおぼろげながら知っている古典的な物語をよくもまあこんな風に作り替えられる物だと感心します。本当に全く違う話にしてしまう方がおそらくは簡単で、全般に不気味なやりきれない雰囲気はのこしつつ、単なる怪談ではなく人間の物語としてできあがっている。 百物語の又市のデビュー作?でしょうか。又市ファンにもおすすめ。 | ||||
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thanks a lot for the dealing. Im satisfied. | ||||
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あのお岩さんが不器用ながらも強く実直な女性に描かれており、非常に魅力的。 そして古典が下敷きならではの、終わり方が程度設定されているが故の悲劇への予感とでもいいましょうか、緊張感がたまりません。 そしてラストは涙なしには読めませんでした。 怪談をベースにした醜く美しい恋愛小説。 京極作品の中で一番好きです。 | ||||
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江戸の有名な怪談を京極流にアレンジしていく趣向で一作目の『四谷怪談』では大胆な発想で岩と伊右衛門の究極ともいうべき純愛を描く。 各々が身を退き相手の幸せを願うという…ピュアな感情(深い情愛)は、その互いの自我(誇り)故の寡黙さと、そこに岩や伊右衛門を取り巻く者たちの底知れぬ、深い『業』による思惑も手伝い、二重螺旋のように互いに絡むことなく暗雲の彼方にその渦を巻いて伸びていく… それら全ての感情、現状がカオスの坩堝に收斂していき、その温度が沸点に達した瞬間、寡黙で、刀を持てない伊右衛門が『嗤う』。『笑う』のではない… 嗤う、のだ… この『嗤』というひとつの漢字に(ビジュアル的にも)内在するまがまがしさ、不敵さ… 伊右衛門が最後の最後まで奥底に仕舞いこんでいた壮絶な精神の一面を一瞬(居合いの一閃)で爆発させる修羅場のシーンに於いてこれほど適した‘漢字’はない。 俺はこの『嗤』という漢字をイメージするとき、例えば… 映画『許されざる者』の老ガンマンが復讐の鬼と化し、落武者の如く装いを『ウエスタン』の“それ”に転じた際の、拍車の『音』を思い浮かべてしまう。 岩の奇鐔は、はじめに見た目の恐ろしさありき、から口伝として怪談となったのだとしたら、(少数派として)岩の見た目に恐ろしさを感じない、岩の精神だけを見つめようとする者が物語を伝えていれば、どのような『四谷怪談』が後世に伝え残されていただろうか…? …という、パラレル・ワールドとしての『四谷怪談』を見事に描き切っている。 | ||||
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気位高く、気の強いお岩の婿養子になった伊右衛門。醜女の顔を世間が噂することへの反撥から、世間と伊右衛門への有り様に同情しました。 | ||||
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非常に難解な作品です。京極夏彦氏の作品は大好きでほとんど読んでますが、この作品ほど読み直した作品はない。でも読む度にズルズルと深淵に引き摺り込まれます。私のなかでは鬱小説ランキング断トツ一位です...気分が落ちているときは読んじゃダメ。でも好きなんですよね。特にお岩様が。まっすぐに生きすぎてて不器用なとことか。離別されて貧しくても提灯を作って生き生き自活してるとことか。しかし、敢えてお岩様に話さなくていいことを話して怒涛のような悲劇が。又市さんが「奴の舌先三寸で生死に決まっちまうこともあるんです」と別の作品で言ってたけど、言葉って本当に怖いと思いました。何気なく発した言葉で人は壊れる。迷う。死ぬ。もちろん、その逆もあるんだろうけれど...。気持ちがすれ違うのに大したきっかけなんて要らないんでしょう。いろんな意味で恐い物語なのです。余談ですが、葛飾北斎の表紙でジャケット買いしちゃいました!中公文庫さん、センスいい〜。 | ||||
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正直高尚すぎていまいち理解できない言動が多く完璧に作品を理解したとは言いがたいが まあ何となく雰囲気は楽しめた ただ盛り上がってくるのは後半からで、主役がコロコロ変わることもありやや退屈 文体が独特なこともありやや人を選ぶので試し読みしてから買うほうがいいかもしれない | ||||
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余にも名高い『四谷怪談』を京極夏彦が新しい解釈でもって描いた 悲しくも美しい名作。 『巷説百物語』の又市が出ているという理由で手にとったのだが、 思わぬ拾い物をした。 南北の『四谷怪談』のインパクトが強かったせいか、 お岩と伊右衛門が不器用ながらも 互いを大切に想っていたという設定には良い意味で裏切られた。 また、お岩に毒を盛った人物の正体について明言はされていないが、 きちんと読むと所々に伏線を張っているのが分かるので、 この辺りはさすが京極夏彦だと、思わず感心してしまった。 ただし、お岩と伊右衛門が互いのどこに惹かれたのかについて深い描写がなく、 恋愛部分の心情表現の掘り下げがいささか足りていないが残念である。 それでも、あまりにも悲惨で幸福な結末には、涙せずにはいられない。 | ||||
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原作の四谷怪談の予備知識は殆ど無い状態で本作を読みました。 どの登場人物も歪んだ愛情を持っているが故にすれ違いが起きていると感じます。 互いを愛するがゆえにうまくいかない夫婦の愛、現実逃避のための愛、恐ろしい性の為に愛が持てないという男、妹への愛等、様々な視点から描かれています。 これらが絡まり儚い物語を成しており、只の怪談や恋愛小説とは違う仕上がりになっており、一読の価値はあると感じました。 | ||||
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京極夏彦の小説を最近、何冊か読んだ。 この小説を含め、その全てに共通していると感じた点は、京極氏は人間の恐ろしさを愛情を持って描かれているということである。 結果、どんな凄惨な顛末にも、一筋の光を読了した者の心に与えてくれる。 この作品もそうだ。 あらすじをなぞれば、登場人物で報われた人間など誰もいないだろう。 しかし、人間の愛しさ、儚さ、強さ。 読み終えた私の気持ちに強く残るのは、そういった人間といった生き物を肯的に捉える気持ちばかりである。 理想を云えば、喜兵衛を、もう少し掘り下げていただきたかったか。 だが、読んで良かったと思える作品だった。 | ||||
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もはや大作家と言える京極先生。数々の賞を受賞され「嗤う伊右衛門」も泉鏡花文学賞を受賞しています。はては直木賞に二度ノミネートされたあと落選し、五木寛之氏をして「直木賞になじまない、さりとて芥川賞の枠にも入らない、というところが京極夏彦という作家の栄光と言えるのではあるまいか」という名言をはかせ、賞の範疇も超えてしまった現代最高のストーリーテラーの一人です(のちに直木賞を受賞した時には京極さんの力量よりも直木賞のふがいなさを印象づけてしまったように思います)。 京極堂シリーズ(後で紹介します)でミステリー作家としての地位を不動の物としたわけですが、 この「嗤う伊右衛門」を読んだ時には「こんな事もできてしまうのか。。」と絶句しました。 とにかくせつない物語です。そして恋愛とは本来このように美しいものなのかなと考えさせられる 一冊です。 悲しみの中で笑う(嗤う)事は日本人の美徳であると、かつてラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が 言っていましたがそんな日本人的な情緒にしんみりと響く恋愛小説の傑作だと思います。 | ||||
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まず、初めての京極作品でしたので、当て字や昔言葉に戸惑いました。ですが章ごとに主人公が違い、様々な視点での展開を楽しめたので、さほど難読ではありませんでした。 そしてなにより、驚愕したのは物語りもさる事ながら、【文章がページを跨がない】と言う点でした。これは言われてみなくては解らないような些細な事のように思えますが、これも作者の拘りらしいのです。読みやすく感じたのはそういった文章構成技法のお陰かと物凄く感心しました。嘘だと思うならページを捲って確かめてみてください。そして他の本と比べてみてください。他の本は文章がページを跨ぎまくりですから。 さて内容ですが、言わずと知れた四谷怪談のお岩と伊右衛門の怪談話のリメイクです。私の浅い知識では、オリジナルの方は伊右衛門に殺されたお岩が、祟り、化けて出る。と言うまるっきりの怪談です。ですがこれは、魑魅魍魎、化け物の類は出ず、それらのおぞましさではなく、人間のおぞましさや、それぞれの感情を顕著に描き、寧ろ人間の方が化け物なのだと言っているようです。また、その中で翻弄される伊右衛門とお岩の愛、まさに純愛の物語です。伊右衛門は生真面目を絵に描いたような優しい男で、お岩は顔が崩れてしまっても尚、凛とした武家の娘です。 最後の場面に至るまでは理解できるのですが、お岩が居なくなってからいつの間に戻ってきて箱の中に入ったのか?いや、入れられたのか?それだけが謎のままです。ですが、二人の愛が如何なる形であれ昇華し成就したならば、そんな事は最早関係ないのではと思えてしまってならないのです。 なおこの作品は【第25回(1997年)泉鏡花文学賞】受賞作です。 | ||||
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